2023.10.27
山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!
第38回「第100回箱根駅伝予選会の舞台裏から思うこと~1986年の予選会を想起してみた~」
「いよいよ箱根だね!」
「箱根が楽しみだ!」
「今年の箱稲はどうかな?」
との会話が秋の深まりとともに交わされる。
箱根の紅葉の話?
温泉の話?
年末年始にかけての家族旅行の話題?
とも受け取れるのは間違いではない。
しかしながら、このコラムを目にしているみなさんは、「東京箱根間往復大学駅伝競走」通称・箱根駅伝、しかも第100回記念大会のことを指していることは百も承知であることは疑う余地はない。
その第100回箱根駅伝予選会が10月14日、この時期にしては絶好の気象条件のもと開催された。東京都立川市の陸上自衛隊立川駐屯地の滑走路をスタートし、約8km過ぎから13km地点までの立川市街地を経て、国営昭和記念公園関内をフィニッシュとするハーフマラソン公認コースを走り抜けた。
いずれも国の施設と公共の道路を使用させていただくので、使用許可を得ての開催となった。これだけの規模の大会開催となれば、このように施設の使用を快くお借りさせていただいていることに、まずもって感謝を申し上げたい。
100回を記念する大会として、関東地区以外の参加校11チームを含む57校665名が、箱根駅伝本選への出場枠「13」を目指す激走が展開された。
今年の予選会は、日本テレビ放送網初の地上波実況全国生中継となり、リアルタイムでその激しい競走が全国のお茶の間に届けられた。
この予選会のわずか2週間前の9月30日に、関東大学女子駅伝対校選手権大会が全日本大学女子駅伝の予選を兼ねて開催している。全日本大学女子駅伝のエントリー締め切りが10月5日ということもあり、日本列島が季節外れの猛暑(30度超え)が続いていたさなかに開催せねばならず、熱中症や脱水症状などで2年連続棄権者を出すという状況があった。
そのようなこともあり、箱根駅伝予選会の距離がハーフマラソン(21.0975km)という長丁場でおいて、気温が上昇すればそれなりのリスクを背負って走ることになることを懸念していた。
選手の安心・安全な走行と健康上の甚大な障害を引き起こさないために、ドクターを交えて綿密な打ち合わせをし、できる限りの態勢を整えた。特に早めの確実な給水方法をご提案いただいたこともあり、最初の給水を8km地点に57校専用給水テーブルを、コース両サイドに設置した。確実な給水と給水時の混雑や転倒を避けるための配置である。
57台の給水テーブルと予備テーブル8台の設置は、自衛隊駐屯地だからこそできた初めての試みであった。スタート直前まで関東学連の藤坂英二総務委員長とテーブルの位置確認と給水方法を各大学に説明して回った。
幸いスタート時の気温は20度を下回り、雲が直射日光を隠す天候となった。そのこともあり、冒頭に「絶好のコンディション」と書かせていただいた。
また、57チームが一斉にスタートするため、接触転倒などのリスク回避も懸念事項であった。事前の審判補助員会議や参加各大学の代表者会議、さらにはスタート直前の各大学へ再度の注意喚起を行うなど、赤峰俊彦審判長を中心に徹底していただき、整然とスタートできたことはホッと胸をなでおろした。
しかしながら、毎回緊張感を持って対応しなければ、今年の事例が必ず次回の成功につながる約束がないのは、事の常であることを肝に念じておきたい。
今回は感染症対策でさまざまな規制を強いられてきた近年の大会運営から、従来の有観客開催とし、各大学公認の応援団やブラスバンド・チアリーディングなどが場の雰囲気を盛り上げてくれた。
この日の昭和記念公園チケット購入者数は約3万人との報告を受けている。大学の関係者はもとより、多くの箱根駅伝ファンの方が駆けつけていただいたことは大変ありがたく、多くの方々に支えられている大会なのだと改めて感慨を深めた。
