2020.08.14
【インターハイを語ろう。SPECIAL CLOSE-UP】
石塚祐輔×金丸祐三
2005年千葉インターハイ男子200m
歴史に残る激闘
王者対決が生んだ至高のレース
インターハイ史に語り継がれる名勝負の1つに、2005年千葉インターハイ男子200mがある。100mを制してスプリント2冠を狙う石塚祐輔(土浦三3茨城)と、高校記録を保持する400mで2位に1秒55差という歴史的圧勝を遂げ、4×100mリレーVをステップに3冠目を目指した金丸祐三(大阪3)が激突。直線に入って終始肩を並べ続ける大接戦の末、向かい風0.1mの中、史上初となる高校生が2人同時に20秒台をマークし、当時の大会記録を塗り替えた。その激闘から15年経った今、当事者2人がリモート対談を通じて語り合った。
◎構成/奥村 崇
「金丸の内側のレーンに入って勝つ夢を見た」(石塚)
――千葉インターハイの200mで激戦を繰り広げた2人ですが、そのレースに向けて当時を振り返っていただけますか。
金丸 この年、日本選手権(400m)で優勝してヘルシンキ世界選手権の代表(4×400mリレー)に選ばれましたが、僕はインターハイを特別視していて、一生に1度しかない高3のインターハイで最大の結果を残したいと思っていました。それは4冠です。だから 400mと4継(4×100mリレー)を勝ったからといって200mは気が緩んだというのはまったくなく、マイル(4×400mリレー)も含め全部勝つつもりでした。プレッシャーはありましたが、勝つことへのテンションのほうが大きかったですね。
石塚 僕は挑戦する立場という意識だったので、リラックスして臨めたと思います。金丸がいましたがその対決自体が楽しみだったですし。それよりもまずは100mを優勝する、という気持ちのほうが大きかったですね。
金丸 100mと200mの競技順が逆だったら、変わっていたかもしれないね。
石塚 100mを優勝して終えて、プレッシャーがなくなっていたからね。
――当時の金丸選手はスーパー高校生として絶大な注目を集める存在でした。それでも、400mで2位に史上最大差の1秒55をつける46秒18(大会新)で勝った後、「インターハイでのライバルは石塚です」と即答されていたのが印象に残っています。
金丸 石塚はその年、県大会も、関東大会も向かい風で、好条件で走っていなかった。競ったらわからないぞ、と。圧勝するイメージはまったくなかったですね。
石塚 勝ちたいという思いもありましたが、どちらかといえば挑む立場だと思っていたので、心のどこかで「負けて当然」という思いもあって気は楽でした。
――200mは大会4日目で、疲労もあったと思いますが、コンディションはいかがでしたか。
金丸 疲れているはずですけど、疲れていたかどうかの記憶がないですね。それ以上に集中力が高かったというか。2年生の時は疲労感があったのは覚えているのに、3年の時は覚えていませんね。
石塚 (リレーもある)金丸より本数はもちろん少ないんですけど、それまでの疲労とかいう以前に集中していましたし、決勝のレースは本当に入り込めたという感じはあります。あと、実は今まで表立って言ったことがなかったのですが、インターハイの1週間前くらいに夢を見たんですよ。金丸の内側のレーンに入って、200mで勝つ夢を。夢は自分しか見られないものなので、他人に話しても「何言ってんだ」と思われるじゃないですか。だから親父にしか言っていません。で、決勝で内側(のレーン)に入ったんですよ。
――石塚さんが4レーン、金丸さんが5レーンでした。
石塚 現実になってすごいぞと思いました。
金丸 僕は嫌だったけどね(苦笑)。
石塚 金丸は僕が内側に入るのは絶対に嫌なんだろうなと思っていました。
金丸 とにかく石塚が内側にいるのが嫌でしたね。石塚とのマッチレースになるのは僕の頭の中にもあり、ケガでもしない限り、石塚以外の選手に負けるとは思っていなかったので。当時の石塚は競り合う選手の姿を見ながら走ったほうが力の出るタイプだと思っていたので、なおさら嫌でしたね。
石塚 僕は内側に入りましたけど、金丸を逆に見ないようにしました。(スタート前のルーティンである)「金丸ダンス」からもう見ていなかったです。あれを見ると絶対笑っちゃうなと思って(笑)。
金丸 石塚が内側を走ることに備えてイメージは事前にしていたんですけど、結果的に言って力んじゃいましたね。
石塚 顧問の先生からは「120mで勝負を決めてこい」と言われていたので、金丸を意識するよりは「120mまでどれだけ飛ばせるか」と自分に集中して走りました。後になって先生に聞いたら、「あれは賭けだった」と言われましたけど……。僕自身としてもそうだろうなと思いましたが、練習はしっかりできていたし、つぶれる不安はなかったです。高1の国体(少年B200m)でラスト50mから大失速して2位に終わっているので、あの時のレースにはならないように心掛けました。
向かい風0.1mの中でダブル大会新となる20秒79(石塚、左)、20秒80(金丸)というスーパーバトルを繰り広げた2人
「こうすれば勝てたのにという後悔はなかった」(金丸)
――コーナー出口では、石塚さんが若干前に出ていました。
石塚 金丸よりも前に出ていたので「しめしめ」と思いました。あとは、どれだけリラックスして進めるか。自分自身は固くならないようにという意識だけでした。
金丸 射程圏内だと思ったんですけどね。最大パワーを出して並んじゃえば、勝ちだと思っていましたが、その後の直線でなかなか並べなくて。その差が縮まってくる局面があったら、かえってもう少しリラックスして走れたと思うんですけどね。力を出しているのに差がなかなか縮まらないので、どんどん力を消費されていきました。
この続きは2020年8月12日発売の『月刊陸上競技9月号』をご覧ください。
