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2020.10.23

【コラム】望月次朗の2020DL取材記~「雑ネタ」「裏話」を気の向くままに~(2)
【コラム】望月次朗の2020DL取材記~「雑ネタ」「裏話」を気の向くままに~(2)

望月次朗
2020ダイヤモンドリーグほか
~「雑ネタ」「裏話」を気の向くままに~
世界中を飛び回るカメラマン・望月次朗(Agence SHOT)による取材記!
望月次朗(Agence SHOT)

延期・中止など激動だった今季のDLもようやく終了/Jiro Mochizuki(Agence SHOT)

非常事態で始まった取材ツアー

パリからブリュッセル、アムステルダム行きの新幹線は「タリス」と呼ばれる。パリ北駅から「タリス」に乗って、ブリュッセル中央駅の手前の「ミディ」駅で下車。南側出口前のホテルにチェックインした。ここから地下鉄に30分ほど揺られ、終点手前の駅で下車。地上に出ると「ボードゥアン国王競技場」が目の前だ。

DLブリュッセルが行われる夜はいつもなら盛況で、4万人以上の観客でスタジアムが埋まる。しかし、この夜は無観客のため、スタジアム周囲は人影も少なく閑散としていた。

取材証を受け取る場所が、いつもの場所の東側から反対の西側の駐車場に変わっていた。係員から取材証を受け取り、スタジアム敷地内に入場。報道関係者入口前に、知り合いのベルギー人カメラマン2人が手持無沙汰でドアが開くのを待っていた。

入口ではスタートリスト、何年も不変なサンドイッチ、果物、チョコレートのなどが入った小袋を手渡してくれる。例年なら階上の部屋でビール、水、ソーダ水などがたくさん用意されるが、今年は水とソーダ水だけだった。おなじみの顔触れがそろった頃、20人ぐらいのカメラマンでブリーフィングが行われ、特に、撮影中は必ずマスクをすること。選手の至近距離などの撮影に関する注意を厳重に受けた。

時間になると、指定のゲートをくぐってインフィールド内の所定位置で準備を始めることにした。カメラバックを開けた瞬間、最初に視線が目に飛び込んだのは、ニコンD4s、D4が収まっていたはずの場所がカラだったことだ。「アッ!」と声を上げた。隣のカメラマンが驚いて、「どうしたんだ?」と声をかけてきた。「やられた!」と瞬間に思ったが後の祭りだ。

パリからブリュッセル間は、「タリス」はノンストップだ。乗客は数人だった。トイレに行った隙に、鍵の掛かっていない棚に上げたバッグから、わずかの間にカメラ2台を抜かれたのだ。プロの仕事だ。それ以外に席から離れたことはない。

実はブリュッセル駅に到着した時に予感は少しあったが……、棚に上げていたバッグを下ろす時、心持ちバッグが軽いような気がした。ホテルでもバッグを持ち上げた瞬間、やはり軽い感じがしたが、まさかカメラを2台も抜かれているとは夢にも思わなかった!

仕事が始まった。フィールド内でカメラ1台での撮影は、これまでにない初めての経験だった。3本のレンズを持ち歩き、1台のボディにその都度レンズを交換をしながらの撮影だったが、モハメド・ファラー(英国)とシファン・ハッサン(オランダ)の男女1時間走世界新記録などをなんとか納め、取材が完了した。

しかし、2日後の9月6日にはポーランドのチョレーゾ市で開催される国「故カミラ・スコリモフスカ記念大会」、9月8日、チェコのオストラヴァ市開催の「第59回ゴールデンスパイク」などの取材が控えていた。ホテルに帰っても落ち着かず、一晩中ゆっくり休めなかった。

ポーランドからチェコへ

翌朝、始発の電車でブリュッセル空港に向かった。ポーランドの南のクラクフ市まで、アムステルダム経由で飛んだ。

クラクフを訪れたのは初めてだが、前日、クラクフ市に入ったフランス人の同業者のJPから一報があった。フランス国内の新型コロナウイルス感染状況が悪化。ポーランド到着時の検査体制を心配したが、ここではまったくそのような気配すらなかった。

街中でマスクをしている人たちは、欧州でもクラスターが多発しているパリ、ブリュッセルと比較すると極端に少ない。空港から電車で20分ほどで中央駅に到着。駅構内の近代的なショッピングモールを通り抜け、徒歩10分ほどの距離のホテルで彼と待ち合わせした。

