2021.12.21
箱根駅伝Stories
嶋津雄大
Shimazu Yudai(創価大学4年)
12月29日の区間エントリーを直前に控え、箱根駅伝ムードが徐々に高まっている。「箱根駅伝Stories」と題し、12月下旬から本番まで計19本の特集記事を掲載していく。
第3回目は、前々回10区で区間記録を樹立し、前回は4区で先頭に立つ快走を見せた創価大・嶋津雄大(4年)を取り上げる。前回準優勝校の主軸として迎える3度目の箱根路。そこに至るまでの道のりは、まさに紆余曲折の4年間だった。
2年目の箱根路で快走してバーンアウト
「この4年間は、ターニングポイントだらけでした」
創価大の嶋津雄大(4年)は大学生活を振り返り、少し照れたように語り始めた。
嶋津の名を世間に轟かせたのは、2020年1月3日のことだった。箱根駅伝10区において、11位でタスキを受け取った嶋津は2人を抜いて総合9位でフィニッシュ。創価大に初のシード権をもたらすとともに、1時間8分40秒の区間新記録を樹立したのだ。
だが、この快挙が嶋津を苦しめる。
「取り組んできた練習の成果も出せて、最高の走りができてしまった。2年目にして陸上人生の集大成を迎えてしまったんです」
大学生活はまだ2年も残っている。「あの走りは、4年生でしないといけなかった」と自ら口にするほど、すべてを出し切り、バーンアウトしてしまったのである。
そのことがきっかけで休学を決意。その事実は当時、一部メディアでも取り上げられた。その時の心境をこう吐露する。
「ずっと、自分以外は敵だと思っていたところがありました。仲間も含めてです。誰よりも、常に上にいないといけない。だから、自己ベストが出ても、自分より速い選手がいたら満足はできなかった。それにだんだん人を妬むような気持ちも出てきてしまっていました……。そこであの走りです。目指していた最高の舞台で、最高の走りをしてしまった。これ以上、自分が何を目指せばいいのか、まったくわからなくなってしまったんです」
心も身体もリセットするためにも、「必要な時間だった」と嶋津は振り返る。休学を経て最も変わったのは、心だった。
嶋津が休んでいるうちに、同期は10000mで28分台を出して自分より速くなっていた。今までは誰にも負けたくない気持ちが先に立ち、「悔しい」しか出てこなかった感情に『うれしい』が加わったのだ。
「自分のことばかりだったのが、休学を通して人を尊敬できるようになった。それが本当に自分にとって大きなことでした。休学せずにわかれば良かったんですけど」と嶋津は苦笑いを浮かべる。
しかし、箱根での快走から休学を経たことは、人生の中で人として大きく成長するために必要な課程だったのである。
「それに自分が復学した時、仲間たちは何事もなかったかのように僕を受け入れてくれました。このチームだから、僕は帰って来られた。本当に良い仲間に巡り会えて幸せです」
3度目の箱根では「嶋津らしい走りを」
復学後、「再度箱根を目指す」と断固たる決意で練習を再開するも、休学中に走ることすらしていなかった嶋津にとって、そう簡単な道のりではなかった。
まずはジョグから始めて脚を作り直すところからスタート。何度も榎木和貴監督と話し合い、計画を立てて取り組んできた。その結果が、前回大会でチームをトップに押し上げた4区での激走につながったのである。
ゼロからスタートした嶋津を、チームは全員で応援し、支え続けた。そして、嶋津を支えていたのは、チームメイトだけではなかった。
「実は今まで、学内で陸上部以外の人から話しかけられてもストレスに感じていたところがありました。でも復学して、本当にゼロからスタートした自分のことも変わらず応援してくれる人たちがいる。そのことに、本当に救われました」
そんな人たちに陸上部の活動を知ってもらいたいと、4年生になった時に陸上部オリジナルの壁新聞を作成し始めた。学内にも張り出せるよう学校に交渉し、了解を得た。1人でも陸上部を応援してくれる人が増えてほしい、という思いからの行動だった。
「僕たちの代が4年生になった時、一人ひとりが何かひとつ役割を持つ、ということをテーマに決めました。それで僕は壁新聞を作ることに決めたんです。陸上部のメンバーに取材して記事にしたり、ランキングを作ったり。榎木監督の言葉を載せたりもしました。インタビューを通して下級生たちとも話す機会が増えるので、作って良かったと思っています」
東京・若葉総合高時代は南関東大会5000mを5位で突破し、インターハイに出場。高校時代のベストは14分30秒33だった
最後に、この4年間の集大成となる箱根に向けた意気込みを聞くと、嶋津からこんな言葉が返ってきた。
「実は休学したことで、もう1回箱根を走れるんです。別に隠しているわけではないんですけどね」
※関東学連によると、箱根駅伝の参加資格は「本大会並びに箱根駅伝予選会出場回数が通算4回未満である者」と記されており、嶋津は翌年度も出場資格がある
あっけらかんと、笑いながらそう話す。そこにいたのは、2年前の箱根で自分を追い込み、休学しなければならないほど自分の心を削り続けていた嶋津ではなかった。楽しいことも幸せなことも、苦しいこともつらいことも、すべてが自分の糧になることを知った、人として大きく成長を遂げたアスリートの姿だった。