箱根駅伝本選スタート前の緊張感とは違い、予選会のチームとしての明暗を分けた競走の緊張感は異質のものがある。
スポーツにおける勝敗のゆくえに、約束された結果など何もないことはどのチームも心得ていると思う。だからこそ予選通過に向けての手応えをつかむために、トレーニングに打ち込む日々があるはずだ。そのことを基盤にして、チームとしての成長に裏打ちされた、相互の連携や絆が構築されてくるものだろう。
チームとしてスタートラインに立つまでの過程では、箱根駅伝に向かう熱量や思いの齟齬を修正してきたと思う。チームといえども、それぞれの夢や希望を目指す中で逡巡や葛藤を乗り越えてきたことだろう。そのうえで、故障やスランプ、人間関係までをも織り込んだチームの代表がスタートラインに立つ。
だからこそ、チームの思いを託す襷(たすき)に、OBやチーム全員の魂が宿ると信じている。
そのようなタスキをかけて駅伝がしたいがために、この予選会を駆け抜けるのだと認識している。
しかしながら、予選を通過しなければその思いを結実させる駅伝ができない。この予選会は「箱根に出たい」という思いだけではなく「箱根駅伝でチームのタスキ襷をつなぎたい」との覚悟が試される場なのだろう。
今や箱根駅伝は注目度も高く、たくさんの沿道の声援を受けながら走り抜ける高視聴率のスポーツ競技会となっている。それは紛れもない事実である。
だからこそ「箱根を走りたい」こと以上に「箱根駅伝を走るチームとは」という問いを指導者とチームのメンバーがそれぞれ深く考えつつ、チームのかたちを整えて行くのだろう。そしてその先の本戦では、どのような熱量で襷を継走して行くのかに着目したい。
このように、チームとしても高い熱量があったとしても、本選出場が叶わなかったチームや順位がはるかに届かなかったチームはある。順位に関係なく高い熱量で予選会に参加するチームが集った事実は、応援に駆けつけた方々とともにしっかりと受け止めた。
今回本選出場が叶ったチームには、ぜひとも予選会で共にスタートラインに並んだ同士の思いを襷にかけ、渾身の走りを披露していただきたいと願っている。
私にとってその思いを固くした大会は1986年11月3日である。
第63回箱根駅伝予選会が大井ふ頭周回コースを参加37校で開催された。当時の箱根駅伝は15校で行われ、シードは9位まで。以下6校が予選会へとなるルールであった。
創部2年目で箱根駅伝初出場へ挑んだレースは総合6位。薄氷を踏む思いでギリギリ初の出場権を得た。その年は、日本テレビが63回大会から箱根駅伝完全生中継を行うとの発表があった年でもある。部員たちの達成動機(やる気)を高めるには十分すぎるインパクトのある発表ではあった。
やる気があればあるほど空回りと行き違いが生まれるものである。当コラムvol32でも記したように、指導とは言うものの、つまずいたり滑ったりの連続で、「こんなことで箱根駅伝の舞台が見えてくるのだろうか」と不安な日々を過ごしていたことを思い出す。それゆえに、発表を聞いて号泣してしまった。
大学からは当時の古屋忠彦理事長をはじめ、各学部長など多くの教職員や保護者等が応援に駆けつけていただいていた。発表後はさまざまな方から祝福の握手を涙ながらに受け止めた。いろいろな方からの祝福の言葉をいただきながら、ある方が握手をしながらこのように私に語りかけてきた。
「上田さん、地方の大学からポッと出てきて、今回はなかなかうまいレースで予選会を通過しておめでとう。まあ、今回限りだと思うけどせいぜい頑張っておいでよ!」
かなりきつい言葉をいただいたので、今でもはっきりと思い出すことができる。突然のことで返答のしようもなく唖然としていると、握手で握りしめた手をさらに強く握りしめ、続けて次のようなことを語った。
「予選を何とか通過して初出場で涙に暮れてはいるが、本当の戦いの場はさらにレベルも高く厳しくなる本選だぞ! 今が最高だと喜んでいるようでは満月も次の日からは欠けてくるんだよ!」
