2023.02.17
追われる以上の速度で突き放す
勝ち負け、に戻る。美しいフォームと強さから『歩く世界遺産』と言われたジェファーソン・ペレス(エクアドル/ 03、05、07年)以来、史上2人目となる同種目3連覇が懸かるブダペスト世界選手権。勝つことについて「こだわりはあります」とハッキリと口にした。
「出る以上は勝ちにいきます。3連覇に大きな意味はありませんが、競技を生業としている以上、その場にいるのは個人的に大事なポイントだと思っています」
所属先をはじめ、サポートを受けて競技を続けている以上、結果を求めるのは当たり前のこと。「そこに向けて新しくチャレンジして、前年との差分を出して、形になるような努力をしていかなくてはなりません」。勝ちたい。負けたくない。それと同時に、こんな思いもある。
「アスリート、特に競技レベルが上がれば上がるほど、どこかで『大きな決断』をしていると思います。自分が追ってきた選択が正しかったと形として証明できるのが結果。報酬ではないですが、成果が出れば、やってきたことが報われたような気がする」
ただし、報われた瞬間に、そこにとどまらずに「そこまでのことを浄化して、次に向かって新しい何かを付け足していかないといけない」。変わらないと、いつか負ける。周囲から求められるもの、勝つために必要なものは、結果を出せば出すほど大きくなる。それから逃げるのも、その場に居続けるのも、どうなりたいか次第。山西は「受けて立つ」覚悟で歩いている。
大学4年の終わり。京大の大学院へ進学するか、競歩を突き詰めるか悩み抜いた。「大きな選択だったと思います」。決断について後悔はしない。「こうすれば良かった、ではなく、正しい決断にするために『今やるしかない』という思考が強いです」。あの悩み抜いて出した決断は、「しんどい時に支えてくれる軸」にもなっている。
ここからの一つひとつの決断が正しいかどうか。それを確認するために、3連覇という目標が意味を持つ。
「まずはピークをどう持っていくかが難しいです。大枠は変わらないですが、少し流動的に変化をつけていければいいなと思っています。一つずつ、隙なく勝ちにいく。追われる、という言葉を使うとするなら、それ以上の速度で離さないと勝てません。難しいことだし、大変なことだけど、チャレンジできる位置にいられるのは限られた人だけ。それを誇り、自信に思いながら積み上げていきます」
難しい言葉も使うし、技術面は誤解をされないように深く語ろうとしない。山西の感覚と思考を言語化するのはやはり難題だった。でも、完全無欠の世界王者ではない。冗談も飛ばすし、カメラマンからの無茶ぶりに照れながらも茶目っ気たっぷりに応える。忘れ物だってする。“四角い”だけではない、人間臭い、山西利和の魅力がそこにある。
聚楽園を後にする。最後まで玄関先で見送ってくれた。まだまだ引き出せていない。夏が過ぎた頃、もう一度ここへ来たい。まばゆい輝きを放つ3つのメダルを、今度こそ忘れずに持ってきてもらおう。

競歩世界王者の山西利和。エンジニアとしての一面も持つ
1996年2月15日生まれ。京都府出身。京都・長岡三中→堀川高→京大→愛知製鋼。中学で陸上を始め、長距離が専門だった。高校進学後に先輩と顧問の影響で競歩に転向。高2でインターハイ5000m競歩2位。3年時には世界ユース選手権10000m競歩で世界一となり、インターハイも制した。大学進学後は20km競歩にも適応し、大学4年時にはユニバーシアードで金メダル。社会人1年目の18年にはアジア大会で2位となる。19年ドーハ世界選手権でこの種目初の金メダル。21年東京五輪で銅メダル。昨年のオレゴン世界選手権で連覇を達成した。自己ベストは20km競歩1時間17分15秒(世界歴代5位、日本歴代2位)。
※『月刊陸上競技』2023年3月号に掲載。一部掲載誌に文章の不備があったため全文掲載いたします。
多忙な日々を過ごして冬季はじっくり
名古屋駅で名鉄に乗り換える。愛知製鋼が本社ビルを構える聚楽園駅までの電車内で過去の記事をチェックし、聞きたいこと、引き出したいことを頭の中で何度も思い浮かべる。なんだか試されているように感じるのは、京大卒という学歴か、それとも「世界一」の肩書きのせいか。どちらの要素も否定できないが、それらを抜きにしても、彼の言葉、哲学、競技観には不思議な力がある。 そんなことを考えていると、あっという間に聚楽園駅に着いた。江戸時代の儒学者・細井平洲が生まれた地。「農民にも学問を」と説いた人物で、駅前のモニュメントには『学思行、相まって良となす』という氏の言葉が記されている。「学んだことを、考え、実行して、初めて“学んだ”と言える」という意 味。