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2021.05.28

【“陸女”インタビュー】荒川ひかりさん「何も考えず走る時間が好きでした!」
【“陸女”インタビュー】荒川ひかりさん「何も考えず走る時間が好きでした!」

オリンピックの花形である陸上競技! 球技に比べると、すこーし“地味”な印象があるかもしれない……。しかし、中高生合わせて、なんと約30万人以上が「陸部」なんです。

実は他の業界で活躍するあの人も、この人も、結構、陸上経験者が多いらしい……。そんな「元陸部」の方々へのインタビュー企画! きつかった練習は!? 楽しかった思い出は!? 陸上を通して学んだことは!?

第4回はガールズケイリンの選手として活躍を続ける荒川ひかりさんにインタビュー。高校時代は短距離とやり投の選手だったという荒川さんは、いかにして競輪と出合い、その道を志したのか……。「頭をからっぽにして」走り続けていたという荒川さんの「陸部時代」に迫ります。

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写真提供/公益財団法人JKA

俊足だった幼少期 ひょんなことからやり投に挑戦

――陸上を始めたのはいつ頃ですか。

荒川 小学校の時です。学年で一番足が速くて、走るのが好きでした。放課後のクラブ活動のような感じで、陸上をやっていた先生が試合に向けて少し練習会をやろうよ、となって。4年生から大会前になると集まって練習していました。その頃は短距離でしたね。

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――中学から陸上部に?

荒川 いえ、それが中学には陸上部がなくて……。ずっと陸上部に入りたいと思っていたのですが、剣道部に入りました。全然違うんですけど。剣道をしながら、陸上の同好会ができたのでそこに参加していました。陸上の大会前になると同好会で集まって少し練習して。タイムは覚えていないのですが、県大会に出場してメダルをもらったのを覚えています。

――進学校の竹園高校に入学されて陸上部に入られました。投てきの強豪校としても知られていますね。

荒川 当時の顧問の先生が投てき専門で、やり投がメインでした。陸上部も結構、力を入れているのは知っていましたが、選んだ理由としてはあまり関係なくて。大学進学を見据えて進学しました。入学後、すぐに陸上部に見学に行きましたね。

――荒川さんの陸上の実績を見ると、短距離とやり投の記録が残っています。その時はまさかやり投をやるとは……?

荒川 思っていないですね。1年目は短距離に取り組んでいました。熱心な先生で、短距離でも他のいろんな種目のメニューをしていて、上半身のトレーニングをしていた時に、「腕っぷし強いな」と。ボール投げもそこそこできて、ベンチプレスとかも割と上がるほうだったんです。「投てきやってみないか? やり投は楽しいぞ」と勧められました。

やり投にも取り組んでいた荒川さん(本人提供)
――その時の心境はどうだったんでしょうか。

荒川 ちょっと楽しそうだなって思いました。やっぱり、走っているだけだと疲れもあるし、どんなに走っても同じようなタイムしか出なかったり、伸び悩んだり。そういう時に他の種目があるとリフレッシュにもなるかなと思ってチャレンジしました。

――試合の時は大変そうですね!

荒川 とても慌ただしかったです。2投目を終えた後に100mに出場して、その後に戻ってきて1回投げて……。そこにリレーも入ると1日に3種目という日もありましたね。

――きつかった練習は何ですか。

荒川 ウォーミングアップでやっていた「エンドレス」というリレー形式の練習ですね。毎日やっていました。3人1組で150mを3本走って、最後は300m。それがすごくきつくて入学してすぐは辞めようと思うくらいでしたね。

――一番思い出に残っている大会は?

荒川 3年の北関東大会のマイルリレー(4×400m)です。その厳しい練習の成果もあって結構強くて、インターハイ路線では県大会で4位になって北関東大会まで行けました。ギリギリ県で3位になれなかったのが悔しかったですが、やっぱり一番思い出に残っています。4×100mリレーも好きですが、マイルの仲間とやるあの“チーム感”が忘れられないです。

――ご自身としては、どっちが専門の選手なんですか。

荒川 やっぱり短距離が好きだったので、短距離がメインということで!

