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2020.04.28

「1cm」を積み上げてきた戸邉直人のハイジャン人生 中学&高校で培ったベースが“今”の財産
「1cm」を積み上げてきた戸邉直人のハイジャン人生 中学&高校で培ったベースが“今”の財産

【Web特別記事】
「1cm」を積み上げてきた戸邉直人のハイジャン人生
中学&高校で培ったベースが“今”の財産
世界トップジャンパーの仲間入りをした男子走高跳の戸邉直人(JAL)

スポーツの世界において、中学や高校で日本一に輝いた選手が、その後も順調に成長を遂げていくとは限らない。むしろ、その例はそれほど多くないのかもしれない。

だが、陸上男子走高跳の“大器”と呼ばれた戸邉直人(JAL)は、今、世界のトップを争う十指にいるのは間違いない。それも、より頂点に近い位置に――。

中学日本一から世界の舞台へ

身長194cm、体重72kgのすらりとした体格は、これまでの日本人ハイジャンパーでは傑出している。

千葉・野田二中3年で中学ナンバーワンを決める全日本中学校選手権(全中)で優勝を飾った瞬間から、将来を嘱望される存在になった。専大松戸高ではインターハイ、国体、日本ジュニア選手権の「高校3冠」を獲得。国体では従来の高校記録を1cm塗り替える2m23をクリアした。

筑波大では1年時の2010年に世界ジュニア選手権銅メダル、2年時には日本選手権優勝。大学院1年の2014年に初めて2m30の大台に成功すると、翌年には北京世界選手権でシニアになって初の世界大会代表入りを果たした。

その後は世界の舞台で活躍。18年には国際陸連(現・世界陸連)が主催する世界最高峰ツアー「ダイヤモンドリーグ」(DL)で、日本人初のファイナル出場(6位)を果たし、19年冬には世界室内ツアーで総合優勝、2m35の日本新記録樹立の快挙を成し遂げた。同年のドーハ世界選手権にも出場している。

中学から、未出場の全日本実業団対抗選手権を除くあらゆる国内タイトルを手にし、世界へと羽ばたいた。

もちろん、その過程にはケガもあり、スランプもあった。精神的に落ち込んだ時期もある。それでも、大枠で見ると理想的な右肩上がりの成長曲線を描いてきたと言っていい。

その根底にあるものは何か。年代に応じた思考とトレーニング、早い時期から「世界」という目標を定めて達成するための最善の道を探ってきたこと、そして何より、自分自身の「走高跳」をとことんまで追求してきたからにほかならない。

原点は「好きだからもっと高く」

初めての全国大会だった全中で優勝した戸邉(左端)。これがすべての始まりだった

小学校から陸上競技を始め戸邉は、走ったり跳んだりが大好きな少年だった。

中学に入ると、自分の身体ひとつで誰よりも高く跳ぶ走高跳に魅了された。「好きだから高く跳びたい」。その純粋な気持ちで、ひたすら高いバーに挑んでいた。

3月31日の早生まれ。本人はこのことを特に意識していたわけではないが、同じ学年なのにほぼ1年も過ごした時間が違う仲間に交じると、成長度合いは大きく違っていただろう。

実際、中2までは全国大会への出場経験などなく、千葉県内での優勝もないほどのレベルだった。

そんな戸邉にとって、3年生になって挑んだ全中は初めての全国大会。そこで一気に優勝まで果たしたことは、大きな転機になった。

「走高跳が好きという気持ちはもちろん変わりませんが、『もっと上へ』という気持ちが強くなりました。高校でも上を目指すために、今をがんばろう、と」

大好きな走高跳のためなら、つらい練習を乗り越えることができた。もともと中学の指導者が基本を大切にし、基礎体力を高める練習を重視していいたこともあって、戸邉の細身の身体は少しずつたくましくなっていた。

そこに“使命感”が加わったことで、戸邉の視線は常に上へ、上へと向いていく。より高く跳ぶためには、何が必要なのか。走高跳を探求する日々が始まった。

専大松戸高では、まずはケガをしないための「身体づくり」からスタート。2年目には跳躍選手に欠かせない「バネ」を作った。3年目は「自ら考える」ことをテーマに取り組んだ。技術面は細部まで突き詰めることはなく、アスリートとしての“ベース”を高めた3年間だった。

