HOME 編集部コラム

2025.04.18

NEWS
編集部コラム「20年とカツ丼」

毎週金曜日更新!?
★月陸編集部★
攻め(?)のアンダーハンド
リレーコラム🔥
毎週金曜日(できる限り!)、月刊陸上競技の編集部員がコラムをアップ!
陸上界への熱い想い、日頃抱いている独り言、取材の裏話、どーでもいいことetc…。
編集スタッフが週替りで綴って行きたいと思います。
暇つぶし程度にご覧ください!

第285回「20年とカツ丼(井上 敦)

先日、とある飲食店でカツ丼を見て思い返すことがありました。

今から20年前。2005年4月21日(多分)に私はメディアの世界で仕事を始めました。地元・新潟に現在も支局があるスポーツ紙の支局契約記者(ライター)です。

一応、大学はメディア関係を専攻し、学生時代のアルバイト先は全国紙の編集局。勤務先は社内だけでなく、仕事の関係で永田町にも行きました。

業界の現場にはいましたが、文章を書いた経験はほぼなく、マスコミ入社向けのスクールにも通っていません。26歳で支局契約記者になりましたが、その前は地元のスポーツショップでのアルバイト店員。そんな人物を採用していただき、当時の支局長には、ただただ感謝です。そこで、人生の運の半分ぐらいは使ったかも。

広告の下にコンテンツが続きます

そんな訓練がされていないまま、現場に放りこまれました。1週間後には春の高校野球の支部予選取材です。野球のルールは知っているけど経験者ではないので、先輩記者からスコアブックの書き方を教わり、試合後は話を聞き、記事を書く。

しかし、1行11字×15行や30行の短い原稿にも苦戦。時間がかかります。そのうえ、書いた文章は赤字(修正ヵ所)ばかり。怒られることも多々ありました。

それでも、若かったし、スポーツだけでなく芸能も含めてさまざまな取材ができた楽しさもありました。

また、支局の先輩記者はもちろん、他の支局や他媒体の記者から、見て学んだり、実際に教わりました。記事の書き方や取材方法はもちろんですし、撮影も兼ねることが多かったので、一眼レフカメラの扱い方も。まだ、昭和の雰囲気も若干あり、見て学ぶことが多かったかもしれません。

その中で印象に残っている言葉は「スケッチ原稿で終わらせるな。試合に勝つためにカツ丼食ったか、選手に聞いて、原稿に盛り込め」。

試合の展開や、それに関する選手の感想を書くだけでなく、結果を得るために、取り組んできたことなど、エピソードを入れた内容にするという意味です。カツ丼というのは験担ぎという例えで、言ったわけです。

先月、支局で一緒だった先輩記者(4月に支局長から本社の部長に昇進されたそうです)に偶然再会しましたが、当時は「原稿にエピ(エピソード)が無いんだよ」とよく言われて、何とか探そうと必死でした。

私はそんなに頭の回転が良いわけでもなく、要領も悪く何事も不器用。足で稼ぐしかない。

2年目の途中で、バスケットボールチームの担当となりました。大半の練習日が公開され取材もできます。でも、まれに練習会場が変わり、施設の都合で、非公開になって取材ができない日もありました。練習場所を教えてもらえず、心当たりのある体育館などを何ヵ所か車で駆け回ったことも。施設から出てくるところを“出待ち”をして話を聞いたことも数知れず。もう、張り込みみたいなものです。

そういったことでスタッフや選手に私の存在を覚えてもらったり、話をしてくれたりと、本当に勉強になりました。それが私の骨格になっています。

その支局記者は3年で契約が満了しましたが、次の会社(一般ニュースを扱う地方ミニコミ誌)もニュースを探すために、あちこち車で回りました。

スポーツ現場は少なかったけど、町ネタや行政取材、季節の話題やまちの問題などさまざまなテーマを取材して、それまでスポーツしか知識(浅いけど)のなかった私の血肉になりました。

当時は五輪開催地に東京が立候補していた頃。見たいという人もいれば、反対する人もいましたし、興味のない人も。2度目の立候補は待望論も多かったですが、私の周りには明確に反対する人も多かったです。

そして2015年6月からは月陸。中学・高校とやってきた陸上競技をメディアで扱う仕事です。正直言うと、20年前と比べて成長しているのか、今もわかりません。むしろ、20年前のほうがそもそも身体が動けていたし、記事にキレもあったり、何しろ熱かったような……。今でも恥ずかしいケアレスミスしますし……。

このまま、何事もなければあと2ヵ月で月陸在籍は10年。メディアで仕事をしていたうちの半分を過ごしたことになります。心身の疲労がすぐには解消されない年になりましたが、節目を迎え、今年は9月に東京世界選手権があるし、あらためてがんばろうと思う今日この頃です。