一番思い出に残っているのはマイルリレーだという(本人提供)

スタート練習で競輪の素質を見込まれて……

――陸上選手から競輪選手に転向する方は結構多いですが、荒川選手の経緯を教えてください。

荒川 高校の時は普通に大学に進学するつもりで勉強をしていましたが、身体を動かす仕事はしたいと思っていたので、体育教師になるのが夢でした。本当はプロスポーツ選手になりたいというのは小さい頃から思っていたんです。でも、陸上をはじめ、プロになれるほどのものはないなって。私は1年浪人をしましたが、体育学科の試験のために高校の部活に参加させてもらっていました。その時に先生がスターティングブロックを蹴る動作を見て「筋肉のつき方が競輪選手みたいだな」っておっしゃいました。

――その言葉から興味を持つ女性もなかなかいなさそうですが……。

荒川 そうですよね(笑)。でも、それで気になって調べてみたのがきっかけなんです。今からでスポーツ選手になれるものがある。それが自分にピッタリなんじゃないかな、と。スポーツ選手になれるし、賞金も稼げる。そう気になっちゃって、「これだ!」と思って、大学受験をやめてそっちに進むことを決めました。

――それまで競輪のことは知っていましたか。

荒川 ほとんど知らなくて、聞いたことあるなくらいでしたね。

――競輪選手になるためには競輪学校に通われるんですよね。

荒川 静岡にある競輪学校(※現在は「日本競輪選手養成所」)に入るための試験があります。その試験に合格すると入学でき、1年間通って、その後にプロになれます。在学中にプロテスト(※競輪選手資格検定が3月に実施)があり、受かって卒業できればプロの資格を得られます。やっぱり脱落者もいて、入学した全員が卒業できないこともありますね。

――寮生活も厳しいと聞きます。

荒川 男女共学ですが男女間の私語は厳禁。生活面の規定も厳しく、携帯電話も使用不可で、外出は2週間に1回できるかどうか。その時々のテストのタイム設定も厳しいです。ずっと長かった髪の毛も規則でバッサリ。スポーツ刈りに近いくらいです。もちろん、練習も厳しくて。生きてきた中で一番しんどい1年でした。

――エンドレスリレーよりも?

荒川 競輪学校時代は「これはエンドレスよりつらくないな」とか考えながらやっていましたね(笑)。

――競輪選手になってからも大変そうです。

荒川 競輪学校よりは楽です! その時期の経験が支えになっていますね。競輪場は全国各地にあるので、いろんな場所に行けるのも楽しいですし、ご当地のおいしい物を食べるのが楽しみなんです。

――ケガもつきものですよね。

荒川 私は練習初日に落車して鎖骨を骨折したので、師匠(※競輪は師弟関係文化があり、現役選手に依頼して弟子にしてもらう)に「すぐ辞めると思った」と言われました。でも、私としては「せっかく骨まで折ったのに選手になれないなんて悔しいから絶対に選手になる」って思いました。これまで鎖骨を両方、肋骨も何本か追っています(笑)。ケガをすること以上に、負けたことのほうが悔しいです。最後までレースを走りきれなかったことが。
負けず嫌いなんです。

競輪学校を卒業してプロ選手に(提供/公益財団法人JKA)

陸上と競輪の共通点は…?

――競輪選手には陸上経験者が多いのですが、やはり通ずるものがあるのでしょうか。

荒川 やっぱり下半身を使うスポーツというのが一つです。左右の脚を速く動かすというのは一緒ですよね。今思うと、始めるきっかけのスタートも陸上と競輪で似ています。競輪は発走機を使ってスタートします。その下半身を使う意識などは同じです。臀部をしっかり使います。“陸上上がり”の選手は、ウォーミングアップをしているの見るとすぐにわかりますね。「あ、脚をしっかり上げてアップしているから陸上経験者かな」って、股関節を大事にしている感じ。話しかけに行きたくなっちゃいます(笑)。

