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2025.03.31

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【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天/第55回「努力でコンパスを大きくする~マラソン強化のDNAを引き継ぐ~」


山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!

第55回「努力でコンパスを大きくする~マラソン強化のDNAを引き継ぐ~」

彼はゴール後のインタビューで息を弾ませながら「余力を残してゴールしたくありませんでした」と語った。

第70回箱根駅伝、9区中継点へ向かう最後の直線で、渾身のスパートを披露した直後の言葉だ。

第69回大会は同じ9区を担当し、区間賞を獲得するもチームは2位。最終学年で再び9区を走り、早大の櫛部静二選手(現・城西大監督)の猛追をかわす後半の走りであった。

彼とは……その年、チームキャプテンを務めた黒木純。現在は三菱重工マラソン部総監督、日本陸連男子マラソン強化コーチである。

あの頃の箱根駅伝は、監督・指導者が乗車する各校1台の運営管理者はなかった。ワゴン車に5チームの監督が同乗。まさに呉越同舟形式でレースの行方を見守っていた。

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当然定点での声掛けなどはできず、ペースや通過タイム・前後のタイム差などは伝えようがない。コース沿道に配置されたチームメイトからの情報で前後のタイム差を知るくらいで、ペースやレース展開は自己判断にゆだねられる厳しさもあった。

当時は「常時、声掛けをする中で箱根駅伝を走らせるような指導では将来のマラソン選手は育成できない」との声が上がる時代背景。そこに交通規制が絡み合うといった事情があった。
※1991年第67回~2002年第78回まで合同乗者形式。2003年より現在の各校1台の運営管理車が大会の運営車両として車両隊列に組み込まれた。

4年生として、そしてチームキャプテンとして迎えた最後の箱根駅伝。遠い直線の先にはアンカーの選手が待ち受ける「余力を残して終わりたくない」との思いは中継点手前で脳裏をよぎった言葉ではないと確信している。

第70回箱根駅伝で9区を走る山梨学大・黒木純

駅伝やマラソンは、その時のその感情だけで身体を動かし続けることができるほど甘くはないことを知っているからだ。ただ、彼が入学してからの4年間の軌跡をたどれば、その言葉が心に響き、納得したことを思い起こすことができる。

1990年4月、宮崎県高鍋高校から箱根駅伝への大志を抱き一般入試で入学してきた黒木君は、私と同様に小柄な選手であった。5000mの自己ベストが15分16秒。主だった実績など何もない選手であった。

私は黒木君にこのように問いかけたことを思い出した。

「箱根駅伝でチームの代表として活躍しようとする円の大きさは、君の持つ現在のコンパスで描ける円と比べると到底描き切れない大きさのであると思う。それでも覚悟を決めて、向かうべき円の大きさを獲得する努力をいとわなければ可能性はある。君にはその現状と覚悟はできていますか?」

その時、彼は「自分のコンパスを努力で大きくして見せます」と即答してくれた。

誰もが今の自分というコンパスで最大限の円を描くことができる。しかし、現状に甘んじたり向上心が薄れると、そのコンパスは短くなったり錆びついて開かなくなってしまうものだ。

逆に、自分で描いた円が自分の“限界”だと思わず、自分が引いた“限定”ラインだとの認識で、その円の先に行こうとすれば自分のコンパスは大きく成長するものだ。そのようなスピリッツがスポーツの世界では必要である。

その発言通り、彼は「一升の枡に二升を入れることはできないからあまり無理をしないように」とのアドバイスをしたくなるほどに走りこむ選手であった。

それでも、2年生まではチーム代表のユニフォームを着ることはなかった(2年の好調時に自転車の事故で代表選考を逃している)。

満を持して3年で初出場した箱根駅伝。チームは準優勝と、早大の後塵を浴びるも、個人では9区で区間賞を獲得。翌年の最終学年でのレース後の言葉通り、4年間の積み重ねのすべてを残さず出し切る走りでゴールに飛び込むほどの熱いラストスパートができたのだと思う。

山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!