「僕の場合、背が高くてひょろひょろだったので、その身体を何とかうまく動かせるようにしようと、体力トレーニングを中学、高校と一貫してやっていただいた。それは今につながっていると思いますし、財産になっています。中高生のうちにベースを作っておくのはすごく大事。そのうえで、大学やその先までやる人は技術的なもの、専門的なものを上に乗せていく。そんなイメージを持てると、記録は伸ばせていくのではないでしょうか」

世界への道筋は「同じ舞台に立つ」こと

早くから“世界”で戦うことを目指して取り組んできた。写真は2015年北京世界選手権

この高校時代には、具体的な目標も定まっていた。

国体で高校新記録を樹立した後、すでに「2m30とか40を跳べるようになりたい。33以上がコンスタントに跳べれば,世界で通用しますから」という言葉を残している。

その目は「世界」へ。それも「2m33以上をコンスタントに」と、世界の“スタンダード”を正確に捉えていた。

世界を目指すにあたって、単純に記録を伸ばせばいいとも思っていなかった。

2010年の世界ジュニア。戸邉は2m21で、同種目日本人2人目のメダリストとなったが、その時に優勝したのが、ムタズ・エッサ・バルシム(カタール)。昨年の地元世界選手権で2連覇を飾るなど、間違いなく現在の世界最高のジャンパーだ。世界トップとの“距離”を肌で感じた大会として、戸邉の記憶に刻まれた。

大学3年の冬にはスウェーデンへと渡り、2004年アテネ五輪王者のステファン・ホルムとトレーニングする機会を得た。そこで、世界との距離を縮めるための術を学んだ。

この2つの経験から導き出された世界への道筋が、「世界のトップジャンパーたちと同じ舞台に立ち続ける」。

五輪や世界選手権だけではなく、年間を通して同じスケジュールでシーズンを過ごすことだった。なかでも年間10試合以上のツアーが組まれるDLに参戦することは、その第一歩だった。

「世界選手権やオリンピックでメダルを争うのも同じ顔ぶれ。世界で勝負するには、その中に入らないといけないと感じるようになりました」

世界のトップと同じ土俵に立つために、本格的に走高跳の技術、その技術を身に付けるための専門的体力を身に付ける段階へと移った。

全中もインターハイも、東京五輪も想いは同じ

自身の走高跳をとことん追究し、世界の頂点に立つつもりだ

戸邉が着手したのは、自分自身の感覚に科学的根拠をつけること。自らの身体、動きを客観的に研究していった。大学院では修士課程を修了した後、博士号も取得。助走のスピード、踏み切りへの入り方、踏み切り位置やその姿勢、踏み切り時のアームアクション……より高く跳ぶための「ベスト」を求めて、研究を重ねた。

その取り組みが1つの形として見え始めたのが、18年から19年だった。

DLは順位ごとに獲得ポイントがつき、そのポイント上位のみが最終戦の「ファイナル」に進出できる。戸邉は18年に、同種目で日本人初のファイナル出場を果たし、6位となった。その年の「世界の6位」に入ったと言っても差し支えない快挙だ。

昨年は、2m35の日本新、世界室内ツアー総合優勝、DLファイナル5位タイなど、予選落ちだった世界選手権を除いては堂々たる成績。19年に始まった「世界ランキング制度」では、9月上旬まで堂々のトップに君臨し続けた。

「昨年の室内シーズンで“世界のトップ”に入れた実感がありました」と戸邉は言う。今年28歳となったが、中学から少しずつ、少しずつ積み上げてきた結果、ついに自分が世界の頂点が見えるところまで来たことを感じている。

「1秒、1cmは小さな進歩ですが、それが積み重なっていくことで、中2まで全然強くなかった僕がここまで来られました」

今、戸邉が定める目標は、「2m40で東京五輪優勝」。それは、東京五輪が1年延期されたからといってブレることはまったくない。

「中止にならない限り、僕の東京五輪への想いは変わらない。目標に向かって、今やれることを淡々と、集中してやっていくだけです」

誰もが大器と認めていた。だが、戸邉自身は常に自分の“今”を見つめ、その時に必要なもの、将来に必要なものを冷静に、正確に見極めて努力を積み重ねてきた。

中学の時は全中を、高校ではインターハイを目指して懸命に汗を流した。その時と同じ気持ちで、今、東京五輪を目指して1日1日を過ごしている。

戸邉直人/とべ なおと 1992年3月31日生まれ、28歳。194cm、72kg。JAL所属。千葉・野田二中→専大松戸高→筑波大→筑波大院→つくばツインピークス。走高跳自己ベスト2m35(19年=日本記録)