――トレーニングにも陸上の経験が生かせているんですね。

荒川 今もアップで、高校時代にしていた動きを取り入れることがあります。実は私の同期に、世界選手権代表の佐藤友香さん(2005年ヘルシンキ世界選手権女子4×100mリレー代表)がいらっしゃいます。短距離をしていたとか、三段跳もやっていたと聞いて、めちゃくちゃリスペクトしているんです。身体の使い方も詳しいのでアドバイスをもらったり、陸上のトレーニングを教えてもらったりしています。

――現在は競輪選手として活躍されていますが、荒川選手が感じる魅力は?

荒川 当たり前なんですけど、自転車ってすごく速い。初めて見た時にそう感じました。陸上で走っていましたが、自分の身体一つでのスピードはやっぱり限界がある。でも、自転車に乗るとすごく進むし、楽しかったです。陸上をやっている人間として、「速い」っていうだけで魅力ですよね。それが一番です。

――まだ競輪を見たことがない方も多いと思います。“見る側”へのオススメのポイントは。

荒川 自転車の風を切る音が「ブォ!」って聞こえるんです。その音をぜひ聞いてもらいたいです。意外と身近に競輪場があって、入場料がかからない場所も多いです。気軽に観戦できるスポーツの一つです。男女でルールが違うのですが、男子は「格闘技」と呼ばれるほど激しいレース展開でそれも見どころですね。女子はオリンピックと同じ「ケイリン」のルールで行われて、接触が少なくもう少しスポーツ性が強い。速い人が強い、シンプルで陸上に近いんです。その中でも戦略、作戦で強い人に勝てるように頑張っています。ぜひ観に来てください!(※来場の際には入場制限の有無について事前にHP等で要確認)

――競輪選手としての目標は?

荒川 地元の茨城のレースで優勝することです。今も高校の先生は結果を気にしてくださって連絡をくれますし、陸上部の仲間も応援に来てくれたことがあります。その時は負けちゃって車券が外れちゃったので次は頑張ります!

――今でも陸上の試合を見たり、気になったりしますか。

荒川 見るのも好きです。世界選手権などは競輪の仲間と一緒に見て応援することもありますよ。みんな基本的にスポーツが好きなので。陸上はルールがわかりやすいですし、みんなで楽しめますよね。

――陸上部で頑張っている選手に向けてメッセージをお願いします!

荒川 走っている時は頭をからっぽにできるのがすごく好きでした。普段、あまり日常生活で「何も考えない」ってあまりないですし、走ることだけに集中できるあの時間が好きでした。そういう経験、身体を使わなくなるのはもったいないなって思いながら陸上をしていたのですが、そこで出合ったのが競輪でした。今はスポーツを仕事にできて、陸上で培ったトレーニングを生かせています。そういういろんなスポーツの土台になるのも陸上の良いところ。陸上をやっていて良かったなって本当に思います。もし、スポーツ選手になりたいという人がいるなら、今からでもプロスポーツ選手になれる競技があるということを知ってほしいです。ぜひ競輪も興味があれば! ぜひ、いろんな選択肢を持ってみてください。

陸上での経験を生かして競輪選手として活躍中!(提供/公益財団法人JKA)

あらかわ・ひかり/1994年12月24日生まれ、26歳。茨城県出身。小学生の頃から陸上の大会に出場し、高校で本格的に陸上部に。短距離とやり投に取り組み、高校3年時には4×400mリレー(1走)で北関東大会に出場した。浪人中に競輪のことを知り、一念発起してチャレンジし、競輪学校に入校。2014年に競輪学校第110回技能試験に合格。16年7月にデビューし、18年には初優勝。19年には特別競輪「アルテミス賞レース」に出場して3位に入っている。Twitter(@arkw_hkr)Instagram(@arkw_hkr)

