2024.04.12
「もう一つ上の次元で努力を」
24年はアスリートとして新たなステージに立つ。東洋大を卒業して富士通に入社。社会人となり、初めての五輪への挑戦を迎える。冬季には昨年度の冬季に続いて米国・南カリフォルニア大へ。1992年バルセロナ五輪男子400m金メダルのクインシー・ワッツ・コーチに師事し、マイケル・ノーマンやライ・ベンジャミン、さらにはフレッド・カーリーら、米国のメダリストたちと練習をともにした。「世界での悔しさは、世界でしか晴らせない」と、その決意を走りで示す覚悟だ。
「社会人になって、これからは陸上で結果を出すのが仕事。そこを基軸にして、ストイックにやっていきたい。23年培った安定性、試合に挑む時のマインドセット。自分の今の状態で、どこまでパフォーマンスを高めるかというところに関しては、かなり上達したと思っています。それらをキープしつつ、来年に向けてスピード、脚が流れてしまっているフォームの改善をできたらと思っていますね。あとはやっぱり、勝負どころでの爆発力が欲しいです。
そのためには、自分が最高の状態に持っていきたい大会から逆算して、毎回のレースで課題を設定していくことが大切。一方で大胆さも必要なので、失敗を恐れずにトライしていきたいと思っています。そうやっているうちに、自分が一番しっくりくる走りが見つけられると思うので。
ファイナルを戦えなかった悔しさをずっと胸に持ちつつ、目指すはパリ五輪のメダル。そして、その先の金メダルです。23年もそうでしたが、24年も覚悟を決めて、死に物狂いでがんばりたい。レース戦略など、もう一つ上の次元で物事を見つめて努力しないと、世界のメダルには届きません。やるからには絶対にトップに立ちたい。自分の理想のレースを現実のものにして、24年のシーズンを笑って終われるようにしたいですね」
ブダペストでの悔しさを、パリで。決意を胸に、中島は新たな一歩を踏み出す。
文/小川雅生
インタビュー撮影/原田健太
「最後の壁が破れなかった」
大躍進を遂げた1年と言っていいだろう。6月の日本選手権で初優勝。個人初の世界大会だったブダペスト世界選手権では準決勝に進み、3着で決勝進出にあと一歩まで迫った。さらに目を引いたのが記録水準。5月の静岡国際(45秒46)を皮切りに、45秒15をマークした日本選手権まで4試合連続で自己新をマーク。その後も、ブダペスト世界選手権準決勝で日本歴代5位の45秒04を出したのをはじめ、海外レースを含めて安定して45秒1前後を刻んだ。それでも、中島は悔しさを隠さない。 「結果的に見れば、45秒51だった22年までの自己ベストを、約0.5秒短縮することができました。それまでは45秒台は3回しか出していなかったのですが、23年は45秒前半でずっと安定させることができた。国内、海外問わず、大きい舞台でも、本当にどこに行っても安定して45秒前半を連発できたので、安定感はピカイチだったと思います。 いろいろな大会を経験できたことも、ものすごく価値があります。ブダペスト世界陸上では、個人で初めて世界大会のレースに出場でき、準決勝まで行って3着。単独での海外遠征も初めて挑戦し、ダイヤモンドリーグにも2度出場できました。何度も世界と戦うことができ、その中でも自分の良さを出して勝負するという感覚はつかめたと思います。 ただ目標は、世界陸上のファイナルと日本記録の更新。それを考えると、45秒1台~0台を連発しているのに、なぜか(44秒台への)最後の壁が破れない。そういうもどかしさを抱えながらのシーズンでしたね。45秒前半を何度も出せたことは、周囲からすごく評価していただきました。でも、やっぱり目指してるのはそこじゃないので」 これほどまでの成績と、安定したパフォーマンスを発揮できた要因はどこにあるのか。400mのレース戦略を含め、その「ブレイクスルー」のポイントに中島は22年のオレゴン世界陸上を挙げる。 「今までは、消極的なレースばかりでした。ラスト150mぐらいから上げ始めて、フィニッシュ前に追いつくか、追いつかないか。前半に内側から追い上げられた時には、もう自分のペースがわからなくなってしまうこともありました。自分でレースを作れない、受け身のような姿勢だったんです。 でも、オレゴン世界陸上の4×400mリレーで速いレースを経験して、自分で少しレースを作れるようになってきました。ひと冬を越えてスピードが上がってきた感覚もあった。