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2025.03.28

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【高校生FOCUS】女子三段跳・山﨑りりや(鳴門渦潮高)日本高校女子初の13m到達、大学で学生記録挑戦
【高校生FOCUS】女子三段跳・山﨑りりや(鳴門渦潮高)日本高校女子初の13m到達、大学で学生記録挑戦

3年間通った高校の前で(提供写真)

FOCUS! 高校生INTERVIEW
山﨑りりや Yamasaki Ririya
鳴門渦潮高3徳島
高校アスリートをフォーカスするコーナー。年度末を迎えますが、振り返ってみれば、2024年度は高校生による日本記録樹立を含め、高校記録が次々と更新され、活況の1年でした。そこで、年度最後となる今回は、昨年の佐賀国民スポーツ大会少年女子共通三段跳で高校新記録となる13m03をマークした山﨑りりや選手(鳴門渦潮高3徳島※4月から順大進学)に登場していただきました。山﨑選手が高校3年間と新生活への思いを語っています。

昨夏に三段跳へ本格シフト

――3年生の秋で迎えた昨年の佐賀国民スポーツ大会三段跳(少年共通)で13m03(+1.7)の、高校新記録、U20日本新記録を打ち立てました。どんな高校3年間でしたか。
山﨑 U20日本記録を出せたのは嬉しかったですが、3年生の夏までは全然記録を出せませんでした。目標にしていたインターハイ優勝も逃してしまって、「やり切れなかった」という気持ちが強いです。

――「やり切れなかった」と思う一番の理由は。
山﨑 入学した時から走幅跳での「インターハイ優勝」を目標にしていました。顧問の藤川健司先生には、1年生の時から走幅跳の高校記録(6m44)が狙えると言っていただいてきました。3年生のシーズンはそれを達成したいと思いながら練習してきたので、実現できなかった悔しさが残っています。

――走幅跳と三段跳は、ご自身の中でどのぐらいの割合で取り組んでいましたか。
山﨑 三段跳の試合に初めて出たのは2年生の秋ですが、3年生の夏までは、気持ちも練習も完全に走幅跳でした。三段跳でも福岡インターハイに出場しましたが、メインは走幅跳という感じでした。当初、佐賀国スポも2種目出場を狙っていましたが、三段跳だけになったので、そこからは完全に三段跳の練習にシフトしました。

――三段跳で高校記録、U20日本記録が出たことについては、どんな気持ちでしたか。
山﨑 三段跳に集中してからは、高校記録(当時:12m96)を超える13mを目標にしていました。それが達成できたことは、良かったなと思います。ですが、走幅跳でも高校記録を更新できたら、もっと良い3年間だったと言えたのかなと思います。

――走幅跳をメインにしていた理由は。
山﨑 技術的に大きな違いは感じていないのですが、2年生の冬に腰椎分離症になってからは、三段跳のほうが腰への負担が大きい気がして、厳しいかなと思うようになりました。腰のケガをしてからは思い切って踏み切ることに怖さがあり、しばらくは踏み切りも不安定だったので、走幅跳に集中したいと思いました。

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――腰のケガは、今回が初めてですか。
山﨑 小学5年生の時に患ったのが最初です。それは治りましたが、中学時代に違和感がありました。腰の痛みには波があって、痛い時もあれば、そんなに痛くない時もあります。高校2年生の冬に腰椎分離症になってからは3年生のインターハイまで、痛くならないか、結構ビクビクながら跳んでいました。

――高校3年間で、腰に不安を感じない時期は。
山﨑 少なかったです。痛みが出ることもあって、その中でできるメニューをこなしてきました。ただ、最近は、走幅跳のほうが腰の負担があると感じるようになったので、大学(順大)では三段跳をメインに競技を続けます。走幅跳もまたやりたくなったら、割合を増やしていくかもしれません。

――3年間で一番成長したのはどこだと思いますか。
山﨑 走幅跳は、スプリント力が伸びた時期に自己ベスト(6m02/2年時の2023年10月)が出たので、助走スピードが速くなったことが結果につながったと思います。三段跳で記録が伸びたのは、補強の成果ではないでしょうか。ケガで走れなかった時期にずっと補強をしていて、特に腹筋周りは1年生の頃とは比べられないぐらい強くなりました。補強は今でも続けていて、自分で考えたメニューを自宅でやっています。

――三段跳の記録更新にも、助走スピードの向上が生きていますか。
山﨑 ケガで走れない時期を経て、そのままシーズンに入ったので、3年生になってから助走スピードが落ちました。なので、補強の成果とスプリント力の良い時期が重なったことがないんです。三段跳はやはり補強の成果と三段跳の練習を集中的にやったことの成果だと思います。

