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2023.03.01

【レジェンドのアオハル】400m金丸祐三「1本1本集中して取り組むことを意識していました」

――先輩、後輩との関係で悩んだことは?

まったくありません。特に高校時代の先輩とは仲が良くて、学校帰りに近くのたこ焼き屋さんに毎日のように通っていましたし、いまだに会って遊んだりするくらいです。陸上は個人競技ですが、自分1人では気づけないことも多いです。練習仲間は必ず自分にプラスアルファを与えてくれるので、すごく人に恵まれたなと感じています。

――一番きつかった練習や、それをやったから強くなれたと思える練習は?
練習自体はあまり覚えていませんが、1本1本の練習に対して集中して取り組むことは意識していました。中学時代は全中に行くという目標があって、普通に練習していたのでは絶対に無理だろうなと考えていたので、たとえば精神統一してから走るといったやり方を中学2年の冬ぐらいから始めたと思います。集中してやることでいろいろな課題が見えてきますし、同じ練習でも練習効果が変わります。結果も出るようになったという点では、私にとってのターニングポイントで、その後の引退するまでその意識は持ち続けました。

04年埼玉国体で45秒89の高校記録(当時)を樹立

高校時代に身についたのは、自分との対話です。自分の走りと感覚の部分をどうマッチさせていくかが重要と考えていて、ダッシュするにしても、自分の情報をできるだけキャッチするために精神を研ぎ澄ませて取り組みました。

――常に陸上のことを考えていた?
オンとオフを切り替えていました。練習の時は集中して、練習がない時は友達と遊んでいました。切り替えるのが上手かったので、練習中でもふざけたりして、走る直前には集中していた感じです。だから真面目な先輩から「もっと集中しろ」と叱られることもありました。

――レース前に体の緊張や堅さをほぐす「金丸ダンス」はどういう経緯で始まった?
高校1年の時からやっています。それまで肩に力が入ってしまうフォームだったので、走る前に両腕をプラプラさせて、リラックスを意識づけたら、調子よく走れました。私自身、げんを担ぐタイプで、それを続けていくうちに、他の動きも加わってルーティンワークになっていきました。

――顧問の先生からよく言われていたことは?
高校で活躍し始めて、ウエアやシューズなどの提供をしていただくようになって、顧問の小塚湖先生からは「これが当たり前だと思うなよ」と言われたことは覚えています。「強くなったからと驕ってはいけない。常に謙虚でいなさい」と。謙虚な気持ちでいることで、現状に甘んじることなく、上を目指せました。それは競技だけではなく、人間としても重要だという気がします。

――陸上を辞めたい時はありましたか?
陸上を辞めたいと思うことは、2021年に現役を引退するまで一度もありませんでした。陸上が好きという以上に、ずっとやってきましたから陸上がある生活が染みついていました。

2005年千葉インターハイでは400m連覇、4×100mRでも優勝を果たす。また、直後のヘルシンキ世界選手権にも出場した

――うまくいかない時やスランプに陥った時にどうやって乗り越えた?
調子が悪い時は割り切ってやるというか、無理してがんばってもフォームが崩れたり、感覚が悪くなったりしますから、出力を落としてこなすことが多かったです。感覚を大事にしていたので、良い感覚で走れない時はスパッとやめることもありました。調子が悪い時は調子が上がっていくようなアプローチを考えることが重要です。

次ページ 中学、高校で頑張る選手たちに一言

オリンピックや世界陸上に出場し、華々しい活躍をしてきた陸上界のレジェンドたち。誰もがあこがれたスターたちも、最初からスターだったわけではなく、初々しい中学生、高校生時代があったのです。 そんな陸上界のレジェンドたちに、自身の青春時代を語ってもらう企画「レジェンドのアオハル」がスタート。栄光だけでなく、挫折を経験し、悩みを乗り越えて頂点を極めた先人たちに、中高生のみなさんへのアドバイスもしていただきます。 第1回は男子400mで北京、ロンドン、リオの五輪3大会に出場し、日本選手権では11連覇を果たした金丸祐三さんに中高生時代を語っていただきました。

――中高の陸上部の雰囲気は?