だから、それを生かして最初の100mで加速に乗せることを意識し、バックストレートもそのスピードを維持して駆け抜けることを意識しました。加えて、自分の強みである後半でどこまで粘れるか。それを、シーズン前半で試したら、自己ベストをどんどん短縮できました。特に前半の200m通過が0.3~0.5秒ぐらい速くなったことが直結してると思います。後半も、今までと同じぐらいでまとめることができていました。 メンタル面も工夫しました。自己分析を重ねて、自分が最大限のパフォーマンスを出すためにはどういうマインドセットをして臨めばいいのか、それを確立することができたと思っています。だから、緊張し過ぎたり、力んで集中力を欠いたりというところもほぼなくなり、かなり完成度の高い状態をキープできていることが、すごい大きいのかなと思います」ブダペストではコンディショニングを反省
ブダペストでは、手応えをつかんだ完成度の高いレースをぶつける場ではあった。だが、コンディション面にズレが生じ、そのすべてを発揮しきれなかったという。予選は3着通過。準決勝は2人が途中棄権となる中で、決勝進出にあと1人の3着だった。日本記録や44秒台も、ともに出場した佐藤拳太郎(富士通)、佐藤風雅(ミズノ)に先を越され、メダルを狙った4×400mリレーでも予選敗退。「本当に散々でした」と中島は心底悔しそうに振り返る。 [caption id="attachment_132880" align="alignnone" width="800"] 23年ブダペスト世界陸上準決勝を力走する中島[/caption] 「ブダペストでは、200m19秒台の選手もいる中で、前半のスピード勝負は厳しいと思っていました。だから、それまでの形を維持しつつ、なるべくエネルギーを節約して離されない位置でレースを進めて、ラスト150mぐらいで仕掛ける。フィニッシュラインの前で先頭を捕まえるという構想で挑みました。 ただ、体調を少し崩してしまって、調整がうまくいかなかったことを反省しています。それまではすごく良い状態でしたが、感覚など理想の状態と少しずれてしまいました。予選(45秒13で3着通過)も前半は予定通りでしたが、いつものラストの強さが発揮できず、逆に離されてしまった。今思い出してもその情景がフラッシュバックしてくるぐらい悔しかったです。 走る前に拳太郎さんが日本新(44秒77)を出したこと、風雅さんも44秒台に入った(44秒97)ことは知っていました。だから、流れ的に僕も絶対に(44秒台が)出るだろうなって思っていましたし、日本選手権は僕が勝っているので、2人の活躍が自信にもなりました。ただ、必要以上にプレッシャーを感じてしまった部分もあったのかな。 準決勝は、大外9レーンだったので内側は見えませんでしたが、途中棄権する選手が出たことはわかりました。ただ、そのまま集中して自分のペースで行こう、と。東京五輪金メダルのスティーブン・ガーディナー選手(バハマ)が200mを過ぎて内側から上がってきて、最後の直線に入るところでケガをしました。この時点でアメリカの選手が前に出ていて、ジャマイカの選手との勝負。千載一遇のチャンスじゃないですけど、『ここは絶対につかむぞ』と走りました。 でも、予選と同様に自分の思ったようなラストが出せませんでした。やっぱり、大事なのはリラックスと、力を加えるタイミングのバランス。『決勝進出』を、過度に意識してしまったかもしれません。 予選からの流れは、世界大会では特に大事。予選で自己ベストを出して1着、2着に入ることができると、余裕を持てますし、良いレーンに入ることもできます。準決勝は大外になって、自分のペースを作ることが難しかった。最低限、自己ベストを出せたことは決して悪いことではありませんが………。理想は予選から完璧に近いレースをしつつ、それを修正して勝負の準決勝、決勝で完璧なレースをすることです」プーマファミリーとして「もっと高みを」
