2021.07.25
山梨学大の上田誠仁監督の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!
第11回「多様性と調和~日本国籍を取得した2人のアスリートの話~」
オリンピックが始まった。
コロナ禍での開催ではあるが、参加するアスリートにとって最高の夢舞台であることに変わりはない。大会史上初となる無観客での競技運営となり、大歓声の中で競技し、それを観戦する機会が奪われたことは些か残念である。しかしながら、鍛え抜かれた肉体と精神が躍動する「トップオブアスリート」を決める戦いの舞台の幕が開いたのだ。純粋にその姿を様々なメディアを通して興奮と感動を共有したい。
「スポーツには世界と未来を変える力がある」
1年延期されたが、TOKYO2020の大会ビジョンとして示されている。
さらに
「全ての人が自己ベストを目指し(全員が自己ベスト)」
「一人一人が互いを認め合い(多様性と調和)」
「そして、未来をつなげよう(未来への継承)」
が3つの基本コンセプトとして掲げられている。自国開催のオリンピックが、世界中の人々にこの大会ビジョンを発信できるとすれば、開催の意義は深まる。選手たちとの地域交流プログラムも、感染症拡大予防の観点から変更や中止を余儀なくされ、競技会以外で多様性と調和が実感できる機会も少なからず奪われてしまったことに歯痒い思いもある。それでも、オリンピックは世界を意識し選手の国を強くイメージするには十分なインパクトがある。
多様性と調和。身近な存在として日本国籍を取得した2人のアスリートの話をしたい。
ニナ―賢治(トライアスロン東京五輪代表)
山梨学院大学川田未来の森陸上競技場のトラックを走り抜ける選手たちを追うように、照明の影が追いかけてゆく。スピードトレーニングAグループの集団に、一際背も高く肩幅の広い筋肉質の選手が交ざっている。かなりの高速インターバルであるにもかかわらず、終盤に差し掛かっても闘志あふれる走りでしぶとくその集団に縋り付いている。
日本トライアスロン協会は東京オリンピックを見据え、4年ほど前から練習環境に適した山梨県を拠点に強化を進めている。カナダ人コーチのパトリック・ケリー氏を招聘し、私の大学の後輩でもある村上晃史コーチとともに連れ立って来たのが、当時まだオーストラリア国籍の「KENJI NENERさん」であった。
母親の母国である日本でトレーニングを積み、日本国籍を取得した暁には、日の丸を胸に東京オリンピックで戦うことを目標にしていると、目を輝かせながら抱負を語ってくれたのがつい昨日のように思える。
オーストラリアの名門・カーティン大学と西オーストラリア大学の2大学で学位を取得し、しかも高い競技レベルでの活動を続けて来たタフネスは、合同練習でも存分に感じ取ることができた。彼がグラウンドに来る時はヘルメットを着用し、自転車に乗ってやって来る。聞けば「グラウンドに来る前に軽く50kmほど自転車で走って来ました」と言う。しかも、午前中はプールでかなりハードに泳いできているとコーチから聞いた。その上でこのトラック練習をやりこなすのは凄まじいスタミナの持ち主であることは間違いがない。
世界水準にトレーニングを設定し、オリンピックメダル照準ともなれば必然なのかもしれない。常に乳酸値や心拍数をチェックしながらトレーニングと向き合う姿は、すべて目標達成のために納得のいくトレーニングを重ねたいというコーチと選手が一体となった意思力の現れであると受け止めた。
当時ランニングシューズに革命を起こしつつあった厚底シューズに関しても、それを履きこなすためのポイントや、使いこなすためのサブトレーニングは何をすれば良いのかを、陸上部員よりもいち早く質問に来たのはニナ―選手である。しかも、何週間後かには、そのアドバイスに従ってサブトレーニングをしたことによってどのような変化があったかの報告をしっかりとしてくれる。誠にもって知的であり律義である。
さらに何か他にアドバイスはないかと訊ねて来る、貪欲さとも言える積極性を持ち合わせている。このようなアグレッシブな思考回路と行動力は舌を巻くほどであった。
オリンピアンとしてのメダル獲得が射程内に入るほど実力を高めてこられたのも、日本国籍を習得して東京オリンピックに出場したいという強い決意があったからだろう。新型コロナウイルス感染症拡大の影響を受けて遅れていた国籍習得は、ようやく今年4月に取得でき、「ニナ―賢治」となった。日の丸を胸に、満を持して挑むオリンピック、TV画面を通してではあるが、渾身の声援を送りたい。
