HOME バックナンバー
【誌面転載】新年号特別対談  飯塚翔太 × 戸邉直人
【誌面転載】新年号特別対談  飯塚翔太 × 戸邉直人

「プラチナ世代」が集大成を迎える2020年 「新国立競技場で感動の瞬間を!」

1991年生まれの彼らが大学1年生(2010年)の夏、カナダ南東部の街・モンクトンで開かれた第13回世界ジュニア選手権(現・U20世界選手権)で、日本選手が次々と表彰台に上がる〝日の丸ラッシュ〟に沸いた日があった。大会5日目の7月23日。すべて男子で、まず走高跳の戸邉直人
(筑波大、現・つくばツインピークス)が当時自己セカンド記録の2m21で銅メダルを獲得すると、400mハードルの安部孝駿(中京大、現・デサントTC)とやり投のディーン元気(早大、現・ミズノ)は銀メダル。そして、200mでは飯塚翔太(中大、現・ミズノ)が同大会で日本人で初めて個人スプリント種目を制し、一番高い表彰台で金メダルを授与された。
男女長距離の大迫傑(早大、現・ナイキ・オレゴン・プロジェクト)や鈴木亜由子(名古屋大、現・日本郵政グループ)、女子競歩の岡田久美子(立教大、現・ビックカメラ)らを含むあの〝モンクトン組〟を筆頭とする「プラチナ世代」が、2020年東京五輪の主役になるべく今、力を蓄え、晴れの出番を待っている。ここでは男子短距離を牽引する飯塚選手と、2018年シーズンに2m32の4年ぶり自己ベストを出した戸邉選手に、建設が進む新国立競技場近くの店で、東京五輪に向けての熱い想いと競技観などを語り合ってもらった。

「ドクターコースってすごいな」――飯塚

飯塚 試合ではもちろん会うけど、普段は滅多に会わないし、こうやって対談で会うのも初めてだよね?
戸邉 そうだね。何だか新鮮な気持ちでいいね(笑)。
飯塚 今、筑波大大学院の博士課程にいるんでしょ。
戸邉 2年間の修士課程を終えて、その後博士課程に進んで3年目。
飯塚 ドクターコースってすごいな。半端ないよ。無事に修了できそう?
戸邉 何とか(笑)。論文自体はもうできていて、それを指導教官に提出して、直して、の繰り返し。昨日も試験があって、それが終わって、今日は晴れ晴れとした気持ちで来ました(笑)。

──博士論文のテーマは?
戸邉 研究テーマは走高跳です。物理的に解析して……。
飯塚 公式とかで計算して、でしょ。いやぁ、僕は想像できない。物理とか計算式とか苦手なので。でも、やってるとおもしろい?
戸邉 走高跳を運動力学とかで理論的に見ると「ああ、こうなってるんだぁ」とか思うよ。僕もあまり好きじゃなかったんだけど、筑波大に行って、そういう環境があったので、「やろうかな」と。
飯塚 それ、いいよね。自分の競技に直結する研究だもんね。

相部屋の外国選手と仲良くなる方法

飯塚 戸邉は海外に行くの、一番多いよね。僕の中では「いつ日本にいるんだろう」というイメージ。今年(2018年、以下同じ)はIAAF(国際陸連)ダイヤモンドリーグ(DL)のファイナル(ベルギー・ブリュッセル)に、日本選手で初めて出場したんだからすごい。走高跳は何人、そこの舞台に立てるの?
戸邉 その年にもよるんだけど、今年は12人。トラック種目は8人かな。それまでのDLでポイントをつけられて、その上位者だと思う。
飯塚 いつものDLより、ファイナルはホテルもいいの?
戸邉 ファイナルは絶対に1人部屋。
飯塚 えっ、すごい。普段は絶対に2人部屋だからね。僕が先にチェックインして部屋で寝てると、夜遅くに相部屋の選手が入ってくるの。ドアをガチャガチャして、ヘッドホンの音楽もガンガン鳴らして(笑)。「うわぁ、来た」と思って。朝起きたら、部屋の臭いが変わってる、香水とかで。
戸邉 (うなずきながら)ある、ある。
飯塚 それはそれで楽しいけどね。
戸邉 僕はなぜかアフリカの長距離選手と一緒になることが多くて、僕みたいなアジア人と話す機会はそうないから、向こうも緊張してるんだよね。そういう時の距離の縮め方があるんだよ。ホテルでご飯を食べに行くと、バナナとかりんごとか、必ずフルーツがあるでしょ。彼らはそれを部屋に持って帰ってきて、僕にくれるの。みんながそれをやるから、「あ、そういうことか」とわかって、僕も先にホテルに入ったら、部屋にフルーツを持ってきておいて、来たらあげる。
飯塚 そこからコミュニケーション取るんだ。おもしろい。
戸邉 そうすると「お前はいいヤツだなぁ」みたいになる(笑)。