第55回「努力でコンパスを大きくする~マラソン強化のDNAを引き継ぐ~」

彼はゴール後のインタビューで息を弾ませながら「余力を残してゴールしたくありませんでした」と語った。 第70回箱根駅伝、9区中継点へ向かう最後の直線で、渾身のスパートを披露した直後の言葉だ。 第69回大会は同じ9区を担当し、区間賞を獲得するもチームは2位。最終学年で再び9区を走り、早大の櫛部静二選手(現・城西大監督)の猛追をかわす後半の走りであった。 彼とは……その年、チームキャプテンを務めた黒木純。現在は三菱重工マラソン部総監督、日本陸連男子マラソン強化コーチである。 あの頃の箱根駅伝は、監督・指導者が乗車する各校1台の運営管理者はなかった。ワゴン車に5チームの監督が同乗。まさに呉越同舟形式でレースの行方を見守っていた。 当然定点での声掛けなどはできず、ペースや通過タイム・前後のタイム差などは伝えようがない。コース沿道に配置されたチームメイトからの情報で前後のタイム差を知るくらいで、ペースやレース展開は自己判断にゆだねられる厳しさもあった。 当時は「常時、声掛けをする中で箱根駅伝を走らせるような指導では将来のマラソン選手は育成できない」との声が上がる時代背景。そこに交通規制が絡み合うといった事情があった。 ※1991年第67回~2002年第78回まで合同乗者形式。2003年より現在の各校1台の運営管理車が大会の運営車両として車両隊列に組み込まれた。 4年生として、そしてチームキャプテンとして迎えた最後の箱根駅伝。遠い直線の先にはアンカーの選手が待ち受ける「余力を残して終わりたくない」との思いは中継点手前で脳裏をよぎった言葉ではないと確信している。 [caption id="attachment_131862" align="alignnone" width="800"] 第70回箱根駅伝で9区を走る山梨学大・黒木純[/caption] 駅伝やマラソンは、その時のその感情だけで身体を動かし続けることができるほど甘くはないことを知っているからだ。ただ、彼が入学してからの4年間の軌跡をたどれば、その言葉が心に響き、納得したことを思い起こすことができる。 1990年4月、宮崎県高鍋高校から箱根駅伝への大志を抱き一般入試で入学してきた黒木君は、私と同様に小柄な選手であった。5000mの自己ベストが15分16秒。主だった実績など何もない選手であった。 私は黒木君にこのように問いかけたことを思い出した。 「箱根駅伝でチームの代表として活躍しようとする円の大きさは、君の持つ現在のコンパスで描ける円と比べると到底描き切れない大きさのであると思う。それでも覚悟を決めて、向かうべき円の大きさを獲得する努力をいとわなければ可能性はある。君にはその現状と覚悟はできていますか?」 その時、彼は「自分のコンパスを努力で大きくして見せます」と即答してくれた。 誰もが今の自分というコンパスで最大限の円を描くことができる。しかし、現状に甘んじたり向上心が薄れると、そのコンパスは短くなったり錆びついて開かなくなってしまうものだ。 逆に、自分で描いた円が自分の“限界”だと思わず、自分が引いた“限定”ラインだとの認識で、その円の先に行こうとすれば自分のコンパスは大きく成長するものだ。そのようなスピリッツがスポーツの世界では必要である。 その発言通り、彼は「一升の枡に二升を入れることはできないからあまり無理をしないように」とのアドバイスをしたくなるほどに走りこむ選手であった。 それでも、2年生まではチーム代表のユニフォームを着ることはなかった(2年の好調時に自転車の事故で代表選考を逃している)。 満を持して3年で初出場した箱根駅伝。チームは準優勝と、早大の後塵を浴びるも、個人では9区で区間賞を獲得。翌年の最終学年でのレース後の言葉通り、4年間の積み重ねのすべてを残さず出し切る走りでゴールに飛び込むほどの熱いラストスパートができたのだと思う。

日本でただ一つマラソン部と名乗るチーム

その思いを心に宿して、当時マラソン日本記録保持者であり、旭化成のマラソン強化を知る児玉泰介さん(現・愛知製鋼アドバイザー)を慕って、三菱重工長崎に入社。日本でただ一つ駅伝部ではなくマラソン部と名乗るチームである。 そのマラソン強化の風土は児玉監督の時代から築かれてきたのだろう。まさしく、そのDNAを引き継いだのが、現在の黒木総監督である。チーム発足当初は、九州一周駅伝の強化のために同好会のようなかたちから始まったという。 児玉前監督招聘から大きく流れを変え、今や、マラソンでどうやって世界を目指すのかを公言するチームへと変貌を遂げている。 [caption id="attachment_131862" align="alignnone" width="800"] 現在は三菱重工の総監督として、近藤亮太(中央)らを指導する黒木氏(右)。左は松村康平監督[/caption] 今年の大阪マラソンで近藤亮太選手が2時間05分39秒の初マラソン日本最高記録・東京世界選手権標準記録突破で2位。定方俊樹選手が2時間7分34秒で12位、東京マラソンでは井上大仁が2時間6分14秒と4年ぶりの自己記録更新で日本人2位と復活を印象づけた。 黒木総監督は「マラソンで世界を目指す選手の育成に情熱を傾けています。そう決めてやっている。駅伝はその中で戦っています。そのような思いがなければ決して結実しません。実業団だから自己責任でやらなければならないのは承知していますが、マラソンで結果を出すためにはそのノウハウについても自信を持って指導者主導でやるくらいの覚悟も必要だと思います」と熱く語る。 「そのための研鑽は今までも、そしてこれからも必要です。過去の結果にとらわれず、常にこれからの世界のマラソンを見据えてスタッフ選手とともに挑戦していきたいです」。監督は児玉泰介氏から黒木純そして山梨学大OBでもある松村康平(2014年アジア大会マラソン銀メダル)へと引き継がれている。 高校・大学とインターハイ・インカレで活躍し、トラック種目の日本選手権で覇を競い合うスピードと才能あふれる選手が、マラソンで世界を相手に戦う姿を思い浮かべることは楽しみである。そして、近藤選手のように箱根駅伝では目立たなかった選手が、鍛錬という冬の時期を乗り越え開花する姿を見るのは勇気と希望を与えてもらえる。 さらには、井上選手のように低迷期を耐え、新たな精神性を獲得して42.195kmを完全燃焼することを学んだ選手にエールを贈りたくなるものだ。いずれも指導者の情熱をしっかりと受け止めて、トレーニングからレースへと昇華する術を獲得した選手たちだからであろうか。 また、このチームには、第90回箱根駅伝2区で疲労骨折により途中棄権したエノック・オムワンバが現在コーチをしている。黒木総監督は「経済的に家族を支援することだけでなく、コーチングやマラソンのノウハウをケニアに持ち帰り、ジュニアの育成などに将来は取り組んでほしい。その中からまた日本で世界に挑戦するような選手の育成につなげられれるように、コーチとしての研鑽を積んでもらいたい」とも語ってくれた。 マラソンにかける熱い語り口とまだまだ先へと進もうとする情熱は、元フランスサッカー代表監督のロジェ・ルメール言葉「学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない」との思いも同時に感じさせてくれた。 加速する日本マラソン界をさらに熱くする今後の活躍を期待したい。
上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。

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