自らの生き様と成長の過程を『歩き』で表現し続ける男を表わすようにも見えた。 世界一のウォーカー、山西利和は作業着姿で現われた。製鋼所で働く若手エンジニアとしての一面を持つ。まるでジブリの映画に出てくるような工場を背に、この格好が「オンなのかオフなのか、わかりません」と言ってさわやかに笑う。撮影用にと依頼していた2つの金メダルを持参し忘れたことを、こちらが恐縮するほど申し訳なさそうに謝ってくれた。 「11月は少し公私ともにバタバタしました。冬季練習が思っていたより1、2ヵ月ほど遅れている気がしますが、致命傷ではないと信じています。これが5歳若ければ、焦っていたと思いますが、幸いブダペスト世界選手権のワイルドカード(出場権)もあります。それが一番大きいですね」 昨年7月、米国オレゴンで世界選手権男子20km競歩を連覇した山西。これは全種目を通じて日本人初の快挙だった。「すごいことをしたという思いはありません」。ただ、「誰かの通った道ではない道を歩き始められている」といった実感はある。それよりも収穫として挙げるのは「ここ数年取り組んできた再現性を高めるというところができた」点。それでもオレゴンが「はるか昔のよう」に感じているのは、「新しい戦い」が始まっているからに他ならない。 米国から帰国後、21年12月末に入籍した伴侶との生活がスタート。落ち着く間もなく、10月には全日本競歩高畠大会で35kmに挑戦した。これを2時間26分18秒で優勝。しかも、ブダペスト世界選手権の派遣設定記録(2時間27分30秒)を上回っている。初めて歩いてみて感じたのは「使う能力は20kmと大きくは変わらない」。距離に対する現状の過不足も「意外性はなかった」と振り返る。ダブルエントリーについては「チームで考えた時に、フレッシュな選手、適性のある選手のほうがいい」という考えを持つ。選択肢を完全に消しはしないが、「やるにしても、いつになるか明確なビジョンはありません」。それよりも「20kmでまだまだやりきっていない」と世界王者は言う。 11月末にはイタリアへ渡り、世界陸連アスリート委員会に出席。「議題がいくつかあって、アスリートの意見をざっくばらんに言うイメージ。どうにか一生懸命、雰囲気を感じていたら終わっていました」。初日を終えた後は懇親会にも顔を出したという。 そうした「慣れないことをする」多忙な日々もあり、「硬さ」が抜けずに本格的な練習を再開した12月に、身体に多少の違和感が生じたため、「もたついた」。年末年始にかけて少しずつ動くようになり、1月の宮崎での日本陸連合宿に参加。「まだグングン上がってくる感じはない」が、粛々と積み上げていくスタイルは不変だ。 [caption id="attachment_93516" align="alignnone" width="800"]
を見せたが、当時は「まだ何も成し遂げていない」と語っていた[/caption] 次ページ 「絶妙」なルールの隙を縫って
「絶妙」なルールの隙を縫って
オレゴンで繰り広げられた、山西と池田向希(旭化成)の、日本人同士による金メダル争いは壮観だった。 「レースの主導権を握れるようになりました。中心にいて、コントロールできるようになり、その中で勝ち切れたのが収穫です」 これは銅メダルにとどまった東京五輪後の大きなテーマの一つだった。初出場だった2019年ドーハ世界選手権で金メダルを獲得。「当時はそれなりにタイムも持っていましたが、有力選手が何人かいるうちの1人でした」。だが、世界一として臨んだ東京五輪は、他国の選手が明らかに山西を警戒。その視線や息づかいを意識し過ぎるあまり、自分の歩きを見失った。それからの1年は、「自分でレースを作る」ために時間を費やした。「ある程度固定化されていた」サイクルだけでは「負ける」ことを学んだ東京五輪。リスクを負ってでも変化を求め、形として証明したのがオレゴンだった。 それでも満点は与えない。「もう少し早い段階で勝負を決められたら良かったと思います」。そのために必要だったのは何か。「前半の10kmは少し遅かった。後半の10kmで行こうと思っていたので悪くはないのですが、欲を言えばそうではなかったのか……。もしくは後半の10kmでもっとペースを上げられればいいのか」。おそらく答えは出ない。 [caption id="attachment_93517" align="alignnone" width="800"]
競技力と社会的価値のバランス