――ダイナミックな跳躍が持ち味と聞きました。
山﨑 藤川先生からは、「みんなが怖がる動きでも、ちゅうちょなくできるから」だと言われます。どんな動きでも、あんまり怖いと思ったことがなくて、とりあえずやってみようと思ってやれるタイプです。でも、器用ではないので、言われた技術をすぐできるわけではなく、繰り返しながら習得していく感じです。

FOCUS! 高校生INTERVIEW 山﨑りりや Yamasaki Ririya 鳴門渦潮高3徳島 高校アスリートをフォーカスするコーナー。年度末を迎えますが、振り返ってみれば、2024年度は高校生による日本記録樹立を含め、高校記録が次々と更新され、活況の1年でした。そこで、年度最後となる今回は、昨年の佐賀国民スポーツ大会少年女子共通三段跳で高校新記録となる13m03をマークした山﨑りりや選手(鳴門渦潮高3徳島※4月から順大進学)に登場していただきました。山﨑選手が高校3年間と新生活への思いを語っています。

昨夏に三段跳へ本格シフト

――3年生の秋で迎えた昨年の佐賀国民スポーツ大会三段跳(少年共通)で13m03(+1.7)の、高校新記録、U20日本新記録を打ち立てました。どんな高校3年間でしたか。 山﨑 U20日本記録を出せたのは嬉しかったですが、3年生の夏までは全然記録を出せませんでした。目標にしていたインターハイ優勝も逃してしまって、「やり切れなかった」という気持ちが強いです。 ――「やり切れなかった」と思う一番の理由は。 山﨑 入学した時から走幅跳での「インターハイ優勝」を目標にしていました。顧問の藤川健司先生には、1年生の時から走幅跳の高校記録(6m44)が狙えると言っていただいてきました。3年生のシーズンはそれを達成したいと思いながら練習してきたので、実現できなかった悔しさが残っています。 ――走幅跳と三段跳は、ご自身の中でどのぐらいの割合で取り組んでいましたか。 山﨑 三段跳の試合に初めて出たのは2年生の秋ですが、3年生の夏までは、気持ちも練習も完全に走幅跳でした。三段跳でも福岡インターハイに出場しましたが、メインは走幅跳という感じでした。当初、佐賀国スポも2種目出場を狙っていましたが、三段跳だけになったので、そこからは完全に三段跳の練習にシフトしました。 ――三段跳で高校記録、U20日本記録が出たことについては、どんな気持ちでしたか。 山﨑 三段跳に集中してからは、高校記録(当時:12m96)を超える13mを目標にしていました。それが達成できたことは、良かったなと思います。ですが、走幅跳でも高校記録を更新できたら、もっと良い3年間だったと言えたのかなと思います。 ――走幅跳をメインにしていた理由は。 山﨑 技術的に大きな違いは感じていないのですが、2年生の冬に腰椎分離症になってからは、三段跳のほうが腰への負担が大きい気がして、厳しいかなと思うようになりました。腰のケガをしてからは思い切って踏み切ることに怖さがあり、しばらくは踏み切りも不安定だったので、走幅跳に集中したいと思いました。 ――腰のケガは、今回が初めてですか。 山﨑 小学5年生の時に患ったのが最初です。それは治りましたが、中学時代に違和感がありました。腰の痛みには波があって、痛い時もあれば、そんなに痛くない時もあります。高校2年生の冬に腰椎分離症になってからは3年生のインターハイまで、痛くならないか、結構ビクビクながら跳んでいました。 ――高校3年間で、腰に不安を感じない時期は。 山﨑 少なかったです。痛みが出ることもあって、その中でできるメニューをこなしてきました。ただ、最近は、走幅跳のほうが腰の負担があると感じるようになったので、大学(順大)では三段跳をメインに競技を続けます。走幅跳もまたやりたくなったら、割合を増やしていくかもしれません。 ――3年間で一番成長したのはどこだと思いますか。 山﨑 走幅跳は、スプリント力が伸びた時期に自己ベスト(6m02/2年時の2023年10月)が出たので、助走スピードが速くなったことが結果につながったと思います。三段跳で記録が伸びたのは、補強の成果ではないでしょうか。ケガで走れなかった時期にずっと補強をしていて、特に腹筋周りは1年生の頃とは比べられないぐらい強くなりました。補強は今でも続けていて、自分で考えたメニューを自宅でやっています。 ――三段跳の記録更新にも、助走スピードの向上が生きていますか。 山﨑 ケガで走れない時期を経て、そのままシーズンに入ったので、3年生になってから助走スピードが落ちました。なので、補強の成果とスプリント力の良い時期が重なったことがないんです。三段跳はやはり補強の成果と三段跳の練習を集中的にやったことの成果だと思います。 ――ダイナミックな跳躍が持ち味と聞きました。 山﨑 藤川先生からは、「みんなが怖がる動きでも、ちゅうちょなくできるから」だと言われます。どんな動きでも、あんまり怖いと思ったことがなくて、とりあえずやってみようと思ってやれるタイプです。でも、器用ではないので、言われた技術をすぐできるわけではなく、繰り返しながら習得していく感じです。

