2022.08.12
全日本大学駅伝で2連覇中の駒大でヘッドコーチを務める藤田敦史氏と、6月1日付でコーチに就任した高林祐介氏の対談が実現した。
両者とも大八木弘明監督のもとで大学時代を過ごしたレジェンドOB。現在45歳の藤田コーチは箱根駅伝4区区間新やマラソン日本新、35歳の高林コーチは三大駅伝区間賞7回といった実績を誇る。補佐に努めるコーチ視点から、お互いのこと、チームのことについて存分に聞いた。
構成/奥村 崇
選手が描く〝将来像〟がリアルに存在する
――7月のオレゴン世界選手権では田澤廉選手(4年)が出場し、大八木弘明監督も現地入りしていたそうですね。
高林 私が大八木監督を日本で空港に送って、オレゴンで宇賀地(強/コニカミノルタ・コーチ/駒大OB)が出迎える体制で臨みました。これもコーチの仕事です(笑)。
藤田 田澤(廉)のレース(10000m予選)はこちらは朝方の時間帯でした。レースの配信をみんなで食堂に集まって観ました。こういう社会状況ですので、声援は心の中で、静かにみんなで「見守った」という感じでしたね。
――OBの西山雄介選手(トヨタ自動車)のマラソン出場(13位/2時間8分35秒)もありました。
藤田 入賞まで惜しかったですね。2回目のマラソンであそこまでいけるなら、と今後に期待をもたせるような走りでした。
高林 西山はトヨタ自動車の後輩でもあり、高校(上野工/現・伊賀白鳳)の後輩でもあるのでずっと接してきた仲です。もともと1500mなどが得意なタイプから、大学に入って少しずつ階段を上がるように積み重ねてきました。
学生時代はむしろ苦労しながら1つひとつ課題をつぶしていった姿に、見習うところがあります。駒大の後輩たちにとって、彼の存在は大きいんだろうなと思います。
――インターハイ1500mで優勝している高林コーチ自身が、スピード型から作り上げていくメソッドを残されています。
高林 いえ、僕はダメな例ですよ(笑)。距離を延ばしていく過程で、どうしても目先に囚われがちなのですが、西山は「マラソンで勝負したいから今は10000m27分台のスピードをつけてから向かいたいんです」と、長期目線を持っていました。
藤田 駒大は在学中に結果を出せなくても、実業団で伸びている選手が多い。西山や中西亮貴(トーエネック)、其田健也(JR東日本)らはどちらかというとトラックタイプで、マラソン移行には苦労しそうなイメージはありました。実際に、在学中の練習でも長い距離に苦しむことがありましたし。
その殻を破って卒業生が実業団で花開いているのは、4年間の中で「どこを見て競技をしているか」だと思うんですね。「今はできなくても、ゆくゆくはできるようにするために今は何をするか」や、「段階を経てどこにたどり着こうとしているか」の視点がすごく大切です。
高林 我々が現役学生だった頃の指導でも、そういった示唆をもらったのですが、「こういう選手になるんだぞ」という言葉通りの人たちが、実在するんですよ!
