2021.09.29
山梨学大の上田誠仁監督の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!
第13回「パラアスリートたちが限界に挑んだ13日間のドラマ ~ガイドランナー・山領駿さんが振り返るTOKYO2020~ 」
TOKYO2020は、新型コロナウイルスの世界的パンデミックで各国が苦しむ状況下にあって、開催の1年延期を決断した。
さらに追い討ちをかけるように、開催に対して国民の賛否が分かれる事態となり、開催当事国としては非常に重苦しい空気感の中での開催となった。これほど自国開催のオリンピックに対して、賛否で分断された大会は過去に例を見ない。
それゆえに、オリンピック開催が決まった8年前に想像したオリ・パラとは乖離し、困難を極めたかたちでの運営を強いられた。
それでも大会に関わった関係者やボランティアの連隊と連携もあって無事に閉幕できたことは、コロナとの共生を強いられている世界中の人々にささやかながら希望の光を届けることになったのではないかと思う。
選手・関係者にとっても、コロナ禍にあって満足に強化や調整ができず、日々の生活にさえ苦しめられた選手関係者もいたことだろう。
コロナ以外にも、戦時的背景でとてもスポーツに費やす時間も環境も見出せないなか、ひたすら自己練磨を重ねた選手もいた。そして生活の場や祖国さえ追われ難民となり、スポーツをする用具も何もかも失った中でも、アスリートとしての誇りを保ち、精進に励んだ選手たち。そして、そのような選手たちを支えようとした関係者が多く存在していた。
さまざまな事情と思いを抱きながら、世界中の多くの人々がオリンピックとパラリンピックの日々を注視したはずだ。
そして9月5日、人間の持つ限りなき可能性を体現した東京パラリンピックが、静かに幕を閉じた。式典の最後にルイ・アームストロングのジャズの名曲「What a Wonderful World (この素晴らしき世界)」をボーカリストの奥野敦士さんが、アームストロングの再来かとも思わせる歌声で、大会の感動と余韻を慈しみ、すべての人にこの大会の意義を語りかけるように映像出演で歌い上げた。
奥野さんはロックバンド「ROGUE」で活躍するも、事故で胸から下の麻痺を患っている。同じく障害を持ち、伴奏を務めたピアニスト西川悟士さんと、公募で選ばれた特別支援学校高等部の小汐唯菜さんがスタジアムで合唱した。
I hear babies cry 赤ちゃんが泣いている
I watch them grow 彼らは大きくなって
They’ll learn much more 多くのことを学ぶだろう
Than I’ll never know 僕が知りえる以上に
And I think to myself そして僕はひとり思う
What a wonderful world なんて素晴らしい世界なんだ
その歌声はオリンピックの閉会式で歌われたジョン・レノンの「イマジン」と共鳴し合い、国立競技場の夜空へと放たれた。世界中に響き渡ったのではないかと感じたのは身勝手な幻想であり、思い込みだろうか。
さまざまな障害や困難・差別に向き合い、打ち勝とうと鍛え抜かれたパラアスリートたち。彼らが限界に挑んだ13日間のドラマが、ボランティア活動の映像とシンクロし、蘇る。そして、その姿には「共生社会」に向けたヒントが数多く含まれていたと言える。
「いつまでもこうして走っていたい、と思える不思議な感覚を味わせてもらった」
視覚障害のアスリートにとって、ガイドランナーはとても重要な存在だ。今回のパラリンピックでは、日本人選手の活躍もあり、ガイドランナーのサポートにも注目が集まった。
今回のパラリンピック女子マラソン(視覚障害)で5位入賞を果たした藤井由美子さん(びわこタイマーズ、56歳)のレース後半で、山領駿さん(福岡県魁誠高→山梨学院大、2012年卒)がガイドランナーを務めた。
彼は学生時代に学生駅伝の出場経験はないが、4年時に関東インカレ1部3000m障害で5位入賞を果たしている。実業団の西鉄に入社し、3000障害で活躍するも、現在は地元福岡の外資系金融機関で勤務している。仕事の傍ら、地元のランニング仲間との交流から、ガイドランナーとしてのトレーニングのお手伝い募集の話を受けたことがきっかけになったそうだ。今回金メダルを獲得した道下美里さんも、福岡・大濠公園でトレーニングしていることから、ガイドランナーの存在と役割はおぼろげながら理解していたようだ。
