2024.07.25
日本選手権に向けた取り組み
少し時間が経った。日本選手権をどう振り返るのか。そもそも、そこまでの取り組みにどんな狂いがあったのだろうか。ブダペスト世界選手権を終えてから、山西は厚底シューズの着用にチャレンジした。今は世界の主流になりつつある。
「ブダペスト世界選手権を終わって、9月くらいから始めました。期間もあったので、(日本選手権まで)半年かければ対応できるのではと思って始めました。ただ、うまくアジャストできなかったんです。11月くらいが一番心理的にはしんどかったです」
そのまま行くべきか。それとも元に戻すべきか。年が明けて最後は自分で「戻そう」と決めた。しかし、実際にシューズを戻すと「動きがガタッと崩れて、なかなか戻らなかった。そこで、練習の強度やバランスなど、もう少し丁寧にできなかったかな、とは思います。」。1月の日本陸連合宿では、池田をはじめ、全体的に状態の良さを感じていた。それを気にし過ぎることはなく、「そんな余裕がなかった。むしろもっと(周囲を)見られるくらいのほうが余裕はあるかもしれません」と振り返る。
「割と2月に入ってからは、最低限なんとかできそう、というところまで持ってこられました。ただ、試合の前々日くらいからまたちょっと動きが……。どうも動きが軽くなって、押さえがきかなくなっていた。動画を見返すとそういうふうに感じます」
パリ五輪代表は3枠。選考要項に沿えば派遣設定記録を切って3位以内に入れば決められる状況だった。上位陣で記録を持っていなかったのは山西のみ。ただ、派遣設定記録の1時間(1時間19分30秒)は当日の条件(晴れ)を見ても、山西の本来の力であれば難しい記録ではない。3位以内に入れば、自然と届く記録。それでも、山西は攻めた。
「代表3枠にどう入るかという思考よりも、優勝と1時間16分台に行きたいと思っていました。冷静に見れば、3位以内を狙えばいい、という意見ももちろんわかります。美学、なんてほどのものではありませんが、個人の勝手なこだわりというか、そうありたいというか……。やっぱり日本選手権という勝負であり、レース。それだけです」
山西は1kmを3分52秒、2kmまでも3分51秒、さらに3kmまでの1kmは3分49秒というハイラップで入った。これは、鈴木雄介(富士通)の世界記録1時間16分36秒を上回るペースだった。5km通過は19分14秒。山西とともに池田、髙橋和生(ADワークスグループ)、川野将虎(旭化成)、古賀友太(大塚製薬)、濱西諒(サンベルクス)の6名の上位争いに絞られた。結果的に、そのまま上位に残った選手たちだ。
「見積もりの甘さが出ました。まだ警告が出るほどではないかな、と思っていたのですが序盤から注意が少し多かったんです。6人の集団だったので、その中で目についているのかな、と。池田選手に離されて、11kmくらいで警告が2枚つきました。あれだけポンポンと(警告が)出てしまうとなかなか……。どうしよう、と思っているうちに3枚目が出てしまったと思います。もう万事休す。余裕度もないし。まだ中盤なのに、手駒がなくなってきた、そんな感じ。もう少し前半の良いペースで行けた時に集団が削れていてくれれば自分の動きの量も抑えられたかな、とか。細かな願望はありますが、希望通りにいくわけがないので。やっぱり技術的な土台が確立されていなかったら仕方ありません。あんまり覚えていないんですけど……」
日本選手権の結果についての2つの価値観
日本選手権の結果、パリ五輪を逃した。その結果に対して2つの価値観があるという。 「もちろん、今回の結果は良くなかった。実業団として続ける以上、期待に応えられなかったので真摯に受け止めないといけません。自分の置かれている立場、サポートしていただいているものに対して、最低限返さないといけないラインがあって、その最低ラインをどう守っていくか。今回、それができなかった。仕事でも同じで反省して、次につなげていかないといけない」 ただ――。 「アスリート、個人の在り方として、細かい反省点はあるのですが、今回のチャレンジによる失敗も、そんなに後悔するほどのことではない、と思っている部分もあるんです。やりたいチャレンジをして、うまくいかないことも経験して。『そりゃそんなに甘くないよな』と単純に現実を突きつけられる。それは仕方ない、と」 その2つの価値観の中で揺れ動く。頭の中に2人の別の自分が話しかける。 「日本選手権の直後はあんな感じで言ってしまったのですが、僕の中で『こんな形で辞めるのはないだろう。ダサすぎる』と自分では思っているわけです。ただ、一方で、代表から外れたら辞める覚悟で頑張ってきた数年間の自分との“矛盾”がありました。5年前の自分が聞いたら『お前、ふざけんなよ』『そんな覚悟でやってねぇだろ』って多分言うと思うんです。その矛盾を許すのか、許さないのか。どうけじめをつけるか、折り合いをつけるか」 一歩目を踏み出すと決めたのはいつだったのか。 「自分の中でどう折り合いをつけようとかというのは何日かウダウダと考えていました。