2020.12.26
山梨学大の上田誠仁監督の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!
第4回「『鬼滅の刃』と心象風景の共有〜そして箱根駅伝〜」
京都清水寺の森清範貫主が、今年の漢字一文字を縦1.5m、横1.3mもある京都府の伝統工芸「黒谷和紙(2018年までは越前和紙)」に一気に揮毫(きごう)する。その姿を、固唾を飲んで見守るのが年の瀬の風物詩となっている。その日が近づくにつれ、今年はこの文字だろうと話題に出たり、自分で予測してみたりもする。
今年の漢字は、やはりと言える「密」。過去20年を振り返ってみても、その年々の世相を反映しているとは言え、自然災害や世間の耳目を集めた人災を含む事件を想起させるものが多いのが残念である。
そんな中で、東日本大震災に見舞われた2011年の「絆」の一文字が一際目を引く。未曾有の被害をもたらした震災は未だ復興途中ではあるにせよ、確かにあの時は心の繋がりや支援の輪を「絆」という一文字に投影できていた記憶がある。
箱根駅伝は2012年より選手のランニングパンツと大会役員関係者の胸に「がんばろう日本」のステッカーを貼り付けている。競技するランナーや運営する競技役員とともに、その思いを風化させずに共有し、発信するように努めたいがためである。如何に人とのコミュニケーションが重要で、それぞれの思いを理解することが大切かを求めた年でもあったからだ。
2012年以降、選手はランニングパンツに「がんばろう日本」のステッカーを貼って箱根路を駆け抜けている
それ以外にも日本列島は、台風などの自然災害も含めて、毎年のように被害に見舞われる方がいる。復興支援の輪は自助・互助・共助・公助すべてを含めて同時に進めてゆかなければ、その効果は半減すると言われている。そのために必要な第一歩がコミュニケーション能力である。企業の人事もコミュニケーション能力が高い人材を求めていることや、そのスキルアップのために研修を施すほどである。
しかしながら、今年の漢字は「密」である。日本では「3密」という言葉が提唱され、人との関わりや接触が著しく制限された。海外では3C(closed spaces, crowded places, close-contact settings)とも言われている。親密・緊密・綿密というコミュニケーションがもたらす効果とは裏腹の行動生活様式を守らなくてはならなくなった。スポーツ指導の現場での、「目を合わせて話す・胸を開いて語り合う・腹を割って思いを述べる」などのイメージとは対極のコーチングスタイルをとらざるを得ないのが現状だ。
ドラマの台本であれば、コーチが選手の両肩に手をやり、視線を合わせて心の底から絞り出すように台詞を述べる……と書き込むシーンも、現在ではNGである。SNSに慣れ、zoomなどの会議、講義が日常化すればするほど、便利なツールとして重宝はしている。しかしながら、親密なコミュニケーションに対しての渇望感は増すばかりである。
そんな時代背景の中にあって、爆発的なメガヒットとなっているアニメが「鬼滅の刃」である。少年マンガ雑誌の連載から静かに人気の種火を起こしていたが、TVで放送されるとブームに火が付き、映画化されるや否や興行収入では「千と千尋の神隠し」を越す勢いである。(12月26日現在)
私の子ども時代は「巨人の星」や「アタックNo.1」を見て育った。「あしたのジョー」にハマりすぎて、大学4年の時はブルーフォーカスのかかったコーナーリングに両腕を垂らして静かに座る、矢吹ジョーの「真っ白な灰になっちまったぜ」の台詞を言ったシーンのポスターを、わざわざ渋谷まで買いに行き、部屋の壁に貼っていた程である。
ということで、「鬼滅の刃」を読ませていただき、映画も観させていただいた。このアニメは、SNSでは伝わらない・理解しあえないコミュニケーションの真髄である相互の心象風景の共有をテーマに据えているのではないかと感じた。
人は誰しも自分のことを理解してほしいと願いつつも、あまり深く関わるのは鬱陶しいという相克の感情を持っていると思う。同時に相手のことをもっと知りたくてうずうずしつつも、あまり土足で踏み込むような真似もできず、ついつい距離をとってしまう。このような体験をしたことは幾度かあるはずだ。このトラウマに似た感情を、このアニメは見事に打ち砕いてくれる。
「巨人の星」では、星飛雄馬と伴宙太バッテリーの信頼や、花形満や左門豊作らライバルとの対決においても細かな心象風景が描かれていた。
「あしたのジョー」では矢吹ジョーと力石徹という好敵手とのライバル関係以上に、ボクサーとしての心の交流にしびれ、ホセ・メンドーサとの死闘の末に語った一言に涙した。
