2023.06.30
山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!
第34回「メンタルタイムトラベル~全国の高校生たちへ贈りたい言葉~」
『日に褪せず 雨に色増す 紫陽花の 鮮やかたるや 言葉尽くせず』(詠人知らず)
誰かが読んだ短歌が、そのまま心にスッと溶け込むような情景が、町のあちらこちらに見受けられる梅雨の6月。今夏、北海道で開催される全国高校総体の地区予選も終了した。
全国大会への出場権を獲得した選手は、陽射しを浴びて咲き誇る紫陽花から、酷暑に耐えてトレーニングをする意欲を与えてもらえているだろうか?
惜しくも代表権を逃した選手は、雨に打たれつつも色褪せることなく静かに咲く紫陽花に、癒され勇気を与えてもらっているだろうか? そんな思いをかき立てられるこの時期である。
心理学の緒研究では、人が過去の出来事を思いだす場合、青年期である10歳〜20歳頃が特に多いことがわかっている。それは「レミニセンス・バンプ」(回想のコブ)と呼ばれている。それゆえに、10代後半の高校生にとってインターハイ出場をかけた熱き戦いは、チームメイトと共に共有できる良き青春の思い出でもあると確信している。
しかも、人には「エピソード記憶」と呼ばれる特別な記憶回路があるとされており、人間のアイデンティティの基盤となるものだとも言われている。
何故かと言うと、このエピソード記憶というものは「メンタルタイムトラベル」(心の時間旅行)とも言われ、過去を想起するだけでなく、未来への想像やプランニングに深く関わることが明らかになってきているからだ。
言い換えれば、過去のエピソードを詳細に思い出せる人は、その実体験をもとに、未来を詳細に思い描き、プランニングを立てることができるそうだ。
私たち人類の脳内では、過去のあらゆる出来事を頭の中でメンタルタイムトラベルをして再体験する時と、未来を予見し想像する時にも、同じような脳内領域のメカニズムが使われるらしい。
ならば、各都道府県や地区高校総体で悲喜交々の結果に、泣き笑いの記憶がしっかりと思い出の記憶として刻まれていることだろう。そして将来のある日に、2023年6月のメンタルタイムトラベルをして思い起こす時が来るだろう。その思い出(エピソード記憶)にはあなたが未来に向かって歩んでいくための、新たなるプランニング作りに役立ってくれるだろうと紫陽花に願いを込めた。
私とて記憶はさまざまな出来事と紐付いているようだ。視覚的・聴覚的・嗅覚的・味覚的などの情報で閉じ込められた「きっかけ」に触れたとき、脳裏にその時の情景が蘇る。これは自伝的記憶ともいわれ、コラムを執筆する際に常々スイッチが入る。
現在NHKで放映されている連続テレビ小説「らんまん」は、土佐(高知県)出身で日本の植物学者・牧野富太郎(作中では牧野万太郎)を題材として描かれている。香川県(讃岐)生まれの私にとって高知は四国総体などの舞台でもあり、お隣の県でもあるので親近感が湧く。
讃岐弁は当然として愛媛の伊予弁・徳島の阿波弁・高知の土佐弁と、どれも地方独特の風土まで表しているようで興味は尽きない。テレビから流れてくる土佐弁に耳を傾けていると、メンタルタイムトラベルをしてしまった。
1976年の四国高校総体は高知開催であった。当時の陸上競技場は高知城に程近い競輪場のバンクの内側に400mのアンツーカー(赤土)公認トラックが作られていた。大きくうねるようなコンクリートのバンクが押し寄せる高波のような圧迫感の記憶が蘇る。
(当時の愛媛県・松山の陸上競技場も同じ作り)
前年の四国大会は徳島で開催され、800m・1500m・5000mの3種目優勝。その年のインターハイは東京・国立競技場で開催され、1500mで5位入賞を果たしていた。
それだけに再度の3種目優勝を目指すも、800mで同じ香川・三豊工の矢野朝生君に敗れ、3冠を逃した。目を瞑れば、南国・土佐の暑さとアンツーカーの土の匂いまで、レース展開も含めてありありと思い起こされる。レースが終了し、後輩と宿泊している旅館までダウンジョグを兼ねて走って帰った。その日の出来事まで思い出してしまった。
