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やり投・北口榛花 五輪3ヵ月前の緊急ミーティング 涙浮かべ練習方針訴える/パリ五輪
やり投・北口榛花 五輪3ヵ月前の緊急ミーティング 涙浮かべ練習方針訴える/パリ五輪

パリ五輪女子やり投で金メダルを獲得した北口榛花(JAL)とセケラック・コーチ

◇パリ五輪・陸上競技(8月1日~11日/フランス・パリ)10日目

パリ五輪・陸上競技の10日目のイブニングセッションで行われた女子やり投で、北口榛花(JAL)が65m80をマークして金メダルを獲得した。今大会、陸上競技で初のメダルをもたらしたこの金メダルは、日本女子トラック&フィールド初の快挙。陸上競技の金メダルは2004年アテネ五輪(男子ハンマー投・室伏広治/女子マラソン・野口みずき)以来となる。昨年のブダペスト世界選手権を制しており、真の世界一となった。

この快挙までの今季の道のりは苦しい日々だった。

5月13日、夜。大学時代から通う東池袋の治療院「SSSA」に北口、トレーナーのチーム、解剖学的立位肢位のアドバイスを受ける足立和隆氏、姿勢の測定などを担う東京有明医療大の小山浩司氏、そして家族も交えて緊急ミーティングが開かれた。

「春に身体が硬直して動かなくなりました」

帰国直前のスペイン合宿は、1日休みがなくぶっ通しでハードな練習を積んだ。その間、実際に高熱を出して1日寝込んでしまったこともある。練習メニューの中には、北口の持ち味である柔軟性が損なわれるようなウエイトトレーニングのメニューも組み込まれていた。どんどん自分の身体でなくなるのを感じていたという。

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「正直、誰が味方で誰が敵か。何が敵か。わからなくなって、何を信じていいのかもわからなくなった時があったんです」

2018年から指導を受けるチェコ人のディヴィッド・セケラック・コーチと、北口が取り組んできた『解剖学的立位肢位』をベースとした身体作りで、いくつかの練習メニューで考え方が真っ向から対立。セイコーゴールデングランプリに向けてセケラック・コーチが来日したタイミングで、どうしても説得しなければいけなかった。5月14日に“チーム北口”全員での話し合いの場がもたれることになっていた。

ただ、言語が違うだけに、なかなか理解が得られないことはこれまでもあった。北口サイドは「すべてではないし、ワガママではない。自分の身体、解剖学にそぐわないメニューはしたくない」という考え。一方のセケラック・コーチは、「68m、70mを目指すためにはウエイトトレーニングなど筋力アップしなくてはならない」と主張した。

ただ、北口の考えは変わらない。「基本的なところは同じでも、自分には自分の投げがある」。

セケラック・コーチに、感情的にならずにどう意向を伝えればいいか。言い方を間違えれば「俺はいらないということか」と決別の可能性もあった。ドイツ語が堪能な足立氏の力も借り、このメニューはこういう理由だからできない、と説明できるようにした。「この言い方はどうか」と何度も、何度も意見を出し合った。

北口の精神面は限界だった。セイコーゴールデングランプリの後は再びチェコに渡る予定だったが「今のままでは行きたくない。今は納得しても向こうにいけばまた身体が硬くなる練習をすることになる」。大粒の涙がこぼれた。北口はこのまま進なら“決別”も覚悟していたようだった。ただ、上野真由美トレーナーをはじめ、SSSAは「勝負がかかった時に、絶対にディヴィッドが必要」と曲げなかった。

5月14日に全員が集まり、意見を交換。セケラック・コーチは感情的に「切るということか」とまくしたてたが、きちんと主張を説明。セケラック・コーチも徐々に理解を示し、最後は「みんなチーム北口。一丸になってオリンピックの金メダルを目指さなければいけない」と落ち着いたという。

その後も何度も衝突はあった。ダイヤモンドリーグ(DL)モナコで65m21のシーズンベストでようやく身体が戻りつつあったが、1週間後のDLロンドンではDLで初めてトップ3を逃す4位。それも、試合までの数日で疲労が残るなか、身体が硬くなるような腹筋を使うボール投げなどのメニューが入る。「疲れもあって身体が動かないのに、動かそうとして」(北口)姿勢や土台は崩れてしまう。普段使っているやりを手続きの手違いで持っていけなかったのも影響した。