夕方、街中を歩いた。城壁に囲まれた旧市街は戦火から逃れたのだろうか、中世の雰囲気を強く残した観光客に好まれそうな美しい街だった。週末を楽しむ市民でいっぱいだ。

ある路地の小さなレストランに入った。狙いはモンゴル帝国が伝え、今にまでポーランド人によって受け継がれている「餃子」だ。それは日本で食べる「水餃子」そのものだった。どこかでこの味を……と思っていたら、半世紀も前にアフガニスタン北部のカラコルム山脈の麓にある小さな村、クンドスで食べた餃子を思い出した。

翌日、150km先のカトヴィツエ市まで3時間半ぐらいの電車に乗った。日曜日の朝だからだろうか、乗客がほとんどいない。ポーランド、チェコ、ドイツの3ヵ国の国境に近い平坦な大陸を電車ががゆっくり走った。ここもコロナ禍の影響で、人の動きが少ないだろう。

モナコ、パリ市内、ローザンヌといった夏の観光地では、稼ぎ時でも閉めているホテルが目立っていた。ローザンヌで滞在したホテルは、通常宿泊料金の50%引きだった。カトヴィツエ市のホテルは70%引きだった。

今回の3大会の取材目的は、男子400mハードルの世界記録に挑戦するカールステン・ワルホルム(ノルウェー)、男子砲丸投のライアン・クルーザー(米国)、男子棒高跳のアルマンド・デュプランティス(スウェーデン)、好調の男子やり投のヨハネス・フェッター(ドイツ)らの活躍を報じるためだ。

カトヴィツ駅からタクシーで数kmのホテルにチェックイン。ここも通常なら高額なのだろうが、50%を大きく割った料金だった。JPは「格安で泊まれる」と笑顔だった。大きなホテルだが、宿泊客はほとんどいないような静かな雰囲気だった。ここからタクシーで隣町・シレシア市のスタジアムに向かった。

近代的なスタジアムは、2012年ポーランド、ウクライナの共同で開催されたサッカー欧州選手権に使用された。来年5月、この競技場で世界リレーが開催される予定だ。

競技場手前のチェックポイントで車を降りると、顔見知りのポーランド陸連の人が、「よく来た!」と言って取材証を首にかけてくれた。

ここでも無観客大会だったが、男子やり投のフェッターの4投目は、高く、長い放物線を描き、世界歴代2位の97m76を記録した。彼に電光掲示板と一緒に写真を撮りたいと希望を伝えると、気持ち良く笑顔で同意。「写真を1枚送ってくれないか」と言ってきた。

翌日、多くの選手が「第59回オストラヴァ・ゴールデン・スパイク大会」に出場するので、彼らと一緒に大型バスに便乗した。1時間20分でオストラヴァの競技場前のホテルに無事到着した。

ポーランド、ドイツの選手らは自分たちの車で移動している。サム・ケンドリックス(米国)、ルノー・ラヴィレニ(フランス)ら男子棒高跳の選手たちは、地元のピエトロ・リセクが運転するミニバスで移動したようだ。

外国メディアと言っても我々2人だけだが、選手と一緒にこのホテルに宿泊することは禁止されているので、主催者が別のホテルを予約してくれた。

オストラヴァのこの大会を取材し始めたのは、正確にいつからかとは覚えていないが、16~177年ぐらい前からだろうか。その頃の競技場は、古びたメインスタンドだけが屋根付きだったが、それ以外の場所では草が茫々に生えた斜面にベンチが置かれている程度だった。

チェコが社会主義国だった時代は鉄鋼業、兵器産業が中心で、戦車など各種兵器産業で栄えた街だったという。今の近代的な屋根付きの競技場からは、昔の面影は微塵も見ることはできない。

その昔、あの「人間機関車」と呼ばれたエミール・ザトペック(チェコ/1952年ヘルシンキ五輪で5000m、10000m、マラソンの3冠)、近年では10年連続してウサイン・ボルト(ジャマイカ/男子100m、200m世界記録保持者)も走った競技場だ。

