2023.12.25
“徳さん”が語る箱根駅伝の魅力とは
――改めて箱根駅伝の魅力とは。
徳光 まず走るコースが素晴らしい。僕は「変化から不変」だと感じているんです。東京、横浜という場所は日本の中で一番変化してきたところ。道路は整備され、大都会になったのです。そして遊行寺から湾岸線へ行くと“不変”の景色が広がる。日本を象徴する富士山に向かって走り、富士山を背にして走る。霊峰・富士は太古から変わらない。
あと、タスキでつないでいく、というのも日本人の文化そのものですよね。野球でも“つなぐ”のが日本の野球。点ではなく線というのが日本の美学なんです。
そして、日本には剣道、柔道、書道…など、「道」で表現しますが、まさに駅伝というのも「道」を使う。「駅伝道」とも言えるのではないかと思います。
その中に「青春」があります。青春とは、友情だったり、母校愛だったり、その柔らかで強靱な頭脳と精神、家族への感謝、そういったものが1本のタスキに込められている。これがまさに日本人の美徳。箱根駅伝の随所に詰まっています。
今ではインターネットも普及し、コンテンツはテレビだけではなくなりました。ただ、箱根駅伝だけは家族そろってみんなで見る。非常に貴重なコンテンツですね。
それを若者が見せてくれる。やっぱり、若い人たちが頑張る姿というのは美しいです。自分の子供だったり、近所の子だったり、才能的に優れた選手もいるでしょうが、いわゆる“普通”の若者たちが努力する。
どれだけ時代が変わろうと、箱根駅伝の青春は不変。だから老若男女が感動する。
――もし、走るとしたらどの区間を走りたいですか。
徳光 それはやっぱり、3区か8区。富士山に向かうのがいいから3区かな。潮騒を耳にしながら、頭の中ではサザンオールスターズか永ちゃん(矢沢永吉)を流しながら走りますよ。
――第100回大会に向けてメッセージをお願いします。
徳光 100回大会とはいえ、これからも不変であってほしいな、と思います。箱根駅伝を疾走される選手のみなさんは、僕の人生の宝です。
前回、久しぶりに母校の立教大学が出場して本当にうれしかった。立教大関係者と一緒に沿道で応援しました。今回も、湘南立教会でおそろいのキャップをかぶって、立教大カラーのシャツを着てみんなで応援します!
◎とくみつ・かずお/1941年3月10日生まれ。82歳。立教大卒。1963年に日本テレビに入社。プロレス中継や歌番組の司会、『ズームイン』『24時間テレビ』などを担当して人気アナウンサーとなった。1989年からフリーに。現在はアナウンサーやタレントとして活動している。
構成/向永拓史
箱根を見始めたきっかけは立教大の同級生
――箱根駅伝を見るようになったきっかけを教えてください。 徳光 僕は立教大に入った18歳の時に茅ヶ崎に引っ越しました。自宅から自転車ですぐのところが箱根駅伝のコースで観に行くようになったんです。 大学に入るまではまったく知らなかったです。立教大に入って仲良くなった運動部の同級生がいたんです。体型もそれほど目立たなくて、まったく地味だったんです。何をやっているのかなって。 そうしたら、新聞に彼の名前が出ていたんです。豊田(多賀司)君というのですが、彼が出るのだったら、と応援に行ったのが最初です。1960年の第36回大会(※豊田は4区で出場)からですから、観戦歴は64年になりますね。 ――それから箱根駅伝に魅了されたわけですね。 徳光 茅ヶ崎のお正月といえば箱根駅伝。みんなの楽しみなんですよ。朝8時半くらいから大移動が始まって、国道134号線沿いに行くんです。巨人の開幕戦よりも楽しみですね。往路は3区、復路は8区を観に行きます。なぜか、往路より復路のほうが、選手が速いように感じるんですよ。 当時はテレビ中継がなかったので、ラジオを聞きながらでした。選手を待っていて、目の前を一瞬で通り過ぎていく。ちなみに、日テレのテレビ中継が始まったのが1987年ですが、それを仕掛けたのが、日テレの坂田(信久)という男で、彼は同期入社です。本当に誇らしいですよ。 テレビが始まってからは、選手を応援したあと、自宅に帰ってテレビを見る。すると、だいたい遊行寺の坂になるのですが、あんなに颯爽と走っていた選手がヘロヘロになっている。まるで別人。それが本当に不思議で、どんどん魅了されましたね。 箱根駅伝は2区や5区、6区に注目が集まりますが、8区は“つなぎ区間”とはいえ、監督の戦略によっていろんな選手を用意するので、レースとしてはすごくおもしろい区間なんです。 ――その後、アナウンサーとなられてから、沿道でプライベート実況する姿が有名になりました。 徳光 とにかく長嶋茂雄さんの一挙手一投足を伝えたいという一心でアナウンサーを目指したのですが、箱根駅伝を実況したいとは思ったことがなかったですね。