でも、レース当日の晩には、4、5月のヨーロッパの試合スケジュールを調べて、カレンダーを開いていたんですよ。めちゃくちゃだな、矛盾しているなとわかっているんですけど」 少し恥ずかしそうに明かした。「この状態で辞めるという選択はない。あとはコイツ(もう一人の自分)をどう説得しようかな、どうごまかそうかなって考えながら、気持ちは次のことに転がり始めていましたね」。もう一人の若き自分に問いかける。「君が求めるところまで、ある程度はクリアしたでしょ?」。これが、大ケガで再起不能だったり、年齢による明らかな能力の低下だったりしたなら、あきらめもついただろう。しかし、「1回自分の足でつまずいて転んだくらい。それで心が折れて退場は軟弱すぎるだろう。それにはお前も同意してくれるだろう?」と。山西青年は「しぶしぶ、承認の“ハンコ”を押してくれましたよ」。2、3日の休養を挟んで、山西は歩き出した。 [caption id="attachment_141911" align="alignnone" width="800"] 競技人生初の失格となった日本選手権[/caption]日本選手権に向けた取り組み
少し時間が経った。日本選手権をどう振り返るのか。そもそも、そこまでの取り組みにどんな狂いがあったのだろうか。ブダペスト世界選手権を終えてから、山西は厚底シューズの着用にチャレンジした。今は世界の主流になりつつある。 「ブダペスト世界選手権を終わって、9月くらいから始めました。期間もあったので、(日本選手権まで)半年かければ対応できるのではと思って始めました。ただ、うまくアジャストできなかったんです。11月くらいが一番心理的にはしんどかったです」 そのまま行くべきか。それとも元に戻すべきか。年が明けて最後は自分で「戻そう」と決めた。しかし、実際にシューズを戻すと「動きがガタッと崩れて、なかなか戻らなかった。そこで、練習の強度やバランスなど、もう少し丁寧にできなかったかな、とは思います。」。1月の日本陸連合宿では、池田をはじめ、全体的に状態の良さを感じていた。それを気にし過ぎることはなく、「そんな余裕がなかった。むしろもっと(周囲を)見られるくらいのほうが余裕はあるかもしれません」と振り返る。 「割と2月に入ってからは、最低限なんとかできそう、というところまで持ってこられました。ただ、試合の前々日くらいからまたちょっと動きが……。どうも動きが軽くなって、押さえがきかなくなっていた。動画を見返すとそういうふうに感じます」 パリ五輪代表は3枠。選考要項に沿えば派遣設定記録を切って3位以内に入れば決められる状況だった。上位陣で記録を持っていなかったのは山西のみ。ただ、派遣設定記録の1時間(1時間19分30秒)は当日の条件(晴れ)を見ても、山西の本来の力であれば難しい記録ではない。3位以内に入れば、自然と届く記録。それでも、山西は攻めた。 [caption id="attachment_141912" align="alignnone" width="800"] レース後は悔しい中でも取材に応じた[/caption] 「代表3枠にどう入るかという思考よりも、優勝と1時間16分台に行きたいと思っていました。冷静に見れば、3位以内を狙えばいい、という意見ももちろんわかります。美学、なんてほどのものではありませんが、個人の勝手なこだわりというか、そうありたいというか……。やっぱり日本選手権という勝負であり、レース。それだけです」 山西は1kmを3分52秒、2kmまでも3分51秒、さらに3kmまでの1kmは3分49秒というハイラップで入った。これは、鈴木雄介(富士通)の世界記録1時間16分36秒を上回るペースだった。5km通過は19分14秒。山西とともに池田、髙橋和生(ADワークスグループ)、川野将虎(旭化成)、古賀友太(大塚製薬)、濱西諒(サンベルクス)の6名の上位争いに絞られた。結果的に、そのまま上位に残った選手たちだ。 「見積もりの甘さが出ました。まだ警告が出るほどではないかな、と思っていたのですが序盤から注意が少し多かったんです。6人の集団だったので、その中で目についているのかな、と。池田選手に離されて、11kmくらいで警告が2枚つきました。あれだけポンポンと(警告が)出てしまうとなかなか……。どうしよう、と思っているうちに3枚目が出てしまったと思います。もう万事休す。余裕度もないし。まだ中盤なのに、手駒がなくなってきた、そんな感じ。もう少し前半の良いペースで行けた時に集団が削れていてくれれば自分の動きの量も抑えられたかな、とか。細かな願望はありますが、希望通りにいくわけがないので。やっぱり技術的な土台が確立されていなかったら仕方ありません。あんまり覚えていないんですけど……」厚底シューズの自己分析