その世界観が「鬼滅の刃」では異質な形ではあるが舞い戻った気がした。3密で乾き切ったドライな世ならばこその潤いがある。劇場版アニメで煉獄杏寿郎と猗窩座(あかざ)の戦いや、竈門炭治郎と魘夢(えんむ)との戦いにおいての彼らの心象風景、鬼である猗窩座でさえコミックでは鬼となった理由と過去の軌跡が克明に描かれている。感情移入をさせる仕掛けが随所にある。大人が子供に対して、または自分もそうありたいと願う身近さも人気の一点であると思った。
友を裏切らない、努力をして強くなり立ち向かう、諦めずにどんな困難があろうとも一歩を踏み出す勇気をもて、など父親目線で代弁してくれている。家族への深い思いや、自己を捨ててまでも人々のためにという、母親が伝えたい生き方のメッセージも散りばめられている。そうすることによって自然と、登場人物や鬼の立場であっても、それぞれの心象風景を共有できるところが人気の秘密なのかもしれない。
などと書き連ねているうちに原稿の締め切りと箱根駅伝が近づいて来た。スポーツの中でもとりわけ箱根駅伝は、心象風景を共有できるスポーツイベントである。前区間の走者の思いをタスキリレーし、次区間の選手を想いタスキを運ぶ。チームのために歯を食いしばり、エントリーされなかったチームメイトの無念も含めたタスキを肩にかけて走る。ケガやスランプ、それらを乗り越えて来た過程やチームメイトと過ごした時間軸が、選手の走りと共ににじみ出てくる。TVの画面を通しても十分心象風景を共有出来る。それが箱根駅伝だ。
選手の後方を追走する運営管理車には、この1年コロナ禍に翻弄され3密を回避しつつも、濃密な時間を選手と共に築き上げて来た監督が乗車している。選手の心象風景だけではなく指導者である監督の心象風景にも周波数を合わせてTV観戦をして頂きたい。
97回大会のプログラムでは「応援したいから、応援にいかない。」というキャッチフレーズを掲載している
私は駅伝対策委員長として、コロナ感染対策を練ったうえで開催される今大会を俯瞰し、今後の礎を築くために読売新聞本社に設置される大会本部に2日間常駐する。テレビ画面を通して、新たな心象風景と出合うことに期待が高まる。
上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。 |
第4回「『鬼滅の刃』と心象風景の共有〜そして箱根駅伝〜」
京都清水寺の森清範貫主が、今年の漢字一文字を縦1.5m、横1.3mもある京都府の伝統工芸「黒谷和紙(2018年までは越前和紙)」に一気に揮毫(きごう)する。その姿を、固唾を飲んで見守るのが年の瀬の風物詩となっている。その日が近づくにつれ、今年はこの文字だろうと話題に出たり、自分で予測してみたりもする。 今年の漢字は、やはりと言える「密」。過去20年を振り返ってみても、その年々の世相を反映しているとは言え、自然災害や世間の耳目を集めた人災を含む事件を想起させるものが多いのが残念である。 そんな中で、東日本大震災に見舞われた2011年の「絆」の一文字が一際目を引く。未曾有の被害をもたらした震災は未だ復興途中ではあるにせよ、確かにあの時は心の繋がりや支援の輪を「絆」という一文字に投影できていた記憶がある。 箱根駅伝は2012年より選手のランニングパンツと大会役員関係者の胸に「がんばろう日本」のステッカーを貼り付けている。競技するランナーや運営する競技役員とともに、その思いを風化させずに共有し、発信するように努めたいがためである。如何に人とのコミュニケーションが重要で、それぞれの思いを理解することが大切かを求めた年でもあったからだ。 2012年以降、選手はランニングパンツに「がんばろう日本」のステッカーを貼って箱根路を駆け抜けている それ以外にも日本列島は、台風などの自然災害も含めて、毎年のように被害に見舞われる方がいる。復興支援の輪は自助・互助・共助・公助すべてを含めて同時に進めてゆかなければ、その効果は半減すると言われている。そのために必要な第一歩がコミュニケーション能力である。企業の人事もコミュニケーション能力が高い人材を求めていることや、そのスキルアップのために研修を施すほどである。 しかしながら、今年の漢字は「密」である。日本では「3密」という言葉が提唱され、人との関わりや接触が著しく制限された。海外では3C(closed spaces, crowded places, close-contact settings)とも言われている。親密・緊密・綿密というコミュニケーションがもたらす効果とは裏腹の行動生活様式を守らなくてはならなくなった。