淡路出身で高校は鳴門までバス通学

――陸上を始めたきっかけは。 山﨑 走るのが好きで、得意でもあったので、小学4年生から小さな大会に出場するようになりました。小学6年生の時には身長が166cmあって、クラスで一番身長が高かったです。そして、学校の先生に進められて走高跳で試合に出るようになり、全国4位になりました。小学校の自己ベストははさみ跳びで1m42でした。 ――中学で走幅跳に転向されていますね。 山﨑 腰の痛みがあり、背面跳びができなかったので、走幅跳をやるようになりました。腰の痛みがなかったら、そのまま走高跳をやっていたかもしれません。 ――ご自宅は淡路島(兵庫県洲本市)ですが、高校は徳島の鳴門渦潮高に進まれました。 山﨑 近畿にも強豪校はありますが、鳴門へはバスもあって自宅から比較的通いやすく、跳躍専門の先生がいるということで決めました。入学前の練習体験で藤川先生の指導を受けて、「先生に教わりたい」という気持ちが湧きました。 ――高校までは自宅からどのぐらいかかりましたか。 山﨑 約1時間ぐらいです。朝練が7時45分ごろから始まりますが、バスの関係で他のみんなより10分ぐらい遅れて合流して練習していました。 ――鳴門渦潮高に進学して良かったなと思うことは。 山﨑 他の部員(24年度は1~3年生まで21名)との人間関係も結構うまくいって、練習も嫌と思わずにやり抜くことができました。藤川先生に教えてもらえたこともよかったなって思います。 ――3年間で一番うれしかったことは。 山﨑 やはり佐賀国スポですね。試合が終わって、テントに戻った時に藤川先生から「おめでとう」と声をかけてもらった時が一番うれしかったです。 [caption id="attachment_165024" align="alignnone" width="800"] 24年佐賀国スポで高校新記録を打ち立てた山﨑選手[/caption] ――反対に、一番辛い時期はいつで、どう乗り越えましたか。 山﨑 腰椎分離症になって、3~4ヵ月まったく走れない時期は、みんなの練習を見ているのもつらくて、泣きながら補強をしていました。普通に練習することさえできない辛さを味わいました。自分の中では、3年生のシーズンはきついのかなと思っていましたが、先生を含めて、周りが「いける」と言って支えてくれていたので、その期待に応えたいという思いで戦いました。 ――4月からは順大に進学されます。 山﨑 環境が良いのと、三段跳専門の先生(杉林孝法先生)がいらっしゃるのが決め手でした。とりあえず、早く環境に慣れて陸上に集中できるようにしていきたいです。 ――2月の日本選手権室内では、初めてシニアの選手と一緒に戦い、13m39で優勝した船田茜理選手(武庫川女大院)に次ぐ2位(12m65)に入りました。 山﨑 そんなに緊張することもなく、いつも通りの試合ができました。冬の大会なので、あまり記録を狙った大会ではなかったんですが、記録が出て、「まあまあ、いけた」という感じはありました。この冬は少しスプリント力を高めるトレーニングができたので、少しは戻ってきたのかもしれません。国スポよりも走れている感覚はありました。 ――大学での目標は。 山﨑 4年間で成し遂げたいのは、13m81の学生記録の更新です。 構成/田端慶子

山﨑りりや PROFILE

◎やまさき・りりや/2006年5月24日生まれ。兵庫県洲本市出身。五色中―徳島・鳴門渦潮高。小学4年で陸上を始め6年時の18年全国小学生交流大会走高跳は1m38を跳んで4位に入った。中学では3年時に走幅跳で全中に出場し14位。高校は1年生からインターハイに出場(走幅跳と4×100mリレー)している。2年時は走幅跳で4位、特別国体少年共通は3位に入った。3年生の昨年は、5月に三段跳で12m82をマーク。最後のインターハイは走幅跳こそ10位だったが、三段跳で4位と入賞を果たす。国民スポーツ大会では従来の高校記録を7cm更新する13m03。日本人高校女子として初の13m台に到達した。主な自己ベストは走幅跳6m02(23年)、三段跳13m03(24年)。 [caption id="attachment_165026" align="alignnone" width="800"] 2月の日本選手権室内では2位に入った山﨑選手[/caption]

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