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2023.10.25

【レジェンドのアオハル】1500m&5000m小林祐梨子 「小さな目標に取り組み続けたら、大きな目標につながっていく」

中学、高校で頑張る選手たちへ

――ご自身の中学高校生時代と今の中高生との違いはありますか?
今の中高生は、オーバートレーニングでケガをする子が非常に多い印象があります。私自身は中学や高校では練習で無理をせず、好きな物をたくさん食べていたので、一度もケガをしませんでした。自分の身体の成長に合ったトレーニングをやっていく必要がありますし、私は女子長距離選手の目線で見てしまいますが、月経の部分で今の時代になっても、まだまだ問題意識がない選手が多いという気がしています。指導者側の「結果を出させてあげたい」という気持ちも理解できますが、中学生や高校生の年代では、楽しいという気持ちが全面に出るようなメンタル状態で競技に取り組んでほしいですね。

高校3年では1500mで日本記録を2度更新。インターハイも2位に大差をつけて優勝を飾った

――今振り返って、「ああすればよかった」と思うことはありますか?
先ほども言ったように、中高の6年間で足裏にまめができた以外、まったくケガをした経験がありません。だからケガの対処法がわからず、高校を卒業してからケガに悩むことになりました。もちろん、ケガはしない方がいいので、ケガを経験しておけば良かったというわけではありませんが、若い時にケガや大きな挫折の経験があれば、大学や社会人に行ってからも生かせたかもしれません。

――最後に、中学や高校でがんばる選手たちに一言、メッセージをお願いします。
陸上に関しては、試合はこれからもたくさんあるので、今ここで走れなくても、また次があると考えてみてください。私はその気持ちを持ったら、すごく楽になりました。人はこれぐらいタイムで走らないといけないと思うと、安全運転でスタートしようとしてしまいますが、先を考えず攻めまくる走りをできれば必ず強くなれます。

また、陸上だけでなく、陸上以外の夢を持つとか、いろいろなことにチャレンジしていったら、卒業後や競技を引退した後の人生も彩り豊かになると思います。それが陸上で伸び悩んだ時に気分転換になったり、違った視点から陸上を捉えることができたりすることにつながります。陸上や勉強、それ以外にも興味があることは楽しく続けていってください。

「興味があることは楽しく続けてほしい」と話す小林祐梨子さん

こばやし・ゆりこ/1988年12月12日生まれ。兵庫県出身。旭丘中→須磨学園高→豊田自動織機。中3の北海道全中で800m、1500mの2種目に優勝し、ジュニア五輪、全中駅伝1区区間賞のタイトルを獲得した。高校では1年からインターハイ1500mで日本人トップの2位となり、翌年の世界ユース選手権1500mで銀メダル、3年の世界ジュニア選手権でも銅メダルと世界の舞台で活躍。高校卒業後は5000mで北京五輪に出場した。現在は解説者やラジオパーソナリティなど活動をしている。

構成/小野哲史

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オリンピックや世界陸上に出場し、華々しい活躍をしてきた陸上界のレジェンドたち。誰もがあこがれたスターたちも、最初からスターだったわけではなく、初々しい中学生、高校生時代があったのです。 そんな陸上界のレジェンドたちに、自身の青春時代を語ってもらう企画「レジェンドのアオハル」がスタート。栄光だけでなく、挫折を経験し、悩みを乗り越えて頂点を極めた先人たちに、中高生のみなさんへのアドバイスもしていただきます。 第3回は女子1500m前日本記録保持者で、北京五輪では5000mに出場、駅伝でも活躍した小林祐梨子さんに中高生時代を語っていただきました。

