2023.12.11
◇第107回日本選手権10000m(12月10日/東京・国立競技場)
パリ五輪代表選考会を兼ねた第107回日本選手権10000mが行われ、男子は塩尻和也(富士通)が27分09秒80の日本新記録を樹立してこの種目初優勝を飾った。アジア歴代4位、今季世界リスト9位という快記録。26分台に迫ってみせた。
2016年1月。都道府県対抗男子駅伝を取材した夜、さぁお好み焼きを食べに行こうとホテルを出た。広島には小雪が舞っていた。後ろからタッタッタッと小気味よい足音が聞こえた。当時・順大1年の塩尻の姿だった。その日、3区を走ったばかりだったが、集中した表情で、一人黙々と軽快に走り去っていた。
あぁ、これまでもこうやって強くなってきたんだろうな、これからも強くなるんだろうな。そう思って暗闇に消えていく背中を見ていたのを思い出す。
中学時代はソフトテニス部。群馬・伊勢崎清明高から陸上部に入ったが、男子長距離部員はおらず女子と一緒に走っていたという。入部当時は女子部員にとって追いかけるのにちょうどいい練習相手、くらいの走力だった。
だが、その才能は花開いていき、2年目に5000m14分26秒28をマーク。そして、主戦場となったのは3000m障害だった。2年目に9分02秒25をマークしてインターハイ5位に入る。高3では日本選手権で7位に入ると、世界ジュニア選手権9位。帰国してすぐのインターハイで優勝した。
高3の最後の県高校駅伝に取材に初めて行った。役員の先生方は「こんなに群馬県大会が注目されたのはいつぶりだろう」とうれしそうに笑う。前橋育英高と東農大二が二強だった。だが、この日のハイライトは1区。塩尻と、群馬中央中等の清水歓太(現・SUBARU)の対決だった。
実は伊勢崎清明高には男子部員がいないため、過去2年は合同チームのオープンとして塩尻は走っていた。「塩尻の区間記録を残そう」。いろいろな部活動の友人が集まって、陸協登録して正式にチームとして初めて出場することになった。仲間の思いを背負ってタスキをかけた。塩尻と清水が競り合いながら爆走。塩尻が期待に応えて29分14秒の区間新記録を樹立した。
順大に進学すると、2年目にはインビテーション(追加枠)で開幕直前にリオ五輪代表が決まり、急いでブラジル・リオデジャネイロに飛んだ。
当時、3000m障害は“地味”な種目で、順大の先輩にあたる岩水嘉孝が持っていた日本記録は長く動いていなかったが、そのイメージを覆した1人だと言える。サンショーで世界を相手にしながら、順大3年目に10000mで27分47秒87、ユニバーシアードにも出場した。4年時にはアジア大会3000m障害で銅メダルを手にしたと思ったら、箱根駅伝予選会でハーフを走って2位。
もちろん名門の一員として駅伝でも活躍。大学の後輩でもある三浦龍司(順大)が言っていたことがある。「塩尻さんは5000mも10000m、ハーフも強い」。塩尻の姿にあこがれた選手は少なくない。
リオ五輪の後の日本インカレだったと思う。正面玄関前に長蛇の列ができていた。何事かと思って元をたどってみると、塩尻へのサインを求める列だった。その一人ひとり、丁寧に対応していた。
2019年から富士通へ。同年秋に出た海外のレースで膝の靱帯を痛める故障。それをきっかけに、チームとしては「5000mや10000mで世界を狙える」とそれとなく伝えてきたという。髙橋健一監督はチームにとって大事な選手でありケガのリスクを避けることと、「細かなハードリングを見るとそこまで向いていない」ことも会見で話している。
それからはこだわりの強い3000m障害をいったんは引き出しの奥にしまい、5000mと10000mで世界を目指した。「追い込みすぎるので腹八分目で」(髙橋監督)。今季は5000mでアジア選手権2位、ブダペスト世界選手権にも5000mで出場、アジア大会でも5000mと10000mの2種目で代表入りした(※5000mは欠場)。しっかり国際大会に戻ってきた。そして、12月10日、10000mで日本記録保持者となった。
どこかつかみどころがなく、それほど感情を表に出すタイプではない。人一倍負けず嫌いな気持ちは心の奥にある。それでいてユーモアもある。アジア選手権で遠藤日向(住友電工)と取材した際。遠藤に少し聞きたいことがあり、「先に行っていてください」と遠藤が言うと一拍置いて「僕の悪口を言わないなら」と茶目っ気たっぷりに言ってきた。遠藤と記者2人で「言わないですよ」とツッコミを入れた。
会見でも、髙橋監督にサンショーのことに触れられると、少し視線をそらして笑顔。「監督には言っていないのですが、未練はあって、消化不良で終わっているのでまた走りたい思いはあります」としたり顔で笑った。
ゴールデンゲームズinのべおかを制した後にも、サンショーについて聞いた。「自己記録(8分27秒25)は更新して終わりたいとは思っています」。レースのたびに聞いてしまう。確かにお世辞にもハードリングはスムーズではない。それでも――。こんなことを言うのはチームスタッフに申し訳ないが、この思いはやっぱり消えない。
オリンピックに立つ姿も楽しみだし、それと同じくらい、もう一回、サンショーを走る塩尻和也が見たい。
文/向永拓史
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