かなり喉の渇きもあったので、裏の厨房の勝手口へ行き、大きな声で「すみませーん。お冷やを2杯いただけませんか!」とお願いした。
すぐさま、「あいよー!」と威勢の良い返答があり、間もなくして朱塗りのお盆に2つのグラスを乗せておかみさんが笑顔で差し出してくれた。
「ありがとうございます」と一礼してグイッと口に含むと……むせて吹き出してしまった。
「うわっ、これお酒じゃないですか!」と驚いてつぶやくと、おかみさんが歯切れ良い土佐弁でこうまくしたてる。
「あんたらーが、お冷やをください言うたがやきーお冷やを出したがよ! 土佐でお冷や言うたなら『冷や酒』のことを言うがぜよ! 冷たい水が欲しいやったら、そうおっしゃいやな! 坊主頭の高校生やろうが、お冷やをくれん言われたらそうしただけぜよ!」
「すみませんでした。冷たいお水をいただけないでしょうか!」と言い直し、まもなくすると、大きなビールジョッキのような入れ物に、かちわり氷を入れたお水を持ってきてくれた。
「ぼんたち安心しいや。これは水じゃきーの!」
こうした会話まで蘇ってきた。今から46年前の懐かしい記憶である。
懐かしさを伴うエピソード記憶には、必ずといっていいほど人とのつながりが存在するという。それは個人を超えた人とのつながりやその時の環境や社会的側面をも含むと捉えてみると、部活で声を掛け合い、励まし合った仲間との思い出とも言える。
懐かしさは心理学ではしばし「Bittersweet」と表現される。勝っても負けても懐かしさは、ポジティブとネガティブが複雑に入り混じった感情の記憶であり、人間ならではの感情特性だといえる。
インターハイ路線の学校代表を逃した選手も、地区大会への出場権やインターハイへの出場権を逃した選手も、君達の全力で鍛え挑んだBittersweetなエピソード記憶は、かけがえのないあなたを支える未来志向の記憶であると伝えたい。
上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。 |
第34回「メンタルタイムトラベル~全国の高校生たちへ贈りたい言葉~」
『日に褪せず 雨に色増す 紫陽花の 鮮やかたるや 言葉尽くせず』(詠人知らず) 誰かが読んだ短歌が、そのまま心にスッと溶け込むような情景が、町のあちらこちらに見受けられる梅雨の6月。今夏、北海道で開催される全国高校総体の地区予選も終了した。 全国大会への出場権を獲得した選手は、陽射しを浴びて咲き誇る紫陽花から、酷暑に耐えてトレーニングをする意欲を与えてもらえているだろうか? 惜しくも代表権を逃した選手は、雨に打たれつつも色褪せることなく静かに咲く紫陽花に、癒され勇気を与えてもらっているだろうか? そんな思いをかき立てられるこの時期である。 心理学の緒研究では、人が過去の出来事を思いだす場合、青年期である10歳〜20歳頃が特に多いことがわかっている。それは「レミニセンス・バンプ」(回想のコブ)と呼ばれている。それゆえに、10代後半の高校生にとってインターハイ出場をかけた熱き戦いは、チームメイトと共に共有できる良き青春の思い出でもあると確信している。 しかも、人には「エピソード記憶」と呼ばれる特別な記憶回路があるとされており、人間のアイデンティティの基盤となるものだとも言われている。 何故かと言うと、このエピソード記憶というものは「メンタルタイムトラベル」(心の時間旅行)とも言われ、過去を想起するだけでなく、未来への想像やプランニングに深く関わることが明らかになってきているからだ。 言い換えれば、過去のエピソードを詳細に思い出せる人は、その実体験をもとに、未来を詳細に思い描き、プランニングを立てることができるそうだ。 私たち人類の脳内では、過去のあらゆる出来事を頭の中でメンタルタイムトラベルをして再体験する時と、未来を予見し想像する時にも、同じような脳内領域のメカニズムが使われるらしい。 ならば、各都道府県や地区高校総体で悲喜交々の結果に、泣き笑いの記憶がしっかりと思い出の記憶として刻まれていることだろう。そして将来のある日に、2023年6月のメンタルタイムトラベルをして思い起こす時が来るだろう。その思い出(エピソード記憶)にはあなたが未来に向かって歩んでいくための、新たなるプランニング作りに役立ってくれるだろうと紫陽花に願いを込めた。 [caption id="attachment_106940" align="alignnone" width="1800"] 今年も6月にインターハイの地区大会が開催された(写真は四国大会男子5000m)[/caption] 私とて記憶はさまざまな出来事と紐付いているようだ。視覚的・聴覚的・嗅覚的・味覚的などの情報で閉じ込められた「きっかけ」に触れたとき、脳裏にその時の情景が蘇る。これは自伝的記憶ともいわれ、コラムを執筆する際に常々スイッチが入る。 現在NHKで放映されている連続テレビ小説「らんまん」は、土佐(高知県)出身で日本の植物学者・牧野富太郎(作中では牧野万太郎)を題材として描かれている。香川県(讃岐)生まれの私にとって高知は四国総体などの舞台でもあり、お隣の県でもあるので親近感が湧く。 讃岐弁は当然として愛媛の伊予弁・徳島の阿波弁・高知の土佐弁と、どれも地方独特の風土まで表しているようで興味は尽きない。テレビから流れてくる土佐弁に耳を傾けていると、メンタルタイムトラベルをしてしまった。 1976年の四国高校総体は高知開催であった。当時の陸上競技場は高知城に程近い競輪場のバンクの内側に400mのアンツーカー(赤土)公認トラックが作られていた。大きくうねるようなコンクリートのバンクが押し寄せる高波のような圧迫感の記憶が蘇る。 (当時の愛媛県・松山の陸上競技場も同じ作り) 前年の四国大会は徳島で開催され、800m・1500m・5000mの3種目優勝。その年のインターハイは東京・国立競技場で開催され、1500mで5位入賞を果たしていた。 それだけに再度の3種目優勝を目指すも、800mで同じ香川・三豊工の矢野朝生君に敗れ、3冠を逃した。目を瞑れば、南国・土佐の暑さとアンツーカーの土の匂いまで、レース展開も含めてありありと思い起こされる。レースが終了し、後輩と宿泊している旅館までダウンジョグを兼ねて走って帰った。その日の出来事まで思い出してしまった。 かなり喉の渇きもあったので、裏の厨房の勝手口へ行き、大きな声で「すみませーん。お冷やを2杯いただけませんか!」とお願いした。 すぐさま、「あいよー!」と威勢の良い返答があり、間もなくして朱塗りのお盆に2つのグラスを乗せておかみさんが笑顔で差し出してくれた。 「ありがとうございます」と一礼してグイッと口に含むと……むせて吹き出してしまった。 「うわっ、これお酒じゃないですか!」と驚いてつぶやくと、おかみさんが歯切れ良い土佐弁でこうまくしたてる。 「あんたらーが、お冷やをください言うたがやきーお冷やを出したがよ! 土佐でお冷や言うたなら『冷や酒』のことを言うがぜよ! 冷たい水が欲しいやったら、そうおっしゃいやな! 坊主頭の高校生やろうが、お冷やをくれん言われたらそうしただけぜよ!」 「すみませんでした。冷たいお水をいただけないでしょうか!」と言い直し、まもなくすると、大きなビールジョッキのような入れ物に、かちわり氷を入れたお水を持ってきてくれた。 「ぼんたち安心しいや。これは水じゃきーの!」 こうした会話まで蘇ってきた。今から46年前の懐かしい記憶である。 懐かしさを伴うエピソード記憶には、必ずといっていいほど人とのつながりが存在するという。それは個人を超えた人とのつながりやその時の環境や社会的側面をも含むと捉えてみると、部活で声を掛け合い、励まし合った仲間との思い出とも言える。 懐かしさは心理学ではしばし「Bittersweet」と表現される。勝っても負けても懐かしさは、ポジティブとネガティブが複雑に入り混じった感情の記憶であり、人間ならではの感情特性だといえる。 インターハイ路線の学校代表を逃した選手も、地区大会への出場権やインターハイへの出場権を逃した選手も、君達の全力で鍛え挑んだBittersweetなエピソード記憶は、かけがえのないあなたを支える未来志向の記憶であると伝えたい。上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。 |
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