「ゴールデン・スパイク」の名で親しまれているこの大会のディレクターは、現男子やり投世界記録保持者のヤン・ゼレズニーだ。

最近はやり投伝統国、チェコ、フィンランドの選手らがそれほど目立った活躍ができていない。若手の選手の伸び悩みだろうか。世界をリードするのはドイツで、ケニア、台湾、インド、カリブ諸国の選手らが対抗勢力となってきたのはおもしろ。

ポーランド、チェコでも、選手への感染症対策が厳格に実施されていた。ハードルは1台ずつ消毒液を吹き付ける。スターティングブロック、砂場なども使用ごとに消毒していた。主催者は実に大変な注意、労力を必要とすることを改めて実感した。

オストラヴァからプラハまで「パンドリーノ」という名前のチェコ自慢の高速新幹線に乗った。所要時間は3時間半ぐらいの予定だったが、電車が30分以上遅れた。JPが予約した中央駅から徒歩で10分ほどの距離のホテルにチェックインした。

前日、航空会社からメールで予約便がキャンセルする一報を受けた。急ぎのキャンセル便は、たぶん乗客不足なのだろうと思う。プラハに1日足止めになったので、JPと別れて1人街中をぶらつくが、観光客の姿が極端に少なかった。

秋の観光シーズンの真っ最中だ。普段なら、プラハは観光客でごった返す。猛威を振る驚異のウイルスで人が動けなけい。

翌朝、7時ごろ空港に到着した。驚いたことに空港内はほぼ「無人」だった。チェックインカウンター前に数人が手持ち無沙汰で立っていた。乗客らしい荷物を持った人が入ってきたのは、それから30分後だった。


ポイント争いがかからない今季最終戦はリラックスした雰囲気。写真は「Stadio del Marmi」でウォーミングアップをする選手たち/Jiro Mochizuki(Agence SHOT)

激動の2020年DLが締めくくり

9月17日、DLローマの「第40回ゴールデン・ガラ・ピエトロ・メンネア」大会が、「Stadio Olimpico」(オリンピック競技場)で開催された。

当初は競技場が改修中なので、会場をナポリにすると発表していたが、その後、会場を「Stadio Olimpico」に隣接する5000人収容の「Stadio del Marmi」(大理石スタジアム)に行われるとと発表された。

この競技場は上段に大理石で作られた古代ローマ人スポーツマンの大きな立像64体が、競技場を見下ろすように立っている。しかし、最終的にはこれまで行われてきた「Stadio Olimpico」で開催された。

ローマ「フルミチーノ空港」に到着。ここにゴールデン・ガラ主催者が選手、関係者、メディアを案内するデスクがある。そこで待機していると、ロンドンから飛んできたBBCの解説者を務めている80年代世界トップクラスの元中距離ランナー、世界クロカンで活躍した元長距離ランナーらが5、6人の選手を連れてやって来た。

彼らと挨拶を交わし、イタリア陸軍の大型バスに乗車。「Stadio Olimpico」から北に6kmほど離れたホテルに向かった。ミラノ在のイタリア人の友人であるゴールデン・ガラ主催者が貸し切った大きなホテルは、選手、関係者、メディアらのために感染症予防対策が整っていた。

ホテルに到着すると、チェックインをする前、1階の別室で待機。順番に検査を受けて新型コロナウイルス感染の有無を確認。陰性の人だけがチェックインを許可されるシステムだ。

陽性の人は、このホテルで10日以上隔離される厳戒態勢を敷いていた。1人約15分で結果を知ることができた。最も速い検査方法だと説明があった。検査結果は陰性と出てホッと一息ついた。

ダイヤモンドリーグが設立されて、今年で11年目を迎えた。今年の取材は、特にインフィールドでの撮影は難しいと思っていたが、長年の取材歴を考慮され、インフィールドビブスを受けることができた。男子棒高跳は第2カーブ内側で行われるので、これがなければ撮影は到底無理なことだった。

フィールド外カメラマンのポジションでは、デュプランティスが屋外世界記録6m15をクリアした瞬間の撮影はできなかった。

男子400mハードルのワルホルムは、今シーズン最後の世界記録(46秒78)への挑戦だった、47秒07で待望の世界新ならず。惜しまれるのは、世界歴代2位の46秒87をマークした8月23日のDLストックホルムで、最終ハードルを引っ掛けたことだ。