井上 敦(いのうえ あつし)
1978年8月生まれ。新潟市江南区出身。横越中→新潟明訓高→某大学(陸上では有名だが、陸上部に入っていないので匿名)。月刊陸上競技編集部には2015年6月中旬から在籍。中学で陸上部に入り最初は100mを始めたものの、ライバルが多く、ある選手(日本を代表するロングスプリンター)の活躍に影響されて400mに転向した。3年夏までメイン種目だったが結果は県大会に届かず。しかし、3年秋の駅伝での爆走やチームの県大会出場をきっかけにまたまた転向を決意。高校は中距離をメインに、2年の県新人戦1500mで6位に入ったのが最高成績だった。

過去の編集部コラムはこちら

毎週金曜日更新!? ★月陸編集部★ 攻め(?)のアンダーハンド リレーコラム🔥 毎週金曜日(できる限り!)、月刊陸上競技の編集部員がコラムをアップ! 陸上界への熱い想い、日頃抱いている独り言、取材の裏話、どーでもいいことetc…。 編集スタッフが週替りで綴って行きたいと思います。 暇つぶし程度にご覧ください!

第285回「20年とカツ丼(井上 敦)

先日、とある飲食店でカツ丼を見て思い返すことがありました。 今から20年前。2005年4月21日(多分)に私はメディアの世界で仕事を始めました。地元・新潟に現在も支局があるスポーツ紙の支局契約記者(ライター)です。 一応、大学はメディア関係を専攻し、学生時代のアルバイト先は全国紙の編集局。勤務先は社内だけでなく、仕事の関係で永田町にも行きました。 業界の現場にはいましたが、文章を書いた経験はほぼなく、マスコミ入社向けのスクールにも通っていません。26歳で支局契約記者になりましたが、その前は地元のスポーツショップでのアルバイト店員。そんな人物を採用していただき、当時の支局長には、ただただ感謝です。そこで、人生の運の半分ぐらいは使ったかも。 そんな訓練がされていないまま、現場に放りこまれました。1週間後には春の高校野球の支部予選取材です。野球のルールは知っているけど経験者ではないので、先輩記者からスコアブックの書き方を教わり、試合後は話を聞き、記事を書く。 しかし、1行11字×15行や30行の短い原稿にも苦戦。時間がかかります。そのうえ、書いた文章は赤字(修正ヵ所)ばかり。怒られることも多々ありました。 それでも、若かったし、スポーツだけでなく芸能も含めてさまざまな取材ができた楽しさもありました。 また、支局の先輩記者はもちろん、他の支局や他媒体の記者から、見て学んだり、実際に教わりました。記事の書き方や取材方法はもちろんですし、撮影も兼ねることが多かったので、一眼レフカメラの扱い方も。まだ、昭和の雰囲気も若干あり、見て学ぶことが多かったかもしれません。 その中で印象に残っている言葉は「スケッチ原稿で終わらせるな。試合に勝つためにカツ丼食ったか、選手に聞いて、原稿に盛り込め」。 試合の展開や、それに関する選手の感想を書くだけでなく、結果を得るために、取り組んできたことなど、エピソードを入れた内容にするという意味です。カツ丼というのは験担ぎという例えで、言ったわけです。 先月、支局で一緒だった先輩記者(4月に支局長から本社の部長に昇進されたそうです)に偶然再会しましたが、当時は「原稿にエピ(エピソード)が無いんだよ」とよく言われて、何とか探そうと必死でした。 私はそんなに頭の回転が良いわけでもなく、要領も悪く何事も不器用。足で稼ぐしかない。 2年目の途中で、バスケットボールチームの担当となりました。大半の練習日が公開され取材もできます。でも、まれに練習会場が変わり、施設の都合で、非公開になって取材ができない日もありました。練習場所を教えてもらえず、心当たりのある体育館などを何ヵ所か車で駆け回ったことも。施設から出てくるところを“出待ち”をして話を聞いたことも数知れず。もう、張り込みみたいなものです。 そういったことでスタッフや選手に私の存在を覚えてもらったり、話をしてくれたりと、本当に勉強になりました。それが私の骨格になっています。 その支局記者は3年で契約が満了しましたが、次の会社(一般ニュースを扱う地方ミニコミ誌)もニュースを探すために、あちこち車で回りました。 スポーツ現場は少なかったけど、町ネタや行政取材、季節の話題やまちの問題などさまざまなテーマを取材して、それまでスポーツしか知識(浅いけど)のなかった私の血肉になりました。 当時は五輪開催地に東京が立候補していた頃。見たいという人もいれば、反対する人もいましたし、興味のない人も。2度目の立候補は待望論も多かったですが、私の周りには明確に反対する人も多かったです。 そして2015年6月からは月陸。中学・高校とやってきた陸上競技をメディアで扱う仕事です。正直言うと、20年前と比べて成長しているのか、今もわかりません。むしろ、20年前のほうがそもそも身体が動けていたし、記事にキレもあったり、何しろ熱かったような……。今でも恥ずかしいケアレスミスしますし……。 このまま、何事もなければあと2ヵ月で月陸在籍は10年。メディアで仕事をしていたうちの半分を過ごしたことになります。心身の疲労がすぐには解消されない年になりましたが、節目を迎え、今年は9月に東京世界選手権があるし、あらためてがんばろうと思う今日この頃です。
井上 敦(いのうえ あつし) 1978年8月生まれ。新潟市江南区出身。横越中→新潟明訓高→某大学(陸上では有名だが、陸上部に入っていないので匿名)。月刊陸上競技編集部には2015年6月中旬から在籍。中学で陸上部に入り最初は100mを始めたものの、ライバルが多く、ある選手(日本を代表するロングスプリンター)の活躍に影響されて400mに転向した。3年夏までメイン種目だったが結果は県大会に届かず。しかし、3年秋の駅伝での爆走やチームの県大会出場をきっかけにまたまた転向を決意。高校は中距離をメインに、2年の県新人戦1500mで6位に入ったのが最高成績だった。
過去の編集部コラムはこちら