ストレスやロンドンからの帰国時の飛行機の遅延もあり、またも高熱が出た。選手村に入るまで2週間前のことだ。口内炎が7つもでき、食事をするのも苦労したという。

上野トレーナーがドクターに相談し、「5日間かけていつもの練習量に戻そう」とプラン。本来であれば大会前2週間でしっかり積む期間でのアクシデント。熱が下がった7月25日。チェコ・ドマジュリツェのなじみのカフェで再びミーティングをした。

「投げるのはハルカだから、後悔しないようにハルカの考えでやらせてほしい」

直前の訴えに、セケラック・コーチもうなずくしかなかった。すると状態が上向き、27日の投てき練習では、過去2番目くらいに良い記録の60m近くまでスロー。身体も「動く状態」(北口)まで戻ってようやく選手村に入った。

ギリギリまで試行錯誤し、最後は自分の思いを貫き通した北口。予選の後も「力を加えるように」と最後の最後まで日本に残るトレーナーチームも含めて、万全の状態を作り上げた。「自分の感覚を信じてくれる人が周囲にいて、その感覚に近づけるように準備してくれました」と上野トレーナーをはじめ、SSSAへの感謝の思いがある。だからこそ、「最後の最後に、ウォーミングアップで良い感覚戻ってきて、自信を持って臨めました」。決勝の1回目に優勝を決める65m80のシーズンベスト。北口はセケラック・コーチと握手し、セケラック・コーチは胸に抱えた。優勝を決めたあとは北口を日の丸で優しく包み込んだ。

「自分を信じてくれる人がいたから」

涙を流して訴えたあの日。もし決裂していたなら、歓喜の瞬間は訪れただろうか。歯を食いしばり、信頼する人たちに意見を聞き、『チーム北口』が、オリンピックの金メダルを目指して小さな一歩を踏み出した。3ヵ月の花の都で北口らしい笑顔が咲き誇ったのは、あの日々があったからだった。