練習よりも大事なことを学んだ中学時代

――中学の陸上部の雰囲気は? 練習は全然積まないのですが、生活面のきつさがあったというか、まず中学生としてあるべき姿みたいな所を求められていた気がします。例えば、挨拶や学校の勉強が土台にしっかりあって部活ができるという感じで、規律など練習以外の部分の基本的なものを学ばせてもらいました。 [caption id="attachment_118024" align="alignnone" width="800"] 中学時代は3年の全中で800m、1500mの2冠。それでも、陸上部の練習量は多くなかったという[/caption] ――生活面を重視したのは、どういう意図があったからだと思いますか? 陸上を含めてスポーツはルールに則って行います。陸上部では、横断歩道では自転車から降りて引いて歩くとか、歩道も他の人の迷惑になるから縦1列で歩かないといけないとか、細かいルールがたくさんありました。私生活からルールを守ることの大切さが身につきましたし、私自身は、精神的な鍛えや甘えがすべて練習や試合につながると捉えていました。 ――中学時代はどんな目標を持って競技に取り組んでいましたか? 私は本格的に陸上に取り組み始めたのが中学に入ってからで、1年目の冬に地道に取り組んだら、2年生になった4月の最初の記録会で、1500mで一気に20秒以上も縮めました。県大会レベルだった私が全中の標準記録を突破できたので、2年生では全国大会出場、3年生では全国制覇という目標を掲げました。それらは1年に1つずつの最大目標で、毎年、中目標を3つ、小目標をたくさん書きました。その1つが「練習を休まないこと」で、3年間、練習を1日も休まなかったのは私だけです。小目標をずっと取り組み続けたら、最大目標につながっていくことを体感しました。 ――一番きつかった練習は? 練習は基本的なことだけで、朝は絶対に3000mのジョグ。午後は一番長くても5kmぐらいでした。『もうちょっとやりたいな』ぐらいの感じでいつも終わっていたので、きつかったというメニューもほとんどありません。強いて挙げるなら、冬場だけ週に2回、3000mジョグの代わりに行うサーキットトレーニングがきつかったです。バーピージャンプや腕立て伏せ、ミニハードルなどを20分間全力でやり続けるので、この練習をやった後はいつも筋肉痛でした。 ――中学3年間の部活動を通して学んだことは? 小林 私はもともとスポーツとは無縁の子で、それまでの習い事もそろばん、習字、ピアノとどちらかと言うと文化系でした。そんな私がここまで陸上に深く関わるとは思っていなかったですし、中学3年の冬はおそらく人生で一番太っていて、体が全く絞れない。でも、美味しい物も食べたいといった葛藤もありましたが、とにかくひたむきに競技に向き合うことを教えてもらいました。 [caption id="attachment_118025" align="alignnone" width="800"] 駅伝でも中学、高校と全国大会で区間賞を獲得し続けた[/caption] ――強豪校に進んだ経緯は? 中学の頃から思うようになった夢が、オリンピックに出ることと、好きな数学の先生になることでした。進学は地元の高校と須磨学園で悩み、勉強もがんばっていて、一般クラスの受験も可能ということで須磨学園に決めました。陸上部で一般クラスは私だけで、授業数もみんなと違うので、日によっては、放課後にグラウンドに行くと、みんなは練習が終わってクールダウンしていて、1人で練習を消化する日も結構ありました。

教室に入ったら陸上のことは忘れて勉強に集中

――「これをやったから強くなれた」と思える練習は? 毎朝の8000mです。これは先頭を引っ張る人がペースを決めて良くて、1000mごとに交代していきます。4人グループで走るなら、先頭が2回ずつ回ってきますが、先頭の人は直前の人の1000mより上げないといけないというルールです。だから例えば、3000mあたりで一気に上げたら、そこからは相当きつい。疲れている時はみんなが空気を見ながら上げていったり、強くなりたいメンバーがそろうと、試合のようにペースが上がったりして大変でしたね。 ――高校はどんな雰囲気の部でしたか? 須磨学園は自主性をとても重んじていました。30分ジョグをそれぞれ考えてやりましょうというメニューも多くて、そういう時、しんどいなと思う子はそれほどペースを上げないし、私みたいに強くなりたい人は、誰からも抜かされたくないので、30分間全力疾走するんです。楽しようと思えば楽できる部で、私には合っていましたし、当時はレベルが高いメンバーが集まっていたので、毎日がすごく刺激的でした。 [caption id="attachment_118027" align="alignnone" width="800"] 須磨学園高では1年から高校のトップで活躍。この頃から世界を意識していたという[/caption] ――さまざまな大会で活躍するなか、どのように目標を設定していましたか? 全中で2冠していたので、入学当初はインターハイで勝つことが目標で、高校記録を出したい、日本選手権で優勝したいと、目標をクリアするごとに次の目標を持つようになりました。ただ、3年生の時はキャプテンだったこともあって、個人の目標より全国高校駅伝で優勝したいという思いが非常に大きくなっていました。 ――多忙な毎日で、学校生活や勉強の方はいかがでしたか? オンとオフの切り替えというか、中学生の頃から部活動だけでなく、勉強やいろいろなことにしっかりがんばりなさいと言われていたので、高校でもそれを継続していた感じです。生徒会もやりましたし、教室に入ったら陸上のことは忘れて勉強に集中する。一般クラスに陸上部員はいなくて、私もずっと陸上を考えているようなタイプではなかったので、切り替えること自体が楽しくて好きになりました。 ――毎日の生活で工夫していたことや意識していたことは? 通学に2時間かかっていたので、電車に乗っているのは往復3時間弱。そのなかですべて済ませるという独自のルールを決めていました。練習のことを振り返ったり、日誌を書いたり、勉強の単語を覚えたり、宿題したりというのは、電車のなかで終わらせる。そういう生活スタイルだったので、1日のスケジュールが流れるように進んでいました。ちなみに朝練習のために5時過ぎの電車に乗らないといけなかったので、母が3時に起きて10種類ぐらいおかずがあるお弁当を毎日3年間作ってくれて、父が駅まで車で送ってくれました。自分が母親になって、お弁当を作る大変さを実感しているので、両親には本当に感謝しています。 [caption id="attachment_118023" align="alignnone" width="800"] 高3の世界ジュニア選手権1500mで銅メダルを獲得。同時に学業との両立にも力を注いでいた[/caption] ――中学や高校時代、先輩や後輩との関係で悩んだことは? まったくなかったですね。中学校は田舎の学校なので、みんな小学校から一緒みたいな感じで、先輩からは可愛がってもらっていました。高校も強豪校で上下関係が厳しいと思っていましたが、そんなことはありませんでした。先輩方は優しくて、私自身も先輩を立てることもなく友達のように接していたので、居心地が良かったです。今でも一番仲が良いのが高校の同級生のメンバーで、たまに先輩方が私の家にふらっと遊びに来てくれたりするのもうれしいです。 ――陸上を辞めたいときはありましたか? 中学や高校の頃は一切ありません。もちろん、落ち込むこともありました。高校3年の日本選手権で僅差で負けた時など、悔しい経験は何回もしましたが、そのたびにチームメイトが前向きな言葉で支えてくれました。おそらく個人でやっていたら、精神的にもっときつかったと思います。

