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2024.03.28

【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天/第43回「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを慎む」
【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天/第43回「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを慎む」

本学卒業式にて。中距離ブロックの選手たちと


山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!

第43回「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを慎む」

桜の開花予報が伝えられるこの季節は、年度末であり卒業のシーズンだ。

教育現場に籍を置けば、人生の節目でもある卒業生に対し、惜別と激励の言葉を述べなければならない。ともに過ごした年月を回顧しつつ、卒業生に対する思い出が甦ってくる。

“指導”という言葉は“指を指し示して導く”という意味だろう。それと知りつつ、実際に指を指し示してみると、自分自身に指が3本向いていることに気づかされる。

「惜別と激励の言葉にふさわしい指導ができたのか?」
自問自答を繰り返す。

新入生を前に、これからともに歩んでいく希望や信念を語るのとは趣が異なる。それでも過去を振り返り、これから社会人として一歩を踏み出す彼らに花向けの言葉を述べなければならない。

冬の寒さに厳しさを知りたるがゆえに
春の到来をことのほか喜び
夏の暑さに挫けそうになりながらも
秋の訪れに心が和む

四季折々の美しさや厳しさ、春夏秋冬それぞれの季節がくっきりと彩られる中で、花鳥風月をともとして過ごされてきた卒業生諸君。それぞれの学び舎で、君たちはどのようなことを学んだだろうか。どれだけ心のフィールドを広げてきただろうか。

毎年手帳に書き込む好きな言葉の1つに、『春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを慎む』がある。江戸時代の儒学者・佐藤一斎は、人としての生き方を短い言葉の中に表している。

「春風を以て……」
春の日に優しく吹く風のように人と接することは、人の世を生きていくうえでとても大切なことだろう。優しさは厳しさの中にあって、心を広く深く育ててきた人が持つ財産だから。

それゆえに

「秋霜を以て……」
厳しい寒さに向かう季節を告げるかのような秋の霜のように、自らを厳しく見つめることが肝要なのだと締めくくっている。

競技者として自己の限界に挑み、ライバルとの勝負に集中する程に、波立つ気持ちやささくれた感情を制御しきれず、苛立ちや怒りをどこに持って行けば良いのか途方に暮れた経験があるはずだ。競技に真剣に取り組むからこそ、他者に厳しく自分に甘き人の弱さに気づかされる。自らを厳しく律し、人には思いやりを持ち続けることの難しさは、嫌というほど思い知らされてきたことだろう。

それでも陸上競技者として喜怒哀楽の経験を重ね、困難苦難を乗り越えた経験があればこそ、本当の優しさとはどのようなものかに気づき、無意識に行動は伴ってくると信じている。

陸上競技に明け暮れた4年間。速さだの強さだのと言ったところで、人生の一瞬の出来事に過ぎない。肝心なのは、君たちがこの先どのように人と関わり、生きていくかということだろう。

そして、忘れてはならないことがある。君達が入学した2020年は、コロナパンデミックによる感染症対策の真っただ中にいたことだ。

人と関わりつつ生きてゆくことの大切さを語っておきながら、感染症対策の日々はそれとは真逆の生活を余儀なくさてきた経験がある。世界的な感染症の蔓延が私たちに与えた衝撃は余りにも大きく、あらゆる生活様式の規制があった。さらには、大会や行事の中止・延期に対する慟哭(どうこく)があったことだろう。ぶつけようのない怒りを内に秘め、日々を過ごすしかなかったことと思う。

だからこそ君たちは、人と関わり、人として生きるとはどのようなことなのかを深く考えさせられたはずだ。

陸上競技を通じて経験した喜怒哀楽の思い出は、単なる思い出としてではなく、「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを慎む」の言の葉が持つ意味を、深く知る社会人として歩んでいってほしいと願っている。