文/小川雅生

【Web特別記事】 「1cm」を積み上げてきた戸邉直人のハイジャン人生 中学&高校で培ったベースが“今”の財産 世界トップジャンパーの仲間入りをした男子走高跳の戸邉直人(JAL) スポーツの世界において、中学や高校で日本一に輝いた選手が、その後も順調に成長を遂げていくとは限らない。むしろ、その例はそれほど多くないのかもしれない。 だが、陸上男子走高跳の“大器”と呼ばれた戸邉直人(JAL)は、今、世界のトップを争う十指にいるのは間違いない。それも、より頂点に近い位置に――。

中学日本一から世界の舞台へ

身長194cm、体重72kgのすらりとした体格は、これまでの日本人ハイジャンパーでは傑出している。 千葉・野田二中3年で中学ナンバーワンを決める全日本中学校選手権(全中)で優勝を飾った瞬間から、将来を嘱望される存在になった。専大松戸高ではインターハイ、国体、日本ジュニア選手権の「高校3冠」を獲得。国体では従来の高校記録を1cm塗り替える2m23をクリアした。 筑波大では1年時の2010年に世界ジュニア選手権銅メダル、2年時には日本選手権優勝。大学院1年の2014年に初めて2m30の大台に成功すると、翌年には北京世界選手権でシニアになって初の世界大会代表入りを果たした。 その後は世界の舞台で活躍。18年には国際陸連(現・世界陸連)が主催する世界最高峰ツアー「ダイヤモンドリーグ」(DL)で、日本人初のファイナル出場(6位)を果たし、19年冬には世界室内ツアーで総合優勝、2m35の日本新記録樹立の快挙を成し遂げた。同年のドーハ世界選手権にも出場している。 中学から、未出場の全日本実業団対抗選手権を除くあらゆる国内タイトルを手にし、世界へと羽ばたいた。 もちろん、その過程にはケガもあり、スランプもあった。精神的に落ち込んだ時期もある。それでも、大枠で見ると理想的な右肩上がりの成長曲線を描いてきたと言っていい。 その根底にあるものは何か。年代に応じた思考とトレーニング、早い時期から「世界」という目標を定めて達成するための最善の道を探ってきたこと、そして何より、自分自身の「走高跳」をとことんまで追求してきたからにほかならない。

原点は「好きだからもっと高く」

初めての全国大会だった全中で優勝した戸邉(左端)。これがすべての始まりだった 小学校から陸上競技を始め戸邉は、走ったり跳んだりが大好きな少年だった。 中学に入ると、自分の身体ひとつで誰よりも高く跳ぶ走高跳に魅了された。「好きだから高く跳びたい」。その純粋な気持ちで、ひたすら高いバーに挑んでいた。 3月31日の早生まれ。本人はこのことを特に意識していたわけではないが、同じ学年なのにほぼ1年も過ごした時間が違う仲間に交じると、成長度合いは大きく違っていただろう。 実際、中2までは全国大会への出場経験などなく、千葉県内での優勝もないほどのレベルだった。 そんな戸邉にとって、3年生になって挑んだ全中は初めての全国大会。そこで一気に優勝まで果たしたことは、大きな転機になった。 「走高跳が好きという気持ちはもちろん変わりませんが、『もっと上へ』という気持ちが強くなりました。高校でも上を目指すために、今をがんばろう、と」 大好きな走高跳のためなら、つらい練習を乗り越えることができた。もともと中学の指導者が基本を大切にし、基礎体力を高める練習を重視していいたこともあって、戸邉の細身の身体は少しずつたくましくなっていた。 そこに“使命感”が加わったことで、戸邉の視線は常に上へ、上へと向いていく。より高く跳ぶためには、何が必要なのか。走高跳を探求する日々が始まった。 専大松戸高では、まずはケガをしないための「身体づくり」からスタート。2年目には跳躍選手に欠かせない「バネ」を作った。3年目は「自ら考える」ことをテーマに取り組んだ。技術面は細部まで突き詰めることはなく、アスリートとしての“ベース”を高めた3年間だった。 「僕の場合、背が高くてひょろひょろだったので、その身体を何とかうまく動かせるようにしようと、体力トレーニングを中学、高校と一貫してやっていただいた。それは今につながっていると思いますし、財産になっています。中高生のうちにベースを作っておくのはすごく大事。そのうえで、大学やその先までやる人は技術的なもの、専門的なものを上に乗せていく。そんなイメージを持てると、記録は伸ばせていくのではないでしょうか」