構成/向永拓史

オリンピックの花形である陸上競技! 球技に比べると、すこーし“地味”な印象があるかもしれない……。しかし、中高生合わせて、なんと約30万人以上が「陸部」なんです。 実は他の業界で活躍するあの人も、この人も、結構、陸上経験者が多いらしい……。そんな「元陸部」の方々へのインタビュー企画! きつかった練習は!? 楽しかった思い出は!? 陸上を通して学んだことは!? 第4回はガールズケイリンの選手として活躍を続ける荒川ひかりさんにインタビュー。高校時代は短距離とやり投の選手だったという荒川さんは、いかにして競輪と出合い、その道を志したのか……。「頭をからっぽにして」走り続けていたという荒川さんの「陸部時代」に迫ります。 【“陸女”インタビュー】 朝比奈彩さん「練習をすれば少しずつでも力になる!」 【“陸女”インタビュー】 メドウズ舞良さん「自分次第で変われるのが陸上の魅力!」 【“陸女”インタビュー】 大槻アイリさん「好きだから続けられる!」 写真提供/公益財団法人JKA

俊足だった幼少期 ひょんなことからやり投に挑戦

――陸上を始めたのはいつ頃ですか。 荒川 小学校の時です。学年で一番足が速くて、走るのが好きでした。放課後のクラブ活動のような感じで、陸上をやっていた先生が試合に向けて少し練習会をやろうよ、となって。4年生から大会前になると集まって練習していました。その頃は短距離でしたね。 ――中学から陸上部に? 荒川 いえ、それが中学には陸上部がなくて……。ずっと陸上部に入りたいと思っていたのですが、剣道部に入りました。全然違うんですけど。剣道をしながら、陸上の同好会ができたのでそこに参加していました。陸上の大会前になると同好会で集まって少し練習して。タイムは覚えていないのですが、県大会に出場してメダルをもらったのを覚えています。 ――進学校の竹園高校に入学されて陸上部に入られました。投てきの強豪校としても知られていますね。 荒川 当時の顧問の先生が投てき専門で、やり投がメインでした。陸上部も結構、力を入れているのは知っていましたが、選んだ理由としてはあまり関係なくて。大学進学を見据えて進学しました。入学後、すぐに陸上部に見学に行きましたね。 ――荒川さんの陸上の実績を見ると、短距離とやり投の記録が残っています。その時はまさかやり投をやるとは……? 荒川 思っていないですね。1年目は短距離に取り組んでいました。熱心な先生で、短距離でも他のいろんな種目のメニューをしていて、上半身のトレーニングをしていた時に、「腕っぷし強いな」と。ボール投げもそこそこできて、ベンチプレスとかも割と上がるほうだったんです。「投てきやってみないか? やり投は楽しいぞ」と勧められました。 やり投にも取り組んでいた荒川さん(本人提供) ――その時の心境はどうだったんでしょうか。 荒川 ちょっと楽しそうだなって思いました。やっぱり、走っているだけだと疲れもあるし、どんなに走っても同じようなタイムしか出なかったり、伸び悩んだり。そういう時に他の種目があるとリフレッシュにもなるかなと思ってチャレンジしました。 ――試合の時は大変そうですね! 荒川 とても慌ただしかったです。2投目を終えた後に100mに出場して、その後に戻ってきて1回投げて……。そこにリレーも入ると1日に3種目という日もありましたね。 ――きつかった練習は何ですか。 荒川 ウォーミングアップでやっていた「エンドレス」というリレー形式の練習ですね。毎日やっていました。3人1組で150mを3本走って、最後は300m。それがすごくきつくて入学してすぐは辞めようと思うくらいでしたね。 ――一番思い出に残っている大会は? 荒川 3年の北関東大会のマイルリレー(4×400m)です。その厳しい練習の成果もあって結構強くて、インターハイ路線では県大会で4位になって北関東大会まで行けました。ギリギリ県で3位になれなかったのが悔しかったですが、やっぱり一番思い出に残っています。4×100mリレーも好きですが、マイルの仲間とやるあの“チーム感”が忘れられないです。 ――ご自身としては、どっちが専門の選手なんですか。 荒川 やっぱり短距離が好きだったので、短距離がメインということで! 一番思い出に残っているのはマイルリレーだという(本人提供)

