2021.10.20
オリンピックの花形である陸上競技! 球技に比べると、すこーし“地味”な印象があるかもしれない……。しかし、中高生合わせて、なんと約30万人以上が「陸部」なんです。
実は芸能界で活躍するあの人も、この人も、結構、陸上経験者が多いらしい……。そんな「元陸部」の方々へのインタビュー企画がスタート! きつかった練習は!? 楽しかった思い出は!? 陸上を通して学んだことは!?
今回はモデルや女優として注目を集める新田さちかさんにインタビューした。現在、青山学院大学4年の新田さんは2020年準ミス青山学院に選出。運動神経抜群で中学時代は陸上部で汗を流していたとのこと。雑誌『CanCam』の読者モデルとして芸能活動をスタートすると、AbemaTV『恋愛ドラマな恋がしたい』で女優デビューを飾り、1stフォトブック『Sachika』を発売。今年4月にはアパレルブランドをプロデュースするなど、多彩な活躍を見せている。今の姿からは想像もできないほど「わんぱく」だったという新田さんが、どんな陸上部生活を送ったのか直撃!
わんぱくだった幼少期
――今日はよろしくお願いします。早速ですが、今の新田さんの雰囲気から陸上部だったとは想像できません!
新田 実は小さい頃、特に小学生時代は本当にわんぱくで、男の子と一緒に走り回っていたんです。その時から走ることには自信がありました。ケンカ相手はいつも男の子。声が大きかったらしく、私が知らない別のクラスの子でも私のことを知っていたらしいです。
――陸上を始めたのはいつからですか?
新田 中学校に入学してからです。明確に決めていたわけではなかったのですが、仲が良い友達も入部すると聞いていたので、私もやろうかなって。バスケットボール部にも少し興味があったのですが、それなら体育の授業や休み時間にできるし……。結構、すんなりと陸上部に入りましたね。
――ご家族もスポーツ一家だったのでしょうか。
新田 父がサッカーをしていたようです。兄と姉がいるのですが、兄が柔道、姉が新体操やチアダンス。父方の祖父が元々長距離ランナーだったようです。自分では「強かった」と言っていましたが、実はあまり詳しく聞いたことがなくて。それもあって、今でもすごく熱心に陸上を見ていますね。
――陸上部に入った時の印象は?
新田 顧問の先生は寡黙な方だったのですが、先輩が少しふざけると応えてくれるユーモアもある先生でした。普段は全然笑わないのに、たまに笑ったり褒めたりするので、その時はみんなうれしかったですね。
気になるのはやっぱり走幅跳のページ?
一番の思い出は運動会!?
――種目は何をしていたのですか。
新田 短距離が中心で、100mと200m。あとは走幅跳にも出場しましたね。100mは何秒くらいだったのかな……。50mが確か7秒2だったので、14秒中盤くらいだったと思います。走幅跳は大会のたびに記録が伸びていって楽しかったです。男子の選手みたいに脚をバタバタと回す(※シザース)はできませんでしたが、助走、踏み切りの時のステップやリズム感を大事にしていました。跳んだ後の砂場についた跡を見て「え、こんなに跳んだの?」となった時がうれしかったです。多分、4m少しは跳んでいたと思います。
――練習はきつかったですか?
新田 腹筋をよくやっていたのですが、当時は「走るのに何で腹筋に意味があるんだろう」って思っていました。今でもうっすら腹筋は残っていますね。太りにくくはなったと思いますが、筋肉質で下半身に筋肉がつくと少し気になります。夏の時期はウォーミングアップで400mを何度か走るのですが、それがつらかったですね。
――ご出身の石川県金沢市だと、それほど雪は降りませんが、冬季練習は大変そうですね。
新田 階段を使った練習が苦手でしたね。でも、ハードルを使ったり、道具を使ったりする練習は楽しかったです!
――印象に残っている時間は?