──誰と相部屋になるか、事前にはわからないんですか。
飯塚 チェックインの時に名簿があって、調べればわかりますね。こっちが話しかけなかったら、ずっと話さない選手もいますよ。僕、2014年のニューヨークで初めてDLに出た時、友達が1人もいなくて、みんなが談笑しながら食事しているテーブルにコソコソ着いて、「誰だ、こいつは?」みたいに見られた時は気まずかったなぁ。
戸邉 その雰囲気、すごい良くわかる(笑)。

──言葉の壁が大きいですかね。
戸邉 英語がしゃべれなくても、コミュニケーションを取ろうというポーズをとるだけで、だいぶ雰囲気が違うよね。
飯塚 まず行動する、みたいな。何か動こう、って。

海外に出ようと思ったきっかけ

──そもそも戸邉選手が海外へ積極的に行こうと思ったきっかけは何ですか
戸邉 きっかけは、やはりモンクトンの世界ジュニアだと思います。そこでメダルを取って、同期のレベルも高かったですしね。最初に個人でブレイクしたのはディーンだよね。2012年のロンドン五輪でファイナリストになった。ディーンは言葉の面で何の問題もなかったから、どんどん海外に行ってたし、そういう影響はすごく受けましたね。
飯塚 僕が初めて海外(米国)へ練習に行ったのが高3の冬。インターハイで優勝してるから、ちょっと鼻が高くなってたんだけど、自分より大きい人、速い人がいっぱいいて、ポキッとへし折られた(笑)。で、世界ジュニアで優勝して、ちょっとまた気持ちが大きくなったんだけど、オリンピックでこてんぱんにやられて、というのを繰り返してた。
僕、モンクトンはランキング1位で行ったの、静岡国際で20秒58(-0.6)を出して。現地に行ったら、「ランキング1番の日本人」みたいに外国選手に冷やかされた。悔しかったけど、予選を1本走ったら見る目が変わりました。最初は、日本人の印象はそんなもんか、と思いましたね。

──海外に出て行って、得たものは大きかったですか。
戸邉 走高跳の場合は特に技術的な面が大きくて、その技術も国によって全然違うんです。跳躍の技術だけじゃなくて、トレーニングの方法や考え方も全然違うかな。それを早いうちに学べたことが、今につながってると思いますね。最初、僕が1人で行ったのはスウェーデンで、ステファン・ホルムというアテネ五輪の金メダリストのところ。大学3年の冬だったんですけど、それから毎年冬には行く習慣がつきました。

──スウェーデンに行くツテはどうやって探したんですか。
戸邉 その時は陸連につないでもらいました。というのも、僕らの世代がこれだけ世界で通用したので、ここを皮切りにもっと世界へ出て行く環境を作ろうという方針になって、その点のサポートはだいぶしていただきました。

この続きは2018年12月14日発売の『月刊陸上競技』1月号をご覧ください

「プラチナ世代」が集大成を迎える2020年 「新国立競技場で感動の瞬間を!」

1991年生まれの彼らが大学1年生(2010年)の夏、カナダ南東部の街・モンクトンで開かれた第13回世界ジュニア選手権(現・U20世界選手権)で、日本選手が次々と表彰台に上がる〝日の丸ラッシュ〟に沸いた日があった。大会5日目の7月23日。すべて男子で、まず走高跳の戸邉直人 (筑波大、現・つくばツインピークス)が当時自己セカンド記録の2m21で銅メダルを獲得すると、400mハードルの安部孝駿(中京大、現・デサントTC)とやり投のディーン元気(早大、現・ミズノ)は銀メダル。そして、200mでは飯塚翔太(中大、現・ミズノ)が同大会で日本人で初めて個人スプリント種目を制し、一番高い表彰台で金メダルを授与された。 男女長距離の大迫傑(早大、現・ナイキ・オレゴン・プロジェクト)や鈴木亜由子(名古屋大、現・日本郵政グループ)、女子競歩の岡田久美子(立教大、現・ビックカメラ)らを含むあの〝モンクトン組〟を筆頭とする「プラチナ世代」が、2020年東京五輪の主役になるべく今、力を蓄え、晴れの出番を待っている。ここでは男子短距離を牽引する飯塚選手と、2018年シーズンに2m32の4年ぶり自己ベストを出した戸邉選手に、建設が進む新国立競技場近くの店で、東京五輪に向けての熱い想いと競技観などを語り合ってもらった。

