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ALL for TOKYO 2020+1 多田修平 這い上がった「ロケットスタート」
ALL for TOKYO 2020+1 多田修平 這い上がった「ロケットスタート」

2021年日本選手権100mで初優勝を飾った多田修平(住友電工)

男子100mで東京五輪の代表に決まった多田修平(住友電工)は、大会後の記者会見で「日本選手権よりオリンピックのほうが緊張しないと思います」と言ってのけた。それほどのプレッシャーに包まれた、今年の最速決戦。大会2日目に決勝が行われた男子100mは、6月6日の布勢スプリントで9秒95の日本記録を作った山縣亮太(セイコー)をはじめ、4人の9秒台ランナーがひしめき、10秒05の標準記録突破者は多田を含めて5人。そこから3人の代表が決まる史上最高レベルの一発勝負となった。

かつてない激闘を制したのが、今季好調の多田。スタートで他を圧倒すると、そのまま誰も寄せつけずに10秒15(+0.2)で完勝した。3年連続5位からの初優勝に、多田の目からは思わずうれし涙がこぼれた。

大阪・東大阪市出身で大阪桐蔭高から関学大へ。高校3年のインターハイ100mで6位に入ったのが、全国大会での初めての入賞だった。そんなスプリンターが大学3年だった17年に、追い風参考記録ながら9秒94を出すなど大きな飛躍を遂げ、同年のロンドン世界選手権から代表デビュー。しかし、順風満帆とはいかず、18 ~ 19年は大きなエアポケットに陥る。そこから這い上がり、日本選手権初日の6月24日に25歳の誕生日を迎えた多田に、今最も知りたい4つの質問をぶつけてみた。

構成/小森貞子
撮影/弓庭保夫

①多田流「ロケットスタート」はどのように生まれたのか?

──多田選手と言えば、あの低い姿勢から真っ先に飛び出すスタートダッシュが持ち味ですが、いつからやるようになったのですか。

多田 僕は中学1年から陸上を始めたのですが、ずっとあの姿勢です。もっと言えば、小学校の運動会でもそうでした。「変わった走り方やな」と何回も言われていたので(笑)。もちろん、今のように低く、長くは前傾していなかったですけど。

── 衝撃的だったのが、2017年6月の日本学生個人選手権(準決勝)でマークした9秒94(+4. 5)です。一躍「多田修平」の名を日本中に広めました。

多田 あの時も、意識するところは全然変えていないですね。低いスタートで、力を使わずに、重心移動だけで出ているイメージです。

──その年、前年の10秒25から一気に10秒07まで自己記録を引き上げましたけど、18~ 19年あたりは更新できず、悩みました。

多田 「OSAKA夢プログラム」の支援で、その前年に続いて冬季に2度アメリカへ合宿に行く機会を得て、身体作りなど学ぶことも多かったのですが、僕のスタートについても指摘され、言われた通りにやってみたんです。でも、自分の中ではしっくりいかなかった。脚が後ろに流れて、その脚を前に持ってくるのに時間がかかる。言われたのは「1歩1歩力強く」というイメージでしたね。
その走りが癖になってしまって、元に戻すのにすごく時間がかかりました。自分の武器はスタートから中盤にかけての爆発力なのに、それがなくなって、全体を通していい走りができなくなりました。思い切り走っても、タイムがついて来ない。2018年あたりは武器を持たずに、素手で戦っているようなシーズンでした。

── 当時、悩み、苦しんだ原因はそこですね。

多田 一番悩んだのはそこです。全部力ずくで行ってしまったので、その分体力が減って後半も伸びず、スタートからフィニッシュまで最悪のパターンに陥りました。それを戻すのにどうしたらいいのか1人で考えたんですけど、なかなか答えが見つからず、負の連鎖でした。
そこで、OSAKA夢プログラムで大学1~2年の頃からお世話になっている佐藤真太郎コーチ(大東大男女短距離ブロック監督)に相談し、佐藤コーチの客観的な意見と僕の感覚をいろいろすり合わせ、マッチさせたら、時間はかかりましたけど、いい方向へ進むようになりました。

初めて日本選手権王者の称号を手にした多田(中央)。左は2位のデーデー・ブルーノ(東海大)、右は3位だった日本記録保持者の山縣亮太(セイコー)

──2019年の春、大学を卒業してから拠点を佐藤コーチのいる埼玉に移したのも、そういう経緯からですね。

多田 そうです。2018年のシーズンを終えてから「僕はスタートがダメだ」と気づいて、前のスタートに戻そうと取り組み始めました。でも、アメリカで教わったことが身体に染みついていて、その癖を直すのに時間がかかりましたね。僕は2017年に「ポッと出」の選手のまま向こうへ修行に行った感じで、何を教わるのかも決めずに行っていました。自分の経験不足が生んだ失敗だったと思います。

──それにしても、日本選手権の決勝レースは、前傾姿勢が長かったですね。

多田 意識してやっているわけではないんですけどね。頭を上げる位置は、感覚です。練習の成果で、前傾を作りやすくなっているのかもしれません。頭を上げたら「あ、ゴールか」って(笑)。それが最近の感覚です。ずっと前傾でいいぐらいに「すごく走りやすいな」と、僕自身感じています。トップスピードも前傾区間で出ています。起き上がると、僕の走りはバネで上へ跳んじゃって、スカスカしてしまいます。もうちょっと(前傾区間を)長くすれば、もう少しタイムが伸びるかな。意識的に長くするのはまずいですけど。

②後半の落ち込みをどのように克服したのか?