ホテルのテラスで彼に、「ベルリン以外の全レースを見たが、すべてのレースに全力で走る姿はすごい!」と伝えると、「そう言ってもらえるととてもうれしい」と笑顔だった。

望月次朗の 2020ダイヤモンドリーグほか ~「雑ネタ」「裏話」を気の向くままに~ 世界中を飛び回るカメラマン・望月次朗(Agence SHOT)による取材記! 望月次朗(Agence SHOT) 延期・中止など激動だった今季のDLもようやく終了/Jiro Mochizuki(Agence SHOT)

非常事態で始まった取材ツアー

パリからブリュッセル、アムステルダム行きの新幹線は「タリス」と呼ばれる。パリ北駅から「タリス」に乗って、ブリュッセル中央駅の手前の「ミディ」駅で下車。南側出口前のホテルにチェックインした。ここから地下鉄に30分ほど揺られ、終点手前の駅で下車。地上に出ると「ボードゥアン国王競技場」が目の前だ。 DLブリュッセルが行われる夜はいつもなら盛況で、4万人以上の観客でスタジアムが埋まる。しかし、この夜は無観客のため、スタジアム周囲は人影も少なく閑散としていた。 取材証を受け取る場所が、いつもの場所の東側から反対の西側の駐車場に変わっていた。係員から取材証を受け取り、スタジアム敷地内に入場。報道関係者入口前に、知り合いのベルギー人カメラマン2人が手持無沙汰でドアが開くのを待っていた。 入口ではスタートリスト、何年も不変なサンドイッチ、果物、チョコレートのなどが入った小袋を手渡してくれる。例年なら階上の部屋でビール、水、ソーダ水などがたくさん用意されるが、今年は水とソーダ水だけだった。おなじみの顔触れがそろった頃、20人ぐらいのカメラマンでブリーフィングが行われ、特に、撮影中は必ずマスクをすること。選手の至近距離などの撮影に関する注意を厳重に受けた。 時間になると、指定のゲートをくぐってインフィールド内の所定位置で準備を始めることにした。カメラバックを開けた瞬間、最初に視線が目に飛び込んだのは、ニコンD4s、D4が収まっていたはずの場所がカラだったことだ。「アッ!」と声を上げた。隣のカメラマンが驚いて、「どうしたんだ?」と声をかけてきた。「やられた!」と瞬間に思ったが後の祭りだ。 パリからブリュッセル間は、「タリス」はノンストップだ。乗客は数人だった。トイレに行った隙に、鍵の掛かっていない棚に上げたバッグから、わずかの間にカメラ2台を抜かれたのだ。プロの仕事だ。それ以外に席から離れたことはない。 実はブリュッセル駅に到着した時に予感は少しあったが……、棚に上げていたバッグを下ろす時、心持ちバッグが軽いような気がした。ホテルでもバッグを持ち上げた瞬間、やはり軽い感じがしたが、まさかカメラを2台も抜かれているとは夢にも思わなかった! 仕事が始まった。フィールド内でカメラ1台での撮影は、これまでにない初めての経験だった。3本のレンズを持ち歩き、1台のボディにその都度レンズを交換をしながらの撮影だったが、モハメド・ファラー(英国)とシファン・ハッサン(オランダ)の男女1時間走世界新記録などをなんとか納め、取材が完了した。 しかし、2日後の9月6日にはポーランドのチョレーゾ市で開催される国「故カミラ・スコリモフスカ記念大会」、9月8日、チェコのオストラヴァ市開催の「第59回ゴールデンスパイク」などの取材が控えていた。ホテルに帰っても落ち着かず、一晩中ゆっくり休めなかった。

