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2024.05.16

パリ五輪挑戦断念を決断した山縣亮太 再起へ「自分に与えられた可能性を追求することをやりきりたい」
パリ五輪挑戦断念を決断した山縣亮太 再起へ「自分に与えられた可能性を追求することをやりきりたい」

ケガのため日本選手権出場を断念した山縣亮太

男子100m日本記録(9秒95)保持者の山縣亮太(セイコー)が5月16日、オンライン上で会見を開き、6月下旬の日本選手権を含めて現状で予定していたレースをすべてキャンセルすることを明らかにした。五輪参加標準記録(10秒00)を突破しておらず、ワールドランキングでもターゲットナンバー内に入っていないことも含め、事実上これで4大会連続の五輪出場への道が閉ざされた。

その大きな原因となったのが、3月上旬から生じている右脚の違和感。山縣は、その症状について次のように説明した。

「右脚のふくらはぎからハムストリングスにかけて、しびれ、突っ張り感が出ています。走るとつってくるような感じが出て、日常生活においても時々足裏などにチクチクした痛みが出ています」

医師の診察を複数回にわたって受けたが、「MRIなど画像上でも原因が特定できない」という。そのため、日本選手権までの残りの期間で「ベストパフォーマンスを発揮することがかなり難しい」と判断し、「違和感の原因の特定と、治療に専念をすることにしました」と山縣。それは、競技人生を懸けてきたパリ五輪をあきらめることと同義になるため、簡単にできた決断ではない。

「このオリンピックのために、(東京からの)この3年間をがんばってきた。それは自分の中でも大きいものがあったので残念ですし、本当に自分の力不足を改めて感じます。また、今は喪失感もすごく大きい」

慶大2年で初出場した12年のロンドン五輪は100mで準決勝進出を果たし、4×100mリレーでは1走として5位入賞に貢献。2度目の五輪だった16年のリオでも100mはセミファイナリストとなり、4×100mリレーは再び1走として銀メダル獲得の原動力となった。21年の東京五輪は日本選手団全体の主将として100m、4×100mリレーに出場している。

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4大会連続の五輪代表入りを目指した今シーズンは、初戦だった2月の豪州・アデレードでの競技会(10秒34/+0.9)で2位とまずまずの入りを見せた。だが、その後に右脚の違和感が発症し、3月下旬のシドニーでのレースは10秒51(±0)どまり。国内初戦だった4月29日の織田記念でも、予選は10秒58(-0.4)の組3着でA決勝には進めず。B決勝は棄権を余儀なくされた。

今回の決断は、織田記念から1週間ほど後に至ったという。

「10秒5ぐらいで走れる状態ではあるので、決定的に脚が動かないわけではもちろんありません。でも、個人的にはそういう世界でやっているわけではない。10秒0、その先にいかないと日本代表にはなれません。5月から6月末までの時間の中で、10秒5から10秒0までもっていくトレーニングが、まったくイメージがつきませんでした」

今後は、「ベストパフォーマンスを出せる身体の状態を作ること」を優先させていくという。しびれなどの原因を突き止め、再び走れる身体を作り直すこと。「3月までの練習を振り返るなかで、部分的には自分の身体は動く。力も出せているし、パワーもついた。身体の衰えは感じていない」と快走を見せる自信はある。一方で、「原因がわからない、治療をどうすればいいのかわからない状態というのは、非常にモチベーションを保つのが難しい」と苦しい心境も吐露する。

21年秋に、それまで痛みに悩まされてきた右膝を手術した際は、高野大樹コーチをはじめとしたチームでその原因の究明、復帰と進化への方向性を定めることができた。この冬季までの完成度は「基礎的な部分は固まってきたけど、6割ぐらい」だったそうだが、オリンピックのファイナルに立つために「標準記録を出すことがパリでの活躍につながる」と、高次元の取り組みを追求し続けた。それは「何が正解か答えがないもので、基本的に暗中模索でずっとやってきた」ものであり、質・量ともにケガとは紙一重の水準である。

振り返れば、これまでもケガや病気に何度も苦しめられてきた。「ケガをするたびに感じることですし、今は気持ち的に下がっている今の状況は楽しくはない」と言う。それでも「走ることは好き」と山縣。だからこそ、「自分に与えられた可能性を追求することをやりきりたい」ときっぱり語る。

ケガの状況次第で、復帰への流れはまだ見えていない。アスリートとしてのキャリアも、6月で32歳となる年齢を踏まえ、身体と対話しながら「1年1年、どれだけ全力をかけられるか」という段階に入った。だが、まだやり残したことはある。