※トライアスロン男子は7月26日午前6時30分にスタートする
真也加ステファン(桜美林大学監督)
屈託のない笑顔と流暢な日本語。落語のラジオを車で聴いていると、私と同じ場面で一緒に笑ってしまうほど日本語が堪能だ。昨年の11月にアフリカフェスティバルin山梨学院大学(YouTubeで視聴可)と関東学連主催の駅伝シンポジウムにゲストシンポジストとして登壇してもらった真也加ステファンさんである。先輩のオツオリと同じケニアのキシイ出身でキシイ族である。
なぜ部族まで書いたかと言うと、ケニアは40以上の部族から構成されており、部族ごとの言語や食習慣などそれぞれ違った文化を持つ。それが故に自分たちの部族に対する誇りを持っているからあえて部族まで紹介した。
1990年山梨学院附属高校に交換留学生として来日し、1992年山梨学院大学商学部入学。出雲駅伝・全日本大学駅伝・箱根駅伝においてステファン・マヤカとして活躍したことを記憶していただいている方もおられるかもしれない。特に箱根駅伝では在学中に2度の優勝に貢献してくれた。
1996年卒業後はダイエーに入社したが、阪神淡路大震災の影響もあり、業務縮小から廃部の憂き目に合い日立物流へ移籍。その後、群馬県にある創造学園大学の監督となるも、2013年に閉校となり、同年に桜美林大学陸上競技部監督に就任して現在に至る。日本での生活も長く、長女は日本の実業団で活躍している。長男は中学3年生で町田のサッカークラブに所属し、既に海外遠征の経験をするほどになっている。次女が小学1年生で次男が4歳と、4人の子供に恵まれている。真也加は「長男がやりたい事をとことんやらせたい」と言っているが、サッカーを続けるのか陸上の道を選ぶのかが気がかりのようではある。
マヤカが大学を卒業して3年目のある日、「僕結婚するので報告します」と連絡が入った。なんと1994年の東京国際マラソンで2位となり、1995年のイエテボリ世界選手権マラソン代表などの実績をもつ盛山玲世(せいやま さちよ)さんがお相手である。盛山さんのご実家にマヤカが挨拶に行った際、ご両親は驚く様子もなく、「テレビで見ているから初対面でないみたい」と言い、すぐに打ち解けて結婚を認めてくれたそうだ。まさに多様性と調和を体現した話である。そのことにマヤカは感動して感謝していると語ってくれた。
結婚後の2005年に日本国籍を取得し、真也加ステファンとした。日本国籍を習得した時に、当時実業団に所属するケニア人選手から母国を捨てるのかと糾弾されたこともあると聞いた。決してそうではない。
ケニア人としてもキシイ族としての誇りも日本国籍を習得したからと言って薄れるものではなく、彼のアイデンティティーは紛れもなく強固なものになったとすら思える。しかも日本国籍を取得した一人の人間として、さらには家族を守り育てる父親としての強い自覚はしっかりと心の柱として築いていると言える。
「日本の高校と大学で多くの仲間たちと出会い、素晴らしい環境で教育を受けさせていただいた。箱根駅伝などを通して自分の人生を切り開いて行けるきっかけを作っていただいた。そのすべてのことに感謝しかない」と真也加が駅伝シンポジウムやアフリカフェアーin YGUで語ってくれたことは偽りのない気持ちだろう。
「スポーツには世界と未来を変える力がある」
ささやかな羽音だけれども、そこに共感や共鳴が生まれつながってゆく力が、スポーツや芸術・文化活動にはあると信じている。
気象学者エドワード・ローレンツ氏が発表したバタフライ・エフェクト(butterfly effect,バタフライ効果)という学説がある。ほんの些細な出来事が様々な要因を引き起こした後、非常に大きな出来事の引き金につながることがあるという考え方のことだ。スポーツの祭典、東京オリンピックの各競技が巻き起こす羽音が世界と未来を明るく変える羽ばたきであることを願っている。
箱根駅伝の創始者である金栗四三氏らが大正9年に羽音を立て始めてから、一世紀の時を経て、世界と戦うオリンピックの舞台に10人の箱根駅伝経験者が選ばれている。これもバタフライ・エフェクトとするなら、良い意味で大きな出来事の引き金を誰かが引いてくれることを期待したい。
上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。 |