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【インターハイを語ろう。SPECIAL CLOSE-UP】 石塚祐輔×金丸祐三
2005年千葉インターハイ男子200m 歴史に残る激闘 王者対決が生んだ至高のレース
インターハイ史に語り継がれる名勝負の1つに、2005年千葉インターハイ男子200mがある。100mを制してスプリント2冠を狙う石塚祐輔(土浦三3茨城)と、高校記録を保持する400mで2位に1秒55差という歴史的圧勝を遂げ、4×100mリレーVをステップに3冠目を目指した金丸祐三(大阪3)が激突。直線に入って終始肩を並べ続ける大接戦の末、向かい風0.1mの中、史上初となる高校生が2人同時に20秒台をマークし、当時の大会記録を塗り替えた。その激闘から15年経った今、当事者2人がリモート対談を通じて語り合った。 ◎構成/奥村 崇「金丸の内側のレーンに入って勝つ夢を見た」(石塚)
――千葉インターハイの200mで激戦を繰り広げた2人ですが、そのレースに向けて当時を振り返っていただけますか。 金丸 この年、日本選手権(400m)で優勝してヘルシンキ世界選手権の代表(4×400mリレー)に選ばれましたが、僕はインターハイを特別視していて、一生に1度しかない高3のインターハイで最大の結果を残したいと思っていました。それは4冠です。だから 400mと4継(4×100mリレー)を勝ったからといって200mは気が緩んだというのはまったくなく、マイル(4×400mリレー)も含め全部勝つつもりでした。プレッシャーはありましたが、勝つことへのテンションのほうが大きかったですね。 石塚 僕は挑戦する立場という意識だったので、リラックスして臨めたと思います。金丸がいましたがその対決自体が楽しみだったですし。それよりもまずは100mを優勝する、という気持ちのほうが大きかったですね。 金丸 100mと200mの競技順が逆だったら、変わっていたかもしれないね。 石塚 100mを優勝して終えて、プレッシャーがなくなっていたからね。 ――当時の金丸選手はスーパー高校生として絶大な注目を集める存在でした。それでも、400mで2位に史上最大差の1秒55をつける46秒18(大会新)で勝った後、「インターハイでのライバルは石塚です」と即答されていたのが印象に残っています。 金丸 石塚はその年、県大会も、関東大会も向かい風で、好条件で走っていなかった。競ったらわからないぞ、と。圧勝するイメージはまったくなかったですね。 石塚 勝ちたいという思いもありましたが、どちらかといえば挑む立場だと思っていたので、心のどこかで「負けて当然」という思いもあって気は楽でした。 ――200mは大会4日目で、疲労もあったと思いますが、コンディションはいかがでしたか。 金丸 疲れているはずですけど、疲れていたかどうかの記憶がないですね。それ以上に集中力が高かったというか。2年生の時は疲労感があったのは覚えているのに、3年の時は覚えていませんね。 石塚 (リレーもある)金丸より本数はもちろん少ないんですけど、それまでの疲労とかいう以前に集中していましたし、決勝のレースは本当に入り込めたという感じはあります。あと、実は今まで表立って言ったことがなかったのですが、インターハイの1週間前くらいに夢を見たんですよ。金丸の内側のレーンに入って、200mで勝つ夢を。夢は自分しか見られないものなので、他人に話しても「何言ってんだ」と思われるじゃないですか。だから親父にしか言っていません。で、決勝で内側(のレーン)に入ったんですよ。 ――石塚さんが4レーン、金丸さんが5レーンでした。 石塚 現実になってすごいぞと思いました。 金丸 僕は嫌だったけどね(苦笑)。 石塚 金丸は僕が内側に入るのは絶対に嫌なんだろうなと思っていました。 金丸 とにかく石塚が内側にいるのが嫌でしたね。石塚とのマッチレースになるのは僕の頭の中にもあり、ケガでもしない限り、石塚以外の選手に負けるとは思っていなかったので。当時の石塚は競り合う選手の姿を見ながら走ったほうが力の出るタイプだと思っていたので、なおさら嫌でしたね。 石塚 僕は内側に入りましたけど、金丸を逆に見ないようにしました。(スタート前のルーティンである)「金丸ダンス」からもう見ていなかったです。あれを見ると絶対笑っちゃうなと思って(笑)。 金丸 石塚が内側を走ることに備えてイメージは事前にしていたんですけど、結果的に言って力んじゃいましたね。 石塚 顧問の先生からは「120mで勝負を決めてこい」と言われていたので、金丸を意識するよりは「120mまでどれだけ飛ばせるか」と自分に集中して走りました。後になって先生に聞いたら、「あれは賭けだった」と言われましたけど……。僕自身としてもそうだろうなと思いましたが、練習はしっかりできていたし、つぶれる不安はなかったです。高1の国体(少年B200m)でラスト50mから大失速して2位に終わっているので、あの時のレースにはならないように心掛けました。 向かい風0.1mの中でダブル大会新となる20秒79(石塚、左)、20秒80(金丸)というスーパーバトルを繰り広げた2人「こうすれば勝てたのにという後悔はなかった」(金丸)
――コーナー出口では、石塚さんが若干前に出ていました。 石塚 金丸よりも前に出ていたので「しめしめ」と思いました。あとは、どれだけリラックスして進めるか。自分自身は固くならないようにという意識だけでした。 金丸 射程圏内だと思ったんですけどね。最大パワーを出して並んじゃえば、勝ちだと思っていましたが、その後の直線でなかなか並べなくて。その差が縮まってくる局面があったら、かえってもう少しリラックスして走れたと思うんですけどね。力を出しているのに差がなかなか縮まらないので、どんどん力を消費されていきました。 この続きは2020年8月12日発売の『月刊陸上競技9月号』をご覧ください。
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