2022.05.23
この春からスポーツブランド「On(オン)」の所属となった男子3000mSCの阪口竜平。手に持つのは愛用するシューズ「Cloudboom Echo(クラウドブーム エコー)」
多くのアスリートが新天地でのスタートを切る春。男子3000m障害で2019年日本選手権覇者の阪口竜平も大きな転機を迎えることとなった。スイスで2010年に生まれたスポーツブランド「On(オン)」への移籍。それまで所属していた実業団チームを退社し、2015年創立のオン・ジャパンに入社して“日本人初のOnアスリート”として自身の目標に挑戦していくことになった。“安定”を手放してまで阪口を突き動かしたものは何だったのか――。
届かなかった目標の舞台
東海大時代には2019年の箱根駅伝で7区を区間2位で走り、チームの初優勝に貢献。4年時には日本選手権の3000m障害を制し、日本一にも輝いた。阪口竜平は“東海大黄金世代”と呼ばれたメンバーの一員として着実に成長を続けていった。
ところが、大学を卒業した2020年からの2年間は苦難の連続だった。20年に開催予定だった東京五輪が新型コロナウイルス感染症拡大の影響から1年延期に。ワールドランキング制度によって出場が濃厚だった阪口にとっては、目標を見失った時期でもあった。
「東京五輪は開催決定(2013年)からずっと目標にしてきた舞台で、2020年に開催されていれば出場できるところまできていました。そのためにアメリカでトレーニングを積んできただけに、延期が決まったことで気持ちが切れた部分もありました。その後は故障もあり、改めて状態を作り上げるのは難しかったですね」
この時に痛めていた「左脚」がその後の阪口の競技活動に影を落とすことになる。20年は「左のアキレス腱がずっと痛かった」といい、21年は4月の兵庫リレーカーニバル2000m障害で当時の日本記録を更新する5分29秒89、5月には東京五輪のテスト大会「READY STEADY TOKYO」の3000m障害で8分23秒93(当時日本歴代6位)と自己記録を塗り替えて好調だったが、またしても左脚にトラブルが発生。大会2週間前にアキレス腱を痛め、東京五輪の代表選考会である6月の日本選手権は8位に終わった。こうして最大の目標であった東京五輪出場の夢は絶たれることになった。
さらに、7月にはホクレン・ディスタンスチャレンジ千歳大会のレース中に左膝を障害に強打して骨折。その後も足首の靭帯を痛めたり、脛(すね)の疲労骨折、ふくらはぎの肉離れなど、左脚の故障に悩まされた。
「東京五輪の時期は左膝を負傷して松葉杖を使っていたので、正直レースを見られるような心境ではなかったですね。それでも、コーチからは『しっかり見ておけ』と言われたので、2024年のパリ五輪を見据えて見ていた感じです。その後も復帰しては故障してという繰り返しで、なかなか試合には出られませんでした」
昨年度までの2年間はケガが続いて練習が継続できなかったという
日本初の「Onアスリート」誕生
そんな時に大きな転機が訪れる。今年2月に米国・ニューヨークで開催された室内競技会「ミルローズ・ゲームズ」で、「On Athletics Club(OAC)」所属のジョージ・ビーミッシュ(ニュージーランド)とアリシア・モンソン(米国)が男女3000mで優勝。その姿が阪口の目に焼き付いた。
「何か新しいことに挑戦しながら五輪や世界陸上を目指したいと思っていた時に、ミルローズ・ゲームズでOnのシューズを履いた選手が活躍するのを見ました。そこでちょうど駒田さん(博紀、オン・ジャパン共同代表)が自身のSNSに『日本でもOnのアスリートが活躍する姿を見たい』と投稿したのを見て、これはチャンスかなと思いました。最初は『シューズを履いてみたい』とお願いして、快諾していただきました」
こうして神奈川県横浜市のオン・ジャパン本社を訪れた阪口。そこで気持ちは別の方向へと大きく舵を切ることとなる。
「実際に駒田さんやオン・ジャパンの社員の方々とお会いした時に、その魅力ある雰囲気に惹かれました。そこで、シューズを提供してもらうという中途半端なことではなくて、『オン・ジャパンの一員になって、一緒に世界を目指したい』ということをその場で伝えました。自分にとってはそれくらいの熱量があるということを伝えたかったんです」
世界的にはOn Athletics Clubが活躍していても、まだ日本では前例のないトップアスリートの加入。オン・ジャパンとしてもトップ選手の加入は想定していない事態だったが、阪口の決意に応えるように急ピッチで迎え入れる体制を整え、実業団登録を申請。こうして日本人初の「Onアスリート」が誕生した。
「駒田さんもいきなりのことに最初は現実味がなさそうな感じでしたけど、社員のみなさんと協力してすぐに受け入れていただいて、本当に感謝しています」