そう言ってどこかに行ってしまった。最初の言葉を聞いたときは、少しむっとした思いもあった。しかしながら、最後のフレーズは私の心を鷲掴みにして離れなかった。
すっかり涙腺に蓋をされた状態で報告会に向かい、当時の法学部長が応援団の顧問ということもあり、万歳三唱の音頭を行おうとしたとき、思わず「ちょっと待ってください!」とストップをかけてしまった。
報告会に参加していただいた方々はざわついていたが、壇上で選手たちと打ち合わせをして「今日は万歳ではなく、キャプテンの号令で『箱根駅伝に向けて頑張るぞ!』とのシュプレヒコールをさせていただきます」とお願いをさせていただいた。万歳で手のひらを広げるのではなく、握りこぶしを突き上げることとしたのを思い起こすことができる。
それは、先ほどの方の「満月も次の日からは欠けてくるんだよ」との言葉を受けたこともあり、万歳三唱をすると両方の手のひらから大切なものが零れ落ちそうな気がしたからである。ここは握りこぶしを固めてゆかなければならないとの判断であった。
若き指導者に対し、厳しくもありがたいお言葉をいただいたことを、今も感謝している。しかしながら、未だにその方がどなたかを残念ながら知るよしもない。
耳に心地よい言葉は心をくすぐるが、すべてが正しいわけではない。耳に痛い一言も自分の歩み方や運命を左右させるのだと刻み込まれた過去の思い出である。
毎年手帳の1ページ目に書き込む言葉が3つある。そのうちの一つがこうだ。
「驕るなよ 丸い月夜も ただ一夜」
自分自身の戒めの言葉として大切にしている。
上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。 |
第38回「第100回箱根駅伝予選会の舞台裏から思うこと~1986年の予選会を想起してみた~」
「いよいよ箱根だね!」 「箱根が楽しみだ!」 「今年の箱稲はどうかな?」 との会話が秋の深まりとともに交わされる。 箱根の紅葉の話? 温泉の話? 年末年始にかけての家族旅行の話題? とも受け取れるのは間違いではない。 しかしながら、このコラムを目にしているみなさんは、「東京箱根間往復大学駅伝競走」通称・箱根駅伝、しかも第100回記念大会のことを指していることは百も承知であることは疑う余地はない。 その第100回箱根駅伝予選会が10月14日、この時期にしては絶好の気象条件のもと開催された。東京都立川市の陸上自衛隊立川駐屯地の滑走路をスタートし、約8km過ぎから13km地点までの立川市街地を経て、国営昭和記念公園関内をフィニッシュとするハーフマラソン公認コースを走り抜けた。 いずれも国の施設と公共の道路を使用させていただくので、使用許可を得ての開催となった。これだけの規模の大会開催となれば、このように施設の使用を快くお借りさせていただいていることに、まずもって感謝を申し上げたい。 100回を記念する大会として、関東地区以外の参加校11チームを含む57校665名が、箱根駅伝本選への出場枠「13」を目指す激走が展開された。 今年の予選会は、日本テレビ放送網初の地上波実況全国生中継となり、リアルタイムでその激しい競走が全国のお茶の間に届けられた。 この予選会のわずか2週間前の9月30日に、関東大学女子駅伝対校選手権大会が全日本大学女子駅伝の予選を兼ねて開催している。全日本大学女子駅伝のエントリー締め切りが10月5日ということもあり、日本列島が季節外れの猛暑(30度超え)が続いていたさなかに開催せねばならず、熱中症や脱水症状などで2年連続棄権者を出すという状況があった。 そのようなこともあり、箱根駅伝予選会の距離がハーフマラソン(21.0975km)という長丁場でおいて、気温が上昇すればそれなりのリスクを背負って走ることになることを懸念していた。 選手の安心・安全な走行と健康上の甚大な障害を引き起こさないために、ドクターを交えて綿密な打ち合わせをし、できる限りの態勢を整えた。特に早めの確実な給水方法をご提案いただいたこともあり、最初の給水を8km地点に57校専用給水テーブルを、コース両サイドに設置した。