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2025.02.27

【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天/第54回「学生スタッフにエールを~大月駅伝の思い出から~」

支える経験はかけがえのない宝物

95年に山梨学院大を卒業した年永昭人君は、現在鹿児島商業高校で教鞭を執りながら指導者の道を歩んでいる。当時を振り返り、このように語ってくれた。

「箱根駅伝翌日の1月4日早朝、甲府市内の武田神社に全部員が集合し、次代へのタスキ渡しを行い、主務としての任が解かれました。第71回箱根駅伝に出場したそれぞれの大学も、同じように時代への引き継ぎがなされたことでしょう。1月中旬、これまで勝負を決してきた各大学の主務をはじめとしたマネージャーたちが、山梨に集いました」

「4年生で主務を任され、箱根駅伝の会議で、何度か顔を合わせ、一度、会議後に懇親会を開催した以外は、連絡を取り合うこともなく、迎えた箱根駅伝でした。甲府では、上田監督も同席した懇親会が行われ、今だから話せる各大学のエピソードや他大学の予想と実際の走りなどを語り合いました。主務としての苦労などの話にはならず、語らずともそれぞれの苦労はわかっていたからでしょう」

「大月駅伝では、各大学のマネージャーが、それぞれの大学のユニフォームを着て同じチームとしてタスキをつなぎました。私は、マネージャーとして入部しましたが、入学当時のチームウェアの購入のさい、試合に出ることはないとわかっていましたが購入していました。約3年9ヵ月ものあいだ、タンスに大事にしまっておいたユニフォームを着て走る時が来るとは思っていませんでした」

「短い距離ではありましたが、ただただうれしく駆け抜けました。ユニフォームを来て走る一員として完結できたことは最高の思い出として記憶にとどめています。卒業後、私の最初の赴任地(鹿児島県伊佐市)にわざわざ東京から車で3人のメンバーが来てくれたこともありました」

「それから、だんだんと疎遠になってきてはいますが、それぞれの母校を、当時の思い出と重ね合わせながら、応援していることだと確信しています。今は教職に就き、選手の育成はもとより、学校の企画運営に携わり、マネージャーとして経験したことが糧となって、日々を過ごしています」

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当時、東海大の主務をしていた溝口政志君は、現在宮崎学園高校で教鞭を執り、選手の育成に努めている。同じく当時をこのように語ってくれた。

「当時の東海大学は箱根駅伝だけ違うユニフォームでした。そのユニフォームで箱根駅伝を走りたいと思って進学しましたが、故障などもあって早々に夢が破れ、かなうことはないと思っていました。大月は寒くて、長袖のユニフォームで登り坂の区間を走らせてもらいました」

「恐れ多くて、ランニングシャツの箱根ユニフォームを着る勇気がなかったのだと思い起こします。大月駅伝に主務たちが集って走る機会を得られたことは、異なる大学ですが、お互いに切磋琢磨してきた仲間との卒業旅行を当時の上田監督が準備していただいたと思っています」

「今は、宮崎学園高校で指導しており、マネージャーを中心にしたチーム作りをしたくて、入部希望のマネージャーには『チームの成績がマネージャーの成績だよ。雑用係じゃないよ。チームを動かす仕事だよ』と話しをしています」と語っていただいた。

同じ時期に東農大で主務をしていた山本毅くんは、卒業後は東農大の職員として勤務している。彼にも当時を振り返ってもらった。

「箱根を走るつもりで進学しましたが、故障続きでした。チームをまとめるために2年生の後半からマネージャーとして活動するように先輩から勧められました。箱根を走る決意を両親に伝えて、東農大に進学を決めたこともあり、一度は郷里に帰ってマネージャーとして活動することを恐る恐る伝えました」

「父親からは一言『そうか、ならば頑張れ』との言葉をもらい、決意を固めました。慣れない仕事で先輩マネージャーからいろいろ教わりながら、やがてさまざまなことに気づけるようになっていきました」

「そして、他大学のマネージャーと交流するようにもなって、同じ苦労をしている仲間という感覚が芽生えていました。箱根駅伝のユニフォームに袖を通す日は来ないと思っていましたが、前年の主務も出走していたので、この年もお誘いを受けてとてもうれしかったです」

「卒業後、2年ほどして日大で主務をしていた岸拓朗君と中大で主務をしていた時崎好功君と、車で鹿児島の年永君のところまで会いに行った思い出があります。主務であったことと、この駅伝でタスキをつなぎ合ったことで結びつきを強くできたと思っています」と語ってくれた。

学生マネージャーとしてキャリアを積み、最終学年では主務としてチームを支える要となった経験はかけがえのない宝物である。そして、彼らの献身がなければどのチームも運営はままならなかったと確信している。

チームごとにさまざまな学生スタッフが配置されているだろう。いかなる立場であろうともその経験を卒業後も社会で生かしてほしいと願っている。

その思いをすべての学生スタッフにエールとして贈りたい。

上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。
山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!