スポーツ指導の現場での、「目を合わせて話す・胸を開いて語り合う・腹を割って思いを述べる」などのイメージとは対極のコーチングスタイルをとらざるを得ないのが現状だ。 ドラマの台本であれば、コーチが選手の両肩に手をやり、視線を合わせて心の底から絞り出すように台詞を述べる……と書き込むシーンも、現在ではNGである。SNSに慣れ、zoomなどの会議、講義が日常化すればするほど、便利なツールとして重宝はしている。しかしながら、親密なコミュニケーションに対しての渇望感は増すばかりである。 そんな時代背景の中にあって、爆発的なメガヒットとなっているアニメが「鬼滅の刃」である。少年マンガ雑誌の連載から静かに人気の種火を起こしていたが、TVで放送されるとブームに火が付き、映画化されるや否や興行収入では「千と千尋の神隠し」を越す勢いである。(12月26日現在) 私の子ども時代は「巨人の星」や「アタックNo.1」を見て育った。「あしたのジョー」にハマりすぎて、大学4年の時はブルーフォーカスのかかったコーナーリングに両腕を垂らして静かに座る、矢吹ジョーの「真っ白な灰になっちまったぜ」の台詞を言ったシーンのポスターを、わざわざ渋谷まで買いに行き、部屋の壁に貼っていた程である。 ということで、「鬼滅の刃」を読ませていただき、映画も観させていただいた。このアニメは、SNSでは伝わらない・理解しあえないコミュニケーションの真髄である相互の心象風景の共有をテーマに据えているのではないかと感じた。 人は誰しも自分のことを理解してほしいと願いつつも、あまり深く関わるのは鬱陶しいという相克の感情を持っていると思う。同時に相手のことをもっと知りたくてうずうずしつつも、あまり土足で踏み込むような真似もできず、ついつい距離をとってしまう。このような体験をしたことは幾度かあるはずだ。このトラウマに似た感情を、このアニメは見事に打ち砕いてくれる。 「巨人の星」では、星飛雄馬と伴宙太バッテリーの信頼や、花形満や左門豊作らライバルとの対決においても細かな心象風景が描かれていた。 「あしたのジョー」では矢吹ジョーと力石徹という好敵手とのライバル関係以上に、ボクサーとしての心の交流にしびれ、ホセ・メンドーサとの死闘の末に語った一言に涙した。 その世界観が「鬼滅の刃」では異質な形ではあるが舞い戻った気がした。3密で乾き切ったドライな世ならばこその潤いがある。劇場版アニメで煉獄杏寿郎と猗窩座(あかざ)の戦いや、竈門炭治郎と魘夢(えんむ)との戦いにおいての彼らの心象風景、鬼である猗窩座でさえコミックでは鬼となった理由と過去の軌跡が克明に描かれている。感情移入をさせる仕掛けが随所にある。大人が子供に対して、または自分もそうありたいと願う身近さも人気の一点であると思った。 友を裏切らない、努力をして強くなり立ち向かう、諦めずにどんな困難があろうとも一歩を踏み出す勇気をもて、など父親目線で代弁してくれている。家族への深い思いや、自己を捨ててまでも人々のためにという、母親が伝えたい生き方のメッセージも散りばめられている。そうすることによって自然と、登場人物や鬼の立場であっても、それぞれの心象風景を共有できるところが人気の秘密なのかもしれない。 などと書き連ねているうちに原稿の締め切りと箱根駅伝が近づいて来た。スポーツの中でもとりわけ箱根駅伝は、心象風景を共有できるスポーツイベントである。前区間の走者の思いをタスキリレーし、次区間の選手を想いタスキを運ぶ。チームのために歯を食いしばり、エントリーされなかったチームメイトの無念も含めたタスキを肩にかけて走る。ケガやスランプ、それらを乗り越えて来た過程やチームメイトと過ごした時間軸が、選手の走りと共ににじみ出てくる。TVの画面を通しても十分心象風景を共有出来る。それが箱根駅伝だ。 選手の後方を追走する運営管理車には、この1年コロナ禍に翻弄され3密を回避しつつも、濃密な時間を選手と共に築き上げて来た監督が乗車している。選手の心象風景だけではなく指導者である監督の心象風景にも周波数を合わせてTV観戦をして頂きたい。 97回大会のプログラムでは「応援したいから、応援にいかない。」というキャッチフレーズを掲載している 私は駅伝対策委員長として、コロナ感染対策を練ったうえで開催される今大会を俯瞰し、今後の礎を築くために読売新聞本社に設置される大会本部に2日間常駐する。テレビ画面を通して、新たな心象風景と出合うことに期待が高まる。上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。 |
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