確実な給水と給水時の混雑や転倒を避けるための配置である。 57台の給水テーブルと予備テーブル8台の設置は、自衛隊駐屯地だからこそできた初めての試みであった。スタート直前まで関東学連の藤坂英二総務委員長とテーブルの位置確認と給水方法を各大学に説明して回った。 [caption id="attachment_118116" align="alignnone" width="828"] 給水地点の様子[/caption] 幸いスタート時の気温は20度を下回り、雲が直射日光を隠す天候となった。そのこともあり、冒頭に「絶好のコンディション」と書かせていただいた。 また、57チームが一斉にスタートするため、接触転倒などのリスク回避も懸念事項であった。事前の審判補助員会議や参加各大学の代表者会議、さらにはスタート直前の各大学へ再度の注意喚起を行うなど、赤峰俊彦審判長を中心に徹底していただき、整然とスタートできたことはホッと胸をなでおろした。 [caption id="attachment_118114" align="alignnone" width="800"] 100回記念大会のため関東学連加盟校以外の大学もスタートラインに立った[/caption] しかしながら、毎回緊張感を持って対応しなければ、今年の事例が必ず次回の成功につながる約束がないのは、事の常であることを肝に念じておきたい。 今回は感染症対策でさまざまな規制を強いられてきた近年の大会運営から、従来の有観客開催とし、各大学公認の応援団やブラスバンド・チアリーディングなどが場の雰囲気を盛り上げてくれた。 この日の昭和記念公園チケット購入者数は約3万人との報告を受けている。大学の関係者はもとより、多くの箱根駅伝ファンの方が駆けつけていただいたことは大変ありがたく、多くの方々に支えられている大会なのだと改めて感慨を深めた。 箱根駅伝本選スタート前の緊張感とは違い、予選会のチームとしての明暗を分けた競走の緊張感は異質のものがある。 スポーツにおける勝敗のゆくえに、約束された結果など何もないことはどのチームも心得ていると思う。だからこそ予選通過に向けての手応えをつかむために、トレーニングに打ち込む日々があるはずだ。そのことを基盤にして、チームとしての成長に裏打ちされた、相互の連携や絆が構築されてくるものだろう。 チームとしてスタートラインに立つまでの過程では、箱根駅伝に向かう熱量や思いの齟齬を修正してきたと思う。チームといえども、それぞれの夢や希望を目指す中で逡巡や葛藤を乗り越えてきたことだろう。そのうえで、故障やスランプ、人間関係までをも織り込んだチームの代表がスタートラインに立つ。 だからこそ、チームの思いを託す襷(たすき)に、OBやチーム全員の魂が宿ると信じている。 そのようなタスキをかけて駅伝がしたいがために、この予選会を駆け抜けるのだと認識している。 しかしながら、予選を通過しなければその思いを結実させる駅伝ができない。この予選会は「箱根に出たい」という思いだけではなく「箱根駅伝でチームのタスキ襷をつなぎたい」との覚悟が試される場なのだろう。 今や箱根駅伝は注目度も高く、たくさんの沿道の声援を受けながら走り抜ける高視聴率のスポーツ競技会となっている。それは紛れもない事実である。 だからこそ「箱根を走りたい」こと以上に「箱根駅伝を走るチームとは」という問いを指導者とチームのメンバーがそれぞれ深く考えつつ、チームのかたちを整えて行くのだろう。そしてその先の本戦では、どのような熱量で襷を継走して行くのかに着目したい。 このように、チームとしても高い熱量があったとしても、本選出場が叶わなかったチームや順位がはるかに届かなかったチームはある。順位に関係なく高い熱量で予選会に参加するチームが集った事実は、応援に駆けつけた方々とともにしっかりと受け止めた。 