第54回「学生スタッフにエールを~大月駅伝の思い出から~」

寒波が日本列島を包み込むように覆い、各地で豪雪の被害に見舞われた今月であった。幸い甲府は積雪もなく過ぎていったが、盆地特有の朝夕の冷え込みは厳しかった。 その寒さを吹き飛ばすように、別府大分毎日マラソン、香川丸亀国際ハーフマラソンと好レース、好記録に沸くなか、ハーフの世界記録樹立のニュースが飛び込んできた。 5kmを13分38秒、5kmから10kmは13分12秒、15kmまでの5kmは13分17秒、そこからの5kmは13分32秒、最後は3分03秒のラップを刻んだ。10kmごとでは26分50秒、26分49秒。キーボードに打ち込む手が震えるほど、脅威のスピード感が五感を駆け巡った。 「五感を駆け巡る」といった大げさな言葉を使ったが、人間の五感と記憶は密接に連携しているようだ。香りや味、曲や情景などを聴いたり、見たり、味わったりすると、自分が体験したエピソードや記憶が蘇ることがあると言われている。 そのような体験を誰しもが何度かは経験しているはずだ。心理学的に、若い頃に聴いていた親しみのある曲は、自分の経験した「自伝的記憶」として紐づいているそうだ。 1959年、昭和(34年)生まれの私なので、10代の1970年代に聴いていたのは、井上陽水や荒井由実(松任谷由実)、中島みゆきだった。80年に差し掛かる頃からはサザンオールスターズ、山下達郎と続き、今でもたびたび聴いている。米国のロックバンド・イーグルスの『ホテルカリフォルニア』のイントロが流れてくると、作業を中断して今でも聞き入ってしまうほどである。 そんなわけでいろいろと懐かしい曲を選曲して聞き入ってしまう。ゆえに筆がなかなか進まないのだが、ふと90年~95年頃の記憶が蘇った。山梨県で1月に開催される大月市駅伝に各大学の主務(チーフマネージャー)が連合チームで出場した時の思い出である。 大学の主務の存在は大きく、その年のチームカラーを変える影響力があるほどである。チーム運営はもとより、選手の悩みや対外的な渉外活動までその仕事は多岐にわたる。監督の右腕というよりも監督をも動かすくらいの勢いと力量を持つくらいでないと務まらない。思い起こせば、チームを思う気持ちは箱根駅伝でチームのタスキを肩にかけて走る選手を凌駕するほどであった。 [caption id="attachment_131862" align="alignnone" width="800"] 各大学の主務たちのサポートによって、選手たちは競技に集中できている[/caption] 各チームの主務同士も、レースではライバルであっても大会や会議などで顔を合わせるので、それなりに交流があって親交を深めている。 あるとき、選手のやる気に火をつけるために「マネージャーはどんなに君たちやチームのために尽くしても代表のユニフォームやタスキを身に着けることはないんだぞ!」と語ったたことがある。そんな言葉を発しながら、公式戦もしくは箱根駅伝用のランニングシャツとランニングパンツと、そしてタスキを肩に走らせてあげることはできないものかと思っていた。 そこで思いついたのが1月中旬に山梨県大月市で開催されている駅伝で、各大学の主務の連合チームで参加できないかということであった。駅伝のルールでは同一チームのユニフォームは統一しなければならないとあるのだが、大会事務局に参加の趣旨を説明したところ、「各大学の箱根駅伝用ユニフォームでタスキをつないでくれても良いですよ」と快諾していただいた。 前日に甲府市内の小さな温泉宿に集って親睦会を開き、皆と楽しく語り合ったことが思い出される。翌日のレースはその年の箱根駅伝で、チームが使用したランニングとランパンに身を包んで出場。疾走とはいかないよたよたペースで、走り込んでいない身体は悲鳴を上げながらも楽しんで走ってくれた。 マネージャーとして入学してくる者はまれ。入学時は選手であったが、故障や適性などで途中からマネージャー業をこなしてきたものがほとんどである。それぞれさまざまな事情と葛藤を抱えながら、チームのために尽くしてきた。そんな主務たちが卒業前に他大学の主務たちとタスキをつなぐ経験は貴重であった。そして、主務として経験したことをその後の人生につないでほしいと願ってもいた。当時走った主務に連絡してみた。