再び、フィニッシュラインをまっすぐ見据え、スタートラインに立つ姿を待ちたい。

男子100m日本記録(9秒95)保持者の山縣亮太(セイコー)が5月16日、オンライン上で会見を開き、6月下旬の日本選手権を含めて現状で予定していたレースをすべてキャンセルすることを明らかにした。五輪参加標準記録(10秒00)を突破しておらず、ワールドランキングでもターゲットナンバー内に入っていないことも含め、事実上これで4大会連続の五輪出場への道が閉ざされた。 その大きな原因となったのが、3月上旬から生じている右脚の違和感。山縣は、その症状について次のように説明した。 「右脚のふくらはぎからハムストリングスにかけて、しびれ、突っ張り感が出ています。走るとつってくるような感じが出て、日常生活においても時々足裏などにチクチクした痛みが出ています」 医師の診察を複数回にわたって受けたが、「MRIなど画像上でも原因が特定できない」という。そのため、日本選手権までの残りの期間で「ベストパフォーマンスを発揮することがかなり難しい」と判断し、「違和感の原因の特定と、治療に専念をすることにしました」と山縣。それは、競技人生を懸けてきたパリ五輪をあきらめることと同義になるため、簡単にできた決断ではない。 「このオリンピックのために、(東京からの)この3年間をがんばってきた。それは自分の中でも大きいものがあったので残念ですし、本当に自分の力不足を改めて感じます。また、今は喪失感もすごく大きい」 慶大2年で初出場した12年のロンドン五輪は100mで準決勝進出を果たし、4×100mリレーでは1走として5位入賞に貢献。2度目の五輪だった16年のリオでも100mはセミファイナリストとなり、4×100mリレーは再び1走として銀メダル獲得の原動力となった。21年の東京五輪は日本選手団全体の主将として100m、4×100mリレーに出場している。 4大会連続の五輪代表入りを目指した今シーズンは、初戦だった2月の豪州・アデレードでの競技会(10秒34/+0.9)で2位とまずまずの入りを見せた。だが、その後に右脚の違和感が発症し、3月下旬のシドニーでのレースは10秒51(±0)どまり。国内初戦だった4月29日の織田記念でも、予選は10秒58(-0.4)の組3着でA決勝には進めず。B決勝は棄権を余儀なくされた。 今回の決断は、織田記念から1週間ほど後に至ったという。 「10秒5ぐらいで走れる状態ではあるので、決定的に脚が動かないわけではもちろんありません。でも、個人的にはそういう世界でやっているわけではない。10秒0、その先にいかないと日本代表にはなれません。5月から6月末までの時間の中で、10秒5から10秒0までもっていくトレーニングが、まったくイメージがつきませんでした」 今後は、「ベストパフォーマンスを出せる身体の状態を作ること」を優先させていくという。しびれなどの原因を突き止め、再び走れる身体を作り直すこと。「3月までの練習を振り返るなかで、部分的には自分の身体は動く。力も出せているし、パワーもついた。身体の衰えは感じていない」と快走を見せる自信はある。一方で、「原因がわからない、治療をどうすればいいのかわからない状態というのは、非常にモチベーションを保つのが難しい」と苦しい心境も吐露する。 21年秋に、それまで痛みに悩まされてきた右膝を手術した際は、高野大樹コーチをはじめとしたチームでその原因の究明、復帰と進化への方向性を定めることができた。この冬季までの完成度は「基礎的な部分は固まってきたけど、6割ぐらい」だったそうだが、オリンピックのファイナルに立つために「標準記録を出すことがパリでの活躍につながる」と、高次元の取り組みを追求し続けた。それは「何が正解か答えがないもので、基本的に暗中模索でずっとやってきた」ものであり、質・量ともにケガとは紙一重の水準である。 振り返れば、これまでもケガや病気に何度も苦しめられてきた。「ケガをするたびに感じることですし、今は気持ち的に下がっている今の状況は楽しくはない」と言う。それでも「走ることは好き」と山縣。だからこそ、「自分に与えられた可能性を追求することをやりきりたい」ときっぱり語る。 ケガの状況次第で、復帰への流れはまだ見えていない。アスリートとしてのキャリアも、6月で32歳となる年齢を踏まえ、身体と対話しながら「1年1年、どれだけ全力をかけられるか」という段階に入った。だが、まだやり残したことはある。 再び、フィニッシュラインをまっすぐ見据え、スタートラインに立つ姿を待ちたい。

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