Countdown TOKYO 2020 小池祐貴(『月刊陸上競技』2019年3月号誌面転載記事)

Countdown TOKYO 2020 小池祐貴(住友電工)

自己新連発の2018年、アジア大会では金メダル
今季は世界選手権でファイナリストに


慶大を卒業してANAに所属した社会人1年目の2018年シーズン、男子短距離の小池祐貴(住友電工)は目を見張るほどの快進撃を続けた。6月末の日本選手権200mで20秒42(+0.8)の自己ベストをマークして2位に食い込み、ジャカルタ・アジア大会の代表入りを決めると、7月半ばのヨーロッパ遠征で20秒29(+0.7)とさらに記録を短縮。8月末のアジア大会では20秒23(+0.7/日本歴代7位)と三たびの自己新で、この種目としては2006年ドーハ大会の末續慎吾(ミズノ/現・EAGLERUN)以来、3大会ぶりの金メダルを獲得した。
北海道・立命館慶祥高3年の大分インターハイでは100m、200mともに2位。両種目で勝った桐生祥秀(京都・洛南高/現・日本生命)の陰に隠れた存在だったが、大学4年の時に臼井淳一コーチと出会い、小池の新たな競技人生がスタートした。髙平慎士(富士通)に続く道産子スプリンターは、2019年の目標に「ドーハ世界選手権での決勝進出」を掲げている。

冬季練習の狙いはさらなる体力アップ

間もなく大寒を迎えようという1月半ば、東京・北区にあるナショナルトレーニングセンター(NTC)の陸上競技場も冷たい空気に包まれていた。母校の慶大・日吉グラウンドで行うこともあるが、「今はNTCでやることが多いですかね」と小池祐貴(住友電工)。この日の練習パートナーは、昨年6月の日本選手権男子110mハードルで13秒36(+0.7)の日本新記録を作った同期の金井大旺(福井県スポーツ協会/現・ミズノ)と、金井の大学の後輩で走幅跳が専門の佐久間滉大(法大)だ。

男子走幅跳の元日本記録保持者・臼井淳一コーチの指導のもとで冬季トレーニングをやるのは2シーズン目。小池は「量は去年より増えてるかな」と苦笑いしながらも、「しっかり追い込めてます」と充実した表情を見せた。冬季の狙いは昨年と同様「基礎的な体力アップ」。トレーニングメニューは「元々考える選手だから、あまり考え過ぎないように」と、臼井コーチは当日伝えるようにしている。「それがいいのかどうかわからないけど、小池には合ってると思って」と臼井コーチは話した。

ハードルを使ったドリルなどで身体を動かした後、スタートダッシュを30m×3、50m×3、80m×2の計8本。すべてアップシューズのままだった。小池は「僕、シーズン中でもスパイクを履いてダッシュをするのは試合の前ぐらいです」と。この点を臼井コーチに確認すると「スパイクはごまかしが効くから」とのこと。「ケガのリスクを回避する」という大前提があるが、「スパイクだと速く走れていると勘違いする」。その背景には「試合で速ければいい」という臼井コーチの信念が見える。

冬季トレーニングは「大まかにショート、ロング、技術、レスト」(小池)というサイクルだそうで、それらと合わせ「週に2~3回のウエイトトレーニング」が入る。この日はスタートダッシュの後に「ロング」の練習が待っていた。150m×5本と300m×1本。スピードレベルは「8割程度」だが、やはり長い距離を走るのは覚悟が要るようで、選手たちは気合いを入れ直してスタート地点に向かった。

150m走は50mまでスピードを上げて、次の50mはそれを維持。最後の50mは下げていく。臼井コーチは、スピード曲線を「台形に」と表現した。300mはイーブンペースで、この日の設定タイムは100mが14秒だったが、小池は「最初の100mが速すぎて13秒になったので、そのまま行っちゃいました」と、39秒のフィニッシュ。「イーブンで走るのは慣れている」のだそうだ。

これは何の練習でもそうだが、1本終わるごとに小池は臼井コーチの元に行き、動画を見ながら相互確認をする。選手は課題を持ってその1本に臨んでおり、走り終わったらまず臼井コーチが「今のどうだった?」と聞く。すると小池が「接地脚が……」とか「腕の振りが……」と感じたことを話す。それに対して臼井コーチが「そうだね」と同調したり、「僕はこう思うよ」とはたから見た見解を述べたり。「1本1本試行錯誤しながら練習してるので、そうやって言葉にできるのがいいですよね」と、61歳の臼井コーチは親子ほどに違う23歳のスプリンターとのやり取りを楽しんでいる。

「差を埋めるには考えるしかない」

北海道・小樽市出身の小池は、中学校まで野球少年だった。2つ上の兄が通っていた中高一貫校の立命館慶祥(江別市)へ自分も進み、電車通学は片道1時間40分ぐらい。「小学校の時は全道大会で2番になったことがある」という野球は、肩が強くて、ポジションも打順もフレキシブルだったようだ。

身体能力は高く、高校生になると「アメフト、ラグビー、野球、柔道など、いろんな部から誘われた」と言う。ただ「コンタクト・スポーツは人にケガをさせるのがイヤなんで」と断り、野球もやめ、「良くも悪くも自分次第」という陸上競技に行き着いた。小池は「自分が活躍できるスポーツは? と考えた時に、『陸上だったら行けるな』という感覚があった」と話す。だからといって、脚の速さで特別目立つ生徒でもなかったようだ。中学3年の秋に「ノリで出た」記録会の100mは、「12秒3もかかった」そうだ。

高校時代を振り返って、小池は「あの時こうすればもうちょっと速くなれたかな、というのは今思えばいくつかありますけど、自分なりに頭を使って考えながらやって、キャリア3年の知識ではあれがベストだったかなと思います」と話す。三段跳が専門だった顧問の日裏徹也先生に頼らず、先生が出してくれたメニューにプラスするか、別メニューにすることも。インターネットの動画サイトで海外の名選手の映像を何時間も見て、「強い人は何であんなに膝を曲げないんだろう?」とか「何であんなに最後まできれいなフォームなんだろう?」と考えた。

「すごく熱心に教えてくれる先生だし、考えてくれる先生だったんですけど、高3の時は桐生(祥秀/京都・洛南高)という絶対に勝てない同期が出てきて、先生のせいで負けたくなかったんですよ。自分で満足するまでやって、負けるのならいいんですけど」

小池は今ある力の差とキャリアの浅さを埋めるには、「自ら考えるしかないな」と頭脳を武器にした。

※この続きは2019年2月14日発売の『月刊陸上競技』3月号をご覧ください