僕たちの代でいったら、それがまさに藤田コーチ。OBの先輩方がまさに教えを体現している姿を見ると、理想論や夢物語ではなく、駒澤でしっかり取り組んだら、実業団で通用するんだ、という思いが出てきます。心理的なハードルは下がってきますよね。「先輩たちがやれたのなら俺たちも」というようないい伝統がつながっているのは感じますね。それが、一代限りでなく、これだけ長く途絶えることなくつながっているのが駒大の強みです。
――高林さんは謙遜しますが、箱根駅伝の長距離区間で強かった。
藤田 高林はスピードランナーのイメージを私も持っていました。でも練習を見ていたら、いわゆる距離走が強いんですよ。長い距離の素質があるから、マラソンまでいくかもしれない、と。何より、もりもりご飯を食べるんです。合宿でみんなが練習で疲れて「食べられません」って言っている中で、一人バクバク食べていましたもの。内臓は強いし、長い距離はできるし。トヨタ自動車に行った後は、「いつマラソンをやるのかなあ」と思っていましたよ。三大駅伝の区間賞は7回取ったのかな。
高林 いやあ、つなぎ区間ですから。
藤田 しかし、高林の代は個性が強かった(笑)。宇賀地は休めと言っても絶対に休まない。こんな学生はこの前もこの先もいなかったと思うくらい強烈でした。深津(卓也)も高林も三者三様で。その3人が指導者としてがんばっているので感慨深いものがありますね。
学生時代の藤田コーチ(左)と高林コーチ。ともに駒大を代表するレジェンド選手だった
これだけ濃密に接するチームは他にない
高林 学生に接する時間に関しては、家族と過ごすのと同じくらいでしょうか。私も実業団チームなども経験してきて、ここまで濃密に、選手とコミュニケーションを取るチームは他にないくらいだと思います。彼らと常に接して、会話して、という関係が濃いチームです。
――まだまだ未熟な高校や、選手数が絞られる実業団と比べてもですか。
高林 次元が違います。それぞれのチームにスタイルがあるので一概には言えないのですが、とにかく大八木監督が現場主義。学生たちが活動する場に赴いて、身を置き、現場でコミュニケーションを取っていくスタイル。我々も学ばせてもらっています。
朝5時から夜の7~8時まで行動を共にしていると、わかってくるんですね。毎朝会っていると学生の変化が。あいさつの声一つで「変だな」と感じたり、「なんでこんなに暗い顔しているんだろう。昨日の練習かな」と気づいたり。
藤田 これは陸上の指導、あれは生活の指導と切り離して考えるのではなく、子供たちと話をし、コミュニケーションを取ることは大八木監督がずっとやってきたこと。そうした時間を常に共有をしていくうちに、1年経ち、2年経ち、すごく未熟な状態から「大人になったなあ」と私たちも成長を感じるんですね。
――そこにコーチ陣はどう関与しているのでしょうか。
藤田 大八木監督が作り上げてきたものがあって、変えるべきことと、変えてはいけないものがあって、大八木監督が柔軟に舵を切っている。コーチ陣も、指揮官がどちらに舵を切っているのか、瞬時に感じ取らなくてはいけない面があります。それを選手たちに浸透させていくのがコーチの役割です。
大八木監督は、それほど事細かに説明するタイプではありません。自身はすごく緻密なんですよ。それをすべて説明することはなく、一言発して、そこから自分たちの感性を働かせて感じ取りなさい、という指導者です。
我々コーチは、ただ「監督がこう言っていたよ」じゃなく、指導方針を理解したうえで、かみ砕いて吸収できるように伝える。「君たちにはこういう言葉をかけたけど、そこにはこういう真意があるんじゃないのか」と話したり。そこが我々の中でも重要な仕事かなと思います。逆を返せば、今の子たちは理解してくれますし、理解したらやる気を出すまでが早いんです。
あと、大八木監督を見ていて感じるのは、下級生の時と上級生の時とで接し方を変えていること。20歳をまたいで大人へ成長していく期間をここで過ごす。成長の中で自分の考えも芽生えてくるので、それを尊重して接し方を変えているんだなと、感じる部分です。
――上級生への接し方は大八木監督の変わらぬ育成方針ですよね。そのような一貫性と、同時に柔軟性を持つ一面もあり…。
藤田 いやあ、そうなんです。あれだけの実績を出すと「俺のやり方はこうだ!」になるのが普通ですが、それが、あまりない。
ちょうど、高林が入学してきた頃でしたね。私は実業団に居た頃で、傍から見ていて、それまで「ロードの駒澤」だったのが、「トラックの駒澤」に様変わりつつあるなあ、と。
まず(5000m)13分台を持っている子が3人も来る驚きがあって、ある時に大八木監督に聞いたら、「そういうスピードを持った子たちが入ってくるようになったから、練習の中身も変えているんだ」と話してくれました。
それまではロードの練習が多かったんです。トラックもですが、クロカンが増えましたね。脚力強化をトラックにつなげるんだというコンセプトを聞いた時に、「変わったな」という印象がありました。
高林 私の入学前は、藤田さんたちが築いた「ロードの駒澤」のイメージでしたが、私の場合、律してもらえる環境に身を置きたかった一念でした。なぜならちゃらんぽらんだったので(笑)。
30代半ばになりますが、それが今となっては人生のベースになるくらいですし、そこを後輩たちにも伝えていきたいですね。
――高林さんの在学中、藤田さんは駒大の練習に参加されていた頃でしたね。
藤田 何年の入学だったっけ?