世界への道筋は「同じ舞台に立つ」こと

早くから“世界”で戦うことを目指して取り組んできた。写真は2015年北京世界選手権 この高校時代には、具体的な目標も定まっていた。 国体で高校新記録を樹立した後、すでに「2m30とか40を跳べるようになりたい。33以上がコンスタントに跳べれば,世界で通用しますから」という言葉を残している。 その目は「世界」へ。それも「2m33以上をコンスタントに」と、世界の“スタンダード”を正確に捉えていた。 世界を目指すにあたって、単純に記録を伸ばせばいいとも思っていなかった。 2010年の世界ジュニア。戸邉は2m21で、同種目日本人2人目のメダリストとなったが、その時に優勝したのが、ムタズ・エッサ・バルシム(カタール)。昨年の地元世界選手権で2連覇を飾るなど、間違いなく現在の世界最高のジャンパーだ。世界トップとの“距離”を肌で感じた大会として、戸邉の記憶に刻まれた。 大学3年の冬にはスウェーデンへと渡り、2004年アテネ五輪王者のステファン・ホルムとトレーニングする機会を得た。そこで、世界との距離を縮めるための術を学んだ。 この2つの経験から導き出された世界への道筋が、「世界のトップジャンパーたちと同じ舞台に立ち続ける」。 五輪や世界選手権だけではなく、年間を通して同じスケジュールでシーズンを過ごすことだった。なかでも年間10試合以上のツアーが組まれるDLに参戦することは、その第一歩だった。 「世界選手権やオリンピックでメダルを争うのも同じ顔ぶれ。世界で勝負するには、その中に入らないといけないと感じるようになりました」 世界のトップと同じ土俵に立つために、本格的に走高跳の技術、その技術を身に付けるための専門的体力を身に付ける段階へと移った。

全中もインターハイも、東京五輪も想いは同じ

自身の走高跳をとことん追究し、世界の頂点に立つつもりだ 戸邉が着手したのは、自分自身の感覚に科学的根拠をつけること。自らの身体、動きを客観的に研究していった。大学院では修士課程を修了した後、博士号も取得。助走のスピード、踏み切りへの入り方、踏み切り位置やその姿勢、踏み切り時のアームアクション……より高く跳ぶための「ベスト」を求めて、研究を重ねた。 その取り組みが1つの形として見え始めたのが、18年から19年だった。 DLは順位ごとに獲得ポイントがつき、そのポイント上位のみが最終戦の「ファイナル」に進出できる。戸邉は18年に、同種目で日本人初のファイナル出場を果たし、6位となった。その年の「世界の6位」に入ったと言っても差し支えない快挙だ。 昨年は、2m35の日本新、世界室内ツアー総合優勝、DLファイナル5位タイなど、予選落ちだった世界選手権を除いては堂々たる成績。19年に始まった「世界ランキング制度」では、9月上旬まで堂々のトップに君臨し続けた。 「昨年の室内シーズンで“世界のトップ”に入れた実感がありました」と戸邉は言う。今年28歳となったが、中学から少しずつ、少しずつ積み上げてきた結果、ついに自分が世界の頂点が見えるところまで来たことを感じている。 「1秒、1cmは小さな進歩ですが、それが積み重なっていくことで、中2まで全然強くなかった僕がここまで来られました」 今、戸邉が定める目標は、「2m40で東京五輪優勝」。それは、東京五輪が1年延期されたからといってブレることはまったくない。 「中止にならない限り、僕の東京五輪への想いは変わらない。目標に向かって、今やれることを淡々と、集中してやっていくだけです」 誰もが大器と認めていた。だが、戸邉自身は常に自分の“今”を見つめ、その時に必要なもの、将来に必要なものを冷静に、正確に見極めて努力を積み重ねてきた。 中学の時は全中を、高校ではインターハイを目指して懸命に汗を流した。その時と同じ気持ちで、今、東京五輪を目指して1日1日を過ごしている。 戸邉直人/とべ なおと 1992年3月31日生まれ、28歳。194cm、72kg。JAL所属。千葉・野田二中→専大松戸高→筑波大→筑波大院→つくばツインピークス。走高跳自己ベスト2m35(19年=日本記録) 文/小川雅生

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