「箱根は、嶋津雄大という人間の物語の、大事な一部分です。振り返れば、まさに天国でもあり、地獄だったな、と。自分がここまで来られたのは、紛れもなく4年生の仲間がいたからです。最後まで自分を見捨てずにいてくれた仲間。そんな彼らと全力で箱根を走りたいと思っています」
本番での作戦は『嶋津らしく走る』だ。
「4年生の仲間と走れる箱根は最後ですから、特に思い入れは強いです。正直、出雲駅伝が終わったところで、トップの背中が遠く見えてしまって、自分は他校のエースと戦えるのか、という不安もあります。でも、結局は突っ走るしかないんですよね。その勇気を自分は持っている。箱根での僕の走りを見た人が『嶋津らしい走りだったね』と言ってもらえるような走りをしたい。それが、僕を支えてくれた人たちへの恩返しになるはずですから」
◎しまづ・ゆうだい/2000年3月28日生まれ。東京都出身。170cm、55kg。堺中(東京)→若葉総合高→創価大。5000m14分03秒65、10000m28分14秒23。
文/田坂友暁
※記事に誤りがあったため修正しました

2年目の箱根路で快走してバーンアウト
「この4年間は、ターニングポイントだらけでした」 創価大の嶋津雄大(4年)は大学生活を振り返り、少し照れたように語り始めた。 嶋津の名を世間に轟かせたのは、2020年1月3日のことだった。箱根駅伝10区において、11位でタスキを受け取った嶋津は2人を抜いて総合9位でフィニッシュ。創価大に初のシード権をもたらすとともに、1時間8分40秒の区間新記録を樹立したのだ。 だが、この快挙が嶋津を苦しめる。 「取り組んできた練習の成果も出せて、最高の走りができてしまった。2年目にして陸上人生の集大成を迎えてしまったんです」 大学生活はまだ2年も残っている。「あの走りは、4年生でしないといけなかった」と自ら口にするほど、すべてを出し切り、バーンアウトしてしまったのである。 そのことがきっかけで休学を決意。その事実は当時、一部メディアでも取り上げられた。その時の心境をこう吐露する。 「ずっと、自分以外は敵だと思っていたところがありました。仲間も含めてです。誰よりも、常に上にいないといけない。だから、自己ベストが出ても、自分より速い選手がいたら満足はできなかった。それにだんだん人を妬むような気持ちも出てきてしまっていました……。そこであの走りです。目指していた最高の舞台で、最高の走りをしてしまった。これ以上、自分が何を目指せばいいのか、まったくわからなくなってしまったんです」 心も身体もリセットするためにも、「必要な時間だった」と嶋津は振り返る。休学を経て最も変わったのは、心だった。 嶋津が休んでいるうちに、同期は10000mで28分台を出して自分より速くなっていた。今までは誰にも負けたくない気持ちが先に立ち、「悔しい」しか出てこなかった感情に『うれしい』が加わったのだ。 「自分のことばかりだったのが、休学を通して人を尊敬できるようになった。それが本当に自分にとって大きなことでした。休学せずにわかれば良かったんですけど」と嶋津は苦笑いを浮かべる。 しかし、箱根での快走から休学を経たことは、人生の中で人として大きく成長するために必要な課程だったのである。 「それに自分が復学した時、仲間たちは何事もなかったかのように僕を受け入れてくれました。このチームだから、僕は帰って来られた。本当に良い仲間に巡り会えて幸せです」3度目の箱根では「嶋津らしい走りを」
復学後、「再度箱根を目指す」と断固たる決意で練習を再開するも、休学中に走ることすらしていなかった嶋津にとって、そう簡単な道のりではなかった。 まずはジョグから始めて脚を作り直すところからスタート。何度も榎木和貴監督と話し合い、計画を立てて取り組んできた。その結果が、前回大会でチームをトップに押し上げた4区での激走につながったのである。 ゼロからスタートした嶋津を、チームは全員で応援し、支え続けた。そして、嶋津を支えていたのは、チームメイトだけではなかった。 「実は今まで、学内で陸上部以外の人から話しかけられてもストレスに感じていたところがありました。でも復学して、本当にゼロからスタートした自分のことも変わらず応援してくれる人たちがいる。そのことに、本当に救われました」 そんな人たちに陸上部の活動を知ってもらいたいと、4年生になった時に陸上部オリジナルの壁新聞を作成し始めた。学内にも張り出せるよう学校に交渉し、了解を得た。1人でも陸上部を応援してくれる人が増えてほしい、という思いからの行動だった。 「僕たちの代が4年生になった時、一人ひとりが何かひとつ役割を持つ、ということをテーマに決めました。それで僕は壁新聞を作ることに決めたんです。陸上部のメンバーに取材して記事にしたり、ランキングを作ったり。榎木監督の言葉を載せたりもしました。インタビューを通して下級生たちとも話す機会が増えるので、作って良かったと思っています」

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