中学の陸上部は、練習日と休みの日が決まっていて、朝練習もしっかりやるという部でした。顧問の竹口恵子先生がとても熱心で、専門的なことというよりは基本的なことを指導してくださいました。礼儀や礼節にも厳しい方で、みんなで毎日楽しくやっていましたが、私自身はやんちゃな部分もあったので、一番怒られていたと思います。 高校は朝練習もなく、それほど練習量が多くなかったので、そこまできついとは感じませんでした。ただ、先輩は速い人ばかりなので、常にチャレンジするという環境で、自分が食らいついていくという練習がとても楽しかったです。強豪校にありがちな厳しさはまったくなく、もちろん、最低限の敬語やあいさつはしっかりやっていましたが、陸上をやっていた中で高校3年間が1番楽しかったと言えるほど充実していました。 ――当時はどんな目標を持っていた? 中学の頃は、大阪府で3位になった1つ上の先輩が全中に行けませんでした。その先輩とは力の差があり、全中は難しいと感じていましたが、逆にあこがれが増して絶対に全中に行きたいと思うようになりました。 高校では1年生の時に400mブロックで練習するようになり、走りのフォームを改善して急に伸びたので、当時、為末大さん(広島・広島皆実)が持っていた高校記録45秒94を塗り替えることが目標でした。インターハイはあまり意識していませんでした。 [caption id="attachment_94313" align="alignnone" width="800"] 高校2年のインターハイ400mで日本一に。当時、顧問から言われた「強くなったからと驕ってはいけない」という言葉が強く心に残っているという[/caption] 次ページ 先輩、後輩との関係で悩んだことは?

――先輩、後輩との関係で悩んだことは?

まったくありません。特に高校時代の先輩とは仲が良くて、学校帰りに近くのたこ焼き屋さんに毎日のように通っていましたし、いまだに会って遊んだりするくらいです。陸上は個人競技ですが、自分1人では気づけないことも多いです。練習仲間は必ず自分にプラスアルファを与えてくれるので、すごく人に恵まれたなと感じています。 ――一番きつかった練習や、それをやったから強くなれたと思える練習は? 練習自体はあまり覚えていませんが、1本1本の練習に対して集中して取り組むことは意識していました。中学時代は全中に行くという目標があって、普通に練習していたのでは絶対に無理だろうなと考えていたので、たとえば精神統一してから走るといったやり方を中学2年の冬ぐらいから始めたと思います。集中してやることでいろいろな課題が見えてきますし、同じ練習でも練習効果が変わります。結果も出るようになったという点では、私にとってのターニングポイントで、その後の引退するまでその意識は持ち続けました。 [caption id="attachment_94314" align="alignnone" width="800"] 04年埼玉国体で45秒89の高校記録(当時)を樹立[/caption] 高校時代に身についたのは、自分との対話です。自分の走りと感覚の部分をどうマッチさせていくかが重要と考えていて、ダッシュするにしても、自分の情報をできるだけキャッチするために精神を研ぎ澄ませて取り組みました。 ――常に陸上のことを考えていた? オンとオフを切り替えていました。練習の時は集中して、練習がない時は友達と遊んでいました。切り替えるのが上手かったので、練習中でもふざけたりして、走る直前には集中していた感じです。だから真面目な先輩から「もっと集中しろ」と叱られることもありました。 ――レース前に体の緊張や堅さをほぐす「金丸ダンス」はどういう経緯で始まった? 高校1年の時からやっています。それまで肩に力が入ってしまうフォームだったので、走る前に両腕をプラプラさせて、リラックスを意識づけたら、調子よく走れました。私自身、げんを担ぐタイプで、それを続けていくうちに、他の動きも加わってルーティンワークになっていきました。 ――顧問の先生からよく言われていたことは? 高校で活躍し始めて、ウエアやシューズなどの提供をしていただくようになって、顧問の小塚湖先生からは「これが当たり前だと思うなよ」と言われたことは覚えています。「強くなったからと驕ってはいけない。常に謙虚でいなさい」と。謙虚な気持ちでいることで、現状に甘んじることなく、上を目指せました。それは競技だけではなく、人間としても重要だという気がします。 ――陸上を辞めたい時はありましたか? 陸上を辞めたいと思うことは、2021年に現役を引退するまで一度もありませんでした。陸上が好きという以上に、ずっとやってきましたから陸上がある生活が染みついていました。 [caption id="attachment_94316" align="alignnone" width="535"] 2005年千葉インターハイでは400m連覇、4×100mRでも優勝を果たす。また、直後のヘルシンキ世界選手権にも出場した[/caption] ――うまくいかない時やスランプに陥った時にどうやって乗り越えた? 調子が悪い時は割り切ってやるというか、無理してがんばってもフォームが崩れたり、感覚が悪くなったりしますから、出力を落としてこなすことが多かったです。感覚を大事にしていたので、良い感覚で走れない時はスパッとやめることもありました。調子が悪い時は調子が上がっていくようなアプローチを考えることが重要です。 次ページ 中学、高校で頑張る選手たちに一言