しかし、実際にやってみると想像以上に難しく、単に伴走という言葉では表現できない奥深さを感じたそうだ。私もガイドランナーの講習会に数年前に参加したことがあり、その難しさの一端を体験させていただいた。視覚障害を疑似体験する特殊なゴーグルをつけ、逆にガイドしていただいたのだが、恐怖が先立ち、一歩が踏み出せない程であった。
山領さんはその後のご縁で藤井さんと出会い、パラリンピックまでガイドランナーとして共に歩むこととなった。7月のホクレン・ディスタンスチャレンジ網走大会で、男女視覚障害マラソン代表選手が5000mに出場するということで、現地での再会を楽しみにしていた。この時のレースは好調ぶりを見せた道下さんの走りとは対照的に、藤井さんの足取りは重く、練習がうまく消化できていないことが見て取れた。
パラリンピックのレース後に山領さんに話を聞くと「7月は脚の故障もあり、思うような練習ができず、お互いに不安と焦りを背負いながらの日々でした。ようやく8月に走れる状態となり、決して無理のできる状態ではない中でスタートを迎えることができました」と語ってくれた。そして、「それでも、今ある力をしっかり出し切り、代表選手として力の限り走り抜き、スタジアムでフィニッシュを果たしたい」と藤井さんが山領さんに決意を語ったそうだ。
女子マラソン(視覚障害)で5位入賞を果たした藤井由美子選手(右)とガイドランナーの山領駿さん
前半は力をセーブし、後半できれば30km以降に死力を尽くそうとレースプランを話し合ったそうだ。テレビ中継でも20kmの通過は最下位での通過であった。
30kmを過ぎて「あと10kmほどでゴールですよ、大丈夫まだまだいけますよ」と声をかけてからは、「今までの不安や苦しみから解放されたようにペースが上がり、ガイドを務めながらも藤井さんにはコースが見えているのではないだろうかと錯覚するほどでした。自分の前に広がる景色は、もしかして藤井さんが今感じている景色のイメージではないかと思えたくらいです」とも語ってくれた。
「ガイドランナーを務めながらトレーニングを共にしてきて、不調に喘ぐ姿を間近で感じて苦しい日々でしたが、藤井さんの後半の走りに自分自身が救われ、『支えていただいている』という感情が込み上げてきました。そう思えた瞬間、まさしくガイドロープを通してその思いが交錯し、共鳴し合いながらゴールを目指しているようでした。1つでも順位を上げて少しでも早くゴールを果たしたい、という気持ちとは裏腹に、いつまでもこうして走っていたいと思える不思議な感覚を味わせていただき、感動でした」と締めくくっていただいた。
ガイドランナーを務めたすべての方々の心象風景がどうであったかは知る由もないが、すべてのガイドランナーやサポートに回られた方々への敬意と感謝を込めさせていただきたい。
ありがとうございました。おかげさまでパラアスリートの光り輝く笑顔を見ることができました。
上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。 |
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第13回「パラアスリートたちが限界に挑んだ13日間のドラマ ~ガイドランナー・山領駿さんが振り返るTOKYO2020~ 」
TOKYO2020は、新型コロナウイルスの世界的パンデミックで各国が苦しむ状況下にあって、開催の1年延期を決断した。 さらに追い討ちをかけるように、開催に対して国民の賛否が分かれる事態となり、開催当事国としては非常に重苦しい空気感の中での開催となった。これほど自国開催のオリンピックに対して、賛否で分断された大会は過去に例を見ない。 それゆえに、オリンピック開催が決まった8年前に想像したオリ・パラとは乖離し、困難を極めたかたちでの運営を強いられた。 それでも大会に関わった関係者やボランティアの連隊と連携もあって無事に閉幕できたことは、コロナとの共生を強いられている世界中の人々にささやかながら希望の光を届けることになったのではないかと思う。 選手・関係者にとっても、コロナ禍にあって満足に強化や調整ができず、日々の生活にさえ苦しめられた選手関係者もいたことだろう。 コロナ以外にも、戦時的背景でとてもスポーツに費やす時間も環境も見出せないなか、ひたすら自己練磨を重ねた選手もいた。そして生活の場や祖国さえ追われ難民となり、スポーツをする用具も何もかも失った中でも、アスリートとしての誇りを保ち、精進に励んだ選手たち。そして、そのような選手たちを支えようとした関係者が多く存在していた。 