新年号特別対談  飯塚翔太 × 戸邉直人(『月刊陸上競技』2019年1月号誌面転載記事)

「プラチナ世代」が集大成を迎える2020年 「新国立競技場で感動の瞬間を!」

1991年生まれの彼らが大学1年生(2010年)の夏、カナダ南東部の街・モンクトンで開かれた第13回世界ジュニア選手権(現・U20世界選手権)で、日本選手が次々と表彰台に上がる〝日の丸ラッシュ〟に沸いた日があった。大会5日目の7月23日。すべて男子で、まず走高跳の戸邉直人
(筑波大、現・つくばツインピークス)が当時自己セカンド記録の2m21で銅メダルを獲得すると、400mハードルの安部孝駿(中京大、現・デサントTC)とやり投のディーン元気(早大、現・ミズノ)は銀メダル。そして、200mでは飯塚翔太(中大、現・ミズノ)が同大会で日本人で初めて個人スプリント種目を制し、一番高い表彰台で金メダルを授与された。
男女長距離の大迫傑(早大、現・ナイキ・オレゴン・プロジェクト)や鈴木亜由子(名古屋大、現・日本郵政グループ)、女子競歩の岡田久美子(立教大、現・ビックカメラ)らを含むあの〝モンクトン組〟を筆頭とする「プラチナ世代」が、2020年東京五輪の主役になるべく今、力を蓄え、晴れの出番を待っている。ここでは男子短距離を牽引する飯塚選手と、2018年シーズンに2m32の4年ぶり自己ベストを出した戸邉選手に、建設が進む新国立競技場近くの店で、東京五輪に向けての熱い想いと競技観などを語り合ってもらった。

「ドクターコースってすごいな」――飯塚

飯塚 試合ではもちろん会うけど、普段は滅多に会わないし、こうやって対談で会うのも初めてだよね?
戸邉 そうだね。何だか新鮮な気持ちでいいね(笑)。
飯塚 今、筑波大大学院の博士課程にいるんでしょ。
戸邉 2年間の修士課程を終えて、その後博士課程に進んで3年目。
飯塚 ドクターコースってすごいな。半端ないよ。無事に修了できそう?
戸邉 何とか(笑)。論文自体はもうできていて、それを指導教官に提出して、直して、の繰り返し。昨日も試験があって、それが終わって、今日は晴れ晴れとした気持ちで来ました(笑)。

──博士論文のテーマは?
戸邉 研究テーマは走高跳です。物理的に解析して……。
飯塚 公式とかで計算して、でしょ。いやぁ、僕は想像できない。物理とか計算式とか苦手なので。でも、やってるとおもしろい?
戸邉 走高跳を運動力学とかで理論的に見ると「ああ、こうなってるんだぁ」とか思うよ。僕もあまり好きじゃなかったんだけど、筑波大に行って、そういう環境があったので、「やろうかな」と。
飯塚 それ、いいよね。自分の競技に直結する研究だもんね。

相部屋の外国選手と仲良くなる方法

飯塚 戸邉は海外に行くの、一番多いよね。僕の中では「いつ日本にいるんだろう」というイメージ。今年(2018年、以下同じ)はIAAF(国際陸連)ダイヤモンドリーグ(DL)のファイナル(ベルギー・ブリュッセル)に、日本選手で初めて出場したんだからすごい。走高跳は何人、そこの舞台に立てるの?
戸邉 その年にもよるんだけど、今年は12人。トラック種目は8人かな。それまでのDLでポイントをつけられて、その上位者だと思う。
飯塚 いつものDLより、ファイナルはホテルもいいの?
戸邉 ファイナルは絶対に1人部屋。
飯塚 えっ、すごい。普段は絶対に2人部屋だからね。僕が先にチェックインして部屋で寝てると、夜遅くに相部屋の選手が入ってくるの。ドアをガチャガチャして、ヘッドホンの音楽もガンガン鳴らして(笑)。「うわぁ、来た」と思って。朝起きたら、部屋の臭いが変わってる、香水とかで。
戸邉 (うなずきながら)ある、ある。
飯塚 それはそれで楽しいけどね。
戸邉 僕はなぜかアフリカの長距離選手と一緒になることが多くて、僕みたいなアジア人と話す機会はそうないから、向こうも緊張してるんだよね。そういう時の距離の縮め方があるんだよ。ホテルでご飯を食べに行くと、バナナとかりんごとか、必ずフルーツがあるでしょ。彼らはそれを部屋に持って帰ってきて、僕にくれるの。みんながそれをやるから、「あ、そういうことか」とわかって、僕も先にホテルに入ったら、部屋にフルーツを持ってきておいて、来たらあげる。
飯塚 そこからコミュニケーション取るんだ。おもしろい。
戸邉 そうすると「お前はいいヤツだなぁ」みたいになる(笑)。

──誰と相部屋になるか、事前にはわからないんですか。
飯塚 チェックインの時に名簿があって、調べればわかりますね。こっちが話しかけなかったら、ずっと話さない選手もいますよ。僕、2014年のニューヨークで初めてDLに出た時、友達が1人もいなくて、みんなが談笑しながら食事しているテーブルにコソコソ着いて、「誰だ、こいつは?」みたいに見られた時は気まずかったなぁ。
戸邉 その雰囲気、すごい良くわかる(笑)。

──言葉の壁が大きいですかね。
戸邉 英語がしゃべれなくても、コミュニケーションを取ろうというポーズをとるだけで、だいぶ雰囲気が違うよね。
飯塚 まず行動する、みたいな。何か動こう、って。

海外に出ようと思ったきっかけ

──そもそも戸邉選手が海外へ積極的に行こうと思ったきっかけは何ですか
戸邉 きっかけは、やはりモンクトンの世界ジュニアだと思います。そこでメダルを取って、同期のレベルも高かったですしね。最初に個人でブレイクしたのはディーンだよね。2012年のロンドン五輪でファイナリストになった。ディーンは言葉の面で何の問題もなかったから、どんどん海外に行ってたし、そういう影響はすごく受けましたね。
飯塚 僕が初めて海外(米国)へ練習に行ったのが高3の冬。インターハイで優勝してるから、ちょっと鼻が高くなってたんだけど、自分より大きい人、速い人がいっぱいいて、ポキッとへし折られた(笑)。で、世界ジュニアで優勝して、ちょっとまた気持ちが大きくなったんだけど、オリンピックでこてんぱんにやられて、というのを繰り返してた。
僕、モンクトンはランキング1位で行ったの、静岡国際で20秒58(-0.6)を出して。現地に行ったら、「ランキング1番の日本人」みたいに外国選手に冷やかされた。悔しかったけど、予選を1本走ったら見る目が変わりました。最初は、日本人の印象はそんなもんか、と思いましたね。

──海外に出て行って、得たものは大きかったですか。
戸邉 走高跳の場合は特に技術的な面が大きくて、その技術も国によって全然違うんです。跳躍の技術だけじゃなくて、トレーニングの方法や考え方も全然違うかな。それを早いうちに学べたことが、今につながってると思いますね。最初、僕が1人で行ったのはスウェーデンで、ステファン・ホルムというアテネ五輪の金メダリストのところ。大学3年の冬だったんですけど、それから毎年冬には行く習慣がつきました。

──スウェーデンに行くツテはどうやって探したんですか。
戸邉 その時は陸連につないでもらいました。というのも、僕らの世代がこれだけ世界で通用したので、ここを皮切りにもっと世界へ出て行く環境を作ろうという方針になって、その点のサポートはだいぶしていただきました。

この続きは2018年12月14日発売の『月刊陸上競技』1月号をご覧ください