Countdown TOKYO2020鈴木雄介(『月刊陸上競技』2019年6月号誌面転載記事)

Countdown TOKYO2020
鈴木雄介(富士通)

帰ってきた「世界記録保持者」


2015年3月の全日本競歩能美大会20km競歩で、1時間16分36秒の世界新記録を樹立した鈴木雄介(富士通)。その夏の北京世界選手権、そして翌年のリオ五輪では、日本競歩界の悲願でもあった金メダル獲得という輝かしい未来が待っていた……はずだった。しかし、股関節の故障がそれらのすべてを消去し、鈴木の競技人生をも奪おうと牙を剥く。それでも鈴木は気の遠くなるような空白期間を乗り越えて復帰し、今年4月の日本選手権50km競歩に日本新記録(3時間39分07秒)で優勝。ドーハ世界選手権日本代表の座をつかみ、再び世界の舞台に立とうとしている。

プランにはなかった50km出場

鈴木の主戦場は、世界記録を保持している20kmである。4月14日の石川・輪島での日本選手権50km競歩は、もともと今季の出場プランには入っていなかった。昨年5月の東日本実業団選手権(5000m競歩)で長引く故障から復帰して以降も、今年2の日本選手権20km競歩に照準を合わせてトレーニングを積んでいた。
 しかし、「1月末に右足首が炎症し、軽い疲労骨折で歩けない時期もあった」ことから日本選手権を回避。翌3月に行われる同じ20kmの全日本競歩能美大会にターゲットを変更した。ところが、「(ドーハ世界選手権の)代表権を得ることが一番の目標。そのためには優勝しかなかった」という能美は1時間17分47秒の好タイムを出しながらも4位に終わり、望んでいた結果にはならなかった。
「能美の翌日には輪島の50km出場を意識しました。今後を考えた時、来年の東京五輪は20kmでも50kmでも、とにかく出たいという強い思いがあります。今秋の(全日本競歩)高畠大会が代表選考レースになると想定すると、その前に一度、50kmには出ておきたいと思ったんです。だから優勝したいとか、50kmでドーハ世界選手権を目指そうとは、まったく考えていませんでした」
 急きょ出場を決めた50kmではあったが、距離への不安はなかった。「チームには森岡(紘一朗)さんがいて、谷井孝行さん(自衛隊体育学校/今年2月に引退して同コーチ)とも一緒に合宿をさせていただくこともあった。周りに50kmの先輩方がいたので、社会人2年目ぐらいから50kmに対応できるような練習もやっていた」からだ。練習の一環だったため完歩はしていないが、輪島の50kmにも過去2度、出場したことがあった。

50kmも日本新記録で初制覇

〝実質初レース〟となった今回の50km。鈴木が立てたレースプランは明確だった。
「1km 4分25秒前後を目安に、まずは完歩すること。ラスト15kmぐらいからは余裕があればペースを上げてもいいかなと思って臨んでいました」
 序盤からレースを引っ張ったのは、チームメイトでもある50km初挑戦の松永大介。2番手には、50km日本記録保持者の野田明宏(自衛隊体育学校)がつけた。3位集団にいた鈴木は10kmを44分28秒、中間点の25kmを1時間50分32秒で通過。松永とは10km地点で30秒、25km地点で3分13秒もの大差をつけられたが、「(上位選手の存在は)気にならなかった」という。
「自分が立てたレースプラン通りに、できる限りの力を出し切るのが50km。そこを逸脱したペースではやらないと決めて、自分のリズムを刻むことだけを考えていまし
た」
 鈴木にとってやや想定外だったのは、荒井広宙(富士通)、小林快(新潟アルビレックスRC)、丸尾知司(愛知製鋼)のロンドン世界選手権代表トリオが「あまり速いペースで入ってこなかった」こと。だが、20kmと50kmで学生記録を持つ川野将虎(東洋大)が「ついてきてくれたことで、2人でうまくペースを作れたのはレース展開的に良かった」と鈴木。その後、松永と野田が終盤に相次いで途中棄権し、トップに立ってからも「自分の歩きをすること」しか頭になかった。
目論見通り、36kmあたりからペースアップした鈴木は、レース半ばに一度は追いつかれたロンドン代表トリオを再び引き離し、さらにもう一段階ギアを上げた38km過ぎに川野も置き去りにした。最終盤にやや失速したのは、「脚の疲労ではなく、給水の仕方や内容物が少しうまくいかなかった。少し脱水症状があった」から。それでもフィニッシュタイムの3時間39分07秒は、従来の記録を40秒上回る日本新記録だった。
 世界記録保持者の華麗なる復活――。そう沸き立つ周囲の喧騒をよそに、当の鈴木は2015年の20kmに続く快記録にも、どこ吹く風といった表情で、喜びを爆発させるようなことはなかった。
「今後50kmをやるなら、世界記録(3時間32分33秒)を目指していくつもりです。日本記録を出さないことには自信にもならないですし、練習の消化状況や自分の能力的にも、今回ぐらいの記録は出せて当たり前と思っていました」
 そして、「世界で金メダルと獲ったら完全復活」と、今いる自身の立ち位置を冷静に捉えていた。

※この続きは2019年5月14日発売の『月刊陸上競技』6月号をご覧ください