第11回「多様性と調和~日本国籍を取得した2人のアスリートの話~」
オリンピックが始まった。 コロナ禍での開催ではあるが、参加するアスリートにとって最高の夢舞台であることに変わりはない。大会史上初となる無観客での競技運営となり、大歓声の中で競技し、それを観戦する機会が奪われたことは些か残念である。しかしながら、鍛え抜かれた肉体と精神が躍動する「トップオブアスリート」を決める戦いの舞台の幕が開いたのだ。純粋にその姿を様々なメディアを通して興奮と感動を共有したい。 「スポーツには世界と未来を変える力がある」 1年延期されたが、TOKYO2020の大会ビジョンとして示されている。 さらに 「全ての人が自己ベストを目指し(全員が自己ベスト)」 「一人一人が互いを認め合い(多様性と調和)」 「そして、未来をつなげよう(未来への継承)」 が3つの基本コンセプトとして掲げられている。自国開催のオリンピックが、世界中の人々にこの大会ビジョンを発信できるとすれば、開催の意義は深まる。選手たちとの地域交流プログラムも、感染症拡大予防の観点から変更や中止を余儀なくされ、競技会以外で多様性と調和が実感できる機会も少なからず奪われてしまったことに歯痒い思いもある。それでも、オリンピックは世界を意識し選手の国を強くイメージするには十分なインパクトがある。 多様性と調和。身近な存在として日本国籍を取得した2人のアスリートの話をしたい。 ニナ―賢治(トライアスロン東京五輪代表) 山梨学院大学川田未来の森陸上競技場のトラックを走り抜ける選手たちを追うように、照明の影が追いかけてゆく。スピードトレーニングAグループの集団に、一際背も高く肩幅の広い筋肉質の選手が交ざっている。かなりの高速インターバルであるにもかかわらず、終盤に差し掛かっても闘志あふれる走りでしぶとくその集団に縋り付いている。 日本トライアスロン協会は東京オリンピックを見据え、4年ほど前から練習環境に適した山梨県を拠点に強化を進めている。カナダ人コーチのパトリック・ケリー氏を招聘し、私の大学の後輩でもある村上晃史コーチとともに連れ立って来たのが、当時まだオーストラリア国籍の「KENJI NENERさん」であった。 母親の母国である日本でトレーニングを積み、日本国籍を取得した暁には、日の丸を胸に東京オリンピックで戦うことを目標にしていると、目を輝かせながら抱負を語ってくれたのがつい昨日のように思える。 オーストラリアの名門・カーティン大学と西オーストラリア大学の2大学で学位を取得し、しかも高い競技レベルでの活動を続けて来たタフネスは、合同練習でも存分に感じ取ることができた。彼がグラウンドに来る時はヘルメットを着用し、自転車に乗ってやって来る。聞けば「グラウンドに来る前に軽く50kmほど自転車で走って来ました」と言う。しかも、午前中はプールでかなりハードに泳いできているとコーチから聞いた。その上でこのトラック練習をやりこなすのは凄まじいスタミナの持ち主であることは間違いがない。 世界水準にトレーニングを設定し、オリンピックメダル照準ともなれば必然なのかもしれない。常に乳酸値や心拍数をチェックしながらトレーニングと向き合う姿は、すべて目標達成のために納得のいくトレーニングを重ねたいというコーチと選手が一体となった意思力の現れであると受け止めた。 当時ランニングシューズに革命を起こしつつあった厚底シューズに関しても、それを履きこなすためのポイントや、使いこなすためのサブトレーニングは何をすれば良いのかを、陸上部員よりもいち早く質問に来たのはニナ―選手である。しかも、何週間後かには、そのアドバイスに従ってサブトレーニングをしたことによってどのような変化があったかの報告をしっかりとしてくれる。誠にもって知的であり律義である。 さらに何か他にアドバイスはないかと訊ねて来る、貪欲さとも言える積極性を持ち合わせている。このようなアグレッシブな思考回路と行動力は舌を巻くほどであった。 オリンピアンとしてのメダル獲得が射程内に入るほど実力を高めてこられたのも、日本国籍を習得して東京オリンピックに出場したいという強い決意があったからだろう。新型コロナウイルス感染症拡大の影響を受けて遅れていた国籍習得は、ようやく今年4月に取得でき、「ニナ―賢治」となった。日の丸を胸に、満を持して挑むオリンピック、TV画面を通してではあるが、渾身の声援を送りたい。 ※トライアスロン男子は7月26日午前6時30分にスタートする 真也加ステファン(桜美林大学監督) 屈託のない笑顔と流暢な日本語。落語のラジオを車で聴いていると、私と同じ場面で一緒に笑ってしまうほど日本語が堪能だ。昨年の11月にアフリカフェスティバルin山梨学院大学(YouTubeで視聴可)と関東学連主催の駅伝シンポジウムにゲストシンポジストとして登壇してもらった真也加ステファンさんである。先輩のオツオリと同じケニアのキシイ出身でキシイ族である。 なぜ部族まで書いたかと言うと、ケニアは40以上の部族から構成されており、部族ごとの言語や食習慣などそれぞれ違った文化を持つ。それが故に自分たちの部族に対する誇りを持っているからあえて部族まで紹介した。 1990年山梨学院附属高校に交換留学生として来日し、1992年山梨学院大学商学部入学。出雲駅伝・全日本大学駅伝・箱根駅伝においてステファン・マヤカとして活躍したことを記憶していただいている方もおられるかもしれない。特に箱根駅伝では在学中に2度の優勝に貢献してくれた。 1996年卒業後はダイエーに入社したが、阪神淡路大震災の影響もあり、業務縮小から廃部の憂き目に合い日立物流へ移籍。その後、群馬県にある創造学園大学の監督となるも、2013年に閉校となり、同年に桜美林大学陸上競技部監督に就任して現在に至る。日本での生活も長く、長女は日本の実業団で活躍している。長男は中学3年生で町田のサッカークラブに所属し、既に海外遠征の経験をするほどになっている。次女が小学1年生で次男が4歳と、4人の子供に恵まれている。真也加は「長男がやりたい事をとことんやらせたい」と言っているが、サッカーを続けるのか陸上の道を選ぶのかが気がかりのようではある。 マヤカが大学を卒業して3年目のある日、「僕結婚するので報告します」と連絡が入った。なんと1994年の東京国際マラソンで2位となり、1995年のイエテボリ世界選手権マラソン代表などの実績をもつ盛山玲世(せいやま さちよ)さんがお相手である。盛山さんのご実家にマヤカが挨拶に行った際、ご両親は驚く様子もなく、「テレビで見ているから初対面でないみたい」と言い、すぐに打ち解けて結婚を認めてくれたそうだ。まさに多様性と調和を体現した話である。そのことにマヤカは感動して感謝していると語ってくれた。 結婚後の2005年に日本国籍を取得し、真也加ステファンとした。日本国籍を習得した時に、当時実業団に所属するケニア人選手から母国を捨てるのかと糾弾されたこともあると聞いた。決してそうではない。 ケニア人としてもキシイ族としての誇りも日本国籍を習得したからと言って薄れるものではなく、彼のアイデンティティーは紛れもなく強固なものになったとすら思える。しかも日本国籍を取得した一人の人間として、さらには家族を守り育てる父親としての強い自覚はしっかりと心の柱として築いていると言える。 「日本の高校と大学で多くの仲間たちと出会い、素晴らしい環境で教育を受けさせていただいた。箱根駅伝などを通して自分の人生を切り開いて行けるきっかけを作っていただいた。そのすべてのことに感謝しかない」と真也加が駅伝シンポジウムやアフリカフェアーin YGUで語ってくれたことは偽りのない気持ちだろう。 「スポーツには世界と未来を変える力がある」 ささやかな羽音だけれども、そこに共感や共鳴が生まれつながってゆく力が、スポーツや芸術・文化活動にはあると信じている。 気象学者エドワード・ローレンツ氏が発表したバタフライ・エフェクト(butterfly effect,バタフライ効果)という学説がある。ほんの些細な出来事が様々な要因を引き起こした後、非常に大きな出来事の引き金につながることがあるという考え方のことだ。スポーツの祭典、東京オリンピックの各競技が巻き起こす羽音が世界と未来を明るく変える羽ばたきであることを願っている。 箱根駅伝の創始者である金栗四三氏らが大正9年に羽音を立て始めてから、一世紀の時を経て、世界と戦うオリンピックの舞台に10人の箱根駅伝経験者が選ばれている。これもバタフライ・エフェクトとするなら、良い意味で大きな出来事の引き金を誰かが引いてくれることを期待したい。上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。 |
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