2024.07.25
まだ歩き続けてくれた――。そう思った。
パリ五輪代表選考会の日本選手権20km競歩が終わってから約2ヵ月後。山西利和(愛知製鋼)はトラックの10000m競歩に出場した。さらにそこから1ヵ月後には、世界陸連(WA)競歩ツアーの20km競歩を2連戦し、ワルシャワ(ポーランド)では1時間19分37秒で3位。
続くラ・コルーニャ(スペインチーム)では1時間17分47秒を叩き出して優勝している。しかも、ブダペスト世界選手権金のアルバロ・マルティン(スペイン)をはじめ、カイオ・ボンフィム(ブラジル)、 ダニエル・ピンタド(エクアドル)、そして池田向希(旭化成)らを抑えて。
やはり、山西は強い。世界中のウォーカーにそんな印象を与えた。
「表彰式で『彼らはまたパリ五輪で戦います』と紹介してくれたんですよ」。そう言って山西は笑った。帰りに「実は出ないんだ」と伝えると、不思議そうな表情をされたという。
神戸での日本選手権は失格に終わった。歩型違反の警告が3回出て12km過ぎに2分間のペナルティーゾーンに入った。その後すぐに4つめの警告が与えられた。人生初の失格。両親や関係者の顔を見ると涙があふれた。
19年ドーハ世界選手権で初めて世界一となり、21年東京五輪は銅メダル。22年オレゴン世界選手権では“連覇”を達成した。しかし、昨年のブダペスト世界選手権では24位と惨敗。東京五輪、そしてブダペストのリベンジをするはずのパリへの道はついえた。
京大を卒業し、愛知製鋼で競技を続けると決めた時から、実業団とはいえ、ある意味でプロ意識を持って取り組んできた。
「1回でも代表から漏れたら辞めるぐらいの気持ちでずっとやってきた。あの頃の自分に嘘をつきたくない気持ちはあるし、今ここで辞めるのもな、という気持ちもある」
簡単に「続けてほしい」とは言えなかった。だからこそ、また歩き始めてくれた時はうれしかった。

ドーハ世界陸上金メダルの山西利和
日本選手権の結果についての2つの価値観
日本選手権の結果、パリ五輪を逃した。その結果に対して2つの価値観があるという。
「もちろん、今回の結果は良くなかった。実業団として続ける以上、期待に応えられなかったので真摯に受け止めないといけません。自分の置かれている立場、サポートしていただいているものに対して、最低限返さないといけないラインがあって、その最低ラインをどう守っていくか。今回、それができなかった。仕事でも同じで反省して、次につなげていかないといけない」
ただ――。
「アスリート、個人の在り方として、細かい反省点はあるのですが、今回のチャレンジによる失敗も、そんなに後悔するほどのことではない、と思っている部分もあるんです。やりたいチャレンジをして、うまくいかないことも経験して。『そりゃそんなに甘くないよな』と単純に現実を突きつけられる。それは仕方ない、と」
その2つの価値観の中で揺れ動く。頭の中に2人の別の自分が話しかける。
「日本選手権の直後はあんな感じで言ってしまったのですが、僕の中で『こんな形で辞めるのはないだろう。ダサすぎる』と自分では思っているわけです。ただ、一方で、代表から外れたら辞める覚悟で頑張ってきた数年間の自分との“矛盾”がありました。5年前の自分が聞いたら『お前、ふざけんなよ』『そんな覚悟でやってねぇだろ』って多分言うと思うんです。その矛盾を許すのか、許さないのか。どうけじめをつけるか、折り合いをつけるか」
一歩目を踏み出すと決めたのはいつだったのか。
「自分の中でどう折り合いをつけようとかというのは何日かウダウダと考えていました。でも、レース当日の晩には、4、5月のヨーロッパの試合スケジュールを調べて、カレンダーを開いていたんですよ。めちゃくちゃだな、矛盾しているなとわかっているんですけど」