支える経験はかけがえのない宝物

95年に山梨学院大を卒業した年永昭人君は、現在鹿児島商業高校で教鞭を執りながら指導者の道を歩んでいる。当時を振り返り、このように語ってくれた。 「箱根駅伝翌日の1月4日早朝、甲府市内の武田神社に全部員が集合し、次代へのタスキ渡しを行い、主務としての任が解かれました。第71回箱根駅伝に出場したそれぞれの大学も、同じように時代への引き継ぎがなされたことでしょう。1月中旬、これまで勝負を決してきた各大学の主務をはじめとしたマネージャーたちが、山梨に集いました」 「4年生で主務を任され、箱根駅伝の会議で、何度か顔を合わせ、一度、会議後に懇親会を開催した以外は、連絡を取り合うこともなく、迎えた箱根駅伝でした。甲府では、上田監督も同席した懇親会が行われ、今だから話せる各大学のエピソードや他大学の予想と実際の走りなどを語り合いました。主務としての苦労などの話にはならず、語らずともそれぞれの苦労はわかっていたからでしょう」 「大月駅伝では、各大学のマネージャーが、それぞれの大学のユニフォームを着て同じチームとしてタスキをつなぎました。私は、マネージャーとして入部しましたが、入学当時のチームウェアの購入のさい、試合に出ることはないとわかっていましたが購入していました。約3年9ヵ月ものあいだ、タンスに大事にしまっておいたユニフォームを着て走る時が来るとは思っていませんでした」 「短い距離ではありましたが、ただただうれしく駆け抜けました。ユニフォームを来て走る一員として完結できたことは最高の思い出として記憶にとどめています。卒業後、私の最初の赴任地(鹿児島県伊佐市)にわざわざ東京から車で3人のメンバーが来てくれたこともありました」 「それから、だんだんと疎遠になってきてはいますが、それぞれの母校を、当時の思い出と重ね合わせながら、応援していることだと確信しています。今は教職に就き、選手の育成はもとより、学校の企画運営に携わり、マネージャーとして経験したことが糧となって、日々を過ごしています」 当時、東海大の主務をしていた溝口政志君は、現在宮崎学園高校で教鞭を執り、選手の育成に努めている。同じく当時をこのように語ってくれた。 「当時の東海大学は箱根駅伝だけ違うユニフォームでした。そのユニフォームで箱根駅伝を走りたいと思って進学しましたが、故障などもあって早々に夢が破れ、かなうことはないと思っていました。大月は寒くて、長袖のユニフォームで登り坂の区間を走らせてもらいました」 「恐れ多くて、ランニングシャツの箱根ユニフォームを着る勇気がなかったのだと思い起こします。大月駅伝に主務たちが集って走る機会を得られたことは、異なる大学ですが、お互いに切磋琢磨してきた仲間との卒業旅行を当時の上田監督が準備していただいたと思っています」 「今は、宮崎学園高校で指導しており、マネージャーを中心にしたチーム作りをしたくて、入部希望のマネージャーには『チームの成績がマネージャーの成績だよ。雑用係じゃないよ。チームを動かす仕事だよ』と話しをしています」と語っていただいた。 同じ時期に東農大で主務をしていた山本毅くんは、卒業後は東農大の職員として勤務している。彼にも当時を振り返ってもらった。 「箱根を走るつもりで進学しましたが、故障続きでした。チームをまとめるために2年生の後半からマネージャーとして活動するように先輩から勧められました。箱根を走る決意を両親に伝えて、東農大に進学を決めたこともあり、一度は郷里に帰ってマネージャーとして活動することを恐る恐る伝えました」 「父親からは一言『そうか、ならば頑張れ』との言葉をもらい、決意を固めました。慣れない仕事で先輩マネージャーからいろいろ教わりながら、やがてさまざまなことに気づけるようになっていきました」 「そして、他大学のマネージャーと交流するようにもなって、同じ苦労をしている仲間という感覚が芽生えていました。箱根駅伝のユニフォームに袖を通す日は来ないと思っていましたが、前年の主務も出走していたので、この年もお誘いを受けてとてもうれしかったです」 「卒業後、2年ほどして日大で主務をしていた岸拓朗君と中大で主務をしていた時崎好功君と、車で鹿児島の年永君のところまで会いに行った思い出があります。主務であったことと、この駅伝でタスキをつなぎ合ったことで結びつきを強くできたと思っています」と語ってくれた。 学生マネージャーとしてキャリアを積み、最終学年では主務としてチームを支える要となった経験はかけがえのない宝物である。そして、彼らの献身がなければどのチームも運営はままならなかったと確信している。 チームごとにさまざまな学生スタッフが配置されているだろう。いかなる立場であろうともその経験を卒業後も社会で生かしてほしいと願っている。 その思いをすべての学生スタッフにエールとして贈りたい。
上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。

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