次ページ:

       

RECOMMENDED おすすめの記事

    

Ranking 人気記事ランキング 人気記事ランキング

Latest articles 最新の記事

2025.04.19

クレイ・アーロン竜波が800m1分47秒82 石井優吉は1分49秒79/バージニアチャレンジ

バージニアチャレンジは4月18日、米国・バージニア州シャーロッツビルで行われ、男子招待800mでクレイ・アーロン竜波(ペンシルベニア大)が1分47秒82で全体3位に入った。石井優吉は1分49秒79で全体18位だった。 4 […]

NEWS 800m日本記録保持者・久保凛が400mで54秒68の自己新記録!

2025.04.19

800m日本記録保持者・久保凛が400mで54秒68の自己新記録!

大阪高校春季地区別記録会(3、4地区)は4月19日、大阪・ヤンマーフィールド長居で行われ、女子800mで日本記録(1分59秒93)を持つ久保凛(東大阪大敬愛高3)が女子400mで54秒68の自己新記録をマークした。 40 […]

NEWS 中国・韓麒庚が男子砲丸投、円盤投2冠 女子100mも中国の張倩が11秒80でV/U18アジア選手権

2025.04.19

中国・韓麒庚が男子砲丸投、円盤投2冠 女子100mも中国の張倩が11秒80でV/U18アジア選手権

4月15日から18日の4日間、サウジアラビア・ダンマームで第6回U18アジア選手権が行われ、男子円盤投(1.5kg)を63m33で制した韓麒庚(中国)が、砲丸投(5kg)も20m23の大会新で投てき2冠に輝いた。 韓は江 […]

NEWS 男子100m清水空跳、男子110mH髙城昊紀、女子400m今峰紗希が金! 大森恵偉音は走幅跳で7m72w/U18アジア選手権

2025.04.19

男子100m清水空跳、男子110mH髙城昊紀、女子400m今峰紗希が金! 大森恵偉音は走幅跳で7m72w/U18アジア選手権

4月15日から18日の4日間、サウジアラビア・ダンマームで第6回U18アジア選手権が行われ、日本勢は男子100mの清水空跳(星稜高2石川)、男子110mハードルの髙城昊紀(宮崎西高2)、女子400mの今峰紗希(済美高3岐 […]

NEWS 編集部コラム「20年とカツ丼」

2025.04.18

編集部コラム「20年とカツ丼」

毎週金曜日更新!? ★月陸編集部★ 攻め(?)のアンダーハンド リレーコラム🔥 毎週金曜日(できる限り!)、月刊陸上競技の編集部員がコラムをアップ! 陸上界への熱い想い、日頃抱いている独り言、取材の裏話、どーでもいいこと […]

SNS

Latest Issue 最新号 最新号

2025年4月号 (3月14日発売)

2025年4月号 (3月14日発売)

東京世界選手権シーズン開幕特集
Re:Tokyo25―東京世界陸上への道―
北口榛花(JAL) 
三浦龍司(SUBARU)
赤松諒一×真野友博
豊田 兼(トヨタ自動車)×高野大樹コーチ
Revenge
泉谷駿介(住友電工)

page top