4月1日、晴れて阪口はOnアスリートとして新たなスタートを切った。大学卒業後は最初の1年は関東、2年目は滋賀を練習拠点にしていたが、移籍を機に拠点を関東に戻し、大学時代から指導を受けている東海大の西出仁明コーチとのタッグを継続。今季は「練習を再開して1週間くらい」(阪口)で臨んだ4月下旬の兵庫リレーカーニバル2000m障害で3位(5分42秒43)に入ると、5月2日の東京選手権3000m障害は8分46秒90の大会新で優勝。「今はまだタイムを考えるレベルに戻っていない」という状態でも力のあるところを見せた。
「On」所属で初めて出場した競技会である東京選手権は大会新で優勝。上々のデビューを飾った
将来は「On Athletics Club」でのトレーニングも視野に
今後の最大目標として掲げるのは2024年のパリ五輪だ。ここ2年は故障が相次いだこともあり、「まずは故障せずに継続した練習をすること」を念頭に置き、国立スポーツ科学センター(JISS)に通ってウエイトトレーニングを取り入れるなど新たな取り組みにも着手している。
「2020年は8分10秒くらいで走れる練習をアメリカでしていたので、まずはそこまで戻したいですね」
昨年の東京五輪では三浦龍司(順大)が予選で8分09秒92の日本新をマークし、決勝では7位入賞の快挙を成し遂げた。「三浦君に勝てれば世界の舞台でも入賞できるレベルになれるわけですから、そこはしっかり目指していきたいと思っています」と阪口は前を向いている。
東海大の西出仁明コーチ(左)に指導を受けながら母校で練習する阪口
将来的には海外でのトレーニングやレース転戦も視野に入れる。具体的な計画はこれからだが、大学時代にも毎年米国での海外合宿を経験しており、より高いレベルを求めて海外に飛び出すことに抵抗はなさそうだ。
「日本でのOnアスリートは現状1人ですが、アメリカに行けばOACがあるので、いずれは一緒にトレーニングして、海外レースを転戦するのが理想です。僕よりも強い選手ばかりなので、日本ではなかなか経験できない練習もできます。厳しい環境を求めていきたいと思っています」
4月には東京・原宿に世界2番目のOn旗艦店としてオープンした「On Tokyo(オン・トーキョー)」でシューズやウエアの販売にも携わるなど、オン・ジャパンの一員として一般客との交流も経験した阪口。「Onには“On Friends(オン・フレンズ)”というブランドのファンやユーザーがたくさんいるので、そういう方々とも交流して、アスリートには近寄りがたいという壁をなくしてOn全体を盛り上げたい。そうしてファンの方々と一緒に世界を目指していければ理想ですね」と笑顔で語る。新天地で再スタートを切った阪口が、これからは新たなアスリート像を切り開いていきそうだ。
文/田中 葵
届かなかった目標の舞台
東海大時代には2019年の箱根駅伝で7区を区間2位で走り、チームの初優勝に貢献。4年時には日本選手権の3000m障害を制し、日本一にも輝いた。阪口竜平は“東海大黄金世代”と呼ばれたメンバーの一員として着実に成長を続けていった。 ところが、大学を卒業した2020年からの2年間は苦難の連続だった。20年に開催予定だった東京五輪が新型コロナウイルス感染症拡大の影響から1年延期に。ワールドランキング制度によって出場が濃厚だった阪口にとっては、目標を見失った時期でもあった。 「東京五輪は開催決定(2013年)からずっと目標にしてきた舞台で、2020年に開催されていれば出場できるところまできていました。そのためにアメリカでトレーニングを積んできただけに、延期が決まったことで気持ちが切れた部分もありました。その後は故障もあり、改めて状態を作り上げるのは難しかったですね」 この時に痛めていた「左脚」がその後の阪口の競技活動に影を落とすことになる。20年は「左のアキレス腱がずっと痛かった」といい、21年は4月の兵庫リレーカーニバル2000m障害で当時の日本記録を更新する5分29秒89、5月には東京五輪のテスト大会「READY STEADY TOKYO」の3000m障害で8分23秒93(当時日本歴代6位)と自己記録を塗り替えて好調だったが、またしても左脚にトラブルが発生。大会2週間前にアキレス腱を痛め、東京五輪の代表選考会である6月の日本選手権は8位に終わった。こうして最大の目標であった東京五輪出場の夢は絶たれることになった。 さらに、7月にはホクレン・ディスタンスチャレンジ千歳大会のレース中に左膝を障害に強打して骨折。その後も足首の靭帯を痛めたり、脛(すね)の疲労骨折、ふくらはぎの肉離れなど、左脚の故障に悩まされた。 「東京五輪の時期は左膝を負傷して松葉杖を使っていたので、正直レースを見られるような心境ではなかったですね。それでも、コーチからは『しっかり見ておけ』と言われたので、2024年のパリ五輪を見据えて見ていた感じです。その後も復帰しては故障してという繰り返しで、なかなか試合には出られませんでした」 昨年度までの2年間はケガが続いて練習が継続できなかったという日本初の「Onアスリート」誕生