中学、高校で頑張る選手たちへ

――ご自身の中学高校生時代と今の中高生との違いはありますか? 今の中高生は、オーバートレーニングでケガをする子が非常に多い印象があります。私自身は中学や高校では練習で無理をせず、好きな物をたくさん食べていたので、一度もケガをしませんでした。自分の身体の成長に合ったトレーニングをやっていく必要がありますし、私は女子長距離選手の目線で見てしまいますが、月経の部分で今の時代になっても、まだまだ問題意識がない選手が多いという気がしています。指導者側の「結果を出させてあげたい」という気持ちも理解できますが、中学生や高校生の年代では、楽しいという気持ちが全面に出るようなメンタル状態で競技に取り組んでほしいですね。 [caption id="attachment_118028" align="alignnone" width="800"] 高校3年では1500mで日本記録を2度更新。インターハイも2位に大差をつけて優勝を飾った[/caption] ――今振り返って、「ああすればよかった」と思うことはありますか? 先ほども言ったように、中高の6年間で足裏にまめができた以外、まったくケガをした経験がありません。だからケガの対処法がわからず、高校を卒業してからケガに悩むことになりました。もちろん、ケガはしない方がいいので、ケガを経験しておけば良かったというわけではありませんが、若い時にケガや大きな挫折の経験があれば、大学や社会人に行ってからも生かせたかもしれません。 ――最後に、中学や高校でがんばる選手たちに一言、メッセージをお願いします。 陸上に関しては、試合はこれからもたくさんあるので、今ここで走れなくても、また次があると考えてみてください。私はその気持ちを持ったら、すごく楽になりました。人はこれぐらいタイムで走らないといけないと思うと、安全運転でスタートしようとしてしまいますが、先を考えず攻めまくる走りをできれば必ず強くなれます。 また、陸上だけでなく、陸上以外の夢を持つとか、いろいろなことにチャレンジしていったら、卒業後や競技を引退した後の人生も彩り豊かになると思います。それが陸上で伸び悩んだ時に気分転換になったり、違った視点から陸上を捉えることができたりすることにつながります。陸上や勉強、それ以外にも興味があることは楽しく続けていってください。 [caption id="attachment_118026" align="alignnone" width="632"] 「興味があることは楽しく続けてほしい」と話す小林祐梨子さん[/caption]
こばやし・ゆりこ/1988年12月12日生まれ。兵庫県出身。旭丘中→須磨学園高→豊田自動織機。中3の北海道全中で800m、1500mの2種目に優勝し、ジュニア五輪、全中駅伝1区区間賞のタイトルを獲得した。高校では1年からインターハイ1500mで日本人トップの2位となり、翌年の世界ユース選手権1500mで銀メダル、3年の世界ジュニア選手権でも銅メダルと世界の舞台で活躍。高校卒業後は5000mで北京五輪に出場した。現在は解説者やラジオパーソナリティなど活動をしている。
構成/小野哲史

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