──昨年の日本選手権は70m付近までそのロケットスタートで先行しながら、桐生祥秀選手(日本生命)らに逆転を許し、5位に終わりました。多田選手は序盤が良くても終盤が課題でしたが、そこはどう改善されたのでしょうか。

この続きは2021年7月14日発売の『月刊陸上競技8月号』をご覧ください。

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男子100mで東京五輪の代表に決まった多田修平(住友電工)は、大会後の記者会見で「日本選手権よりオリンピックのほうが緊張しないと思います」と言ってのけた。それほどのプレッシャーに包まれた、今年の最速決戦。大会2日目に決勝が行われた男子100mは、6月6日の布勢スプリントで9秒95の日本記録を作った山縣亮太(セイコー)をはじめ、4人の9秒台ランナーがひしめき、10秒05の標準記録突破者は多田を含めて5人。そこから3人の代表が決まる史上最高レベルの一発勝負となった。 かつてない激闘を制したのが、今季好調の多田。スタートで他を圧倒すると、そのまま誰も寄せつけずに10秒15(+0.2)で完勝した。3年連続5位からの初優勝に、多田の目からは思わずうれし涙がこぼれた。 大阪・東大阪市出身で大阪桐蔭高から関学大へ。高校3年のインターハイ100mで6位に入ったのが、全国大会での初めての入賞だった。そんなスプリンターが大学3年だった17年に、追い風参考記録ながら9秒94を出すなど大きな飛躍を遂げ、同年のロンドン世界選手権から代表デビュー。しかし、順風満帆とはいかず、18 ~ 19年は大きなエアポケットに陥る。そこから這い上がり、日本選手権初日の6月24日に25歳の誕生日を迎えた多田に、今最も知りたい4つの質問をぶつけてみた。 構成/小森貞子 撮影/弓庭保夫

①多田流「ロケットスタート」はどのように生まれたのか?

──多田選手と言えば、あの低い姿勢から真っ先に飛び出すスタートダッシュが持ち味ですが、いつからやるようになったのですか。 多田 僕は中学1年から陸上を始めたのですが、ずっとあの姿勢です。もっと言えば、小学校の運動会でもそうでした。「変わった走り方やな」と何回も言われていたので(笑)。もちろん、今のように低く、長くは前傾していなかったですけど。 ── 衝撃的だったのが、2017年6月の日本学生個人選手権(準決勝)でマークした9秒94(+4. 5)です。一躍「多田修平」の名を日本中に広めました。 多田 あの時も、意識するところは全然変えていないですね。低いスタートで、力を使わずに、重心移動だけで出ているイメージです。 ──その年、前年の10秒25から一気に10秒07まで自己記録を引き上げましたけど、18~ 19年あたりは更新できず、悩みました。 多田 「OSAKA夢プログラム」の支援で、その前年に続いて冬季に2度アメリカへ合宿に行く機会を得て、身体作りなど学ぶことも多かったのですが、僕のスタートについても指摘され、言われた通りにやってみたんです。でも、自分の中ではしっくりいかなかった。脚が後ろに流れて、その脚を前に持ってくるのに時間がかかる。言われたのは「1歩1歩力強く」というイメージでしたね。 その走りが癖になってしまって、元に戻すのにすごく時間がかかりました。自分の武器はスタートから中盤にかけての爆発力なのに、それがなくなって、全体を通していい走りができなくなりました。思い切り走っても、タイムがついて来ない。2018年あたりは武器を持たずに、素手で戦っているようなシーズンでした。 ── 当時、悩み、苦しんだ原因はそこですね。 多田 一番悩んだのはそこです。全部力ずくで行ってしまったので、その分体力が減って後半も伸びず、スタートからフィニッシュまで最悪のパターンに陥りました。それを戻すのにどうしたらいいのか1人で考えたんですけど、なかなか答えが見つからず、負の連鎖でした。 そこで、OSAKA夢プログラムで大学1~2年の頃からお世話になっている佐藤真太郎コーチ(大東大男女短距離ブロック監督)に相談し、佐藤コーチの客観的な意見と僕の感覚をいろいろすり合わせ、マッチさせたら、時間はかかりましたけど、いい方向へ進むようになりました。 初めて日本選手権王者の称号を手にした多田(中央)。左は2位のデーデー・ブルーノ(東海大)、右は3位だった日本記録保持者の山縣亮太(セイコー) ──2019年の春、大学を卒業してから拠点を佐藤コーチのいる埼玉に移したのも、そういう経緯からですね。 多田 そうです。2018年のシーズンを終えてから「僕はスタートがダメだ」と気づいて、前のスタートに戻そうと取り組み始めました。でも、アメリカで教わったことが身体に染みついていて、その癖を直すのに時間がかかりましたね。僕は2017年に「ポッと出」の選手のまま向こうへ修行に行った感じで、何を教わるのかも決めずに行っていました。自分の経験不足が生んだ失敗だったと思います。 ──それにしても、日本選手権の決勝レースは、前傾姿勢が長かったですね。 多田 意識してやっているわけではないんですけどね。頭を上げる位置は、感覚です。練習の成果で、前傾を作りやすくなっているのかもしれません。頭を上げたら「あ、ゴールか」って(笑)。それが最近の感覚です。ずっと前傾でいいぐらいに「すごく走りやすいな」と、僕自身感じています。トップスピードも前傾区間で出ています。起き上がると、僕の走りはバネで上へ跳んじゃって、スカスカしてしまいます。もうちょっと(前傾区間を)長くすれば、もう少しタイムが伸びるかな。意識的に長くするのはまずいですけど。

②後半の落ち込みをどのように克服したのか?

──昨年の日本選手権は70m付近までそのロケットスタートで先行しながら、桐生祥秀選手(日本生命)らに逆転を許し、5位に終わりました。多田選手は序盤が良くても終盤が課題でしたが、そこはどう改善されたのでしょうか。 この続きは2021年7月14日発売の『月刊陸上競技8月号』をご覧ください。
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