高林 2006年です。
藤田 駒澤で練習したのが2008年までだから、高林が1~3年の頃か。
高林 マラソンの日本記録を持っている人が実際に間近にいらっしゃって。練習日誌を毎月書くのですが、その記入例のサンプルが藤田さんの日誌だったんです。「これくらいやらないと日本記録に届かないのかあ」と思ったのを覚えています。
藤田 中村(匠吾、富士通)もそうですが、OBが戻ってくるチームって、いいチームだと思うんですよね。卒業生が旅立って、開花して、そういう選手たちが帰ってきてまた後輩たちに刺激を与えて……。それがずっと続いているのが駒大の良さであり、大八木監督の熱意がそうさせている面がありますね。「ここで満足してはいけない」という思いを持ち続けている人なので。
高林 余談ですが、初めて買った陸上専門誌の表紙が、高橋正仁さんと高橋謙介さんが競った場面だったんです。入学したら正仁さんがコーチに就任されるタイミングで、トヨタ自動車に入社したら謙介さんにお世話になって。僕の中に、そういうものに導かれている感覚があります。
藤田敦史 Fujita Atsushi
1976年11月6日生まれ、福島・清陵情報高→駒大→富士通(2013年引退)
■自己記録
5000m13分54秒65、10000m28分19秒94
ハーフ1時間2分12秒
マラソン2時間06分51秒(当時・日本記録)
■主な戦績
99年箱根駅伝4区区間新
99年世界選手権マラソン6位
00年福岡国際マラソン優勝
01年世界選手権マラソン12位
07年別府大分毎日マラソン優勝
高林祐介 Takabayashi Yusuke
1987年7月19日生まれ、三重・上野工高(現・伊賀白鳳高)→駒大→トヨタ自動車(2016年引退)
■自己記録
5000m13分34秒38、10000m27分56秒46
ハーフ1時間1分31秒
1500m3分42秒53
■主な戦績
05年インターハイ1500m優勝
06年~10年 学生三大駅伝区間賞7回
(出雲2回、全日本3回、箱根2回)
11年全日本実業団対抗駅伝3区区間賞
12年全日本実業団対抗駅伝7区区間賞
8月12日発売の『月刊陸上競技9月号』では、ここでは紹介していない2人のやりとりを掲載しています。
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選手が描く〝将来像〟がリアルに存在する
――7月のオレゴン世界選手権では田澤廉選手(4年)が出場し、大八木弘明監督も現地入りしていたそうですね。 高林 私が大八木監督を日本で空港に送って、オレゴンで宇賀地(強/コニカミノルタ・コーチ/駒大OB)が出迎える体制で臨みました。これもコーチの仕事です(笑)。 藤田 田澤(廉)のレース(10000m予選)はこちらは朝方の時間帯でした。レースの配信をみんなで食堂に集まって観ました。こういう社会状況ですので、声援は心の中で、静かにみんなで「見守った」という感じでしたね。 ――OBの西山雄介選手(トヨタ自動車)のマラソン出場(13位/2時間8分35秒)もありました。 藤田 入賞まで惜しかったですね。2回目のマラソンであそこまでいけるなら、と今後に期待をもたせるような走りでした。 高林 西山はトヨタ自動車の後輩でもあり、高校(上野工/現・伊賀白鳳)の後輩でもあるのでずっと接してきた仲です。もともと1500mなどが得意なタイプから、大学に入って少しずつ階段を上がるように積み重ねてきました。 学生時代はむしろ苦労しながら1つひとつ課題をつぶしていった姿に、見習うところがあります。駒大の後輩たちにとって、彼の存在は大きいんだろうなと思います。 ――インターハイ1500mで優勝している高林コーチ自身が、スピード型から作り上げていくメソッドを残されています。 高林 いえ、僕はダメな例ですよ(笑)。距離を延ばしていく過程で、どうしても目先に囚われがちなのですが、西山は「マラソンで勝負したいから今は10000m27分台のスピードをつけてから向かいたいんです」と、長期目線を持っていました。 藤田 駒大は在学中に結果を出せなくても、実業団で伸びている選手が多い。