スタート練習で競輪の素質を見込まれて……

――陸上選手から競輪選手に転向する方は結構多いですが、荒川選手の経緯を教えてください。 荒川 高校の時は普通に大学に進学するつもりで勉強をしていましたが、身体を動かす仕事はしたいと思っていたので、体育教師になるのが夢でした。本当はプロスポーツ選手になりたいというのは小さい頃から思っていたんです。でも、陸上をはじめ、プロになれるほどのものはないなって。私は1年浪人をしましたが、体育学科の試験のために高校の部活に参加させてもらっていました。その時に先生がスターティングブロックを蹴る動作を見て「筋肉のつき方が競輪選手みたいだな」っておっしゃいました。 ――その言葉から興味を持つ女性もなかなかいなさそうですが……。 荒川 そうですよね(笑)。でも、それで気になって調べてみたのがきっかけなんです。今からでスポーツ選手になれるものがある。それが自分にピッタリなんじゃないかな、と。スポーツ選手になれるし、賞金も稼げる。そう気になっちゃって、「これだ!」と思って、大学受験をやめてそっちに進むことを決めました。 ――それまで競輪のことは知っていましたか。 荒川 ほとんど知らなくて、聞いたことあるなくらいでしたね。 ――競輪選手になるためには競輪学校に通われるんですよね。 荒川 静岡にある競輪学校(※現在は「日本競輪選手養成所」)に入るための試験があります。その試験に合格すると入学でき、1年間通って、その後にプロになれます。在学中にプロテスト(※競輪選手資格検定が3月に実施)があり、受かって卒業できればプロの資格を得られます。やっぱり脱落者もいて、入学した全員が卒業できないこともありますね。 ――寮生活も厳しいと聞きます。 荒川 男女共学ですが男女間の私語は厳禁。生活面の規定も厳しく、携帯電話も使用不可で、外出は2週間に1回できるかどうか。その時々のテストのタイム設定も厳しいです。ずっと長かった髪の毛も規則でバッサリ。スポーツ刈りに近いくらいです。もちろん、練習も厳しくて。生きてきた中で一番しんどい1年でした。 ――エンドレスリレーよりも? 荒川 競輪学校時代は「これはエンドレスよりつらくないな」とか考えながらやっていましたね(笑)。 ――競輪選手になってからも大変そうです。 荒川 競輪学校よりは楽です! その時期の経験が支えになっていますね。競輪場は全国各地にあるので、いろんな場所に行けるのも楽しいですし、ご当地のおいしい物を食べるのが楽しみなんです。 ――ケガもつきものですよね。 荒川 私は練習初日に落車して鎖骨を骨折したので、師匠(※競輪は師弟関係文化があり、現役選手に依頼して弟子にしてもらう)に「すぐ辞めると思った」と言われました。でも、私としては「せっかく骨まで折ったのに選手になれないなんて悔しいから絶対に選手になる」って思いました。これまで鎖骨を両方、肋骨も何本か追っています(笑)。ケガをすること以上に、負けたことのほうが悔しいです。最後までレースを走りきれなかったことが。 負けず嫌いなんです。 競輪学校を卒業してプロ選手に(提供/公益財団法人JKA)

陸上と競輪の共通点は…?

