2021.04.16
東京五輪を控え、活況なのが男子走高跳。日本記録保持者の戸邉直人(JAL)や世界大会の経験が豊富な衛藤昂(味の素AGF)に加え、昨年は真野友博(九電工)が2m30以上を2度マークするなど、過去最高レベルに到達している。
そんななか、静かに再起を誓っているのが平松祐司。高卒1年目の18歳で15年北京世界選手権に出場した逸材は、当時「東京五輪の星」として注目を集めていた。だが、そのオリンピックイヤーの男子走高跳の有力選手に平松の名が挙がることはほとんどない。誰もが「素材は一級品」と語るジャンパーは24歳になった。なぜ大舞台から消えたのか――その現在地を追った。
ジャンパー膝と重圧に苦しむ
2015年5月の日産スタジアム。競技場の視線は一人の男に注がれていた。高卒1年目の18歳。筑波大の平松祐司は、走高跳で学生歴代2位タイとなる2m28をクリアして1年生優勝を飾った。
「大学1年目で世界選手権に出る」。高校卒業前から強気に公言し続けていた平松は、宣言通り、その夏の北京世界選手権に出場した。さらに翌年には関東インカレを連覇し、U20世界選手権で6位入賞。期待のハイジャンパーには明るい未来が待っているはずだった。
だが――その後、平松は大舞台でその輝きを放つことから長く遠ざかるようになってしまう。
「調子が良かった2015年に、勝たなければいけない、負けてはいけないという感覚になってしまい、それがストレスになりました」
心のバランスが保てなくなると同時に、身体にも異変が起きる。高2くらいから踏み切り脚の左膝に痛みを感じるようになっていたというが、大学1年くらいまでは「良い跳躍をしていれば痛みがない」状態。その割合が徐々に増え始める。大学2年目の5月には足首を圧迫捻挫。リオ五輪イヤーは日本選手権を欠場し、「ぶっつけ本番」でU20世界選手権に出場した。
「今思うと、試合に出続けていたことと、膝の関節をガチッと固めて跳んでいる感覚で、膝の機能を正しく使えていなかったのではないかと思います」
平松を苦しめたのは、職業病とも言える「ジャンパー膝」。休むとある程度は痛みが治まるが、動くと痛みが出る。ひどい時には階段を上るのも違和感があった。
それまでは、ごまかしながらも2m20は跳べていたものが、17年シーズンを迎える頃には「はじめまして、というか、本当に跳び方がわからない状態」に陥る。跳べない焦りと勝ちを求められる状況。心身ともに悩みを抱えていたが、師事を仰ぐ筑波大の図子浩二先生が16年6月に急逝していたこともあり、誰かに不安を打ち明けられなかった。
「自分の中でプライドがあって、強くなければいけないという部分もありました。誰かに相談することもなく、『休む』という判断しかできず、2ヵ月ほど練習もしていなかったと思います」
17年は5月の静岡国際以降、走高跳の試合には出場しなかった。春先はコンディションも良かったが、次第に膝の痛みが違う部位に出るようになり、心がプツンと切れる。「良くなっていたのに、また……。整理ができなかった。モチベーションの維持が難しくなりました。辞めたほうが楽だし、競技と向き合いたくないという時間のほうが長かったです。辞めてもいいなって」。心も身体も限界だった。
18歳の若さで世界選手権に出場した平松
筑波大の主将として成長
平松は「サッカー一家」に生まれた。父は全国高校サッカー選手権出場経験を持ち、母方の叔父はJリーグ・フロンターレ川崎の監督を務めていたこともある高畠勉氏(現・広州恒大淘宝足球倶楽部のU-17監督)。兄も、いとこも、そして自身も、みんなボールを蹴っていた。
京都・男山東中学時代もサッカー部に所属。身体能力は抜群で、特にヘディングでは無類の強さを誇っていたという。陸上部の練習に参加したのは「足が速くなりたかった」から。その時、平松のバネを陸上部の顧問だった吉田真人先生が見出し、走高跳の試合に出場。少しずつ陸上に心が傾き、西城陽高には陸上をするために進んだ。
1年目からインターハイ6位。2年時にはインターハイ4位、アジアユース選手権優勝など、さらに飛躍。集大成の3年時にはインターハイと国体で優勝し、ユースオリンピックで2位。三段跳でも非凡な才能を発揮している。
誰が見ても素材は「超一流」だと評判だった。当時「勝って当たり前」「調子に乗るタイプ」と豪語していたように、いつでも強気な発言で自らを鼓舞する強烈な個性も持ち合わせた。ピットに立つとライバルたちを自分のペースへと引き込む圧倒的な存在感。日本陸連ダイヤモンドアスリートにも選ばれた、跳躍界のホープだった。