ポーランドからチェコへ

翌朝、始発の電車でブリュッセル空港に向かった。ポーランドの南のクラクフ市まで、アムステルダム経由で飛んだ。 クラクフを訪れたのは初めてだが、前日、クラクフ市に入ったフランス人の同業者のJPから一報があった。フランス国内の新型コロナウイルス感染状況が悪化。ポーランド到着時の検査体制を心配したが、ここではまったくそのような気配すらなかった。 街中でマスクをしている人たちは、欧州でもクラスターが多発しているパリ、ブリュッセルと比較すると極端に少ない。空港から電車で20分ほどで中央駅に到着。駅構内の近代的なショッピングモールを通り抜け、徒歩10分ほどの距離のホテルで彼と待ち合わせした。 夕方、街中を歩いた。城壁に囲まれた旧市街は戦火から逃れたのだろうか、中世の雰囲気を強く残した観光客に好まれそうな美しい街だった。週末を楽しむ市民でいっぱいだ。 ある路地の小さなレストランに入った。狙いはモンゴル帝国が伝え、今にまでポーランド人によって受け継がれている「餃子」だ。それは日本で食べる「水餃子」そのものだった。どこかでこの味を……と思っていたら、半世紀も前にアフガニスタン北部のカラコルム山脈の麓にある小さな村、クンドスで食べた餃子を思い出した。 翌日、150km先のカトヴィツエ市まで3時間半ぐらいの電車に乗った。日曜日の朝だからだろうか、乗客がほとんどいない。ポーランド、チェコ、ドイツの3ヵ国の国境に近い平坦な大陸を電車ががゆっくり走った。ここもコロナ禍の影響で、人の動きが少ないだろう。 モナコ、パリ市内、ローザンヌといった夏の観光地では、稼ぎ時でも閉めているホテルが目立っていた。ローザンヌで滞在したホテルは、通常宿泊料金の50%引きだった。カトヴィツエ市のホテルは70%引きだった。 今回の3大会の取材目的は、男子400mハードルの世界記録に挑戦するカールステン・ワルホルム(ノルウェー)、男子砲丸投のライアン・クルーザー(米国)、男子棒高跳のアルマンド・デュプランティス(スウェーデン)、好調の男子やり投のヨハネス・フェッター(ドイツ)らの活躍を報じるためだ。 カトヴィツ駅からタクシーで数kmのホテルにチェックイン。ここも通常なら高額なのだろうが、50%を大きく割った料金だった。JPは「格安で泊まれる」と笑顔だった。大きなホテルだが、宿泊客はほとんどいないような静かな雰囲気だった。ここからタクシーで隣町・シレシア市のスタジアムに向かった。 近代的なスタジアムは、2012年ポーランド、ウクライナの共同で開催されたサッカー欧州選手権に使用された。来年5月、この競技場で世界リレーが開催される予定だ。 競技場手前のチェックポイントで車を降りると、顔見知りのポーランド陸連の人が、「よく来た!」と言って取材証を首にかけてくれた。 ここでも無観客大会だったが、男子やり投のフェッターの4投目は、高く、長い放物線を描き、世界歴代2位の97m76を記録した。彼に電光掲示板と一緒に写真を撮りたいと希望を伝えると、気持ち良く笑顔で同意。「写真を1枚送ってくれないか」と言ってきた。 翌日、多くの選手が「第59回オストラヴァ・ゴールデン・スパイク大会」に出場するので、彼らと一緒に大型バスに便乗した。1時間20分でオストラヴァの競技場前のホテルに無事到着した。 ポーランド、ドイツの選手らは自分たちの車で移動している。サム・ケンドリックス(米国)、ルノー・ラヴィレニ(フランス)ら男子棒高跳の選手たちは、地元のピエトロ・リセクが運転するミニバスで移動したようだ。 外国メディアと言っても我々2人だけだが、選手と一緒にこのホテルに宿泊することは禁止されているので、主催者が別のホテルを予約してくれた。 オストラヴァのこの大会を取材し始めたのは、正確にいつからかとは覚えていないが、16~177年ぐらい前からだろうか。その頃の競技場は、古びたメインスタンドだけが屋根付きだったが、それ以外の場所では草が茫々に生えた斜面にベンチが置かれている程度だった。 チェコが社会主義国だった時代は鉄鋼業、兵器産業が中心で、戦車など各種兵器産業で栄えた街だったという。今の近代的な屋根付きの競技場からは、昔の面影は微塵も見ることはできない。 その昔、あの「人間機関車」と呼ばれたエミール・ザトペック(チェコ/1952年ヘルシンキ五輪で5000m、10000m、マラソンの3冠)、近年では10年連続してウサイン・ボルト(ジャマイカ/男子100m、200m世界記録保持者)も走った競技場だ。 「ゴールデン・スパイク」の名で親しまれているこの大会のディレクターは、現男子やり投世界記録保持者のヤン・ゼレズニーだ。 最近はやり投伝統国、チェコ、フィンランドの選手らがそれほど目立った活躍ができていない。若手の選手の伸び悩みだろうか。世界をリードするのはドイツで、ケニア、台湾、インド、カリブ諸国の選手らが対抗勢力となってきたのはおもしろ。 ポーランド、チェコでも、選手への感染症対策が厳格に実施されていた。ハードルは1台ずつ消毒液を吹き付ける。スターティングブロック、砂場なども使用ごとに消毒していた。主催者は実に大変な注意、労力を必要とすることを改めて実感した。 オストラヴァからプラハまで「パンドリーノ」という名前のチェコ自慢の高速新幹線に乗った。所要時間は3時間半ぐらいの予定だったが、電車が30分以上遅れた。JPが予約した中央駅から徒歩で10分ほどの距離のホテルにチェックインした。 前日、航空会社からメールで予約便がキャンセルする一報を受けた。急ぎのキャンセル便は、たぶん乗客不足なのだろうと思う。プラハに1日足止めになったので、JPと別れて1人街中をぶらつくが、観光客の姿が極端に少なかった。 秋の観光シーズンの真っ最中だ。普段なら、プラハは観光客でごった返す。猛威を振る驚異のウイルスで人が動けなけい。 翌朝、7時ごろ空港に到着した。驚いたことに空港内はほぼ「無人」だった。チェックインカウンター前に数人が手持ち無沙汰で立っていた。乗客らしい荷物を持った人が入ってきたのは、それから30分後だった。 ポイント争いがかからない今季最終戦はリラックスした雰囲気。写真は「Stadio del Marmi」でウォーミングアップをする選手たち/Jiro Mochizuki(Agence SHOT)