山梨学大の卒業式にて。中距離ブロックの選手たちと

【追記】
今年の箱根駅伝後に神奈川大学監督を勇退し、4月から総監督となる大後栄治氏。昨年3月末で駒澤大学監督を勇退し、現在は総監督としてトップ選手の指導にあたる私と同年代の大八木弘明氏。お二人とも、長らく箱根駅伝というステージでともに切磋琢磨してきた盟友である。
※編集部注・・・1990年代後半には、そろって駅伝で優勝候補に挙げられたことから、それぞれの大学の頭文字を取って「YKK(山梨学大・神奈川大・駒大)」と呼ばれた

お人柄もタイプの違いこそあれ、“春風秋霜”を指導に実践してこられたことは疑う余地がない。

大後氏は、初代を担った青葉昌幸氏の後継として、関東学連の駅伝対策委員長を2014年まで務められた。私がその後を引き継いだこともあり、感慨もひとしおである。

歴代駅伝対策委員長の3人。右から初代の青葉昌幸氏、2代目の大後栄治氏、3代目の上田氏

大八木氏は、田澤廉選手(トヨタ自動車)など一部の卒業生の指導を引き継ぎ担い、世界を目指して有言実行に努めておられる。

お二人には尊敬すべき指導者として多くの刺激を与えていただいた。箱根駅伝を一つの大きな終着駅かつ乗換駅としてチームを育成し、選手に熱き情熱を傾けた監督が、箱根路を卒業するのは一抹の寂しさを感じる。

しかしながら、まだまだその後ろ姿には迸(ほとばし)るエネルギーを感じる。

私は2019年に山梨学院大学の駅伝監督を退いて以来、駅伝チームとは距離を置く立場となったが、駅伝対策委員長として駅伝競技の大会運営の一端に関わらせていただいた。

特に大会の準備・運営で関係各所でのご苦労の深淵を知ることができた。そのことは箱根駅伝をこよなく愛する一人として、さらに慈しみが増したと言える。

今年度限りで駅伝対策委員長も卒業となる。多くの方々に支えていただいたことに感謝の念でいっぱいである。残された本学在籍期間は、中距離コーチとして選手とともに歩みを進めることに情熱を傾けたい。

「春風秋霜」を糧として。

上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。
山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!

