2024.11.28
「ガムシャラに楽しく」から「意味を深く考える」陸上へ

島根・松江商高3年のインターハイで200m、400m(写真)の2冠に輝いた青山。右は同学年のライバルとしてともに切琢磨した松本奈菜子(当時・浜松市立高/現・東邦銀行)
――どうやってスランプを乗り越えることができましたか?
青山 高校や大学で記録が伸び悩むことは、誰にでもあることです。私は高校時代から、記録も毎年伸びていましたし、肉離れなど大きなケガもなく本当に順調な競技生活でした。でも、順調過ぎたことで、一度不調になった時に、その対処法がわからなかった。それが、スランプを長引かせた要因の一つだったと感じています。
高校時代から、先生から与えられたメニューをただひたすら一生懸命こなしていれば、記録がどんどん伸びでいた状況でした。いざ記録が頭打ちになった際に、何をどうすればいいのかわからなくなり、まさに頭が混乱している状態でした。
もう一つの原因は、走ることが楽しくて始めた陸上競技が、いつの間にか苦しいと言いますか、心の負担になっていたということです。
スランプになっていても、周りの方はずっと変わらず温かい声援をいただいていました。ですが、応援に応えられていない自分が嫌になり、どんどん自信をなくしてしまいました。周りの方は純粋な思いで応援していただいていることは、もちろんわかっています。でも、現実として結果を出せない自分に対して卑下する気持ちが強くなり、次第に「頑張れ!」「応援しているよ!」という言葉が苦しいものに変わっていきました。
必要以上に自分を責め、自信をなくしていく。そんな悪循環が2年間、ずっと続いていたので、陸上への気持ちが徐々に離れていきす。大学4年の時には普通に就職活動をして一般企業の内定もいただき、そこに就職して陸上を辞める決意をしていたほどです。
しかし、ラストレースと決めていた国体で、55秒台での予選落ちでしたが、その年のシーズンベストを出すことができた。レース後、指導を受ける瀧谷(賢司)先生とお話をする中で、「もう少し陸上に取り組みたい」という気持ちが芽生え、続けることに決断しました。
最後の最後にナショナルリレーチームのセレクションで合格し、合宿に参加できたこともあって、再び強い気持ちで取り組むことができました。その過程で、競技に対する『楽しさ』と『自信』を取り戻すことができたことがとても大きかったと思います。
耐えた先に、また陸上が楽しいと思えるようになったことで、次第に応援を純粋に感じるようになりました。そして、前を向く力が湧いてきました。もちろん、それは私一人では決してできなかったこと。瀧谷先生をはじめ周囲の方々にも私の気持ちを尊重し、支えていただいたことには本当に感謝しています。

大学1年だった2015年北京世界選手権の4×400mRに1走として出場。現在のも残る日本記録(3分28秒91)樹立に貢献した
――高校時代の2014年アジア大会から大学1年の北京世界選手権までと、2019年の日本選手権で復活を遂げて以降との違いは?
青山 当時は日本代表にあこがれこそありましたが、自分が選ばれたいという強い気持ちを持っていたわけでもなく、北京世界選手権までは、ただガムシャラに楽しく陸上に取り組んでいたら日本代表に選ばれてしまっていたという感覚です。
スランプ後はもう一度、日の丸のユニフォームを着て試合に出たい、そしてお世話になった方々に恩返しがしたいという強い気持ちがあったので、スタート時の気持ち、意識の違いは大きかったと思います。
瀧谷先生との対話も増えましたし、先生からの一方通行ではなく、感覚などを確かめ合うこともできるようになりました。大学の練習で取り組んできたブリッジや前転などエクササイズも、つながりや、やっていることの意味などを深く考えながら取り組めるようになったと思います。練習の裏付けを感じながら前に進むことができ、出てしまった記録ではない充実感、達成感を持ちながら日々過ごすことができました。