その期待を一身に背負って跳び続け、そして壊れかけた平松。ギリギリのところで支えたのは、「自分を超えたい」という強い思いだった。
「辞めるか、辞めないか。それを考える前に何ができたのか、自分は何がしたかったのかをしっかり考えました。そうすると、やっぱりオリンピックに出たい。そして、大学1年目の自分を超えたいという思いがすごく強かったんです。それだったら、ここで辞めたらアカンのちゃうかなって。これは続けるしかないよなって。そう思ったんです」
自分を変えたい。そう思った平松は、大学最終学年を前に筑波大の主将に立候補する。だが、一時は自分本位にグラウンドから離れ、結果も残せていない男。当然、就任反対の声もあった。それでも「気にするな」と背中を押してくれた同期などの支えもあり、名門の主将として最終学年を過ごす。
200人近くいる個性派集団を「どうやって引っ張っていけばいいんだろうと悩みや葛藤もありました」。一方で、個人としては「陸上を続けたい、また跳びたいという気持ちが主将になったことでさらに強くなった」と言う。
チームも少しずつまとまり、日本インカレでは男子総合3位。自身もその年、初めて全助走で臨み、「膝の痛みもあって5本くらいが限界だろう」という状態で、シーズンベストとなる2m15を跳んで4位に入った。
「頼りない主将でしたが、周りが支えてくれたお陰で形にできたと思います。自分の実績はあんまりでしたが、大学として結果を残せたのはうれしかったです。社会人になってから感じますが、人に何かを伝えるとか、柔軟に対応する能力とか、成長できる経験だったと思います」
スタンドにいた筑波大の応援団から大きな拍手が送られた。やっぱり平松には大舞台がよく似合う。
筑波大4年時には主将を務め、それをきっかけに気持ちも再び上昇気流を描くようになった
手術を決断して気持ちが前向きに
平松は筑波大を卒業し、地元・京都に戻り、母校・西城陽高で高校生たちと一緒に金見紀宜先生の元で練習することを決断する。サッカー少年を走高跳日本一にまでしてくれた信頼できる恩師の元で、再起を誓った。
JOC(日本オリンピック委員会)のアスリート支援「アスナビ」を活用し、繊維や不動産、資材を取り扱う商社「辰野株式会社」に入社。午前中を勤務時間に充て、午後は高校生たちと汗を流す。
社会人1年目。「東京五輪を目指す」という表向きの目標とは裏腹に、膝のコンディションはどんどん悪化。シーズン最終戦後、歩くのも苦痛となっていた。筑波の膝の専門医に診てもらったところ、「膝の腱と骨が剥がれ、腱を傷つけている」と診断。その場で手術を即決した。
「正直、すごくホッとした部分がありました。一定期間、休む理由がハッキリしたというか」。無理矢理にでも「世界を目指す」と言わなければいけなかった状況からの脱却。手術を決断したことで、平松の心は前を向いた。
2020年の1月8日に手術。その前に筋肉量を測定すると、膝の筋力は50~60代の女性くらいしか数値が出なかったという。膝を開けると、靱帯の繊維が「白い靱帯が黄色に変色して、ぐちゃぐちゃになっていた」。その部分を一部切除。2ヵ月後にジョギングを始め、腱が固定されないように少しずつ負荷をかけていく。東京五輪の延期が決まったが、まずは自分の身体を整えることに注力した。
ここ数年、走高跳は活況を呈している。大学の先輩である戸邉直人(JAL)が2m35(室内)の日本記録を樹立。戸邉、そして筑波大院卒の衛藤昂(味の素AGF)の2人に、「相談に乗ってくれて、すごくお世話になっている兄貴分」(平松)だという佐藤凌(新潟アルビレックスRC)がドーハ世界選手権に出場した。さら昨年、同学年の真野友博(九電工)が2m31まで記録を伸ばしたのには大きな刺激を受けた。
「真野の跳躍は、動画で何回も見ましたね。安定感もある。一瞬で力を加える動きがすごい。今、トップにいる方々は仲間であり、ライバル。勝負するうえでこういう考えが正しいかはわかりませんが、応援しているような感じで見ていました」
悔しさはもちろん、ある。それよりも同世代や先輩たちが跳ぶ姿が「励みになったり、勉強になったりする」と言う。かつては“どんな相手でも倒す”といった勢いが先行していた。だが、挫折を経験し、名門の主将を務め、社会人になり、大人のアスリートへと変貌を遂げた。