山西の“勝負”に対する価値観は独特だ。ドーハ世界選手権の後、「勝ち負けだけだと運動会になってしまう」と語ったこともある。それを伝えると、「当時は本当に暗かったですね」と苦笑した。表現は変わったが、「勝ち負けだけではない」という思考はそれほど変化していない。 「自分にとってのスポーツは白黒ありき。だからこそ得られるもの、感じられるものがたくさんあります。一方で、それだけで評価されるのは『不健全』だとも思うのです。1年間で見ると、夏に大きな国際大会があって、その予選会が春にある。半年に1本のレースのために、半年の準備を2回。そのサイクルの評価が1年に1回だけでは続けられない」 そのため、「過程の中で、頭で考え、身体でトライ&エラーをする。理想のフォームにどれだけ近づけるか。これは勝ち負けとは別の軸だと捉えておいたほうが、自分の中ではおもしろい」のだという。 球技も苦手で、中長距離選手としては無名だった山西が、高校で競歩を始めた。「自分が楽しかったから始めて、勝てる種目、向いている種目、結果が出る種目だからと思って続けてきた」。陸上競技はどれだけ自分にベクトルを向けられるかの競技だと言える。自らを高めるために、いかに繊細に突き詰めていけるか。山西はそこに楽しさを見出してきたし、結果もついてきた。 一方で、葛藤もある。第一人者となり、求められる役割はどんどんと広がっていく。「競歩を通して何かを伝えたい」。勝ち負けだけではない何かを――その思いはあるが、「どうすれば伝えられるか」の答えはなかなか見つからない。 [caption id="attachment_93518" align="alignnone" width="800"]
追われる以上の速度で突き放す
勝ち負け、に戻る。美しいフォームと強さから『歩く世界遺産』と言われたジェファーソン・ペレス(エクアドル/ 03、05、07年)以来、史上2人目となる同種目3連覇が懸かるブダペスト世界選手権。勝つことについて「こだわりはあります」とハッキリと口にした。 「出る以上は勝ちにいきます。3連覇に大きな意味はありませんが、競技を生業としている以上、その場にいるのは個人的に大事なポイントだと思っています」 所属先をはじめ、サポートを受けて競技を続けている以上、結果を求めるのは当たり前のこと。「そこに向けて新しくチャレンジして、前年との差分を出して、形になるような努力をしていかなくてはなりません」。勝ちたい。負けたくない。それと同時に、こんな思いもある。 「アスリート、特に競技レベルが上がれば上がるほど、どこかで『大きな決断』をしていると思います。自分が追ってきた選択が正しかったと形として証明できるのが結果。報酬ではないですが、成果が出れば、やってきたことが報われたような気がする」 ただし、報われた瞬間に、そこにとどまらずに「そこまでのことを浄化して、次に向かって新しい何かを付け足していかないといけない」。変わらないと、いつか負ける。周囲から求められるもの、勝つために必要なものは、結果を出せば出すほど大きくなる。それから逃げるのも、その場に居続けるのも、どうなりたいか次第。山西は「受けて立つ」覚悟で歩いている。 大学4年の終わり。京大の大学院へ進学するか、競歩を突き詰めるか悩み抜いた。「大きな選択だったと思います」。決断について後悔はしない。「こうすれば良かった、ではなく、正しい決断にするために『今やるしかない』という思考が強いです」。あの悩み抜いて出した決断は、「しんどい時に支えてくれる軸」にもなっている。 ここからの一つひとつの決断が正しいかどうか。それを確認するために、3連覇という目標が意味を持つ。 「まずはピークをどう持っていくかが難しいです。大枠は変わらないですが、少し流動的に変化をつけていければいいなと思っています。一つずつ、隙なく勝ちにいく。追われる、という言葉を使うとするなら、それ以上の速度で離さないと勝てません。難しいことだし、大変なことだけど、チャレンジできる位置にいられるのは限られた人だけ。それを誇り、自信に思いながら積み上げていきます」 難しい言葉も使うし、技術面は誤解をされないように深く語ろうとしない。山西の感覚と思考を言語化するのはやはり難題だった。でも、完全無欠の世界王者ではない。冗談も飛ばすし、カメラマンからの無茶ぶりに照れながらも茶目っ気たっぷりに応える。忘れ物だってする。“四角い”だけではない、人間臭い、山西利和の魅力がそこにある。 聚楽園を後にする。最後まで玄関先で見送ってくれた。まだまだ引き出せていない。夏が過ぎた頃、もう一度ここへ来たい。まばゆい輝きを放つ3つのメダルを、今度こそ忘れずに持ってきてもらおう。 [caption id="attachment_93520" align="alignnone" width="800"]
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