――競輪選手には陸上経験者が多いのですが、やはり通ずるものがあるのでしょうか。 荒川 やっぱり下半身を使うスポーツというのが一つです。左右の脚を速く動かすというのは一緒ですよね。今思うと、始めるきっかけのスタートも陸上と競輪で似ています。競輪は発走機を使ってスタートします。その下半身を使う意識などは同じです。臀部をしっかり使います。“陸上上がり”の選手は、ウォーミングアップをしているの見るとすぐにわかりますね。「あ、脚をしっかり上げてアップしているから陸上経験者かな」って、股関節を大事にしている感じ。話しかけに行きたくなっちゃいます(笑)。 ――トレーニングにも陸上の経験が生かせているんですね。 荒川 今もアップで、高校時代にしていた動きを取り入れることがあります。実は私の同期に、世界選手権代表の佐藤友香さん(2005年ヘルシンキ世界選手権女子4×100mリレー代表)がいらっしゃいます。短距離をしていたとか、三段跳もやっていたと聞いて、めちゃくちゃリスペクトしているんです。身体の使い方も詳しいのでアドバイスをもらったり、陸上のトレーニングを教えてもらったりしています。 ――現在は競輪選手として活躍されていますが、荒川選手が感じる魅力は? 荒川 当たり前なんですけど、自転車ってすごく速い。初めて見た時にそう感じました。陸上で走っていましたが、自分の身体一つでのスピードはやっぱり限界がある。でも、自転車に乗るとすごく進むし、楽しかったです。陸上をやっている人間として、「速い」っていうだけで魅力ですよね。それが一番です。 ――まだ競輪を見たことがない方も多いと思います。“見る側”へのオススメのポイントは。 荒川 自転車の風を切る音が「ブォ!」って聞こえるんです。その音をぜひ聞いてもらいたいです。意外と身近に競輪場があって、入場料がかからない場所も多いです。気軽に観戦できるスポーツの一つです。男女でルールが違うのですが、男子は「格闘技」と呼ばれるほど激しいレース展開でそれも見どころですね。女子はオリンピックと同じ「ケイリン」のルールで行われて、接触が少なくもう少しスポーツ性が強い。速い人が強い、シンプルで陸上に近いんです。その中でも戦略、作戦で強い人に勝てるように頑張っています。ぜひ観に来てください!(※来場の際には入場制限の有無について事前にHP等で要確認) ――競輪選手としての目標は? 荒川 地元の茨城のレースで優勝することです。今も高校の先生は結果を気にしてくださって連絡をくれますし、陸上部の仲間も応援に来てくれたことがあります。その時は負けちゃって車券が外れちゃったので次は頑張ります! ――今でも陸上の試合を見たり、気になったりしますか。 荒川 見るのも好きです。世界選手権などは競輪の仲間と一緒に見て応援することもありますよ。みんな基本的にスポーツが好きなので。陸上はルールがわかりやすいですし、みんなで楽しめますよね。 ――陸上部で頑張っている選手に向けてメッセージをお願いします! 荒川 走っている時は頭をからっぽにできるのがすごく好きでした。普段、あまり日常生活で「何も考えない」ってあまりないですし、走ることだけに集中できるあの時間が好きでした。そういう経験、身体を使わなくなるのはもったいないなって思いながら陸上をしていたのですが、そこで出合ったのが競輪でした。今はスポーツを仕事にできて、陸上で培ったトレーニングを生かせています。そういういろんなスポーツの土台になるのも陸上の良いところ。陸上をやっていて良かったなって本当に思います。もし、スポーツ選手になりたいという人がいるなら、今からでもプロスポーツ選手になれる競技があるということを知ってほしいです。ぜひ競輪も興味があれば! ぜひ、いろんな選択肢を持ってみてください。 陸上での経験を生かして競輪選手として活躍中!(提供/公益財団法人JKA)
あらかわ・ひかり/1994年12月24日生まれ、26歳。茨城県出身。小学生の頃から陸上の大会に出場し、高校で本格的に陸上部に。短距離とやり投に取り組み、高校3年時には4×400mリレー(1走)で北関東大会に出場した。浪人中に競輪のことを知り、一念発起してチャレンジし、競輪学校に入校。2014年に競輪学校第110回技能試験に合格。16年7月にデビューし、18年には初優勝。19年には特別競輪「アルテミス賞レース」に出場して3位に入っている。Twitter(@arkw_hkr)Instagram(@arkw_hkr)
構成/向永拓史 [gallery link="file" ids="34243,34242,34245,34244,34239,34240,34241,34249,34248,34247,34246"]

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