新田 部活以外の時間にも、友達と近所の公園に行って練習していました。終わったら「疲れた!」って言いながら芝生で寝そべるのが楽しかったです。全力で練習して全力でふざけていましたね! あの時ほど友達とふざけ合うというのも、もうないんじゃないかな。青春でしたね。
――一番思い出に残っている大会は何ですか。
新田 実はちゃんとした大会よりも、中学最後の運動会が印象に残っています。3番でバトンをもらったのですが、2人抜いて1位になったんです。陸上をしていたお陰です。
――陸上、短距離の魅力は?
新田 ただ走りたくて、思いっきり走る。何も考えないで走るのが楽しかったですね。自己ベストを出せた時もうれしかったですが、個人種目とはいえ、やっぱり結果を出してチームに貢献できたとか、誰かが走っている時に応援したとか、そういうところが魅力だったと思います。
陸上部時代の思い出について身振り手振りで語る
覚悟を決めて芸能界入り
――陸上は中学までだったのですよね。
新田 はい。夏の大会でやりきりました。実は3年の時に腰を疲労骨折しました。自分ではあまり覚えていないのですが……。リレーの練習など、結構集中してやっていたようで休むことを忘れていたんです。身体に異変があることすら気がつかなくて、病院に行ったら疲労骨折していました。あんまりバランスが取れないタイプで、周りが見えなくなるんです。
――高校はスポーツや進学校としても有名な星稜高校に進学されます。
新田 星稜高校の陸上部は中学生から強豪として知られていて、さすがについていけないだろうなって思っていました。少し遊びたいという意識もありましたね(笑)。
――TOEFLで80点を持つ新田さんですが、勉強もずっと両立されていたんですか。
新田 実は、中学時代は全然していなかったですね。高2の担任の先生が熱心に指導してくださって、それから学業にも力を入れて進学を目指すようになりました。
――青山学院大学に進学されて、芸能活動をされたきっかけを教えてください。
新田 インスタグラムのDMで今の事務所(ホリプロ)に声をかけていただいたことがきっかけです。
――ずっと芸能界に入りたいという気持ちがあったのですか。
新田 小さい頃から漠然とあこがれみたいなものはありました。でも、それこそ陸上部時代も1年中日焼けして真っ黒でしたし、美容のことなんて考えてなかったです。上京したての時も垢抜けない普通の女の子だったと思いますが、何度か街でスカウトされることがありました。SNSで少しずつフォロワーが増えてきて、段々と芸能界に対して現実味を帯びていったんです。そのタイミングでホリプロに声をかけてもらったので、「思いきってやってみよう」って。真剣に考えて「甘い気持ちじゃない」と覚悟できたので決めました。
――ご家族も賛成してくれましたのでしょうか。
新田 実は母が若い時に「ホリプロタレントスカウトキャラバン」に応募していたようで、その時は祖母に反対されて一次通過の書類を破り捨てられたようです。そういうこともあって、母はすごく応援してくれています。
芸能界に入ってからも陸上部で培った集中力と度胸は健在!
陸上選手の役が来たら「負けたくない」
――現在はモデルとしてだけでなく、女優として、またアパレルブランドのプロデュースなど、いろいろご活躍されています。学業との両立は大変ではないですか?
新田 大学2年までに単位はしっかり取っていたので、両立というほどではありません。
――今後チャレンジしたいお仕事は。
新田 お芝居をやっていきたいなって思っていて、今はレッスンを受けています。初めてのお芝居が『恋愛ドラマな恋がしたい』でした。とにかく吸収しようという一心。演技の先生にも「肝っ玉が座っていますね」と言われましたが、何も考えていなかっただけかもしれません(笑)。
――陸上選手の役が来るといいですね!
新田 でもめちゃくちゃ負けず嫌いなので、負けないといけない場面だとすごく悔しがってしまうかもしれません!
――現在も運動されたり、走ったりされますか?
