2023.10.19
山中恭介 PROFILE
◎やまなか・きょうすけ/2005年10月3日生まれ。千葉県出身。松戸六-市船橋高(千葉)。中学から陸上を始めるとともにハードルに取り組む。110mハードル(中学用)では1年時18秒13だったのが、2年時には16秒32、3年時には14秒74をマーク。コロナ禍で中止となった全中の代替大会として行われた全国中学生大会に出場している。高校では1年時こそ全国経験がなかったが、2年時にインターハイ出場。日本室内大阪大会U20・60mハードルでは5位に入った。シーズンイン後はさらに成長を遂げ、インターハイとU20日本選手権を制覇。第1回東アジアU20選手権に出場を予定している。主な自己ベストは100m11秒17(23年)、110mH(一般用/106.7cm)14秒01(23年)、110mH(U20規格/99.1cm)13秒48(23年)

インターハイで頂点に立ち、さらなる飛躍を期す
インターハイとU20日本選手権の2冠
――高校最後の今シーズンはどんな目標を立てて臨みましたか。 山中 インターハイの優勝です。市船橋に入った時に立てた目標で、それは3年間ずっと変わっていません。タイムは13秒台を出したいと思っていました。 ――2年生のシーズン後の冬季はどんな点を強化しましたか。 山中 昨年のインターハイ路線は、県大会も南関東大会も10台目で引っかけて減速。インターハイに出ることができましたが、予選のラスト15mで転んでしまいました。勝負に強くなく、競った場面で自分の走りができませんでした。だから、冬季はそこを強化するために、走り込みなどでも競った中で自分の走りや動きができるように取り組みました。イチフナには周りに強い選手が多いので、良い練習ができました。 ――6月のU20日本選手権(U20規格の99.1㎝)は13秒54(+0.1)で優勝しました。 山中 予選は追い風参考ながら13秒27(+2.9)だったので、正直、調子のピークがここに来てしまったという感じでした。そういう意味では、決勝はもっとタイムを出せても良かったかなと。勝つつもりでいたので、しっかり勝てたことは自信になりましたが、インターハイ路線とはハードルの高さが違うので、過信はしませんでした。 ――その後、順調に北海道インターハイを迎えられましたか。 山中 実は、前日は全然調子が良くなく、あまり走れずに不安がありました。とにかく「予選をしっかり走れれば大丈夫」と自分に言い聞かせて、予選を1番大事なポイントに考えていました。 ――予選(14秒25/+0.3)と準決勝(14秒12/+1.8)は、危なげなく通過したように見えました。 山中 予選でそのタイムを出して、もうこれは大丈夫だと思えて、準決勝も良い走りができました。 ――決勝は14秒01(+0.8)と自己ベストを0.09秒更新して優勝しました。 山中 決勝前に不安はまったくなかったです。自分としては攻めて、攻めて、1位か8位。攻めた結果8位なら仕方ないし、楽しんだ者勝ちというか、この中で1番楽しんだ選手が勝ちだと思っていました。スタート前からずっと意識して笑顔を出して、勝つイメージができていました。 ――技術的にはどこに自信がありますか。 山中 インターバルの刻みと、バネがあるので、あまり身長が高くなくても遠くから踏み切ってハードルを跳べる所だと思います。 ――2冠を達成し、反響も大きかったのでは。 山中 たくさんの友達や仲間に祝福の言葉やメッセージをもらって、うれしかったです。なかでもその日の夜、中学(松戸六)時代の顧問だった高嶋美佳先生と電話で話して、「よくここまで強くなったね」と本当に喜んでくれたのがうれしかったです。 ――昨年のインターハイは予選敗退でした。この1年でどこが成長したと感じますか。 山中 勝負強くなりました。インターハイ路線とU20日本選手権を全部取って、U20、南関東、インターハイと決勝でその時点の自己ベストを出せたのは成長できたと感じます。 ――インターハイ後は、日韓中ジュニア交流競技会(U20規格)で13秒70(+0.5)と13秒48(-0.5)でいずれも2位でした。 山中 13秒48(高校歴代5位)は自己ベストでしたが、狙っていた高校最高記録(13秒31)には届きませんでした。 ――収穫はありましたか。 山中 自分はこれまで中盤ぐらいから出ていって、後半は逃げ切るようなレース展開が多かったのですが、優勝した中国の選手はとにかく後半が強くて、自分のレースをさせてもらえませんでした。国外にはそういう選手がいるんだと実感できたことが収穫です。 ――高校生活も残りわずかですが、試合の予定とそこでの目標は。 山中 東アジアU20選手権代表に選ばれたので、U20日本記録(13秒19/U20規格)の更新を目指しています。年明けは日本室内大阪大会(2024年2月3日~4日)に出場する予定です。陸上は中学から、足は速くなかった
――陸上はいつから、どんなきっかけで始めましたか。 山中 2歳上の姉が陸上部にいたことと、中学で初めて仲良くなった友達が陸上部に入るというのが理由です。 ――小学校までのスポーツ歴はありますか。 山中 6年間、体操をやっていました。 ――中学では最初からハードルだったようですが、当時の目標は。 山中 姉がハードルだったこともあって始めました。実は、それほど足は速くなく、同級生の中でも全然速くないほうだったので、そういう人たちに勝てるようにハードルを始めたということもありました。 ――中学時代で特に思い出に残っていることは。 山中 3年生になる前後ぐらいからコロナ禍でさまざまな大会が中止になりましたが、休校期間は午前に部活の人たちと練習して、午後は姉と近所の運動公園で走り込んだりして、かなり練習を積みました。そうしたら脚がすごく速くなって、ハードルも伸びて、全国中学生大会に出ることができました。 ――市船橋高に進んだ経緯を教えてください。 山中 千葉の強豪校は“イチフナ”と成田ぐらいしか知らなくて、“イチフナ”の練習会に参加してから決めました。周りの人たちが速過ぎて、練習についていけるか少し不安でした。 ――どんな目標を掲げて高校生活をスタートしましたか。 山中 インターハイで優勝することが一番の目標で、あとは100mでできれば10秒台を出したいと思っていました。 ――市船橋の雰囲気や練習の内容はどうでしたか。 山中 強豪なので、入学前は先生が怖くて、先輩には圧をかけられたりするんじゃないかと想像していましたが、まったくそんなことはなくて、良い雰囲気で、自分がやりたい練習もできてとてもやりやすかったです。周りに強い人も多いから、いろいろと刺激にもなりました。 [caption id="attachment_117521" align="alignnone" width="800"]
山中恭介 PROFILE
◎やまなか・きょうすけ/2005年10月3日生まれ。千葉県出身。松戸六-市船橋高(千葉)。中学から陸上を始めるとともにハードルに取り組む。110mハードル(中学用)では1年時18秒13だったのが、2年時には16秒32、3年時には14秒74をマーク。コロナ禍で中止となった全中の代替大会として行われた全国中学生大会に出場している。高校では1年時こそ全国経験がなかったが、2年時にインターハイ出場。日本室内大阪大会U20・60mハードルでは5位に入った。シーズンイン後はさらに成長を遂げ、インターハイとU20日本選手権を制覇。第1回東アジアU20選手権に出場を予定している。主な自己ベストは100m11秒17(23年)、110mH(一般用/106.7cm)14秒01(23年)、110mH(U20規格/99.1cm)13秒48(23年) [caption id="attachment_117522" align="alignnone" width="800"]
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