ブダペストでは、新たな刺激も得られた。自身と同じプーマの契約アスリートたちが次々と世界の頂点に立つ姿、さらに同じプーマファミリーであり、東京・城西高の先輩でもあるサニブラウン・アブデル・ハキームが男子100mで2大会連続ファイナルを戦う姿に、単なるあこがれなどではない、「自分も」という強い思いが湧き立つ。 「男子400mハードルのカールステン・ワルホルム選手(ノルウェー)など、同じファイアー グローカラーのスパイクを履いている人が金メダル取るシーンを見ると、僕も自信にもなりますし、親近感が湧いてきますね。プーマファミリーは一体感が強い。もっと高みを目指したいという気持ちになりますね。 ハキームさんとは、選手村で同部屋でした。僕が城西高に入った理由の1つが、ハキームさんの出身校だったということ。在学期間は重なってはいないですが、高校時代から世界で活躍されていて、日本陸上界の歴史をいくつも塗り替えてきた選手です。常に新しいことに挑戦し続けているその姿は、やっぱり尊敬します。同時に、自分でイベントを企画し、陸上教室など子供たちと交流していくことの大事さも学ばせてもらっています」 [caption id="attachment_132882" align="alignnone" width="800"] 競技とファッションを追求したいという[/caption] アスリートとして実直に、自身の競技と向き合う中島。その一方で、身長190cmを超える恵まれた体格を生かし、ファッションモデルもこなす異色のキャリアを持つ。アスリートの武器であるスパイクについて、「プーマは最高の機能とともに、見た目も完璧」とうれしそうに語った。 「このスパイクは、去年のオレゴン世界陸上で初めて履かせていただきました。今まで履いたことがない、画期的なスパイクだと思っています。カーボンプレートとクッションがマッチして、接地した時の跳ね返りがすごく大きい。その上に、クッションが効いているので、あくまで自然な形でのサポートをしてくれます。400mでは、前半のエネルギー消費をいかに節約できるかが大事。そういうアシストがあると、疲労度が違いますね。僕の足にはパーフェクトにマッチしているなと思います。 デザインもすごく好きです。僕はオレンジ色がすごく好き。大きいスタジアムでもすぐにわかる、それくらい鮮やかなデザインで、足元がすごく輝きますね。僕のモットーの1つは、多くの観客の方に見てもらえるレースをすること。だから、スパイクも機能性を極めつつ、ファッション性も追求したいんです。このスパイクは機能性は最高で、デザインも完璧。アスリートにとって、走り以外の見た目の部分も自己表現のツールになっていると思うので、そこは大事にしています」「もう一つ上の次元で努力を」
24年はアスリートとして新たなステージに立つ。東洋大を卒業して富士通に入社。社会人となり、初めての五輪への挑戦を迎える。冬季には昨年度の冬季に続いて米国・南カリフォルニア大へ。1992年バルセロナ五輪男子400m金メダルのクインシー・ワッツ・コーチに師事し、マイケル・ノーマンやライ・ベンジャミン、さらにはフレッド・カーリーら、米国のメダリストたちと練習をともにした。「世界での悔しさは、世界でしか晴らせない」と、その決意を走りで示す覚悟だ。 [caption id="attachment_132881" align="alignnone" width="800"] 富士通のジャージに身を包んだ中島。右はチームの先輩である400m日本記録保持者の佐藤拳太郎[/caption] 「社会人になって、これからは陸上で結果を出すのが仕事。そこを基軸にして、ストイックにやっていきたい。23年培った安定性、試合に挑む時のマインドセット。自分の今の状態で、どこまでパフォーマンスを高めるかというところに関しては、かなり上達したと思っています。それらをキープしつつ、来年に向けてスピード、脚が流れてしまっているフォームの改善をできたらと思っていますね。あとはやっぱり、勝負どころでの爆発力が欲しいです。 そのためには、自分が最高の状態に持っていきたい大会から逆算して、毎回のレースで課題を設定していくことが大切。一方で大胆さも必要なので、失敗を恐れずにトライしていきたいと思っています。そうやっているうちに、自分が一番しっくりくる走りが見つけられると思うので。 ファイナルを戦えなかった悔しさをずっと胸に持ちつつ、目指すはパリ五輪のメダル。そして、その先の金メダルです。23年もそうでしたが、24年も覚悟を決めて、死に物狂いでがんばりたい。レース戦略など、もう一つ上の次元で物事を見つめて努力しないと、世界のメダルには届きません。やるからには絶対にトップに立ちたい。自分の理想のレースを現実のものにして、24年のシーズンを笑って終われるようにしたいですね」 ブダペストでの悔しさを、パリで。決意を胸に、中島は新たな一歩を踏み出す。 文/小川雅生 インタビュー撮影/原田健太
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