2025.04.20

「マラソンで世界へ」再び走り始めることを決意
24年2月のレースでは優勝。「陸上ではなかなか“一番”が取れなかったんですが、初めてゴールテープを切ったのは本当にうれしくて、帰ってきたなって感じました」。そうしているうちに、さまざまなトレイルランナーやウルトラマラソンに挑戦する人と交流していくうちに、「私は100キロも楽しめない。せいぜい40キロくらい。山道も下りがへたなんです。それよりロードを走っているほうが楽しい」と改めて感じた。
3月に出た神戸のレースは国際大会で、久しぶりに海外選手と競り合うと、心に火がともった。「トレイルを始めたばかりの私なんて一切、歯が立たなかったのですが、なんだかいいなって思いました」。あの場所に戻りたい。マラソンで戻りたい。徐々に山練習からロード練習の頻度が増えた。
復帰する上で、「どれくらいの力がわからなかったので状態を確認しよう」とトラックの5000mのトライアルをした。「18分かかったら復帰を辞めようと思った」が、結果は17分。「いくら山だけだと言っても17分もかかったんですよ」とショックを受けた。そこから1ヵ月は「自分でメニューを立てたことがなかったのですが、いろいろ考えるのも楽しかったです」。玉城先生にも時折メニューの相談をして、再び5000mのタイムトライアルをしたら、16分40秒まで上げられた。「やっていることは間違いじゃない」
これまで一人暮らしをしたことがなかったこともあり、現役復帰を目指して心機一転、兵庫に移ったのが昨年6月。「競技をするなら、食事も自分で作れるようにならないと」。母は「多分、心配はしていたと思いますが、走っている私のことが好きなのでうれしさ半分、心配半分、かな」。やりたいようにやればいい、と背中を押してくれた。
再び走り始めた自分に、「走ってくれてありがとう」と声をかけられることが増えた。「走るだけで感謝されて、人の心を動かせるなんて、何て素晴らしいことなんだろう」。やっぱり、走ることは人生から外せない。
12月には2年ぶりとなるトラックレースに出場し、5000mを15分54秒35。生涯かけて16分を切れないランナーが山ほどいる中で、やはり萩谷は特別な才能を持って生まれている。

再び走り始めた萩谷。新たな出会いも大切な宝物になった(提供写真)
今は関東に移り、玉城先生にアドバイスをもらいながら1人でトレーニングする日々で、所属先なども「考え中」だ。金銭面も決して楽ではない。「30km走をやっても給水をどうするか。走っている間に荷物を盗られたこともあります」。練習後にご飯を作るのも大変だが「全部1人でやるのは楽しいです」。時間的な余裕があるため、「自分で考えたことを絵に描いたり、図書館に行ってたくさん本を借りたい。アスリートフードマイスターの資格も考えています」。実は母が先にその資格を持っていたのは驚きの事実だったそうだ。
「やっぱり、やるからにはもう一度世界で戦いたいと思っています。今はそんなことを言えるレベルじゃないので恥ずかしいのですが。実現できるかわからないけど、戻ると決めたからには、満足するまでとことん挑戦したい。まずはどこかでマラソンを走って、42キロの感覚を知りたいです。ロサンゼルス五輪と言いたいけど簡単じゃないし、時間もない。でも例えばもっとタフな、ニューヨークシティやボストンなど、海外レースで活躍したいという重いもあります。“世界の川内優輝”みたいなの、あこがれます!」
走り続けて、立ち止まって、また走り出したから伝えられることもある。
「えらそうなことは言えませんが、どうせやるなら楽しんだほうがいいなって思います。いつまでもアスリートをできるわけではない。再スタートを切って限られた時間、残された時間を、楽しいと思って走りたい」
歯を食いしばり、拳を握り、眉間にしわを寄せて激走していた。その姿もまた魅力的なランナーだった。自分で選んだ道に戻って、走り始めた萩谷楓。今度は、また違った表情で颯爽と駆け抜ける姿が見られるかもしれない。そう思うと胸が弾んだ。
はぎたに・かえで/2000年10月10日生まれ。24歳。長野県出身。長野東高卒。自己ベストは1500m4分11秒34、5000m14分59秒36(日本歴代5位)
構成/向永拓史