新田 今はジャイロトニックという、バレリーナの方が考案した可動域をナチュラルに動かすような身体作りに挑戦しています。走ると筋肉がついてしまいそうで……。でも、とにかく走りたくなる時があるんですよね。ウォーキングじゃなくて走る。何なんでしょうね、あれは?(笑)
――青山学院大学と言えば、長距離・駅伝や女子短距離など、陸上の強豪校です。
新田 はい。駅伝も見ますし、とても応援しています! 友人や共通の知人が陸上部にいますし、友達のグループLINEでも「今、何位だったね!」と送り合うこともあります。青学大の選手はSNSでも人気者で、アイドルみたいだなって思います。同世代の人が頑張っていると、自分も頑張ろうって刺激になりますね。
――お仕事をしたり、学業をしている中で、陸上をやっていて良かったと思うことは?
新田 受験勉強の時は部活で身につけた集中力がすごく生かされたと思います。陸上部では、一度決めたら最後までやる。そういう姿勢は、お仕事でもそうですが、これからも必要なんだろうなと思っています。
――最後に、陸上を頑張る選手たちへメッセージをお願いします!
新田 私は陸上をしていた中学3年間があっという間でした。きっと一生懸命な時って駆け抜けるように時間が経つと思います。なので、とにかく全力で、楽しく頑張ってほしいと思います。その時でしか感じられない感情や経験ばかりです。誰かと一緒になって、目に見える形で協力することって、本当に青春だったなって思います。頑張ってください!
にった・さちか/1998年12月6日生まれ。石川県出身。156cm。中学3年間、陸上部に所属。短距離と走幅跳に取り組んだ。青山学院大学進学を機に上京。2020年準ミス青山学院に選出。2019年12月から『CanCam』の読者モデルとして芸能活動をスタートさせると、2020年9月にAbemaTV『恋愛ドラマな恋がしたい』で女優デビューして注目を集める。20年12月には1stフォトブック『Sachika』を発売。スマホゲーム「放置少女」のCMや、2022年正月公開の映画『明け方の若者たち』に出演が決まるなど、女優・モデルとして活躍中。また、アパレルブランド「sachat(サーシャ)」のプロデュースも手掛ける。インスタグラムのフォロワーは30万人超え。Instagram、Twitter、YouTube、TikTok |
構成/向永拓史、松尾美咲
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わんぱくだった幼少期
――今日はよろしくお願いします。早速ですが、今の新田さんの雰囲気から陸上部だったとは想像できません! 新田 実は小さい頃、特に小学生時代は本当にわんぱくで、男の子と一緒に走り回っていたんです。その時から走ることには自信がありました。ケンカ相手はいつも男の子。声が大きかったらしく、私が知らない別のクラスの子でも私のことを知っていたらしいです。 ――陸上を始めたのはいつからですか? 新田 中学校に入学してからです。明確に決めていたわけではなかったのですが、仲が良い友達も入部すると聞いていたので、私もやろうかなって。バスケットボール部にも少し興味があったのですが、それなら体育の授業や休み時間にできるし……。結構、すんなりと陸上部に入りましたね。 ――ご家族もスポーツ一家だったのでしょうか。 新田 父がサッカーをしていたようです。兄と姉がいるのですが、兄が柔道、姉が新体操やチアダンス。父方の祖父が元々長距離ランナーだったようです。自分では「強かった」と言っていましたが、実はあまり詳しく聞いたことがなくて。それもあって、今でもすごく熱心に陸上を見ていますね。 ――陸上部に入った時の印象は? 新田 顧問の先生は寡黙な方だったのですが、先輩が少しふざけると応えてくれるユーモアもある先生でした。普段は全然笑わないのに、たまに笑ったり褒めたりするので、その時はみんなうれしかったですね。 気になるのはやっぱり走幅跳のページ?一番の思い出は運動会!?