激動の2020年DLが締めくくり

9月17日、DLローマの「第40回ゴールデン・ガラ・ピエトロ・メンネア」大会が、「Stadio Olimpico」(オリンピック競技場)で開催された。 当初は競技場が改修中なので、会場をナポリにすると発表していたが、その後、会場を「Stadio Olimpico」に隣接する5000人収容の「Stadio del Marmi」(大理石スタジアム)に行われるとと発表された。 この競技場は上段に大理石で作られた古代ローマ人スポーツマンの大きな立像64体が、競技場を見下ろすように立っている。しかし、最終的にはこれまで行われてきた「Stadio Olimpico」で開催された。 ローマ「フルミチーノ空港」に到着。ここにゴールデン・ガラ主催者が選手、関係者、メディアを案内するデスクがある。そこで待機していると、ロンドンから飛んできたBBCの解説者を務めている80年代世界トップクラスの元中距離ランナー、世界クロカンで活躍した元長距離ランナーらが5、6人の選手を連れてやって来た。 彼らと挨拶を交わし、イタリア陸軍の大型バスに乗車。「Stadio Olimpico」から北に6kmほど離れたホテルに向かった。ミラノ在のイタリア人の友人であるゴールデン・ガラ主催者が貸し切った大きなホテルは、選手、関係者、メディアらのために感染症予防対策が整っていた。 ホテルに到着すると、チェックインをする前、1階の別室で待機。順番に検査を受けて新型コロナウイルス感染の有無を確認。陰性の人だけがチェックインを許可されるシステムだ。 陽性の人は、このホテルで10日以上隔離される厳戒態勢を敷いていた。1人約15分で結果を知ることができた。最も速い検査方法だと説明があった。検査結果は陰性と出てホッと一息ついた。 ダイヤモンドリーグが設立されて、今年で11年目を迎えた。今年の取材は、特にインフィールドでの撮影は難しいと思っていたが、長年の取材歴を考慮され、インフィールドビブスを受けることができた。男子棒高跳は第2カーブ内側で行われるので、これがなければ撮影は到底無理なことだった。 フィールド外カメラマンのポジションでは、デュプランティスが屋外世界記録6m15をクリアした瞬間の撮影はできなかった。 男子400mハードルのワルホルムは、今シーズン最後の世界記録(46秒78)への挑戦だった、47秒07で待望の世界新ならず。惜しまれるのは、世界歴代2位の46秒87をマークした8月23日のDLストックホルムで、最終ハードルを引っ掛けたことだ。 ホテルのテラスで彼に、「ベルリン以外の全レースを見たが、すべてのレースに全力で走る姿はすごい!」と伝えると、「そう言ってもらえるととてもうれしい」と笑顔だった。

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