第43回「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを慎む」

桜の開花予報が伝えられるこの季節は、年度末であり卒業のシーズンだ。 教育現場に籍を置けば、人生の節目でもある卒業生に対し、惜別と激励の言葉を述べなければならない。ともに過ごした年月を回顧しつつ、卒業生に対する思い出が甦ってくる。 “指導”という言葉は“指を指し示して導く”という意味だろう。それと知りつつ、実際に指を指し示してみると、自分自身に指が3本向いていることに気づかされる。 「惜別と激励の言葉にふさわしい指導ができたのか?」 自問自答を繰り返す。 新入生を前に、これからともに歩んでいく希望や信念を語るのとは趣が異なる。それでも過去を振り返り、これから社会人として一歩を踏み出す彼らに花向けの言葉を述べなければならない。 冬の寒さに厳しさを知りたるがゆえに 春の到来をことのほか喜び 夏の暑さに挫けそうになりながらも 秋の訪れに心が和む 四季折々の美しさや厳しさ、春夏秋冬それぞれの季節がくっきりと彩られる中で、花鳥風月をともとして過ごされてきた卒業生諸君。それぞれの学び舎で、君たちはどのようなことを学んだだろうか。どれだけ心のフィールドを広げてきただろうか。 毎年手帳に書き込む好きな言葉の1つに、『春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを慎む』がある。江戸時代の儒学者・佐藤一斎は、人としての生き方を短い言葉の中に表している。 「春風を以て……」 春の日に優しく吹く風のように人と接することは、人の世を生きていくうえでとても大切なことだろう。優しさは厳しさの中にあって、心を広く深く育ててきた人が持つ財産だから。 それゆえに 「秋霜を以て……」 厳しい寒さに向かう季節を告げるかのような秋の霜のように、自らを厳しく見つめることが肝要なのだと締めくくっている。 競技者として自己の限界に挑み、ライバルとの勝負に集中する程に、波立つ気持ちやささくれた感情を制御しきれず、苛立ちや怒りをどこに持って行けば良いのか途方に暮れた経験があるはずだ。競技に真剣に取り組むからこそ、他者に厳しく自分に甘き人の弱さに気づかされる。自らを厳しく律し、人には思いやりを持ち続けることの難しさは、嫌というほど思い知らされてきたことだろう。 それでも陸上競技者として喜怒哀楽の経験を重ね、困難苦難を乗り越えた経験があればこそ、本当の優しさとはどのようなものかに気づき、無意識に行動は伴ってくると信じている。 陸上競技に明け暮れた4年間。速さだの強さだのと言ったところで、人生の一瞬の出来事に過ぎない。肝心なのは、君たちがこの先どのように人と関わり、生きていくかということだろう。 そして、忘れてはならないことがある。君達が入学した2020年は、コロナパンデミックによる感染症対策の真っただ中にいたことだ。 人と関わりつつ生きてゆくことの大切さを語っておきながら、感染症対策の日々はそれとは真逆の生活を余儀なくさてきた経験がある。世界的な感染症の蔓延が私たちに与えた衝撃は余りにも大きく、あらゆる生活様式の規制があった。さらには、大会や行事の中止・延期に対する慟哭(どうこく)があったことだろう。ぶつけようのない怒りを内に秘め、日々を過ごすしかなかったことと思う。 だからこそ君たちは、人と関わり、人として生きるとはどのようなことなのかを深く考えさせられたはずだ。 陸上競技を通じて経験した喜怒哀楽の思い出は、単なる思い出としてではなく、「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを慎む」の言の葉が持つ意味を、深く知る社会人として歩んでいってほしいと願っている。 [caption id="attachment_131862" align="alignnone" width="800"] 山梨学大の卒業式にて。中距離ブロックの選手たちと[/caption] 【追記】 今年の箱根駅伝後に神奈川大学監督を勇退し、4月から総監督となる大後栄治氏。昨年3月末で駒澤大学監督を勇退し、現在は総監督としてトップ選手の指導にあたる私と同年代の大八木弘明氏。お二人とも、長らく箱根駅伝というステージでともに切磋琢磨してきた盟友である。 ※編集部注・・・1990年代後半には、そろって駅伝で優勝候補に挙げられたことから、それぞれの大学の頭文字を取って「YKK(山梨学大・神奈川大・駒大)」と呼ばれた お人柄もタイプの違いこそあれ、“春風秋霜”を指導に実践してこられたことは疑う余地がない。 大後氏は、初代を担った青葉昌幸氏の後継として、関東学連の駅伝対策委員長を2014年まで務められた。私がその後を引き継いだこともあり、感慨もひとしおである。 [caption id="attachment_131863" align="alignnone" width="800"] 歴代駅伝対策委員長の3人。右から初代の青葉昌幸氏、2代目の大後栄治氏、3代目の上田氏[/caption] 大八木氏は、田澤廉選手(トヨタ自動車)など一部の卒業生の指導を引き継ぎ担い、世界を目指して有言実行に努めておられる。 お二人には尊敬すべき指導者として多くの刺激を与えていただいた。箱根駅伝を一つの大きな終着駅かつ乗換駅としてチームを育成し、選手に熱き情熱を傾けた監督が、箱根路を卒業するのは一抹の寂しさを感じる。 しかしながら、まだまだその後ろ姿には迸(ほとばし)るエネルギーを感じる。 私は2019年に山梨学院大学の駅伝監督を退いて以来、駅伝チームとは距離を置く立場となったが、駅伝対策委員長として駅伝競技の大会運営の一端に関わらせていただいた。 特に大会の準備・運営で関係各所でのご苦労の深淵を知ることができた。そのことは箱根駅伝をこよなく愛する一人として、さらに慈しみが増したと言える。 今年度限りで駅伝対策委員長も卒業となる。多くの方々に支えていただいたことに感謝の念でいっぱいである。残された本学在籍期間は、中距離コーチとして選手とともに歩みを進めることに情熱を傾けたい。 「春風秋霜」を糧として。
上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。

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