「高校の時からムキになっていた部分もあって、負けたくないし、負けた時に相手を称えるとか、そういう部分に欠けていたと思います。今は『どうやったらあんなふうにできるのか』と勉強になっているんです」
成長した姿は、たくましかったと同時に、ほんの少しだけ寂しくもあった。
母校・西城陽高で高校生たちを汗を流している(本人提供)
まずは日本のトップに舞い戻る
リハビリを経て、昨年は9月に記録会1試合だけ出場(2m10)。「手術をしてから、跳躍練習も平気になりました。少し引っかかる感触の時があるくらい。跳べるというのは幸せですね」。冬季練習も大きなケガなく順調に積めた。「少し跳躍のスタイルを変えているんですが、すごく手応えがあるんです。弾む感覚も良い。やりたいこともわかってきたと思います」と表情は明るい。「三段跳が結構、いいんですよ」。その言葉通り、シーズンインでは2m06を軽々と跳び、三段跳で15m72と自己ベストをマークした。
18歳で北京世界選手権。その後の苦しい経験を踏まえれば、「もしかすると17年のロンドン世界選手権に出たほうがよかったのかもしれない」とも思う。だが、「18歳で出られて現実を突きつけられた。良い経験だったと思います」。
北京で予選敗退した翌日、悔しくて図子先生と2人でサブトラックに向かって練習をした。そこでは、前々日に三段跳で世界一になったばかりのクリスチャン・テイラー(米国)が一人で練習していた。「嘘やろ?」。そんな姿を見られた初めての世界の舞台。やっぱり、もう一度立ちたい。
目指すのは「まず日本のトップと戦うこと。今は勝負できるレベルじゃないですから」。すっかり大人になったなぁ――。そう思った直後だった。
「僕は日本で一番ポテンシャルがあるハイジャンパーだと思っています。それを引き出せるトレーニングができれば、十分に戦えると思っています。下から上へと行く過程が、高校生の時と似ている感じがしますよね」
不敵な笑みを浮かべた表情は、サッカー少年から世界へと一気に跳ね上がった頃と同じ。再びあの舞台へ――。ここ数年深く沈んだ分だけ、誰よりも高く遠くへと到達するつもりでいる。
走高跳界の「ワンダーボーイ」も24歳になったが、キャリアを重ねるのはまだまだこれからだ(本人提供)
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ひらまつ・ゆうじ/1997年1月11日生まれ。京都府出身。男山東中(京都)→西城陽高→筑波大→辰野。中学までサッカー部で、高校から本格的に陸上を始める。高校1年生でインターハイ入賞。2年時にはユース五輪銀メダル、3年時にインターハイ優勝。筑波大1年目には18歳で北京世界選手権に出場。翌年にはU20世界選手権6位。19年に筑波大を卒業し、地元・京都に戻り「アスナビ」を活用して辰野に入社して競技を続けている。自己ベスト2m28(日本歴代8位タイ)
文/向永拓史

ジャンパー膝と重圧に苦しむ
2015年5月の日産スタジアム。競技場の視線は一人の男に注がれていた。高卒1年目の18歳。筑波大の平松祐司は、走高跳で学生歴代2位タイとなる2m28をクリアして1年生優勝を飾った。 「大学1年目で世界選手権に出る」。高校卒業前から強気に公言し続けていた平松は、宣言通り、その夏の北京世界選手権に出場した。さらに翌年には関東インカレを連覇し、U20世界選手権で6位入賞。期待のハイジャンパーには明るい未来が待っているはずだった。 だが――その後、平松は大舞台でその輝きを放つことから長く遠ざかるようになってしまう。 「調子が良かった2015年に、勝たなければいけない、負けてはいけないという感覚になってしまい、それがストレスになりました」 心のバランスが保てなくなると同時に、身体にも異変が起きる。高2くらいから踏み切り脚の左膝に痛みを感じるようになっていたというが、大学1年くらいまでは「良い跳躍をしていれば痛みがない」状態。その割合が徐々に増え始める。大学2年目の5月には足首を圧迫捻挫。リオ五輪イヤーは日本選手権を欠場し、「ぶっつけ本番」でU20世界選手権に出場した。 「今思うと、試合に出続けていたことと、膝の関節をガチッと固めて跳んでいる感覚で、膝の機能を正しく使えていなかったのではないかと思います」 平松を苦しめたのは、職業病とも言える「ジャンパー膝」。