さまざまな事情と思いを抱きながら、世界中の多くの人々がオリンピックとパラリンピックの日々を注視したはずだ。 そして9月5日、人間の持つ限りなき可能性を体現した東京パラリンピックが、静かに幕を閉じた。式典の最後にルイ・アームストロングのジャズの名曲「What a Wonderful World (この素晴らしき世界)」をボーカリストの奥野敦士さんが、アームストロングの再来かとも思わせる歌声で、大会の感動と余韻を慈しみ、すべての人にこの大会の意義を語りかけるように映像出演で歌い上げた。 奥野さんはロックバンド「ROGUE」で活躍するも、事故で胸から下の麻痺を患っている。同じく障害を持ち、伴奏を務めたピアニスト西川悟士さんと、公募で選ばれた特別支援学校高等部の小汐唯菜さんがスタジアムで合唱した。 I hear babies cry 赤ちゃんが泣いている I watch them grow 彼らは大きくなって They’ll learn much more 多くのことを学ぶだろう Than I’ll never know 僕が知りえる以上に And I think to myself そして僕はひとり思う What a wonderful world なんて素晴らしい世界なんだ その歌声はオリンピックの閉会式で歌われたジョン・レノンの「イマジン」と共鳴し合い、国立競技場の夜空へと放たれた。世界中に響き渡ったのではないかと感じたのは身勝手な幻想であり、思い込みだろうか。 さまざまな障害や困難・差別に向き合い、打ち勝とうと鍛え抜かれたパラアスリートたち。彼らが限界に挑んだ13日間のドラマが、ボランティア活動の映像とシンクロし、蘇る。そして、その姿には「共生社会」に向けたヒントが数多く含まれていたと言える。「いつまでもこうして走っていたい、と思える不思議な感覚を味わせてもらった」
視覚障害のアスリートにとって、ガイドランナーはとても重要な存在だ。今回のパラリンピックでは、日本人選手の活躍もあり、ガイドランナーのサポートにも注目が集まった。 今回のパラリンピック女子マラソン(視覚障害)で5位入賞を果たした藤井由美子さん(びわこタイマーズ、56歳)のレース後半で、山領駿さん(福岡県魁誠高→山梨学院大、2012年卒)がガイドランナーを務めた。 彼は学生時代に学生駅伝の出場経験はないが、4年時に関東インカレ1部3000m障害で5位入賞を果たしている。実業団の西鉄に入社し、3000障害で活躍するも、現在は地元福岡の外資系金融機関で勤務している。仕事の傍ら、地元のランニング仲間との交流から、ガイドランナーとしてのトレーニングのお手伝い募集の話を受けたことがきっかけになったそうだ。今回金メダルを獲得した道下美里さんも、福岡・大濠公園でトレーニングしていることから、ガイドランナーの存在と役割はおぼろげながら理解していたようだ。 しかし、実際にやってみると想像以上に難しく、単に伴走という言葉では表現できない奥深さを感じたそうだ。私もガイドランナーの講習会に数年前に参加したことがあり、その難しさの一端を体験させていただいた。視覚障害を疑似体験する特殊なゴーグルをつけ、逆にガイドしていただいたのだが、恐怖が先立ち、一歩が踏み出せない程であった。 山領さんはその後のご縁で藤井さんと出会い、パラリンピックまでガイドランナーとして共に歩むこととなった。7月のホクレン・ディスタンスチャレンジ網走大会で、男女視覚障害マラソン代表選手が5000mに出場するということで、現地での再会を楽しみにしていた。この時のレースは好調ぶりを見せた道下さんの走りとは対照的に、藤井さんの足取りは重く、練習がうまく消化できていないことが見て取れた。 パラリンピックのレース後に山領さんに話を聞くと「7月は脚の故障もあり、思うような練習ができず、お互いに不安と焦りを背負いながらの日々でした。ようやく8月に走れる状態となり、決して無理のできる状態ではない中でスタートを迎えることができました」と語ってくれた。そして、「それでも、今ある力をしっかり出し切り、代表選手として力の限り走り抜き、スタジアムでフィニッシュを果たしたい」と藤井さんが山領さんに決意を語ったそうだ。
上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。 |
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2025年3月号 (2月14日発売)
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