少し恥ずかしそうに明かした。「この状態で辞めるという選択はない。あとはコイツ(もう一人の自分)をどう説得しようかな、どうごまかそうかなって考えながら、気持ちは次のことに転がり始めていましたね」。もう一人の若き自分に問いかける。「君が求めるところまで、ある程度はクリアしたでしょ?」。これが、大ケガで再起不能だったり、年齢による明らかな能力の低下だったりしたなら、あきらめもついただろう。しかし、「1回自分の足でつまずいて転んだくらい。それで心が折れて退場は軟弱すぎるだろう。それにはお前も同意してくれるだろう?」と。山西青年は「しぶしぶ、承認の“ハンコ”を押してくれましたよ」。2、3日の休養を挟んで、山西は歩き出した。

競技人生初の失格となった日本選手権

日本選手権の結果についての2つの価値観
日本選手権の結果、パリ五輪を逃した。その結果に対して2つの価値観があるという。 「もちろん、今回の結果は良くなかった。実業団として続ける以上、期待に応えられなかったので真摯に受け止めないといけません。自分の置かれている立場、サポートしていただいているものに対して、最低限返さないといけないラインがあって、その最低ラインをどう守っていくか。今回、それができなかった。仕事でも同じで反省して、次につなげていかないといけない」 ただ――。 「アスリート、個人の在り方として、細かい反省点はあるのですが、今回のチャレンジによる失敗も、そんなに後悔するほどのことではない、と思っている部分もあるんです。やりたいチャレンジをして、うまくいかないことも経験して。『そりゃそんなに甘くないよな』と単純に現実を突きつけられる。それは仕方ない、と」 その2つの価値観の中で揺れ動く。頭の中に2人の別の自分が話しかける。 「日本選手権の直後はあんな感じで言ってしまったのですが、僕の中で『こんな形で辞めるのはないだろう。ダサすぎる』と自分では思っているわけです。ただ、一方で、代表から外れたら辞める覚悟で頑張ってきた数年間の自分との“矛盾”がありました。5年前の自分が聞いたら『お前、ふざけんなよ』『そんな覚悟でやってねぇだろ』って多分言うと思うんです。その矛盾を許すのか、許さないのか。どうけじめをつけるか、折り合いをつけるか」 一歩目を踏み出すと決めたのはいつだったのか。 「自分の中でどう折り合いをつけようとかというのは何日かウダウダと考えていました。でも、レース当日の晩には、4、5月のヨーロッパの試合スケジュールを調べて、カレンダーを開いていたんですよ。めちゃくちゃだな、矛盾しているなとわかっているんですけど」 少し恥ずかしそうに明かした。「この状態で辞めるという選択はない。あとはコイツ(もう一人の自分)をどう説得しようかな、どうごまかそうかなって考えながら、気持ちは次のことに転がり始めていましたね」。もう一人の若き自分に問いかける。「君が求めるところまで、ある程度はクリアしたでしょ?」。これが、大ケガで再起不能だったり、年齢による明らかな能力の低下だったりしたなら、あきらめもついただろう。しかし、「1回自分の足でつまずいて転んだくらい。それで心が折れて退場は軟弱すぎるだろう。それにはお前も同意してくれるだろう?」と。山西青年は「しぶしぶ、承認の“ハンコ”を押してくれましたよ」。2、3日の休養を挟んで、山西は歩き出した。 [caption id="attachment_141911" align="alignnone" width="800"]
日本選手権に向けた取り組み
少し時間が経った。日本選手権をどう振り返るのか。そもそも、そこまでの取り組みにどんな狂いがあったのだろうか。ブダペスト世界選手権を終えてから、山西は厚底シューズの着用にチャレンジした。今は世界の主流になりつつある。 「ブダペスト世界選手権を終わって、9月くらいから始めました。期間もあったので、(日本選手権まで)半年かければ対応できるのではと思って始めました。ただ、うまくアジャストできなかったんです。11月くらいが一番心理的にはしんどかったです」 そのまま行くべきか。それとも元に戻すべきか。年が明けて最後は自分で「戻そう」と決めた。しかし、実際にシューズを戻すと「動きがガタッと崩れて、なかなか戻らなかった。そこで、練習の強度やバランスなど、もう少し丁寧にできなかったかな、とは思います。」。1月の日本陸連合宿では、池田をはじめ、全体的に状態の良さを感じていた。それを気にし過ぎることはなく、「そんな余裕がなかった。