「ドクターコースってすごいな」――飯塚

飯塚 試合ではもちろん会うけど、普段は滅多に会わないし、こうやって対談で会うのも初めてだよね? 戸邉 そうだね。何だか新鮮な気持ちでいいね(笑)。 飯塚 今、筑波大大学院の博士課程にいるんでしょ。 戸邉 2年間の修士課程を終えて、その後博士課程に進んで3年目。 飯塚 ドクターコースってすごいな。半端ないよ。無事に修了できそう? 戸邉 何とか(笑)。論文自体はもうできていて、それを指導教官に提出して、直して、の繰り返し。昨日も試験があって、それが終わって、今日は晴れ晴れとした気持ちで来ました(笑)。 ──博士論文のテーマは? 戸邉 研究テーマは走高跳です。物理的に解析して……。 飯塚 公式とかで計算して、でしょ。いやぁ、僕は想像できない。物理とか計算式とか苦手なので。でも、やってるとおもしろい? 戸邉 走高跳を運動力学とかで理論的に見ると「ああ、こうなってるんだぁ」とか思うよ。僕もあまり好きじゃなかったんだけど、筑波大に行って、そういう環境があったので、「やろうかな」と。 飯塚 それ、いいよね。自分の競技に直結する研究だもんね。

相部屋の外国選手と仲良くなる方法

飯塚 戸邉は海外に行くの、一番多いよね。僕の中では「いつ日本にいるんだろう」というイメージ。今年(2018年、以下同じ)はIAAF(国際陸連)ダイヤモンドリーグ(DL)のファイナル(ベルギー・ブリュッセル)に、日本選手で初めて出場したんだからすごい。走高跳は何人、そこの舞台に立てるの? 戸邉 その年にもよるんだけど、今年は12人。トラック種目は8人かな。それまでのDLでポイントをつけられて、その上位者だと思う。 飯塚 いつものDLより、ファイナルはホテルもいいの? 戸邉 ファイナルは絶対に1人部屋。 飯塚 えっ、すごい。普段は絶対に2人部屋だからね。僕が先にチェックインして部屋で寝てると、夜遅くに相部屋の選手が入ってくるの。ドアをガチャガチャして、ヘッドホンの音楽もガンガン鳴らして(笑)。「うわぁ、来た」と思って。朝起きたら、部屋の臭いが変わってる、香水とかで。 戸邉 (うなずきながら)ある、ある。 飯塚 それはそれで楽しいけどね。 戸邉 僕はなぜかアフリカの長距離選手と一緒になることが多くて、僕みたいなアジア人と話す機会はそうないから、向こうも緊張してるんだよね。そういう時の距離の縮め方があるんだよ。ホテルでご飯を食べに行くと、バナナとかりんごとか、必ずフルーツがあるでしょ。彼らはそれを部屋に持って帰ってきて、僕にくれるの。みんながそれをやるから、「あ、そういうことか」とわかって、僕も先にホテルに入ったら、部屋にフルーツを持ってきておいて、来たらあげる。 飯塚 そこからコミュニケーション取るんだ。おもしろい。 戸邉 そうすると「お前はいいヤツだなぁ」みたいになる(笑)。 ──誰と相部屋になるか、事前にはわからないんですか。 飯塚 チェックインの時に名簿があって、調べればわかりますね。こっちが話しかけなかったら、ずっと話さない選手もいますよ。僕、2014年のニューヨークで初めてDLに出た時、友達が1人もいなくて、みんなが談笑しながら食事しているテーブルにコソコソ着いて、「誰だ、こいつは?」みたいに見られた時は気まずかったなぁ。 戸邉 その雰囲気、すごい良くわかる(笑)。 ──言葉の壁が大きいですかね。 戸邉 英語がしゃべれなくても、コミュニケーションを取ろうというポーズをとるだけで、だいぶ雰囲気が違うよね。 飯塚 まず行動する、みたいな。何か動こう、って。