これまでも、いろいろなチャレンジを重ねてきた。たとえ、結果だけ見れば“失敗”であっても。オレゴン世界選手権のあとに35km競歩にトライしたこともその一つだろう。そして、今回の厚底シューズも。 「シューズに関してはもうちょっと早く戻していたらどうだったかな、というのはあります。他にもいくつか反省点はあるんです。戻したとして、11月から1月までの使い方を考えられなかったか、最後の詰めの部分はどうだったか。当然、湧いてくるのですが、ただ、衝動的な部分でやったところは後悔しようがないと思っている部分もあります。一個人としての価値観的な見方で言えば『それほど後悔するほどのことか?』と思う。ただ、アスリートとしては『最低限のラインを守れなかった。後悔していないと言ってもそれはダメ』と思っています」 ただ、日本選手権後に再びトライした厚底シューズに徐々に適応していく。その結果が、2つの海外レースでの好記録・好結果だった。 「1試合目でまだうまくいかなかったですが、2試合目で動きや接地の場所、タイミングを調節して改善できたと思います。まず、シューズの最も安定する場所が違ってくるので、地面をとらえる姿勢、タイミングが変わります。そこが一番苦労しました」 厚底シューズのメリットについては「正直、衝動で動いている部分がある」といい、「理屈でこっちがいい、というわけではなく、もう一回試したい」というのが本音だった。ただ、世界の潮流から言っても、「かなりメジャーになっている」ことから、後進への一つの“お手本になれれば”という思いも少なからずある。 [caption id="attachment_141913" align="alignnone" width="800"] オレゴン世界陸上でも金メダル。再び世界一を目指す[/caption] 「前傾姿勢や骨盤との関係というのもわかりますが、個人的には足首が大事なのではないか、と思っています。前足に乗った時に足首が柔らかくて抜けてしまうと力が伝わりません。パワー、重心、体重を乗せていく時に反発を得るためには足首がグラグラすると抜けてしまう。これまでのシューズとでは足首を固めるタイミングや形が異なるのだろうと感じています。この数ヵ月はどう歩けばいいのか、いろいろ繰り返していて、それはそれですごくおもしろいです」 厚底シューズの台頭により、競歩という競技そのものの「転換期」に来ているとも言える。「反則の基準、審判の見る目も変わっていく。ただ、集団が大きいと判定はどうしても相対評価になる。厚底シューズの選手が多くなると、その中で粗い動きの選手が“目につく”わけです。その判定の基準と、これまでのスタンダードとのズレが大きくなると、どう統一していくのかがすごく難しい」と分析する。ただ、これは競歩の歴史でも繰り返し議論されてきたことでもあり、「審判の数を増やすのか、センサーを導入するのか。競歩という種目の在り方について考えないといけないですね」。今は来年の東京世界選手権に照準
心の傷が完全に癒えたわけではない。欧州遠征では「野田(明宏)君に救われたんですよ」と言う。「1ヵ月、一緒に行ってくれたのが大きくて。練習も一緒にできますし。彼はマイペースでのほほんとしているんです。お互い、気を使わず、それでいて一緒に悔しい思いもしていますから」。日本の喧噪から離れられたのは、この後の2人にとって大事な時間だったのかもしれない。 ストレートに聞いてみた。パリのレースは見られますか、と。 「正直、見たくないという思いが今はあります。直視できないと思うんです。世界競歩チーム選手権も見られなかったです」 一度はつまずいたとは言え、その力がやはり世界トップであることを証明した山西。歩き続けると決めたからには、どこを目指して歩を進めていくのか。 「まずは来年の東京世界選手権の20km競歩にチャレンジしたいと思っています。(欧州の)2本目のレースは手応えがすごく大きかった。まだやれる、という中での1時間17分台。もちろん、もう少し審判の目で見てもらえる展開の中で技術を確認しなくてはいけないと思っています」 来年の世界選手権。3年前の五輪では歩けなかった“東京”が舞台だ。再び日の丸を背負うために。そして、世界一になるために。山西はどんな困難が待ち受けていようとも、これまで同じ“王道”を突き進んでいく覚悟だ。 ◎山西利和(やまにし・としかず) 1996年2月15日生まれ。京都府出身。京都・長岡三中→堀川高→京大→愛知製鋼。中学で陸上を始め、長距離が専門だった。高校進学後に先輩と顧問の影響で競歩に転校。高2でインターハイ5000m競歩2位。3年時には世界ユース選手権10000m競歩で世界一となり、インターハイも制した。大学進学後は20㎞競歩にも適応し、大学4年時にはユニバーシアードで金メダル。社会人1年目の18年にはアジア大会で2位となる。19年ドーハ世界選手権でこの種目初の金メダル。21年東京五輪で銅メダル、22年のオレゴン世界選手権では大会連覇を達成した。自己ベストは20km競歩1時間17分15秒(日本歴代3位)。 文/向永拓史
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