むしろもっと(周囲を)見られるくらいのほうが余裕はあるかもしれません」と振り返る。 「割と2月に入ってからは、最低限なんとかできそう、というところまで持ってこられました。ただ、試合の前々日くらいからまたちょっと動きが……。どうも動きが軽くなって、押さえがきかなくなっていた。動画を見返すとそういうふうに感じます」 パリ五輪代表は3枠。選考要項に沿えば派遣設定記録を切って3位以内に入れば決められる状況だった。上位陣で記録を持っていなかったのは山西のみ。ただ、派遣設定記録の1時間(1時間19分30秒)は当日の条件(晴れ)を見ても、山西の本来の力であれば難しい記録ではない。3位以内に入れば、自然と届く記録。それでも、山西は攻めた。 [caption id="attachment_141912" align="alignnone" width="800"]
厚底シューズの自己分析
これまでも、いろいろなチャレンジを重ねてきた。たとえ、結果だけ見れば“失敗”であっても。オレゴン世界選手権のあとに35km競歩にトライしたこともその一つだろう。そして、今回の厚底シューズも。 「シューズに関してはもうちょっと早く戻していたらどうだったかな、というのはあります。他にもいくつか反省点はあるんです。戻したとして、11月から1月までの使い方を考えられなかったか、最後の詰めの部分はどうだったか。当然、湧いてくるのですが、ただ、衝動的な部分でやったところは後悔しようがないと思っている部分もあります。一個人としての価値観的な見方で言えば『それほど後悔するほどのことか?』と思う。ただ、アスリートとしては『最低限のラインを守れなかった。後悔していないと言ってもそれはダメ』と思っています」 ただ、日本選手権後に再びトライした厚底シューズに徐々に適応していく。その結果が、2つの海外レースでの好記録・好結果だった。 「1試合目でまだうまくいかなかったですが、2試合目で動きや接地の場所、タイミングを調節して改善できたと思います。まず、シューズの最も安定する場所が違ってくるので、地面をとらえる姿勢、タイミングが変わります。そこが一番苦労しました」 厚底シューズのメリットについては「正直、衝動で動いている部分がある」といい、「理屈でこっちがいい、というわけではなく、もう一回試したい」というのが本音だった。ただ、世界の潮流から言っても、「かなりメジャーになっている」ことから、後進への一つの“お手本になれれば”という思いも少なからずある。 [caption id="attachment_141913" align="alignnone" width="800"]
今は来年の東京世界選手権に照準
心の傷が完全に癒えたわけではない。欧州遠征では「野田(明宏)君に救われたんですよ」と言う。「1ヵ月、一緒に行ってくれたのが大きくて。練習も一緒にできますし。彼はマイペースでのほほんとしているんです。お互い、気を使わず、それでいて一緒に悔しい思いもしていますから」。日本の喧噪から離れられたのは、この後の2人にとって大事な時間だったのかもしれない。 ストレートに聞いてみた。パリのレースは見られますか、と。 「正直、見たくないという思いが今はあります。直視できないと思うんです。世界競歩チーム選手権も見られなかったです」 一度はつまずいたとは言え、その力がやはり世界トップであることを証明した山西。歩き続けると決めたからには、どこを目指して歩を進めていくのか。 「まずは来年の東京世界選手権の20km競歩にチャレンジしたいと思っています。(欧州の)2本目のレースは手応えがすごく大きかった。まだやれる、という中での1時間17分台。もちろん、もう少し審判の目で見てもらえる展開の中で技術を確認しなくてはいけないと思っています」 来年の世界選手権。3年前の五輪では歩けなかった“東京”が舞台だ。再び日の丸を背負うために。そして、世界一になるために。山西はどんな困難が待ち受けていようとも、これまで同じ“王道”を突き進んでいく覚悟だ。
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