休むとある程度は痛みが治まるが、動くと痛みが出る。ひどい時には階段を上るのも違和感があった。 それまでは、ごまかしながらも2m20は跳べていたものが、17年シーズンを迎える頃には「はじめまして、というか、本当に跳び方がわからない状態」に陥る。跳べない焦りと勝ちを求められる状況。心身ともに悩みを抱えていたが、師事を仰ぐ筑波大の図子浩二先生が16年6月に急逝していたこともあり、誰かに不安を打ち明けられなかった。 「自分の中でプライドがあって、強くなければいけないという部分もありました。誰かに相談することもなく、『休む』という判断しかできず、2ヵ月ほど練習もしていなかったと思います」 17年は5月の静岡国際以降、走高跳の試合には出場しなかった。春先はコンディションも良かったが、次第に膝の痛みが違う部位に出るようになり、心がプツンと切れる。「良くなっていたのに、また……。整理ができなかった。モチベーションの維持が難しくなりました。辞めたほうが楽だし、競技と向き合いたくないという時間のほうが長かったです。辞めてもいいなって」。心も身体も限界だった。
筑波大の主将として成長
平松は「サッカー一家」に生まれた。父は全国高校サッカー選手権出場経験を持ち、母方の叔父はJリーグ・フロンターレ川崎の監督を務めていたこともある高畠勉氏(現・広州恒大淘宝足球倶楽部のU-17監督)。兄も、いとこも、そして自身も、みんなボールを蹴っていた。 京都・男山東中学時代もサッカー部に所属。身体能力は抜群で、特にヘディングでは無類の強さを誇っていたという。陸上部の練習に参加したのは「足が速くなりたかった」から。その時、平松のバネを陸上部の顧問だった吉田真人先生が見出し、走高跳の試合に出場。少しずつ陸上に心が傾き、西城陽高には陸上をするために進んだ。 1年目からインターハイ6位。2年時にはインターハイ4位、アジアユース選手権優勝など、さらに飛躍。集大成の3年時にはインターハイと国体で優勝し、ユースオリンピックで2位。三段跳でも非凡な才能を発揮している。 誰が見ても素材は「超一流」だと評判だった。当時「勝って当たり前」「調子に乗るタイプ」と豪語していたように、いつでも強気な発言で自らを鼓舞する強烈な個性も持ち合わせた。ピットに立つとライバルたちを自分のペースへと引き込む圧倒的な存在感。日本陸連ダイヤモンドアスリートにも選ばれた、跳躍界のホープだった。 その期待を一身に背負って跳び続け、そして壊れかけた平松。ギリギリのところで支えたのは、「自分を超えたい」という強い思いだった。 「辞めるか、辞めないか。それを考える前に何ができたのか、自分は何がしたかったのかをしっかり考えました。そうすると、やっぱりオリンピックに出たい。そして、大学1年目の自分を超えたいという思いがすごく強かったんです。それだったら、ここで辞めたらアカンのちゃうかなって。これは続けるしかないよなって。そう思ったんです」 自分を変えたい。そう思った平松は、大学最終学年を前に筑波大の主将に立候補する。だが、一時は自分本位にグラウンドから離れ、結果も残せていない男。当然、就任反対の声もあった。それでも「気にするな」と背中を押してくれた同期などの支えもあり、名門の主将として最終学年を過ごす。 200人近くいる個性派集団を「どうやって引っ張っていけばいいんだろうと悩みや葛藤もありました」。一方で、個人としては「陸上を続けたい、また跳びたいという気持ちが主将になったことでさらに強くなった」と言う。 チームも少しずつまとまり、日本インカレでは男子総合3位。自身もその年、初めて全助走で臨み、「膝の痛みもあって5本くらいが限界だろう」という状態で、シーズンベストとなる2m15を跳んで4位に入った。 「頼りない主将でしたが、周りが支えてくれたお陰で形にできたと思います。自分の実績はあんまりでしたが、大学として結果を残せたのはうれしかったです。社会人になってから感じますが、人に何かを伝えるとか、柔軟に対応する能力とか、成長できる経験だったと思います」 スタンドにいた筑波大の応援団から大きな拍手が送られた。やっぱり平松には大舞台がよく似合う。
手術を決断して気持ちが前向きに