今回本選出場が叶ったチームには、ぜひとも予選会で共にスタートラインに並んだ同士の思いを襷にかけ、渾身の走りを披露していただきたいと願っている。 私にとってその思いを固くした大会は1986年11月3日である。 第63回箱根駅伝予選会が大井ふ頭周回コースを参加37校で開催された。当時の箱根駅伝は15校で行われ、シードは9位まで。以下6校が予選会へとなるルールであった。 創部2年目で箱根駅伝初出場へ挑んだレースは総合6位。薄氷を踏む思いでギリギリ初の出場権を得た。その年は、日本テレビが63回大会から箱根駅伝完全生中継を行うとの発表があった年でもある。部員たちの達成動機(やる気)を高めるには十分すぎるインパクトのある発表ではあった。 やる気があればあるほど空回りと行き違いが生まれるものである。当コラムvol32でも記したように、指導とは言うものの、つまずいたり滑ったりの連続で、「こんなことで箱根駅伝の舞台が見えてくるのだろうか」と不安な日々を過ごしていたことを思い出す。それゆえに、発表を聞いて号泣してしまった。 大学からは当時の古屋忠彦理事長をはじめ、各学部長など多くの教職員や保護者等が応援に駆けつけていただいていた。発表後はさまざまな方から祝福の握手を涙ながらに受け止めた。いろいろな方からの祝福の言葉をいただきながら、ある方が握手をしながらこのように私に語りかけてきた。 「上田さん、地方の大学からポッと出てきて、今回はなかなかうまいレースで予選会を通過しておめでとう。まあ、今回限りだと思うけどせいぜい頑張っておいでよ!」 かなりきつい言葉をいただいたので、今でもはっきりと思い出すことができる。突然のことで返答のしようもなく唖然としていると、握手で握りしめた手をさらに強く握りしめ、続けて次のようなことを語った。 「予選を何とか通過して初出場で涙に暮れてはいるが、本当の戦いの場はさらにレベルも高く厳しくなる本選だぞ! 今が最高だと喜んでいるようでは満月も次の日からは欠けてくるんだよ!」 そう言ってどこかに行ってしまった。最初の言葉を聞いたときは、少しむっとした思いもあった。しかしながら、最後のフレーズは私の心を鷲掴みにして離れなかった。 すっかり涙腺に蓋をされた状態で報告会に向かい、当時の法学部長が応援団の顧問ということもあり、万歳三唱の音頭を行おうとしたとき、思わず「ちょっと待ってください!」とストップをかけてしまった。 報告会に参加していただいた方々はざわついていたが、壇上で選手たちと打ち合わせをして「今日は万歳ではなく、キャプテンの号令で『箱根駅伝に向けて頑張るぞ!』とのシュプレヒコールをさせていただきます」とお願いをさせていただいた。万歳で手のひらを広げるのではなく、握りこぶしを突き上げることとしたのを思い起こすことができる。 それは、先ほどの方の「満月も次の日からは欠けてくるんだよ」との言葉を受けたこともあり、万歳三唱をすると両方の手のひらから大切なものが零れ落ちそうな気がしたからである。ここは握りこぶしを固めてゆかなければならないとの判断であった。 若き指導者に対し、厳しくもありがたいお言葉をいただいたことを、今も感謝している。しかしながら、未だにその方がどなたかを残念ながら知るよしもない。 耳に心地よい言葉は心をくすぐるが、すべてが正しいわけではない。耳に痛い一言も自分の歩み方や運命を左右させるのだと刻み込まれた過去の思い出である。 [caption id="attachment_118117" align="alignnone" width="1167"] 1986年箱根駅伝予選会の様子[/caption] 毎年手帳の1ページ目に書き込む言葉が3つある。そのうちの一つがこうだ。 「驕るなよ 丸い月夜も ただ一夜」 自分自身の戒めの言葉として大切にしている。上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。 |
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