――種目は何をしていたのですか。 新田 短距離が中心で、100mと200m。あとは走幅跳にも出場しましたね。100mは何秒くらいだったのかな……。50mが確か7秒2だったので、14秒中盤くらいだったと思います。走幅跳は大会のたびに記録が伸びていって楽しかったです。男子の選手みたいに脚をバタバタと回す(※シザース)はできませんでしたが、助走、踏み切りの時のステップやリズム感を大事にしていました。跳んだ後の砂場についた跡を見て「え、こんなに跳んだの?」となった時がうれしかったです。多分、4m少しは跳んでいたと思います。 ――練習はきつかったですか? 新田 腹筋をよくやっていたのですが、当時は「走るのに何で腹筋に意味があるんだろう」って思っていました。今でもうっすら腹筋は残っていますね。太りにくくはなったと思いますが、筋肉質で下半身に筋肉がつくと少し気になります。夏の時期はウォーミングアップで400mを何度か走るのですが、それがつらかったですね。 ――ご出身の石川県金沢市だと、それほど雪は降りませんが、冬季練習は大変そうですね。 新田 階段を使った練習が苦手でしたね。でも、ハードルを使ったり、道具を使ったりする練習は楽しかったです! ――印象に残っている時間は? 新田 部活以外の時間にも、友達と近所の公園に行って練習していました。終わったら「疲れた!」って言いながら芝生で寝そべるのが楽しかったです。全力で練習して全力でふざけていましたね! あの時ほど友達とふざけ合うというのも、もうないんじゃないかな。青春でしたね。 ――一番思い出に残っている大会は何ですか。 新田 実はちゃんとした大会よりも、中学最後の運動会が印象に残っています。3番でバトンをもらったのですが、2人抜いて1位になったんです。陸上をしていたお陰です。 ――陸上、短距離の魅力は? 新田 ただ走りたくて、思いっきり走る。何も考えないで走るのが楽しかったですね。自己ベストを出せた時もうれしかったですが、個人種目とはいえ、やっぱり結果を出してチームに貢献できたとか、誰かが走っている時に応援したとか、そういうところが魅力だったと思います。 陸上部時代の思い出について身振り手振りで語る覚悟を決めて芸能界入り
――陸上は中学までだったのですよね。 新田 はい。夏の大会でやりきりました。実は3年の時に腰を疲労骨折しました。自分ではあまり覚えていないのですが……。リレーの練習など、結構集中してやっていたようで休むことを忘れていたんです。身体に異変があることすら気がつかなくて、病院に行ったら疲労骨折していました。あんまりバランスが取れないタイプで、周りが見えなくなるんです。 ――高校はスポーツや進学校としても有名な星稜高校に進学されます。 新田 星稜高校の陸上部は中学生から強豪として知られていて、さすがについていけないだろうなって思っていました。少し遊びたいという意識もありましたね(笑)。 ――TOEFLで80点を持つ新田さんですが、勉強もずっと両立されていたんですか。 新田 実は、中学時代は全然していなかったですね。高2の担任の先生が熱心に指導してくださって、それから学業にも力を入れて進学を目指すようになりました。 ――青山学院大学に進学されて、芸能活動をされたきっかけを教えてください。 新田 インスタグラムのDMで今の事務所(ホリプロ)に声をかけていただいたことがきっかけです。 ――ずっと芸能界に入りたいという気持ちがあったのですか。 新田 小さい頃から漠然とあこがれみたいなものはありました。でも、それこそ陸上部時代も1年中日焼けして真っ黒でしたし、美容のことなんて考えてなかったです。上京したての時も垢抜けない普通の女の子だったと思いますが、何度か街でスカウトされることがありました。SNSで少しずつフォロワーが増えてきて、段々と芸能界に対して現実味を帯びていったんです。そのタイミングでホリプロに声をかけてもらったので、「思いきってやってみよう」って。真剣に考えて「甘い気持ちじゃない」と覚悟できたので決めました。 ――ご家族も賛成してくれましたのでしょうか。 新田 実は母が若い時に「ホリプロタレントスカウトキャラバン」に応募していたようで、その時は祖母に反対されて一次通過の書類を破り捨てられたようです。そういうこともあって、母はすごく応援してくれています。 芸能界に入ってからも陸上部で培った集中力と度胸は健在!陸上選手の役が来たら「負けたくない」
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