そんな時に大きな転機が訪れる。今年2月に米国・ニューヨークで開催された室内競技会「ミルローズ・ゲームズ」で、「On Athletics Club(OAC)」所属のジョージ・ビーミッシュ(ニュージーランド)とアリシア・モンソン(米国)が男女3000mで優勝。その姿が阪口の目に焼き付いた。 「何か新しいことに挑戦しながら五輪や世界陸上を目指したいと思っていた時に、ミルローズ・ゲームズでOnのシューズを履いた選手が活躍するのを見ました。そこでちょうど駒田さん(博紀、オン・ジャパン共同代表)が自身のSNSに『日本でもOnのアスリートが活躍する姿を見たい』と投稿したのを見て、これはチャンスかなと思いました。最初は『シューズを履いてみたい』とお願いして、快諾していただきました」 こうして神奈川県横浜市のオン・ジャパン本社を訪れた阪口。そこで気持ちは別の方向へと大きく舵を切ることとなる。 「実際に駒田さんやオン・ジャパンの社員の方々とお会いした時に、その魅力ある雰囲気に惹かれました。そこで、シューズを提供してもらうという中途半端なことではなくて、『オン・ジャパンの一員になって、一緒に世界を目指したい』ということをその場で伝えました。自分にとってはそれくらいの熱量があるということを伝えたかったんです」 世界的にはOn Athletics Clubが活躍していても、まだ日本では前例のないトップアスリートの加入。オン・ジャパンとしてもトップ選手の加入は想定していない事態だったが、阪口の決意に応えるように急ピッチで迎え入れる体制を整え、実業団登録を申請。こうして日本人初の「Onアスリート」が誕生した。 「駒田さんもいきなりのことに最初は現実味がなさそうな感じでしたけど、社員のみなさんと協力してすぐに受け入れていただいて、本当に感謝しています」 4月1日、晴れて阪口はOnアスリートとして新たなスタートを切った。大学卒業後は最初の1年は関東、2年目は滋賀を練習拠点にしていたが、移籍を機に拠点を関東に戻し、大学時代から指導を受けている東海大の西出仁明コーチとのタッグを継続。今季は「練習を再開して1週間くらい」(阪口)で臨んだ4月下旬の兵庫リレーカーニバル2000m障害で3位(5分42秒43)に入ると、5月2日の東京選手権3000m障害は8分46秒90の大会新で優勝。「今はまだタイムを考えるレベルに戻っていない」という状態でも力のあるところを見せた。 「On」所属で初めて出場した競技会である東京選手権は大会新で優勝。上々のデビューを飾った将来は「On Athletics Club」でのトレーニングも視野に
今後の最大目標として掲げるのは2024年のパリ五輪だ。ここ2年は故障が相次いだこともあり、「まずは故障せずに継続した練習をすること」を念頭に置き、国立スポーツ科学センター(JISS)に通ってウエイトトレーニングを取り入れるなど新たな取り組みにも着手している。 「2020年は8分10秒くらいで走れる練習をアメリカでしていたので、まずはそこまで戻したいですね」 昨年の東京五輪では三浦龍司(順大)が予選で8分09秒92の日本新をマークし、決勝では7位入賞の快挙を成し遂げた。「三浦君に勝てれば世界の舞台でも入賞できるレベルになれるわけですから、そこはしっかり目指していきたいと思っています」と阪口は前を向いている。 東海大の西出仁明コーチ(左)に指導を受けながら母校で練習する阪口 将来的には海外でのトレーニングやレース転戦も視野に入れる。具体的な計画はこれからだが、大学時代にも毎年米国での海外合宿を経験しており、より高いレベルを求めて海外に飛び出すことに抵抗はなさそうだ。 「日本でのOnアスリートは現状1人ですが、アメリカに行けばOACがあるので、いずれは一緒にトレーニングして、海外レースを転戦するのが理想です。僕よりも強い選手ばかりなので、日本ではなかなか経験できない練習もできます。厳しい環境を求めていきたいと思っています」 4月には東京・原宿に世界2番目のOn旗艦店としてオープンした「On Tokyo(オン・トーキョー)」でシューズやウエアの販売にも携わるなど、オン・ジャパンの一員として一般客との交流も経験した阪口。「Onには“On Friends(オン・フレンズ)”というブランドのファンやユーザーがたくさんいるので、そういう方々とも交流して、アスリートには近寄りがたいという壁をなくしてOn全体を盛り上げたい。そうしてファンの方々と一緒に世界を目指していければ理想ですね」と笑顔で語る。新天地で再スタートを切った阪口が、これからは新たなアスリート像を切り開いていきそうだ。 文/田中 葵
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