当時はラジオしかなかったですし、完全に“見る側”でした。 野球中継を断念して音楽番組などにシフトしていきましたが、そのままスポーツ中継を志していれば、もしかしたら実況していたかもしれませんね。アナウンサーの仕事に就いてから、選手の出身校や特徴を調べて、沿道で勝手に話すようになったんです。 ――特に印象に残っている選手や場面は? 徳光 山梨学院大の古田哲弘選手ですね。1年生(第73回大会)の時に8区を走った選手ですが、丸刈り頭のルーキーが、私の目の前で4人を抜き去ったんです。区間記録(1時間4分05秒)も最近まで残っていましたよね。野武士のように輝いて見えました。 うれしかった出来事が一つあります。ある大会で、順天堂大のジープに乗った澤木(啓祐)さんが拡声器で「イチ、ニ、イチ、ニ」と声かけしている時に目が合ったんです。そうしたら「あ、徳光さん」と言って、また「イチ、ニ、イチ、ニ」と。あれは僕の宝物です。 [caption id="attachment_124500" align="alignnone" width="800"] 第73回箱根駅伝で8区を走った山梨学大の古田[/caption] ――ご自身で実況してみたいと思ったことはありませんか。 徳光 現実味がなくなった今だからこそ、やってみたかったなという思いはありますね。僕は仕事柄、アナウンサー目線で見ることもありますが、河村(亮)には本当に参りました。彼のような表現は僕には絶対にできない。とても耳に残る声なんです。だから、亡くなった(※22年5月に他界)のは本当に悔しい。今後、河村にあこがれてアナウンサーを目指す人が現われていってほしいですね。“徳さん”が語る箱根駅伝の魅力とは
――改めて箱根駅伝の魅力とは。 徳光 まず走るコースが素晴らしい。僕は「変化から不変」だと感じているんです。東京、横浜という場所は日本の中で一番変化してきたところ。道路は整備され、大都会になったのです。そして遊行寺から湾岸線へ行くと“不変”の景色が広がる。日本を象徴する富士山に向かって走り、富士山を背にして走る。霊峰・富士は太古から変わらない。 あと、タスキでつないでいく、というのも日本人の文化そのものですよね。野球でも“つなぐ”のが日本の野球。点ではなく線というのが日本の美学なんです。 そして、日本には剣道、柔道、書道…など、「道」で表現しますが、まさに駅伝というのも「道」を使う。「駅伝道」とも言えるのではないかと思います。 その中に「青春」があります。青春とは、友情だったり、母校愛だったり、その柔らかで強靱な頭脳と精神、家族への感謝、そういったものが1本のタスキに込められている。これがまさに日本人の美徳。箱根駅伝の随所に詰まっています。 [caption id="attachment_124501" align="alignnone" width="800"] 箱根駅伝の魅力について語る徳光さん[/caption] 今ではインターネットも普及し、コンテンツはテレビだけではなくなりました。ただ、箱根駅伝だけは家族そろってみんなで見る。非常に貴重なコンテンツですね。 それを若者が見せてくれる。やっぱり、若い人たちが頑張る姿というのは美しいです。自分の子供だったり、近所の子だったり、才能的に優れた選手もいるでしょうが、いわゆる“普通”の若者たちが努力する。 どれだけ時代が変わろうと、箱根駅伝の青春は不変。だから老若男女が感動する。 ――もし、走るとしたらどの区間を走りたいですか。 徳光 それはやっぱり、3区か8区。富士山に向かうのがいいから3区かな。潮騒を耳にしながら、頭の中ではサザンオールスターズか永ちゃん(矢沢永吉)を流しながら走りますよ。 ――第100回大会に向けてメッセージをお願いします。 徳光 100回大会とはいえ、これからも不変であってほしいな、と思います。箱根駅伝を疾走される選手のみなさんは、僕の人生の宝です。 前回、久しぶりに母校の立教大学が出場して本当にうれしかった。立教大関係者と一緒に沿道で応援しました。今回も、湘南立教会でおそろいのキャップをかぶって、立教大カラーのシャツを着てみんなで応援します! ◎とくみつ・かずお/1941年3月10日生まれ。82歳。立教大卒。1963年に日本テレビに入社。プロレス中継や歌番組の司会、『ズームイン』『24時間テレビ』などを担当して人気アナウンサーとなった。1989年からフリーに。現在はアナウンサーやタレントとして活動している。 構成/向永拓史
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