文/向永拓史

◇パリ五輪・陸上競技(8月1日~11日/フランス・パリ)10日目 パリ五輪・陸上競技の10日目のイブニングセッションで行われた女子やり投で、北口榛花(JAL)が65m80をマークして金メダルを獲得した。今大会、陸上競技で初のメダルをもたらしたこの金メダルは、日本女子トラック&フィールド初の快挙。陸上競技の金メダルは2004年アテネ五輪(男子ハンマー投・室伏広治/女子マラソン・野口みずき)以来となる。昨年のブダペスト世界選手権を制しており、真の世界一となった。 この快挙までの今季の道のりは苦しい日々だった。 5月13日、夜。大学時代から通う東池袋の治療院「SSSA」に北口、トレーナーのチーム、解剖学的立位肢位のアドバイスを受ける足立和隆氏、姿勢の測定などを担う東京有明医療大の小山浩司氏、そして家族も交えて緊急ミーティングが開かれた。 「春に身体が硬直して動かなくなりました」 帰国直前のスペイン合宿は、1日休みがなくぶっ通しでハードな練習を積んだ。その間、実際に高熱を出して1日寝込んでしまったこともある。練習メニューの中には、北口の持ち味である柔軟性が損なわれるようなウエイトトレーニングのメニューも組み込まれていた。どんどん自分の身体でなくなるのを感じていたという。 「正直、誰が味方で誰が敵か。何が敵か。わからなくなって、何を信じていいのかもわからなくなった時があったんです」 2018年から指導を受けるチェコ人のディヴィッド・セケラック・コーチと、北口が取り組んできた『解剖学的立位肢位』をベースとした身体作りで、いくつかの練習メニューで考え方が真っ向から対立。セイコーゴールデングランプリに向けてセケラック・コーチが来日したタイミングで、どうしても説得しなければいけなかった。5月14日に“チーム北口”全員での話し合いの場がもたれることになっていた。 ただ、言語が違うだけに、なかなか理解が得られないことはこれまでもあった。北口サイドは「すべてではないし、ワガママではない。自分の身体、解剖学にそぐわないメニューはしたくない」という考え。一方のセケラック・コーチは、「68m、70mを目指すためにはウエイトトレーニングなど筋力アップしなくてはならない」と主張した。 ただ、北口の考えは変わらない。「基本的なところは同じでも、自分には自分の投げがある」。 セケラック・コーチに、感情的にならずにどう意向を伝えればいいか。言い方を間違えれば「俺はいらないということか」と決別の可能性もあった。ドイツ語が堪能な足立氏の力も借り、このメニューはこういう理由だからできない、と説明できるようにした。「この言い方はどうか」と何度も、何度も意見を出し合った。 北口の精神面は限界だった。セイコーゴールデングランプリの後は再びチェコに渡る予定だったが「今のままでは行きたくない。今は納得しても向こうにいけばまた身体が硬くなる練習をすることになる」。大粒の涙がこぼれた。北口はこのまま進なら“決別”も覚悟していたようだった。ただ、上野真由美トレーナーをはじめ、SSSAは「勝負がかかった時に、絶対にディヴィッドが必要」と曲げなかった。 5月14日に全員が集まり、意見を交換。セケラック・コーチは感情的に「切るということか」とまくしたてたが、きちんと主張を説明。セケラック・コーチも徐々に理解を示し、最後は「みんなチーム北口。一丸になってオリンピックの金メダルを目指さなければいけない」と落ち着いたという。 その後も何度も衝突はあった。ダイヤモンドリーグ(DL)モナコで65m21のシーズンベストでようやく身体が戻りつつあったが、1週間後のDLロンドンではDLで初めてトップ3を逃す4位。それも、試合までの数日で疲労が残るなか、身体が硬くなるような腹筋を使うボール投げなどのメニューが入る。「疲れもあって身体が動かないのに、動かそうとして」(北口)姿勢や土台は崩れてしまう。普段使っているやりを手続きの手違いで持っていけなかったのも影響した。 ストレスやロンドンからの帰国時の飛行機の遅延もあり、またも高熱が出た。選手村に入るまで2週間前のことだ。口内炎が7つもでき、食事をするのも苦労したという。 上野トレーナーがドクターに相談し、「5日間かけていつもの練習量に戻そう」とプラン。本来であれば大会前2週間でしっかり積む期間でのアクシデント。熱が下がった7月25日。チェコ・ドマジュリツェのなじみのカフェで再びミーティングをした。 「投げるのはハルカだから、後悔しないようにハルカの考えでやらせてほしい」 直前の訴えに、セケラック・コーチもうなずくしかなかった。すると状態が上向き、27日の投てき練習では、過去2番目くらいに良い記録の60m近くまでスロー。身体も「動く状態」(北口)まで戻ってようやく選手村に入った。 ギリギリまで試行錯誤し、最後は自分の思いを貫き通した北口。予選の後も「力を加えるように」と最後の最後まで日本に残るトレーナーチームも含めて、万全の状態を作り上げた。「自分の感覚を信じてくれる人が周囲にいて、その感覚に近づけるように準備してくれました」と上野トレーナーをはじめ、SSSAへの感謝の思いがある。だからこそ、「最後の最後に、ウォーミングアップで良い感覚戻ってきて、自信を持って臨めました」。決勝の1回目に優勝を決める65m80のシーズンベスト。北口はセケラック・コーチと握手し、セケラック・コーチは胸に抱えた。優勝を決めたあとは北口を日の丸で優しく包み込んだ。 「自分を信じてくれる人がいたから」 涙を流して訴えたあの日。もし決裂していたなら、歓喜の瞬間は訪れただろうか。歯を食いしばり、信頼する人たちに意見を聞き、『チーム北口』が、オリンピックの金メダルを目指して小さな一歩を踏み出した。3ヵ月の花の都で北口らしい笑顔が咲き誇ったのは、あの日々があったからだった。 文/向永拓史

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Revenge
泉谷駿介(住友電工)

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