海外に出ようと思ったきっかけ

──そもそも戸邉選手が海外へ積極的に行こうと思ったきっかけは何ですか 戸邉 きっかけは、やはりモンクトンの世界ジュニアだと思います。そこでメダルを取って、同期のレベルも高かったですしね。最初に個人でブレイクしたのはディーンだよね。2012年のロンドン五輪でファイナリストになった。ディーンは言葉の面で何の問題もなかったから、どんどん海外に行ってたし、そういう影響はすごく受けましたね。 飯塚 僕が初めて海外(米国)へ練習に行ったのが高3の冬。インターハイで優勝してるから、ちょっと鼻が高くなってたんだけど、自分より大きい人、速い人がいっぱいいて、ポキッとへし折られた(笑)。で、世界ジュニアで優勝して、ちょっとまた気持ちが大きくなったんだけど、オリンピックでこてんぱんにやられて、というのを繰り返してた。 僕、モンクトンはランキング1位で行ったの、静岡国際で20秒58(-0.6)を出して。現地に行ったら、「ランキング1番の日本人」みたいに外国選手に冷やかされた。悔しかったけど、予選を1本走ったら見る目が変わりました。最初は、日本人の印象はそんなもんか、と思いましたね。 ──海外に出て行って、得たものは大きかったですか。 戸邉 走高跳の場合は特に技術的な面が大きくて、その技術も国によって全然違うんです。跳躍の技術だけじゃなくて、トレーニングの方法や考え方も全然違うかな。それを早いうちに学べたことが、今につながってると思いますね。最初、僕が1人で行ったのはスウェーデンで、ステファン・ホルムというアテネ五輪の金メダリストのところ。大学3年の冬だったんですけど、それから毎年冬には行く習慣がつきました。 ──スウェーデンに行くツテはどうやって探したんですか。 戸邉 その時は陸連につないでもらいました。というのも、僕らの世代がこれだけ世界で通用したので、ここを皮切りにもっと世界へ出て行く環境を作ろうという方針になって、その点のサポートはだいぶしていただきました。 この続きは2018年12月14日発売の『月刊陸上競技』1月号をご覧ください

次ページ:

       

RECOMMENDED おすすめの記事

    

Ranking 人気記事ランキング 人気記事ランキング

Latest articles 最新の記事

2024.10.30

パリ五輪金の北口榛花「こんな機会はそうそうない」秋の園遊会と東京都栄誉賞表彰式に出席

パリ五輪にかかる東京都栄誉賞及び都民スポーツ大賞の表彰式が10月30日に都庁で開かれ、女子やり投で金メダルを獲得した北口榛花(JAL)が出席した。 北口は小池百合子都知事から表彰状を贈呈され、メダリストを代表して挨拶にも […]

NEWS 【学生長距離Close-upインタビュー】新たなスピードランナー法大・大島史也「みんなで笑って終われたらうれしい」

2024.10.30

【学生長距離Close-upインタビュー】新たなスピードランナー法大・大島史也「みんなで笑って終われたらうれしい」

学生長距離Close-upインタビュー 大島史也 Oshima Fumiya 法大3年 「月陸Online」限定で大学長距離選手のインタビューをお届けする「学生長距離Close-upインタビュー」。44回目は、法大の大島 […]

NEWS 埼玉栄オール区間賞で2年連続の男女V!男子は4区区間新など2時間6分29秒で8連覇、女子は1区から大量リードで独走/埼玉県高校駅伝

2024.10.30

埼玉栄オール区間賞で2年連続の男女V!男子は4区区間新など2時間6分29秒で8連覇、女子は1区から大量リードで独走/埼玉県高校駅伝

全国高校駅伝の出場権を懸けた埼玉県高校駅伝が10月30日、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場周辺コースで行われ、埼玉栄が男女Vを果たした。男子(7区間42.195km)は2時間6分29秒で8年連続43回目の制覇。女子(5区間 […]

NEWS WAワールド・アスリート・オブ・ザ・イヤー 競技場外種目候補選手にハッサン、チェプンゲティチらがノミネート

2024.10.30

WAワールド・アスリート・オブ・ザ・イヤー 競技場外種目候補選手にハッサン、チェプンゲティチらがノミネート

世界陸連(WA)は10月28日、ワールド・アスレティクス・アワード2024の「ワールド・アスリート・オブ・ザ・イヤー」の競技場外(ロード)種目のノミネート選手を発表した。男女各5名が候補に挙げられている。 パリ五輪のマラ […]

NEWS 全国中学校駅伝の出場権を懸け県大会が各地で開催 今週末は千葉、神奈川、山口などで実施

2024.10.30

全国中学校駅伝の出場権を懸け県大会が各地で開催 今週末は千葉、神奈川、山口などで実施

12月15日に行われる第32回全国中学校駅伝(滋賀県・希望が丘)の出場権を懸けた中学駅伝の都道府県大会が各地で開催されている。これまで10道県の代表校が決まっており、11月に残る37都府県でも大会が行われる。 2日からの […]

SNS

Latest Issue 最新号 最新号

2024年11月号 (10月11日発売)

2024年11月号 (10月11日発売)

●ベルリンマラソン
●DLファイナル
●インカレ、実業団
●箱根駅伝予選会展望

page top