――自身の中学高校生時代と今の中高生との違いはありますか?

かなりの違いを感じますね。今は私の時代のような厳しい指導者がしっかり教える“昭和的な”指導が少なくなって、中高生の自由度は増えているのかなと。ただ、その結果、強い選手になるために、自分からコミュニケーションを取って求めていかないといけないことも多くなっていると思います。 [caption id="attachment_94315" align="alignnone" width="800"] 2005年の日本選手権では社会人や大学生を抑えて優勝[/caption] あとは動画が普及して、自分の動きを手軽に録画して確認できたり、トップ選手の走りや取り組みを参考にできたりしやすい面は大きなメリットです。でも、こちらも情報過多になって、間違った方向に進みやすいという難しい面があります。 ――今振り返って、「ああすればよかった」と思うことはありますか? 周りの人に恵まれてすごく楽しくやれましたし、結果もついてきたので、悔いが残っているようなことはほとんどありません。勉強をもっとしっかりやっておけばよかったということと、陸上に関して強いて挙げるなら、39秒台を狙っていた4×100mリレーの高校記録を出せなかったこと、4×400mリレーで勝てなかったことぐらいでしょうか。でも、それは自分だけの問題ではありませんからね。 ――中学、高校で頑張る選手たちに一言 自分自身が頑張るのはもちろんですが、1人ではなかなか強くなれません。ぜひ陸上を楽しみながら、チームの仲間や顧問の先生、コーチも大切にしてください。そういう人たちとの関係は「掛け算」と同じで、良ければ良いほど値が大きくなっていきます。 その一方で、自分で試行錯誤することも重要です。私は小学校の通信簿にいつも「人の話を聞きましょう」と書かれていたくらい人の話を聞かない子供でしたが、そのせいか練習を教えられても、もっとこうした方が良い走りになりそうだと思ったら、改良してやってみることが自然にできていました。自分の身体は自分自身が一番よく知っているはずなので、目標達成に向かってより効果的な練習を追求するように心がけてください。 [caption id="attachment_94588" align="alignnone" width="800"] 「 陸上を楽しんでほしい」と話す金丸祐三さん[/caption]
かねまる・ゆうぞう/1987年9月18日生まれ。大阪府出身。芝谷中→大阪高→法大→大塚製薬。中学から陸上を始め、中3で全中200mに出場するも予選落ちだった。高校進学後に400mで頭角を現し、2年のインターハイで優勝。秋には45秒89の日本高校記録を樹立した。翌年もインターハイを連覇したほか、45秒47と記録を短縮。高校生でヘルシンキ世界選手権4×400mリレーに出場している。以降はロングスプリントのエースとして活躍。日本選手権11連覇のほか、五輪3大会、世界選手権7大会に出場した。現在は大阪成蹊大監督を務めている。
構成/小野哲史

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