スランプを乗り越え、2019年ドーハ世界選手権の男女混合4×400mRで2度目の世界へ
――前半の日本代表時代は長く国際大会などでも活躍された先輩方についていく感じだったと思いますが、後半は第一人者として引っ張るかたちでした。
青山 私自身もそうでしたが、やはり重要なのは個々の選手の意識、強い気持ちだと感じています。個人ではまだまだ世界とは距離がありますが、同学年の松本奈菜子(東邦銀行)が私のベスト(52秒38)を越える52秒29を出したように、上位の選手たちがただリレーメンバーに入りたいとかではなく、51秒台を目指して、もう一段高い意識で取り組むようになってくれれば、今の女子短距離の状況も変わって、盛り上がっていくのではないでしょうか。
日本記録前後、52秒台前半から51秒台の選手が4人そろえば、確実に世界大会に出場することができます。男子の4×100mリレーは選手の誰もが100mで9秒台、個人で代表、そして世界のファイナルを目指しています。女子短距離も意識を変え、少しずつ男子に追いつけるよう積み上げていくことが重要だと思います。
――青山選手にとって400m、マイルリレーとは?
青山 短距離の中でもきつい種目で、心にも身体にも負担が大きく、正直逃げ出したくなることも何度もありました。それでもつらい種目と向き合うことはとても大事なことで、それを乗り越えた先の達成感は何物にも代えがたいものがあります。
マイルリレーは、大学で何度も日本インカレで優勝し、仲間と喜びを分かち合うことができました。代表でもアジア大会や世界選手権で走らせてもらうなど貴重な経験を積ませてもらった種目。視野を広げ、価値観を変えてくれたという意味でも、取り組んできて良かったなと思います。アジアや世界大会では、満員の観客の前で走ることも日本ではないことなので、とても感動しました。
マイルは、五輪を目指していましたし、それを果たせなかったことは、競技を終えた今、唯一悔いが残っていることです。

大学2年だった2016年の日本インカレでは200m、400m、4×100mR、4×400mRの4冠を達成。チームの総合初優勝にも貢献した

〔写真/本人より提供〕[/caption] 10月27日、地元・島根県の松江市営陸上競技場で行われた第3回県陸協記録会の女子400mに、青山聖佳(大阪成蹊AC)が出場した。長年に渡って日本の女子ロングスプリント界を牽引してきた28歳の、“ラストラン”である。 本来であれば1週間前に開催予定だったが、荒天のため延期に。いったん大阪に戻り、再び帰郷するという流れではあったが、地元の関係者たちは、青山を温かく迎えてくれた。 高1(2012年)の秋に初めて400mを走った時のタイム(56秒34)、自己ベストの52秒38からは大きく遅れた。それでも、たくさんの声援のなか、これまでの競技生活とトラックの感触を心に刻むように64秒96で走り切り、中学時代から親しんだ思い出のトラックで、そっとスパイクを脱いだ。 島根県松江市出身。松江一中から陸上を始め、全中200mで3位に入るなど全国の舞台で活躍。松江商高では2年時に世界ユース選手権に出場し、メドレーリレーでは3走として銅メダル獲得に貢献した。3年時(2014年)に200m、400mでインターハイを制覇(100mも3位)したほか、日本選手権の400mで2位に食い込み、アジア大会の代表に選出。その予選で当時日本歴代4位の52秒99をマークし、決勝でも5位入賞を果たしている。 2015年に大阪成蹊大へ進学すると、1年目に世界へと飛躍。北京世界選手権4×400mリレー代表に選ばれ、予選で1走として日本記録(3分28秒91)樹立の原動力に。翌年は日本選手権で初優勝を果たし、秋の日本インカレでは200m、400m、両リレー(4×100m、4×400m)の4冠に輝いた。 その後、一旦調子を崩して引退がよぎった時期もあったが、4年時の秋に現役続行を決意。その冬に選考会を突破してリレーのナショナルチームへの復帰を果たす。 大学卒業後も環境を変えず、大阪成蹊AC所属で活動し、19年の日本選手権で再び日本一の座に。翌年には当時日本歴代2位の52秒38をマークしている。 東京五輪出場は果たせなかったが、パリ五輪に向けて気持ちを切り替えていた矢先に突然、病魔が襲う。約1年間の長期入院生活などを経て、昨年の秋に競技会に復帰。しかし、トップフォームを取り戻すことはかなわなかった。 10月末付で、2019年から職員として勤務した大阪成蹊大を退職。セカンドキャリアに向けて充電中の青山に、15年の競技生活を振り返ってもらった。 ◇ ◇ ◇ ――最後のレースを終えて率直な心境は? 青山 中学から陸上を始めましたが、一番最初の試合で走った競技場です。もちろん久しぶりの400mできつさもありましたが、思い出のある舞台で、お世話になった関係者の皆様の前で、とても幸せな気持ちで走り切ることができました。走り終えて、「陸上を続けてきてよかった」という気持ちでいっぱいです。 ――長い競技生活で、一番思い出に残っているレースは? 青山 一番となると、2019年の福岡であった日本選手権の400m決勝です(53秒68で3年ぶり優勝)。大学3年から2年ほどスランプに陥っていて競技も辞める寸前の状況でしたが、たくさんの人に支えられ、再び日本一になれたことで、恩返しができたと感じました。同時に、自分自身の殻を破れたレースだったと思います。 [caption id="attachment_154478" align="alignnone" width="800"]

「ガムシャラに楽しく」から「意味を深く考える」陸上へ
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病魔を乗り越え、競技に復帰「健康な身体は当たり前じゃない」
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