西山や中西亮貴(トーエネック)、其田健也(JR東日本)らはどちらかというとトラックタイプで、マラソン移行には苦労しそうなイメージはありました。実際に、在学中の練習でも長い距離に苦しむことがありましたし。 その殻を破って卒業生が実業団で花開いているのは、4年間の中で「どこを見て競技をしているか」だと思うんですね。「今はできなくても、ゆくゆくはできるようにするために今は何をするか」や、「段階を経てどこにたどり着こうとしているか」の視点がすごく大切です。 高林 我々が現役学生だった頃の指導でも、そういった示唆をもらったのですが、「こういう選手になるんだぞ」という言葉通りの人たちが、実在するんですよ! 僕たちの代でいったら、それがまさに藤田コーチ。OBの先輩方がまさに教えを体現している姿を見ると、理想論や夢物語ではなく、駒澤でしっかり取り組んだら、実業団で通用するんだ、という思いが出てきます。心理的なハードルは下がってきますよね。「先輩たちがやれたのなら俺たちも」というようないい伝統がつながっているのは感じますね。それが、一代限りでなく、これだけ長く途絶えることなくつながっているのが駒大の強みです。 ――高林さんは謙遜しますが、箱根駅伝の長距離区間で強かった。 藤田 高林はスピードランナーのイメージを私も持っていました。でも練習を見ていたら、いわゆる距離走が強いんですよ。長い距離の素質があるから、マラソンまでいくかもしれない、と。何より、もりもりご飯を食べるんです。合宿でみんなが練習で疲れて「食べられません」って言っている中で、一人バクバク食べていましたもの。内臓は強いし、長い距離はできるし。トヨタ自動車に行った後は、「いつマラソンをやるのかなあ」と思っていましたよ。三大駅伝の区間賞は7回取ったのかな。 高林 いやあ、つなぎ区間ですから。 藤田 しかし、高林の代は個性が強かった(笑)。宇賀地は休めと言っても絶対に休まない。こんな学生はこの前もこの先もいなかったと思うくらい強烈でした。深津(卓也)も高林も三者三様で。その3人が指導者としてがんばっているので感慨深いものがありますね。これだけ濃密に接するチームは他にない
高林 学生に接する時間に関しては、家族と過ごすのと同じくらいでしょうか。私も実業団チームなども経験してきて、ここまで濃密に、選手とコミュニケーションを取るチームは他にないくらいだと思います。彼らと常に接して、会話して、という関係が濃いチームです。 ――まだまだ未熟な高校や、選手数が絞られる実業団と比べてもですか。 高林 次元が違います。それぞれのチームにスタイルがあるので一概には言えないのですが、とにかく大八木監督が現場主義。学生たちが活動する場に赴いて、身を置き、現場でコミュニケーションを取っていくスタイル。我々も学ばせてもらっています。 朝5時から夜の7~8時まで行動を共にしていると、わかってくるんですね。毎朝会っていると学生の変化が。あいさつの声一つで「変だな」と感じたり、「なんでこんなに暗い顔しているんだろう。昨日の練習かな」と気づいたり。 藤田 これは陸上の指導、あれは生活の指導と切り離して考えるのではなく、子供たちと話をし、コミュニケーションを取ることは大八木監督がずっとやってきたこと。そうした時間を常に共有をしていくうちに、1年経ち、2年経ち、すごく未熟な状態から「大人になったなあ」と私たちも成長を感じるんですね。 ――そこにコーチ陣はどう関与しているのでしょうか。 藤田 大八木監督が作り上げてきたものがあって、変えるべきことと、変えてはいけないものがあって、大八木監督が柔軟に舵を切っている。コーチ陣も、指揮官がどちらに舵を切っているのか、瞬時に感じ取らなくてはいけない面があります。それを選手たちに浸透させていくのがコーチの役割です。 大八木監督は、それほど事細かに説明するタイプではありません。自身はすごく緻密なんですよ。それをすべて説明することはなく、一言発して、そこから自分たちの感性を働かせて感じ取りなさい、という指導者です。 我々コーチは、ただ「監督がこう言っていたよ」じゃなく、指導方針を理解したうえで、かみ砕いて吸収できるように伝える。「君たちにはこういう言葉をかけたけど、そこにはこういう真意があるんじゃないのか」と話したり。