平松は筑波大を卒業し、地元・京都に戻り、母校・西城陽高で高校生たちと一緒に金見紀宜先生の元で練習することを決断する。サッカー少年を走高跳日本一にまでしてくれた信頼できる恩師の元で、再起を誓った。 JOC(日本オリンピック委員会)のアスリート支援「アスナビ」を活用し、繊維や不動産、資材を取り扱う商社「辰野株式会社」に入社。午前中を勤務時間に充て、午後は高校生たちと汗を流す。 社会人1年目。「東京五輪を目指す」という表向きの目標とは裏腹に、膝のコンディションはどんどん悪化。シーズン最終戦後、歩くのも苦痛となっていた。筑波の膝の専門医に診てもらったところ、「膝の腱と骨が剥がれ、腱を傷つけている」と診断。その場で手術を即決した。 「正直、すごくホッとした部分がありました。一定期間、休む理由がハッキリしたというか」。無理矢理にでも「世界を目指す」と言わなければいけなかった状況からの脱却。手術を決断したことで、平松の心は前を向いた。 2020年の1月8日に手術。その前に筋肉量を測定すると、膝の筋力は50~60代の女性くらいしか数値が出なかったという。膝を開けると、靱帯の繊維が「白い靱帯が黄色に変色して、ぐちゃぐちゃになっていた」。その部分を一部切除。2ヵ月後にジョギングを始め、腱が固定されないように少しずつ負荷をかけていく。東京五輪の延期が決まったが、まずは自分の身体を整えることに注力した。 ここ数年、走高跳は活況を呈している。大学の先輩である戸邉直人(JAL)が2m35(室内)の日本記録を樹立。戸邉、そして筑波大院卒の衛藤昂(味の素AGF)の2人に、「相談に乗ってくれて、すごくお世話になっている兄貴分」(平松)だという佐藤凌(新潟アルビレックスRC)がドーハ世界選手権に出場した。さら昨年、同学年の真野友博(九電工)が2m31まで記録を伸ばしたのには大きな刺激を受けた。 「真野の跳躍は、動画で何回も見ましたね。安定感もある。一瞬で力を加える動きがすごい。今、トップにいる方々は仲間であり、ライバル。勝負するうえでこういう考えが正しいかはわかりませんが、応援しているような感じで見ていました」 悔しさはもちろん、ある。それよりも同世代や先輩たちが跳ぶ姿が「励みになったり、勉強になったりする」と言う。かつては“どんな相手でも倒す”といった勢いが先行していた。だが、挫折を経験し、名門の主将を務め、社会人になり、大人のアスリートへと変貌を遂げた。 「高校の時からムキになっていた部分もあって、負けたくないし、負けた時に相手を称えるとか、そういう部分に欠けていたと思います。今は『どうやったらあんなふうにできるのか』と勉強になっているんです」 成長した姿は、たくましかったと同時に、ほんの少しだけ寂しくもあった。
まずは日本のトップに舞い戻る
リハビリを経て、昨年は9月に記録会1試合だけ出場(2m10)。「手術をしてから、跳躍練習も平気になりました。少し引っかかる感触の時があるくらい。跳べるというのは幸せですね」。冬季練習も大きなケガなく順調に積めた。「少し跳躍のスタイルを変えているんですが、すごく手応えがあるんです。弾む感覚も良い。やりたいこともわかってきたと思います」と表情は明るい。「三段跳が結構、いいんですよ」。その言葉通り、シーズンインでは2m06を軽々と跳び、三段跳で15m72と自己ベストをマークした。 18歳で北京世界選手権。その後の苦しい経験を踏まえれば、「もしかすると17年のロンドン世界選手権に出たほうがよかったのかもしれない」とも思う。だが、「18歳で出られて現実を突きつけられた。良い経験だったと思います」。 北京で予選敗退した翌日、悔しくて図子先生と2人でサブトラックに向かって練習をした。そこでは、前々日に三段跳で世界一になったばかりのクリスチャン・テイラー(米国)が一人で練習していた。「嘘やろ?」。そんな姿を見られた初めての世界の舞台。やっぱり、もう一度立ちたい。 目指すのは「まず日本のトップと戦うこと。今は勝負できるレベルじゃないですから」。すっかり大人になったなぁ――。そう思った直後だった。 「僕は日本で一番ポテンシャルがあるハイジャンパーだと思っています。それを引き出せるトレーニングができれば、十分に戦えると思っています。下から上へと行く過程が、高校生の時と似ている感じがしますよね」 不敵な笑みを浮かべた表情は、サッカー少年から世界へと一気に跳ね上がった頃と同じ。再びあの舞台へ――。ここ数年深く沈んだ分だけ、誰よりも高く遠くへと到達するつもりでいる。
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