実家に戻り、アルバイトをしながら教習所通いの日々
「元々、私は“ゼロか100か”みたいな性格なので、やるなら世界大会を目指す。やれないのなら、一切競技から離れると考えました。その時は、休んでもう一回走るというのは考えていなかったです。ずっと前を見て走ることしかしてこなくて、それ以外をやろうとも思わなかった。幼い頃の夢とかもなかったです。急に辞めることになって迷惑をかけたのに、『また走るかもしれません』とは言えなかった」 退社して長野の実家に帰った。恩師の玉城先生に報告すると「そうか」とすぐに察してくれて咎められることはなかった。母は走らなくなったことに何も言わなかった。「楓が決めたことなら違う道でも応援する。走っていても走っていなくても、楓は楓だから」。この言葉にスッと心が軽くなったのを感じた。 「長野では車の免許がないと“生きていけない”と思ったんで、まずは教習所に通いました。でも、運転のセンスがなくて…(笑)。私、こう見えて何でもわりかしできる人生だったんです。マラソン大会でも1位で、勉強もそれほど苦手じゃなかった。まさか、こんなにも“できないこと”にぶち当たるなんて。私、どんなにきついポイント練習もできますが、教習所はしばらくサボって、免許を取るまで時間がかかりました。走るほうが楽だし、30キロくらいなら走ったほうが速いですから(笑)」 駅前のホテルの食堂で、朝5時から11時までアルバイトを週6回。ここでもストイックな性格がのぞく。「昼間を有効に使いたかったので、どうせやるなら一気に入れちゃえって。実業団の朝練習より早起きで頑張りました。でも、それでも1日10,000円にもならない。働くって大変だなと思いました」。長い時間をかけた免許も無事に取れて、「ふらふらしていました」。次に何をしようか考える日々だった。 競技を離れてから走ることはなかった。正確には「走っちゃいけない」と感じていた日々だった。 「しばらく走らなかったですね。走っちゃいけないと思ってたんで。ああいう理由で実業団を辞めた以上は。正直、辞めた時もまだまだ走っていたかったです。あんな状態でもそう思っている自分がいるのも気づいていました。でも、できる状況ではないし、あのまま走り続けたらもっと壊れていました。自分を守るために、走るのを辞めないといけない。走りたい思いがあっても蓋をしたんです」 23年の秋に誘われたのが再び走り始めたきっかけだった。 「高校の時に使っていた練習のコースを、当時から走っていたおっちゃんがいるんです。その時はおっちゃんがトレイルランをしているとは知らなくて、というより、そもそも、トレイルランを知らなかった。『おっちゃん、よう走ってんなぁ』くらいに見ていたのですが、話を聞くと『トレイルラン』をしていると。トレイルって何? っていうところがでした。『今後、どこかの山に一緒に走りに行こうよ』と誘ってもらったんです」 [caption id="attachment_167149" align="alignnone" width="800"]
「マラソンで世界へ」再び走り始めることを決意
24年2月のレースでは優勝。「陸上ではなかなか“一番”が取れなかったんですが、初めてゴールテープを切ったのは本当にうれしくて、帰ってきたなって感じました」。そうしているうちに、さまざまなトレイルランナーやウルトラマラソンに挑戦する人と交流していくうちに、「私は100キロも楽しめない。せいぜい40キロくらい。山道も下りがへたなんです。それよりロードを走っているほうが楽しい」と改めて感じた。 3月に出た神戸のレースは国際大会で、久しぶりに海外選手と競り合うと、心に火がともった。「トレイルを始めたばかりの私なんて一切、歯が立たなかったのですが、なんだかいいなって思いました」。あの場所に戻りたい。マラソンで戻りたい。徐々に山練習からロード練習の頻度が増えた。 復帰する上で、「どれくらいの力がわからなかったので状態を確認しよう」とトラックの5000mのトライアルをした。「18分かかったら復帰を辞めようと思った」が、結果は17分。「いくら山だけだと言っても17分もかかったんですよ」とショックを受けた。そこから1ヵ月は「自分でメニューを立てたことがなかったのですが、いろいろ考えるのも楽しかったです」。玉城先生にも時折メニューの相談をして、再び5000mのタイムトライアルをしたら、16分40秒まで上げられた。「やっていることは間違いじゃない」 これまで一人暮らしをしたことがなかったこともあり、現役復帰を目指して心機一転、兵庫に移ったのが昨年6月。「競技をするなら、食事も自分で作れるようにならないと」。母は「多分、心配はしていたと思いますが、走っている私のことが好きなのでうれしさ半分、心配半分、かな」。やりたいようにやればいい、と背中を押してくれた。 再び走り始めた自分に、「走ってくれてありがとう」と声をかけられることが増えた。「走るだけで感謝されて、人の心を動かせるなんて、何て素晴らしいことなんだろう」。やっぱり、走ることは人生から外せない。 12月には2年ぶりとなるトラックレースに出場し、5000mを15分54秒35。生涯かけて16分を切れないランナーが山ほどいる中で、やはり萩谷は特別な才能を持って生まれている。 [caption id="attachment_167148" align="alignnone" width="607"]

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