そこが我々の中でも重要な仕事かなと思います。逆を返せば、今の子たちは理解してくれますし、理解したらやる気を出すまでが早いんです。 あと、大八木監督を見ていて感じるのは、下級生の時と上級生の時とで接し方を変えていること。20歳をまたいで大人へ成長していく期間をここで過ごす。成長の中で自分の考えも芽生えてくるので、それを尊重して接し方を変えているんだなと、感じる部分です。 ――上級生への接し方は大八木監督の変わらぬ育成方針ですよね。そのような一貫性と、同時に柔軟性を持つ一面もあり…。 藤田 いやあ、そうなんです。あれだけの実績を出すと「俺のやり方はこうだ!」になるのが普通ですが、それが、あまりない。 ちょうど、高林が入学してきた頃でしたね。私は実業団に居た頃で、傍から見ていて、それまで「ロードの駒澤」だったのが、「トラックの駒澤」に様変わりつつあるなあ、と。 まず(5000m)13分台を持っている子が3人も来る驚きがあって、ある時に大八木監督に聞いたら、「そういうスピードを持った子たちが入ってくるようになったから、練習の中身も変えているんだ」と話してくれました。 それまではロードの練習が多かったんです。トラックもですが、クロカンが増えましたね。脚力強化をトラックにつなげるんだというコンセプトを聞いた時に、「変わったな」という印象がありました。 高林 私の入学前は、藤田さんたちが築いた「ロードの駒澤」のイメージでしたが、私の場合、律してもらえる環境に身を置きたかった一念でした。なぜならちゃらんぽらんだったので(笑)。 30代半ばになりますが、それが今となっては人生のベースになるくらいですし、そこを後輩たちにも伝えていきたいですね。 ――高林さんの在学中、藤田さんは駒大の練習に参加されていた頃でしたね。 藤田 何年の入学だったっけ? 高林 2006年です。 藤田 駒澤で練習したのが2008年までだから、高林が1~3年の頃か。 高林 マラソンの日本記録を持っている人が実際に間近にいらっしゃって。練習日誌を毎月書くのですが、その記入例のサンプルが藤田さんの日誌だったんです。「これくらいやらないと日本記録に届かないのかあ」と思ったのを覚えています。 藤田 中村(匠吾、富士通)もそうですが、OBが戻ってくるチームって、いいチームだと思うんですよね。卒業生が旅立って、開花して、そういう選手たちが帰ってきてまた後輩たちに刺激を与えて……。それがずっと続いているのが駒大の良さであり、大八木監督の熱意がそうさせている面がありますね。「ここで満足してはいけない」という思いを持ち続けている人なので。 高林 余談ですが、初めて買った陸上専門誌の表紙が、高橋正仁さんと高橋謙介さんが競った場面だったんです。入学したら正仁さんがコーチに就任されるタイミングで、トヨタ自動車に入社したら謙介さんにお世話になって。僕の中に、そういうものに導かれている感覚があります。 藤田敦史 Fujita Atsushi 1976年11月6日生まれ、福島・清陵情報高→駒大→富士通(2013年引退) ■自己記録 5000m13分54秒65、10000m28分19秒94 ハーフ1時間2分12秒 マラソン2時間06分51秒(当時・日本記録) ■主な戦績 99年箱根駅伝4区区間新 99年世界選手権マラソン6位 00年福岡国際マラソン優勝 01年世界選手権マラソン12位 07年別府大分毎日マラソン優勝 高林祐介 Takabayashi Yusuke 1987年7月19日生まれ、三重・上野工高(現・伊賀白鳳高)→駒大→トヨタ自動車(2016年引退) ■自己記録 5000m13分34秒38、10000m27分56秒46 ハーフ1時間1分31秒 1500m3分42秒53 ■主な戦績 05年インターハイ1500m優勝 06年~10年 学生三大駅伝区間賞7回 (出雲2回、全日本3回、箱根2回) 11年全日本実業団対抗駅伝3区区間賞 12年全日本実業団対抗駅伝7区区間賞 8月12日発売の『月刊陸上競技9月号』では、ここでは紹介していない2人のやりとりを掲載しています。
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